「神々の黄昏」講演会無事終了?

 読みが甘かった。全然時間が足りなかった。最初の予定では、二時間の内ライト・モチーフについての話が一時間十五分程度、あとの時間で僕なりのブリュンヒルデ論とトーキョー・リング論を話そうと思っていたのだが、ライト・モチーフについて説明を始めると、いろんなことを付け加えたくなってきてどんどん話が広がってきてしまった。
 ライト・モチーフの説明が終わった時点で時計を見たら、もう一時間四十分経っている。それで後半の部分をごっそりカットして、最後のトーキョー・リングの項目に飛んだものだから、レジュメを見ながら僕の話を聞いていたお客は、さぞやびっくりしただろうな。

 講演が終わると日本ワーグナー協会事務局長のM夫人が僕の所に来て、即座に、
「これは三澤さんにもう一度いらしていただかなければいけませんね。」
とおっしゃった。理事の一人であるYさんも、
「あと一回分まるまる出来ますね。」
と言っている。
 これは善意に解釈すると僕の話が聞き足りないということだろうけれど、本当のところは、
「あんな目の前でパワー・ポイントをビュンビュン飛ばして、最後の項目にひとっ飛びして、お客に欲求不満を与えといて、このままじゃ済まないんだよ。おい!どーしてくれる?」
と言われているに等しい。

 でもライト・モチーフの話が長くなったのには理由があった。僕は、お客さんの反応を見ながら思っていたのだ。
「なんてみんなは真剣にライト・モチーフの話に聞き入っているのだろう!考えてみると、こんな風にライト・モチーフを基本から説明し、実際に曲の中でどんな風に使われているのかを、ピアノ弾いたりCDを流したりして、さらに今流れている音楽をプロジェクターで譜面として映し出したりして徹底的に解明するなんて機会は、あるようでないのではないか。ここまで描き出されたら、お客とするとワーグナーの楽劇の意図がはっきり理解できて、面白くなってくるのではないだろうか。もしかしたら彼らはもっとこの部分を拡大して聞きたいのではないか。あるいは、「神々の黄昏」だけでなく、リング全体のライト・モチーフの解明をみんなもっと知りたいのではないか・・・・。」

打ち上げの席でまたM夫人が、
「本当にまたいらしていただきたいのですが、いつにしましょうか?」
と聞いてきてくれたので、
「なにももう『神々の黄昏』でなくていいですよ。それより僕は思ったんですが、いつかどこかの山にでも何日かこもって『リングのライト・モチーフ徹底研究』なんていうのをやりません?」
他の人達が乗ってきた。
「それいいですね。ライト・モチーフ合宿だ!」
ヤベえ、また墓穴を掘るようなことを自ら言い出している。そんなことを言ってしまうと、また余暇がなくなってしまうよ。いつもそうなんだから。
M夫人が言う。
「そういう企画こそ、ワーグナー協会でなければ出来ないことよね。」

 まあ、ライト・モチーフ合宿を実際にやるかどうかという話は置いといて、つくづく思うんだけれど、本当のところ、僕は損得抜きにしてこういう機会を作って自分を追い込んで、ライト・モチーフなどを徹底的に研究するなんていうのが大好きなのだ。クラブ活動みたいだし、何より学究の徒になって世の中から離れてみるというのがいいなあ。僕自身そこまで研究したことないので、この際だから本当にリングのライト・モチーフの大家になったろか。なにせ僕のモットーは教えつつ学ぶだからな。

 僕のライト・モチーフへのアプローチは、恐らく普通の学者のものと基本的に違う。僕は音楽家だから、ライト・モチーフの受け取り方が感性中心なのだ。いくつかの論文を読んだけれど、みんなライト・モチーフにタイトルをつけて、そのタイトルにこだわるあまり、同じモチーフが別の所で別の意味合いを持って出てきた時には“矛盾”として感じられ、迷路の中に入っていってしまうようだ。それは頭でライト・モチーフを考えようとするからだ。
 僕も勿論便宜上タイトルは使うのだが、ひとつのライト・モチーフがひとつのタイトルしか持ってはいけないとも感じていないし、「ラインの黄金」で与えられたライト・モチーフの意味が、「神々の黄昏」になって少し変わっていったとしても別にいいと思っている。

 大事なことを言おう。ワーグナーも彼自身はライト・モチーフに決して名前をつけはしなかったのだ。恐らくあれだけ自己顕示欲の強いワーグナーのこと。もし自分のモチーフをきちんと「頭で」理解して欲しかったとしたら、もうウザイくらいに自分で論文を書いてしまって、
「このモチーフはこう解釈すべし!」
なんて得意になって主張しているだろう。でもね、それをしなかったのは、ワーグナーは「そういうものじゃない」と思っていたからなのだよ。
 彼が自分でタイトルをつけてしまったら、「当の作曲家がこう言っているのだから」ということで、他の解釈をする余地がなくなってしまう。でも音楽というものは、もっと広いものなのだ。別の言葉で言うと、感じるにしても解釈するにしてももっと自由でもっと曖昧で、そして言葉の及ばない領域で直接心に訴えかける“本質的な”ものなのだ。それを分かっていたからこそ、ワーグナーは、これにタイトルなんかつけたら、自分で自分の創作をがんじがらめにしてしまうと感じたのだ。

 子どもオペラの「ジークフリートの冒険」で、僕は「ワルキューレ」の冒頭の嵐の音楽を使って、ジークフリートがノートゥングを鍛冶で鍛え直す直前の緊張した雰囲気の音楽とした。これを作っている時に、もし誰かが、
「これは嵐の音楽なのだから、嵐の場面以外には使ってはいけない。」
などと言ったって、僕は鼻で笑っただけだったろう。音楽にはそれ自身の内部に生命が宿っているのだから、ひとつの音楽が全然別の場面で使われることだってあるのだ。

 とにかく僕は、学者とはひと味違った切り口からライト・モチーフにアプローチしていくことが出来そうだと思い始めてきたのだ。だってね、全てのライト・モチーフは「ラインの黄金」の冒頭の変ホ音とそこから始まる生成のモチーフから成っているなんていうことを大真面目に論じている学者もいるのだよ。
 曲作りの最初は確かにそうだったかも知れないよ。でも作曲をする僕からみるとね、
「巨人族ねえ、うーん、よし!こんな感じ、えい!」
とか、
「ローゲねえ、メラメラ、チロチロ、さあ、こんな感じ、えい!」
というノリで、ワーグナーはひとつひとつのモチーフを作り出していったに違いないのだよ。
 作曲家というのはね、学者が考えているように演繹的に物事を考えたりはしない。むしろ作曲とはインスピレーションの世界だから、ワーグナーも自分の感性を頼りに、全く自由な感じでひとつひとつのライト・モチーフを作り出し、彼の描くドラマに合わせて自由にそれらを組み合わせて楽劇を作っていったというわけだ。
 でも、それでもワーグナーの凄いところは、大きな枠で捉えてみると、ライト・モチーフの扱い方は全て首尾一貫しているということだ。言葉にしてみると矛盾があったとしても、感性で読み解く限り決してブレていない。それに全てのライト・モチーフを一度も言葉に変換しなくても、音楽を聴いて全てその意味するところのものを感受出来るように書いてあるじゃないか。これぞ天才でなくてなんであるか!

 うーん、ライト・モチーフ合宿はいつか出来たら楽しいだろうな。やっぱりワグネリアンだったら徹底的に何かを研究しなければ!そんな気持ちになって僕は家に帰ってきた。で、最初の話に戻るんだけれど、僕が飛ばしたところで何が言いたかったか気になっている人のために、ここの部分だけはきちんと原稿を書いていたので、その原稿を予稿集にアップしました。興味のある人は読んでみて下さい。

結婚式と六本木男声合唱団倶楽部
 2月14日の日曜日は結婚式に行った。新郎新婦とも新国立劇場合唱団の契約メンバーで、実は3年前に籍だけ入れていたのだが、いろいろ事情で今になって披露宴を行ったということだ。僕は乾杯のあいさつをお願いされたのだが、新国立劇場合唱団のメンバーも随分呼ばれていて、僕の指揮で「こうもり」第二幕の開幕の合唱を演奏した直後、
「かんぱーい!」
と杯を合わせた。その新国立劇場合唱団の響きがあまりにも素晴らしかったので、毎日彼らの声を聞いている僕なのに、ほうっと感心してしまった。
 新郎のM君も新婦のNちゃんも緊張していたようだが、なんとも初々しく見ていて嬉しくなってしまった。いいなあ、若いカップルの門出に立ち会うというのは・・・・。

 ところで、昨年M君から最初に、
「出席していただけませんか?」
と訊ねられた時、実は2月14日の14:00から六本木男声合唱団倶楽部の練習が入っていた。しかし、結婚式が12時からというのと、場所が六本木ヒルズのすぐ裏のグランド・ハイアットという事を聞いて、
「待てよ、ロクダンの練習を少し遅らせれば両方行けるな。」
と思って練習開始を三時からに変更してもらい、両方引き受けたのである。ロクダンも、この日断ってしまうと全然行けなくなってしまうし、M君達の結婚式もなんとしてでも出たいと思ったし、まあお酒なんか飲まないで食事だけすればいいのだと自分に言い聞かせていたのだ。

 そこで当日は、乾杯のシャンパンはやむを得ないとして、一応その後はウーロン茶を注文し、大人しく飲んでいた。そこへ赤ワインが回ってきた。おいしそうなワインだ・・・・まあ一口くらいいいだろう・・・・ちょっと味見だけね・・・・という軽い気持ちでテイスティング・・・・・ところがね、これがおいしいワインだったのだよ。タンニンの渋みと果実の香りが絶妙で・・・・・あっという間にグラスが空になってしまった・・・するとウエイター達が気が利くんだな・・・・さすがグランド・ハイアット・・・よく訓練されているよ・・・・サッとボトルが差し出され・・・・「いえ、あの・・・ああ、ほんの少しだけ・・・・ああ、そ、そんなに・・・」というのでまた一杯入ってしまった。どうしよう。
 そこへメインの肉料理が来た。これと赤ワインの相性がバッチシ。肉をナイフで切り分け、口に入れる。グラスに手を伸ばし、ワインを舌の上でころがす。また肉を・・・・。
「おおっ!最高のコンビネーション!」
ヤベえ!ロクダンの練習があ・・・・。もうどうでもいいやあ・・・いかん、いかん!

 式は二時半に終了。ロクダンの練習開始は麻布十番で三時からだが、発声練習があるので、僕は三時十五分くらいに入ればいい。結局、六本木ヒルズ界隈から、麻布十番までの間をぐるぐるあてどなく歩いて、寒空で酔いをさましてからギリギリでロクダンの練習場に入った。きっと顔も赤いんだろうな、隠したってどうせバレるのなら、いっそのこと話してしまおう、というので、練習最初に、
「済みません、飲んでしまってますけれど、練習には差し支えありませんので許して下さい。」
と白状したら、みんな笑って許してくれた。こういうところはロクダンは鷹揚でいいなあ。
 
 でもね、練習を始めてみたらそれどころじゃない。彼ら、僕が酔っぱらっていることに対しても鷹揚だけど、音程もリズムも実に鷹揚なのだ。こんなんだったら、彼らの間違いが分からないほど酔っぱらって練習をした方が、僕の精神状態にとっても、かれらの平和にとっても良かったのかも知れないと、なんだか本末転倒の考えを持ってしまった。

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