「ドイツのクリスマス」演奏会間近!
 今日(11月29日、日曜日)は、12月6日に池袋の東京芸術劇場で開かれる演奏会「ドイツのクリスマス」のオーケストラ練習及びオケ合わせだった。今しがた家に帰ってきてこの原稿を仕上げている。

 東京バロック・スコラーズは、結成以来常に一流のオーケストラのメンバーを一本釣りしてきたが、今回はその中でも間違いなくベスト・メンバーだ。今回特に注目していいのは、若き俊英、近藤薫(こんどう かおる)君だ。彼は現在東京フィルハーモニー交響楽団で、コンサート・マスターのすぐ横で弾いている。
 僕は、以前名古屋のモーツァルト200合唱団でモーツァルトのヴァイオリン協奏曲を一緒にやって以来、彼との共演を心待ちにしていた。彼の叔母に当たるのは、僕が以前名古屋でバッハの演奏会をする時いつもコンサート・ミストレスとして弾いてくれ、僕を名古屋芸術大学の客員教授として呼んでくれた近藤フミ子さんだ。彼女はガンのため惜しくも亡くなってしまったが、こうして甥である薫君とまたバッハでつながることに何かの縁を感じる。
 そして、近藤君が集めてくれたヴァイオリン達の若くて優秀だこと!ヴィオラ以下は揺るぎないベテランでかためられ、その上に乗ってヴァイオリンが爽やかで透明な音楽を奏でる。それに管楽器達の美しいハーモニーが重なる。もうたまりませんなあ!僕は練習をつけながら嬉しくて仕方なかったよ。

 もう今日は自画自賛の嵐になってしまうが、ソリスト達も素晴らしいんだ!ソプラノの藤崎美苗(ふじさき みなえ)さんは、いつも通りの清楚でいながら凛とした音楽を奏でるし、アルトの高橋ちはるさんのふくよかで暖かい声!テノールの鈴木准(すずき じゅん)君の天性の美声と完璧なコロラトゥーラの技術!それとウィーンから来日したコンシュタンティン・ヴァルダドルフさんのネイティブの発音と知性溢れる歌唱!どれをとっても非の打ち所がないよ。
 今日は「クリスマス・オラトリオ」とモテットだけの練習だったので、まだブランデンブルグ協奏曲の方のソリストは聴いていないが、これに大谷康子(おおたに やすこ)さん達スーパー・ソリスト陣が加わるわけだからね。これはとんでもない演奏会になるに違いない!

 でも、一番の主役はなんといっても合唱。合唱団もオケに煽られてノリノリムード。今度の水曜日、僕の最後のオニのような練習で、バッチシ仕上げよう。

バッハ最大の傑作・ブランデンブルグ協奏曲第5番
 10月終わりくらいに、軽くブランデンブルグ協奏曲のスコアをピアノで弾いたりして遊んでいたが、その後一度寝かせて忘れ、「クリスマス・オラトリオ」の勉強に入った。そして福音史家のドイツ語も大体頭に入った頃、再び紐解いてスコアの暗譜に入った。いや、驚いたね!特に第5番は、譜面を見れば見るほど凄い作品だ!

 僕がスコアを暗譜するのは、“暗譜で指揮する”ためではない。バッハの曲は、始まってしまえば指揮者なんかいなくても勝手にオケはインテンポで進むし、各楽器は長い休みなどなくずっと弾きっぱなしなので、マーラーやプッチーニのように格好良くアインザッツを出す必要もない。だから“振るために暗譜”という必然性は全くない。大体、指揮者がバトンテクニックをはじめとして指揮者らしさを発揮するところなんて、バッハではほとんどない。にもかかわらず暗譜するのは、ひたすら個人的に曲を味わいたいからなのだ。
 曲の構造を理解するためにはアナリーゼは不可欠だが、アナリーゼしただけでは理解は出来ても、曲自体に自分が近づいて一体感を得るところまではいかない。一体感を得たかったら、なんといっても曲をまるごと覚えて体の中に染みこませるのに限るのだ。これを僕は作曲と指揮の勉強を本格的に始めた時から続けている。そうして自分の好きなテンポで好きな解釈で曲を頭の中で鳴らしてみる。この歓びを覚えたら、曲に近づくためにこれ以上の方法はないと断言出来る。

 ブランデンブルグ協奏曲第5番という曲はとても覚えにくい。曲の構造が実に複雑なのだ。テーマは驚くほど簡単なのに・・・・。
ドドミミソソドド・シドシラソファミレ・ドドミミソソドド・レッソ・・・・って、分散和音と音階だけで出来ているテーマ。ふざけてんのかいなと思うほど単純だが、この単純なテーマからなんとバラエティに富んだ音楽が紡ぎ出されていることか!特にテーマの後半のミドレファミソドシというジグザグのモチーフが後で大活躍するところなのは、その展開の見事さに言葉を失うほどだ。
 バッハといえば理性的でバランス良く音楽を作る人だと思われているが、第1楽章終わりの方のチェンバロの超絶技巧カデンツには笑ってしまうね。このバランスを欠いた大暴走!チェンバリストに向かってこう言いたくなる。
「おい、君!一体いつまで弾いているのだね?僕たちがここで出番を待っているの忘れているのかい?しかもどんどん1人で発展していってしまってどこまで離れるつもりだ?え?聞いてるの人の話?おおい!戻って来いよう!」

 また第2楽章の最初の4小節の、テーマと低声部あるいはオブリガートのあり方は、音楽のたたずまいとして究極の美しさを誇っている。聴いても美しいだけでなく、譜面上でも、“音楽を書く”ということはこういうことなのだということの見本が“人類das menschliche Geschlechtに提示されている”ような気がする。そして、そのモチーフの発展の仕方が、また比類なきものだ。

 第3楽章のモチーフの即興的な展開の仕方を見ていると、バッハという作曲家の偉大さは、一般に言われているように音楽を論理的に発展させた故ではなく、その汲めどもつきぬ無限なアイデアに由来するものであることを感じさせてくれる。中間部の短調のテーマの美しさ!それも最初のモチーフから導き出されたものでありながら、なんと違うキャラクターを持ち得るのだろう。その後の発展の仕方は、あまりに即興的なので分析不可能!そしてロ短調の終止和音に落ち着き、何食わぬ顔で最初のテーマに戻って曲を終わる。

 全てが天才の証し!知的で感性に溢れ、論理的で同時に即興的、もの凄く凝って書かれていながら天衣無縫、天真爛漫!6曲のブランデンブルグ協奏曲は、どれもバッハの創作の中でも白眉の作品揃いだが、その中でもこの第5番は、バッハの全作品の中でも最高峰に位置する。
 また、モーツァルトが最大限に評価したというモテットの第1番「新しい歌を主に歌え」も、6曲のモテット中最大傑作。ブランデンブルグ協奏曲第5番の高さと並ぶ。これらの珠玉の作品は夜の演奏会でしか聴けない。

 クリスマス・オラトリオの第4部から後になじみが薄いのか、日曜日の夜というのが客足が悪いのか、夜の演奏会の方がまだ残券があるようだが、せっかく池袋まで来ていながら夜の演奏会を聴かないで帰るのは損ですよ、みなさん!

と、飛んだ!
 ボジョレ・ヌーヴォーは、Beaujolais nouveauというスペルを読む限り、美しいという意味のbeauという言葉のニュアンスを生かしてボージョレの方がいいように思うが、そうするとボーを強調しすぎるかな?最終シラブルにアクセントが来るというフランス語の法則に忠実に発音するとボージョレーないしはボジョレーの方がいいようにも思える。
 ヌーヴォーも、あんましヌーにアクセントがついてもいけないので、ヌヴォーの方がいいように思うが、プリンターをプリンタと書くような最近の表記の仕方など見ていると、ヌヴォでもいいような気がしてくる。日本語表記というのはなかなか難しい。とりあえずみんなが使っている無難なボジョレ・ヌーヴォーと書いておく。

 今年のボジョレ・ヌーヴォーは、近年稀に見る当たり年ということで、我が家では早速解禁の11月19日木曜日にみんなで飲んだ。解禁はフランスでも11月の第3木曜日と決まっているという。
 た、確かにうまい!ボジョレ・ヌーヴォーは、元々若いワインなのだから、“寝かせる内に熟成”という後からのフォローがないので、ブドウのクオリティがそのまま味に反映する。はずれの年はまるでブドウ・ジュースのようだったり、変に酸っぱかったりするが、今年のは若いのにコクがあり、まるで35歳なのに「ドイツ・レクィエム」を作ったブラームスのよう。いや、ブラームスよりずっと爽やか!
 もう一度飲みたい気がしてきたので、11月23日月曜日の晩、仕事帰りに府中の京王ストアのお酒売り場で探したけどない。どうやら解禁の日は誰も気にしていなかったけれど、その後「今年のは最高」という評判が広まって、客が酒屋に殺到し、売り切れ続出しているようだ。全く日本人というのは急激にブームを作るねえ。新型インフルが流行りだした時のマスクと一緒だよ。
 そこで僕は、府中と東府中の間にある甲州街道沿いの大きな酒屋ならあると思い、月極で借りている府中駐輪場から自転車に乗り、酒屋をめざした。

 酒屋の駐車場が見えてきた。その前の店にも駐車場があって酒屋の駐車場とつながっている。僕は最短距離を走ろうと思って、前の店の駐車場を斜めに横切って酒屋の駐車場に入ろうとした。
 ドン!突然全身に予期しない衝撃が走った。気がついてみたら僕は宙を飛んでいた。
「ゲッ、こ・・・・これは・・・・?」
自転車は大きな弧を描きながら中空を舞い、前部を下にしながら着地の準備に入っている。地面がみるみる近づいてくる。でも僕は思った。
「前傾姿勢だが、このまま前輪から着地すれば大丈夫。」
しかしその読みは甘かった。前輪が地面についたその瞬間、ハンドルが予想外にぐるっと回り、僕は見事に頭から地面に落ちた。ガン!目から火が出た。右の額に激痛が走る。

 その一連の動きはほんのわずかの時間に起きたはずだが、面白いものでかなりスローモーションで覚えている。落下した後は額の痛さに頭がボーッとなり、しばらく動けなかった。「一体何が起こったんだ?」
 僕はゆっくり後ろを振り返った。あれえ?前の店の駐車場とこの酒屋の駐車場の間がブロックで仕切ってあるぞ。それは塀のようになっているけれど、わずかブロック一個分の高さしかないので、我が優秀なマウンテンバイク君は乗り上げてそのままジャンプしたってわけか。
 それにしてもそんなものがあるなんて全く見えなかったぞ。おそらく向こう側の酒屋の照明が明るいため、薄暗いこちら側からは死角のようになってしまったのだな。でも直前の車止めは見えたのでよけながら走ったのに、このブロックだけは何故見えなかったのだろう?不思議だ。実に不思議だ・・・・。

 こんな時最初に考えることって、自分の身体のことではないんだな。お金がかかること。つまり、眼鏡が壊れてないかなとか、自転車は大丈夫かなということなんだ。幸い眼鏡も大丈夫だったし、自転車ときたらあんな衝撃にもかかわらずビクともしない。さすがマウンテンバイク。オフロード用に頑強に出来ている。ママチャリとは違うんだよ。見るとハンドルが後ろと前180度反対になっている。マウンテンバイクはこんな風にハンドルがくるっと回ってしまうのだ。だから頭から落ちたのだな。ママチャリの方が安全だったかも知れない・・・・。
 それからこの冬を自転車で走行するためにちょっと無理して買った自慢のNorth Face製ゴアテックスGore-Tex(防水、保温に優れた素材。雨粒ははじくが水蒸気は通すため蒸れない。)のジャケットに傷はないかとても心配だった。珍しく自分で選んでお金出して買ったんだ。まだ何日も経っていない。おお、無傷!なんてラッキー!
 こんな風に自分の体より先に身の回りのものを点検するなんてなんてセコいのだろう。ま、体は時間が経つと治るけれど、物は一度壊れたらお金出さないと買えないからね。体だって治療代がかかるし、場合によっては取り返しがつかない事態に陥る可能性だてあるのに・・・・。
 それからはじめて自分の身体の心配に意識が及ぶ。僕は額に手を当ててみた。血が出ている。あらら、しっかり怪我しているじゃないの。といっても血は流れ出るほどではない。ハンカチで血を拭いてからゆっくり起き上がった。右の膝がちょっと痛い。

 おっと、ボジョレを買いにきたのだっけ。でもこのまま酒屋に入っていって店員にギョッとされても嫌だな。一体どんな人相になっているのだろう?僕は店員を避けるように酒屋に入って行った。なるべく人に見られないようにしながら鏡を探す。ところがこんな時に限ってどこにも鏡らしきものはない。
 酒屋の窓に自分の顔を写してみるが、どうも暗くてよく分からない。なるべく明るい所を探して酒瓶の間を歩き、あっちこっちの窓に顔を近づけていろんな角度から窓をのぞく。その内、店員が僕の方をチラチラ見始めた。きっと動きが相当怪しかったに違いない。鏡はあきらめた。
 それにしてもボジョレが見あたらないのだよ。ここならあると思ったのに・・・・。仕方ない、僕は髪の毛で傷を隠すようにして店員のところに行った。
「ボジョレはどこにありますか?」
「売り切れです。評判が良いので。」
あっ、そ・・・。せっかく怪我までしてここまで来たのに、にべもない返事。仕方ないので店内を歩くと、
「神の雫に載っている話題のワイン、在庫残少」
というワインがあった。漫画の「神の雫」は、妻が一度ハマッて全巻そろえたワインの漫画。その第一巻に載っているシャトー・モン・ペラChateau Mont-Peratというボルドー・ワインだ。漫画では2001年だが、この店で売っているのは2008年のもの。
 僕は、お店で飲む時は別にして、普段は二千円以上するワインなんて滅多に買わないのだが、ボジョレは、質の良いヴィラージュなどを買おうとするとそのくらいするので、もうお金払う心づもりは出来ている。だから三千円近くしたこのワインだけれど面白そうなので買った。

 家に帰ってきて玄関先で家族に会う前に声だけ聞かせた。
「あのねえ、ちょっと怪我したよ。」
「なんですって?」
妻が飛び出してきた。額の傷を見て口をあんぐり開いている。僕はバツが悪いので、
「ちょ、ちょっと転んだ・・・・。あはははは・・・・。」
とごまかそうとしたが、
「ちょっと転んだくらいで、そんなところに傷作るわけないじゃないの?どうしたのよ?」
「ちょっと空飛んだ・・・・。」
長女の志保が笑っている。妻の目は反対にどんどん吊り上がっている。ヤベエ・・・・僕はしどろもどろでわけを話した。

 シャトー・モン・ペラは、信じられないくらいおいしかった。ワインの味をを口で表現するのはどうも苦手だが、ボルドー・ワインの濃厚さの中にやんちゃな感じと上品な感じとが同居している。
 その味のことをもっと知りたかったら「神の雫」第一巻の100ページあたりを開いて下さい。イギリス70年代のロックバンド“クイーン”になぞらえているよ。こんな風に二人の人が打ち合わせもしないのに、ワインを飲んだだけで同じロックバンドを言い当てるなんて「あり得ねー!」と思うが、ま、それも漫画っつーことで・・・・。

それよりもさあ、ワインを飲んだら額が脈に合わせてズッキンズッキンしたぜ。

 妻から、
「自転車に乗る事しばらく禁止!」
と言われたが、もうけっしてこんな真似はしません、安全運転に徹しますので勘弁して下さい許して下さい、と必死で土下座して(嘘です)お願いして、府中駅の駐輪場まで通うのは許してもらった。でも新国立劇場までの長距離は12月6日の演奏会が終わるまで禁止。困ったな。11月30日の月曜日の朝に採血があるので、今週は自転車を乗り回して少しでも血糖値を下げて採血に臨もうと思っていたのに・・・・・。
 傷はもうかさぶたになっていて、痛さは痒さに変わってきている。このかさぶたが剥がれたらもう完治。次の日少し肩が張った他は、特にむち打ち症のようなものも出なかった。でもやっぱり自転車といえども気をつけないと危ないね。特に夜は光の加減で死角になることが多いように思える。気をつけようと思う。

オラトリオ長崎
 冒頭の合唱曲はハ短調。ゆるやかな4分の3拍子。オルガンと弦楽器、それに低弦のピッツィカートの響きを聴きながら、
「あっ、そうか!」
と納得した。これはシュニトケが傾倒していたバッハの「マタイ受難曲」の終曲「我ら涙もてひざまづき」のパロディに違いない。
 ただバッハと違うのは、合唱はオーケストラが奏でるメロディーに乗って「ナ・・ガ・・サ・・キ・・・・深い悲しみの・・・・街・・・・」(ロシア語)とつぶやくように入ってくること。この冒頭はゾクゾクッとする。こんな音楽がこれまで知られることなく埋もれていたなんて不思議でならない。

 ゲネプロが終わった後での僕の合唱団への駄目出し。
「みなさん!僕は練習の時でも通常こんなことは言ったことないのですが、第3楽章では絶叫して下さい。ここは原爆の衝撃と阿鼻叫喚の様子を音楽で表現したものです。オーケストラはめちゃめちゃ大きい音を出しますが、みなさんも負けないように。もうどんな大きな声でもいいし、多少汚い声でもいいです。この曲以外では決して言いませんけどね。それから終曲では熱狂的に歌って下さい。23歳のシュニトケが若い情熱のほとばしるままに書いたそのエネルギーを声に託すのです。感動的に歌って下さい。」

 音楽の展開は少々月並みかも知れない。ところどころ荒削りかも知れない。でもこの作品には人を惹きつけずにはいられない何かがある。もっと沢山の人がこの曲に注目して欲しい。もっともっと世界中でこの曲を上演して欲しい。そうした祈りを込めて僕は11月28日土曜日東京芸術劇場での演奏会に臨んだ。指揮者のロジェストヴェンスキーの率いる読売日本交響楽団の演奏は素晴らしく、新国立劇場合唱団も僕の願い通り感動的に歌ってくれた。
 この原稿を読むのがもしかして11月30日月曜日の19:00より前だったら、急いでサントリーホールに行って下さい。まだ席はあるはず。このシュニトケ作曲オラトリオ「長崎」の二度目の公演があります。この音楽をあなたは聴くべきです!


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