アルベリヒは女を断念したか?

東京とんぼ返りの週末
 新国立劇場合唱団の一行は、22日金曜日に安芸高田市立小田小学校の公演を終えてから、新幹線で広島駅から岡山に渡り、25日月曜日の備前市立吉永小学校の公演まで岡山駅前のホテルに連泊していた。でも僕は、広島駅からそのまま新幹線に乗って東京まで来てしまい、自宅に帰って週末は束の間東京にいた。
 その理由として、志木第九の会の演奏会が近いので23日土曜日の晩に練習に行ったのと、もうひとつとても重要な用事があった。それは、24日の午後、日本ワーグナー協会の例会に出掛けたのだ。そしてその足でまた新幹線に乗って岡山まで戻った。

アルベリヒは女を断念したか?
 新国立劇場では、2月及び3月にトーキョー・リング(ニーベルングの指環)後半の「ジークフリート」と「神々の黄昏」公演が行われるが、それに合わせて日本ワーグナー協会が、それぞれの演目に対して3回ずつの講演会を行うことになった。リングについて様々な面から徹底的に勉強してから公演に臨もうという意気込みである。
 すでに「ジークフリート」の勉強会は終えて、1月からは「神々の黄昏」の勉強会に入った。その第一回目は1月24日日曜日に礒山雅(いそやま ただし)氏によって行われ、そして第二回目は2月13日土曜日に僕が担当することになっている。それで、まあ、偵察に行ったというわけですな。
 僕の講演は演奏家という立場から語るので、アプローチは学者や研究者などとは自ずと違ってくるだろうが、同じ内容をダブッて話したら、全講演に参加している方達から見れば時間の無駄だし、前任者が何を話したかということが分かれば、その流れで話を展開することも出来るからね。
 例会はとても実りのあるものだった。礒山氏は我が国におけるバッハ研究家の第一人者として知られていて、東京バロック・スコラーズでも講演をお願いしているが、実は熱心なワグネリアンでもある。僕がバイロイト音楽祭で働いていた時に音楽祭にいらしたので、僕の住んでいるところにお呼びして、僕が作った粗末な日本食を食べてもらいながら、いろいろワーグナーについて熱く語った思い出もある。

 今回の講演に行って良かったと思ったのは、質疑応答で出た二つの話題が特に興味深かったこと。それ以来、この話題は今日に至るまでずっと僕の心に引っ掛かっている。ひとつはアルベリヒの「愛の断念」についての議論だ。礒山氏は講演の中でこう述べておられた。
「ハーゲンの出生に関してはアンチ・キリストという捉え方が出来る。アルベリヒは愛を断念することによって、ラインの黄金を手に入れてそこから指輪を作った。『去勢した』アルベリヒにハーゲンという子どもがいるのはどういうことかというと、マリアが聖霊によってキリストを身ごもったのとまさに正反対の意味で、憎悪によってアルベリヒはハーゲンを人間の女に身ごもらせたのだ。」
この件を受けて、
「愛はなかったけれど、愛なきセックスによってハーゲンが生まれたという可能性はないのですか?」
という質問が出た。この質問を出した人は、トーキョー・リングにおいては、演出家キース・ウォーナーによって、アルベリヒが去勢なんかしないで、むしろ愛なきセックスによってハーゲンを生んだと設定されていたのを知っているのだろうな。「ラインの黄金」でアルベリヒの事務所に愛人のような女性がいて、レイプみたいなことをしているからね。愛情はみじんも感じられないが、子どもを身ごもらせることは、礒山氏の言うような“超自然的方法”によらなくても簡単に出来そうに見えたのだ。

 実は、「ラインの黄金」初演時には、僕をはじめとして音楽スタッフや演出助手達も、礒山氏のような考えを持っていたのだ。
「権力は欲しいけど、女性への愛情を断念するんじゃ、自分には無理だな」
というのが普通の考えだから、自分はアルベリヒにはなれないということで安心していたわけだ。
 それがキースが来日して、助演の女性にアルベリヒの慰み者のような演技をつけているのを見て、一同、
「あれれ?それって狡くないかい?指輪も得て女も手に入れるのかよ?」
と思ったのは、今日に至るまで鮮烈な思い出として残っている。
 だって、そうだろう。世の中には権力や金を手に入れ、その権力や金を使って欲しい女を手に入れたがっている男が少なくない。愛なんか持っていないが「愛しているフリ」をして女を手に入れようとする男は沢山いるだろう。でもラインの黄金だけは、そうじゃない。そうした色気を断念しなければ世界を支配する権力を手に入れることは出来ないのだ。そう思っているところに、まるでレジーに並んでいる人達に割り込みするように、権力もセックスも手に入れていいんだなんていう解釈をキースがしたものだから、僕たちは大いに反発したわけだ。それじゃあいいとこ取りの全部いただきじゃないか!リングをそんな風に解釈するなんてアリなの?というのが我々の印象だった。

 だから結論から言うと、僕的には礒山氏の解釈の方が良いように思う。というか、そうであって欲しいと思う。愛のないセックスによって生まれた人間なんて、この世の中にはいくらでもいそうだけれど、だからといって生まれた子どもがみんなハーゲンのような人間になるとは限らないからね。ここはひとつ超自然的な力によって、すなわち“憎悪”というイデーがIncarnate (肉化)して、愛が完全に欠如したハーゲンという“悪の純粋培養”を世に送り出したとした方がワーグナーらしいだろう。

 もうひとつ気になっていることがある。それは「ワーグナーとキリスト教」との関係だ。礒山氏はこのようなことを述べておられた。
「キリスト教というファクターは、ワーグナーのあらゆる作品の中でとても重要な役割を担っている。ワーグナーは、キリスト教について、かなりの部分の批判と、そしてわずかの部分での共感をもって関わっている。リングは北方神話を元に書かれているのでキリスト教から最も離れているように見えるけれど、やはりキリスト教のバイアスがかかっていることは否定できない」
 ワーグナーは、キリスト教が形骸化し、初代教会がもっていた熱狂性が教会から失われてしまったのを嘆いていて、それに代わるものとしてバイロイト祝祭劇場を建て、ここを一種のイニシエーションの場としようと思っていた。だからキリスト教に無関心だったことはあり得ないわけだが、だからといって彼の楽劇を見た人達がそれによってキリスト教の素晴らしさを再確認し、再び教会に行くようになることを望んでいたわけではないことは一目瞭然だ。彼は宗教的法悦や秘儀参入というものを世にもたらすことを望んでおり、それ故に彼の楽劇の中では数々の奇蹟や超自然的現象が起こるのである。
 
 リングは、彼の楽劇の中では、「ニュルンベルグのマイスタージンガー」と並んで、ワーグナーの最も現実的な作品の部類に属する。この作品のテーマは欲望や暴力や抑圧、そしてそれらがもたらすところの世界の没落、滅亡にあるのだから、その問題提起はむしろ社会性の方に向いていて、宗教的法悦とは正反対の場面が延々と描かれているわけだ。でも、その内部にうごめくキリスト教というファクターを探すのは意外と面白いことかも知れない。リングは神話なので、「マイスタージンガー」のように完全に写実的な作品というわけではない。だから様々な象徴性は残っている。その象徴性の中にキリスト教的要素を宝探しするのは、なかなか価値のある研究かも知れないよ。
 いずれにしても、ワーグナーがここまで描ききったリングというドラマについて考察するにあたって、オリジナルの北方神話にこだわる必要はもうないように思う。ワーグナーが現代に通じるテーマとして描いたからこそ、この作品は21世紀に生きる我々にとってもリアリティがあるのだからね。

 面白いなあ。こういう風にいろいろ考えてしまうのも、相手がワーグナーだからだ。考える材料に事欠かない。でもね、13日の講演で話すメイン・テーマは、こうしたことではないのだ。今書いたような事柄は、前回の講演を受けた形で、講演の導入として話すつもりではいるが、講演の本筋は次のようなものになると思う。

ワーグナーは「ラインの黄金」でライトモチーフ(指導動機)という方法で彼の楽劇を作り始めた。それによって彼の作風は、これまでのオペラとは全く異なったものとなった。
ライトモチーフは、最初は登場人物や概念にあてはまる特定の音楽モチーフが、その人物が出てきたり、その概念が話される度に演奏されるといった単純な処理がされていたが、それが次作「ワルキューレ」ですでに内面的変化を見せてくる。あるものは、よりシンボリックになり、あるものは意味的拡大が行われてくる。最終章の「神々の黄昏」に至っては、その意味の多様性は極限を極めるようになる。その変遷を辿っていこうとするのがねらいだ。
 というと、なにか特別に難しい感じがするが、僕の場合、みんなを煙に巻いたままにしておくことは出来ない性分だから、個々のシーンがどのような音楽でどのように彩られているか、具体的に分かり易く説明しようと思うので、初心者が聞いても大丈夫だよ。
 ワーグナー協会の例会というと、何か秘密結社みたいで、一般の人は行ってはいけないように思われるね。でも別に誰が行ってもいいのです。13日土曜日の14:00に新国立劇場のオペラパレスに来て、千円払えば誰でも見ることは出来るよ。
 トーキョー・リングを観ない人でも、ワーグナーに興味のある人、あるいは逆にワーグナーはちょっと苦手という人も、だまされたと思って出掛けて下さい。僕の講演は「面白くてためになる」をモットーにいつも行っているからね。

 さあ、これからいろいろ話す内容を煮詰めていくのだ。この講演会の後も、2月27日(土)には名古屋で、ウィーンやチューリヒの劇場でも取りあげられるようになった子どもオペラ「ジークフリートの冒険」の制作過程を講演する。2月は講演づいている。講演は準備が大変だけれど、演奏活動だけでは得られない知的興味に満ちているので、これも僕にとっては大事な活動なんだ。

小学生からたくさんのエネルギーをもらった!
 さて、1月25日月曜日の備前市立吉永小学校をもって、9校に及んだ「本物の舞台芸術体験事業」すなわち小学校のスクール・コンサートは終わった。吉永小学校の子ども達吉永小学校も山間の素朴な学校で、体育館は最近建て替えたばかりで新しかったが、児童達はひとなつこくて、帰り際もみんな集まってきて見送ってくれた。
 旅というものは、普段の生活では絶対に得られない様々なものを与えてくれたし、様々なことをあらためて考えさせてくれた。本当に貴重な日々だった。僕も子ども達から沢山のエネルギーをもらった。子どもって本当に凄いな!大人が失ってしまったものを数え切れないくらい持っている。大人は、子どもより多少知識があるからといって驕り高ぶってはいけないな。

備前市立吉永小学校

大晩餐会
三澤賞 1月29日金曜日は、東京バロック・スコラーズ三澤賞の大晩餐会。いままで三澤賞というと、当団の演奏会においてチケットを沢山売った人を4人、僕の自宅に招待して食事をするものだった。冗談で大晩餐会と言ってはいたが、今回は昨年夏の「バッハ・ターゲ」と「ドイツのクリスマス」の二回の演奏会のチケット販売優秀者の分がたまっていて、なんと10人となったので、とても三澤家に招くわけにはいかず、近くの集会所を借りて、文字通り大晩餐会となったのだ。結果的に2人ほど欠席者が出て、当日の招待者は8人。三澤家は朝から一家総動員で料理を作った。こういうのはお祭り気分で案外楽しい。今回の献立は以下の通り。
前菜 海老のスタッフ・ブレッド(バケットをくり抜いて中に海老とクリームチーズの詰め物をしたオードブル)
チーズの餃子の皮包み揚げ

サラダ 生ハム、モッツァレッラ・チーズ入りサラダ
ライスサラダ

主菜 ムール貝及びアサリ入りパエリア
ベトナム風生春巻き
鶏肉のトマト煮
ウインナ・ソーセージ及びドイツの田舎風ザウアー・クラウト煮込み

デザート ブドウ・ジュースと牛乳の二層ゼリー
三澤賞 8人の招待客にプラスして三澤家の4人で、総勢12人の食事会は大いに盛り上がり、楽しい語らいは永遠に続くかと思われたが、あっという間に時間が過ぎていく。招待客がそれぞれ持ってきてくれたシャンパンやワインはどれもみなおいしくて、絶対に飲みきらないと思ったのに気がついてみたらみんな空になっていた。
 僕も久し振りに結構飲んでよっぱらいましたなあ。気持ちよかったなあ!血糖値が気になりますが、やはり人生楽しめる時には楽しんでおかないと、何のために生きているのか分からなくなってしまうからね。僕はあらためて、
「この人達とこれからも良いバッハを奏でていこう!」
と決意を新たにした。家族のみんなも本当にご苦労様でした。 三澤賞

志木第九の会演奏会
 さて、今週末は志木第九の会の演奏会。この土曜日と日曜日で集中練習をし、シゴキにシゴキまくって、かなり良い感じに仕上がってきましたよ。プログラムは、バッハのカンタータ第4番とモーツァルトのレクィエム。ソリストは、藤崎美苗(ふじさき みなえ)のソプラノ、佐々木昌子(ささき まさこ)のアルト、初谷敬史(はつがい たかし)のテノール、初鹿野剛(はつかの たけし)のバス。オケは東京ニューシティ・管弦楽団。楽しみ楽しみ。


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