息を呑む二人の対決

 やっぱりキム・ヨナだな。こう言うと国賊だという声が聞こえてきそうだ。でもキム・ヨナは天性の芸術家だと思う。普通みんな大きな技の直前にはその準備のための演技のエアポケットのような瞬間があるが、彼女にはそれが決してない。演技が始まってから最後の一瞬まで全て一本の緊張した線でつながっていて、全てが埋まっている。一瞬のスキもない。そして自分が客席からどう見えているか分かっている。
 役者は、自分に与えられたセリフに感情を入れ、リアリティを感じながら演技しなければならないが、優れた役者になるためにはもうひとつ条件がある。自分のリアリティだけに溺れるのではなく、目をひとつ客席に置いておけと言われる。自分が客からどう見られているか、今の自分の演技を分析する冷静さが必要とされるのだ。キム・ヨナにはそれがある。彼女の体の線はとてもきれいだが、その肉体を最も美しく見せる術を彼女は知っている。007のガンは僕の心を見事に撃ち抜いたよ。
 とはいえ、日本人としては我らが浅田真央ちゃんに勝たせたかったという気持ちはあったね。技自体は真央ちゃんの方が高かった。ショート・プログラムでトリプル・アクセルを完璧に決めた真央ちゃんよりヨナの方が高得点なのが解せないという人もいるだろう。そこで技を競うスポーツなのか、あるいは芸術なのかという論議が起きる。でも僕はあえて言うのだ。スポーツかも知れない。でも“芸術的”スポーツである以上、ヨナの表現力は決して無視出来ない・・・・とね。

 プレッシャー合戦が続く。ショート・プログラムでは真央ちゃんが先に完璧なトリプル・アクセルを決めてヨナにプレッシャーを与えたし、フリーでは逆にヨナの異常なほどの高得点に真央ちゃんがプレッシャーを感じていた。
 欠点のある完璧でない人間が、今この場で出したものが全てだという計り知れないほどのプレッシャーを感じながら競技を行う。それが全て嘘偽りないものであるだけに、観ている者達に決して忘れ得ぬ感動を与える。しかし、この子達って一体どんな精神状態なのでしょうね。日本中が金メダルをと騒いでいる中で、よく逃げ出さないで出来るよ。
 競技は一瞬のうちに終わってしまう。でもこの一瞬のために全てを犠牲にしてこれまでの日々を過ごしてきた。文字通り人生を賭けている。考えてみるとはかない。でもだからこそ美しい。真央ちゃんもヨナも本当に素晴らしいアスリートだ。オリンピックは僕たちに限りない勇気を与えてくれ、人生において最も大切なことを教えてくれる。

貸し切りゲレンデて一人スキー
 またスキーに行った。しかも今度はたった一人でだ。 2月25日木曜日は、新国立劇場では点検のための全館休館日。練習がないどころか、この日は劇場内に立ち入る事も出来ない。つまり僕にとっては珍しいオフ日。オフは正月以来だ。僕は以前からこの日を狙っていたのだ。
 2月24日水曜日の晩、「神々の黄昏」の立ち稽古終了後、僕は高崎線に乗り、群馬の実家に帰った。次の25日の朝、その実家から日帰りスキーをして、再び群馬の実家に戻る。そして、もう一泊して、26日金曜日に実家から初台に向かう。つまり、親父が死んで淋しく一人暮らしをしているお袋の所に2泊するというのも、もうひとつの目的だったのだ。
世話をかけちゃうのさ。でもね、世話をかけるのも息子のつとめだ。水曜の夜遅く実家に着くと、お袋はまだ起きていて、
「明日は何時に帰ってくるんだい?夕飯は何食う?準備しなくっちゃね。やっかいだね。」
なんて憎たらしい口をきいているが、なんとなく嬉しそうなんだよ。

 スキーの行き先は、昨年の暮れに二人の娘を連れて行った湯沢中里スキー場。ここは上越線越後中里駅とゲレンデが直結している超便利なスキー場なので、僕たちが学生の頃はとても賑わっていた。ところが上越新幹線が出来て、新幹線と直結しているガーラ湯沢あたりに客がみんな流れてしまい、越後中里は現在では人々の視線から完全に見捨てられた感じだ。
 昨年、一度在来線で行ってみてそれをじっくり味わった。昔は高崎から上越本線でノンストップで越後中里も岩原も行けたが、新幹線が出来てから水上で乗り換えないといけなくなった。加えて水上から向こうの列車の本数が極端に少なくなった。こうなったらみんなじれったいので新幹線で行きたくなるわな。しかも新幹線の越後湯沢からわずか10分くらい戻るだけなのだが、乗り換えのわずらわしさと、そのわずか10分が作用する力は予想をはるかに超えて大きいとみえる。

 そんなわけで、平日の湯沢中里スキー場はあきれるほどガラガラ。こんなので儲かるはずはないなと、こちらが気の毒に思えるほどだ。一方では・・・だからここに来たのだともいえる。何故なら、ゲレンデはほとんど貸し切り状態、すなわちマイ・ゲレンデなのだし、リフトも当然待ち時間0分。それどころか僕の前にも後にも誰もいなくて、時々客が乗っているという程度なのだよ。
 だから僕は心ゆくまで滑りましたよ!リフトから降りたら止まることなく斜面を滑り始め、リフトまで滑っていってリフトに乗り、降りたらまた滑る。休んでいるのはリフトに乗っている間だけ。完全にノンストップ。ベルト・コンベアー状態。こんなおもちゃがあったなあ。
 午前中まるまる2時間。お昼に約30分ほど休んだけれど、午後も2時間。合計4時間滑りまくった。それでさすがにクタクタになって3時過ぎの電車に乗って帰途につき、午後6時には実家でもうのんびりお風呂に入っていたというわけだ。
 この日は快晴で、春風の吹くとても暖かい日。用意してきた帽子もかぶらず、厚手の靴下も履かず、フリースも着なかった。それでも汗がどんどん吹き出してきた。ゲレンデも、午後になると雪がみるみる解けてくるのがわかった。地肌が出てくるほどではないけれど、これは何日か続くとヤバイなと思った。雪は溶けかかったかき氷のよう。いちごシロップかけて食べたらおいしいそう。アイスバーンほど滑りにくくはないけれど、いまいちでした。 
 自分で言うのもなんだけど、一日でかなりうまくなったよ。急斜面でも転ばなくなったし。そうなってくると、なだらかなところが多いファミリー向けの湯沢中里スキー場では物足りなくなってくる。なあんて、生意気言ってみました。
 面白いなあ、スキーは。この歳になってからこんなに夢中になるのもおかしいね。来年は早くから時間を作って、今度こそ親友のフリースタイル・スキーヤーの角皆優人(つのかい まさひと)君のいる白馬に行こう。
 フリースタイルといえばね、ゲレンデの最後の方に「なんちゃってモーグル」というのがあって、試しにやってみたんだけれど、コブに対してどう滑って良いか分からない。なんだなんだという感じでわけも分からずにどんどん行く。体がぐちゃぐちゃになる。最後にいきなりジャンプ台が現れた。避ける間もなく、うわーっ!って感じで体が宙に浮く。12月に自転車でブロックに乗り上げてジャンプしたあの感じがよみがえってきた。そのままゴールと書いてある立て札をなぎ倒してようやく止まった。うわっ、恥ずかしい・・・・。
 ふうっ!やっぱり、これは人に教わらなければ無理だ。今度角皆君に教わろう。でもなあ・・・・「なんちゃってモーグル」のコブの滑り方を教えてとは、フリースタイル・スキーのチャンピオンにはちょっと恥ずかしくて言えないかも・・・・。

五木寛之「親鸞」に感動
 在来線で行ったのにはもうひとつわけがあった。それはトコトコ行きながら読書をするため。ローカル線をあてどなく読書しながら行く。時々窓の外の景色を眺め、また本に目を落とす。この楽しみは、新幹線などでピューッと行ってしまったら決して味わえないのだよ。
 この小旅行のために今回買っておいたのは、五木寛之の「親鸞」上下刊(講談社)。待ちきれなくて前の晩の高崎線から読み始めたのだが、越後中里への行き帰りの上越線で、何度か胸に込み上げてくる瞬間があった。みなさん、これは期待通りの素晴らしい小説だよ。

 五木寛之は僕にとってとてもなつかしい作家だ。実は高校時代に「青年は荒野をめざす」などを読んで感動し、多感な時代の心の支えともなっていたのだ。それからしばらく小説からは離れていたが、エッセイなどは時々読んでいた。たとえばカトリック司教の森一弘(もり かずひろ)氏との対談集「神の発見」(平凡社)とか、宗教哲学者鎌田東二(かまた とうじ)との対談集「霊の発見」(平凡社)とか、今この原稿を書いているパソコンのところからすぐ見える本棚に並んでいる。以前それらの本を読みながら僕は、
「へえ、最近の五木寛之は宗教に興味があるんだ。」
と思っていた。
 でも、こうして「親鸞」を読んでみて、これは宗教に興味があるどころの話ではないなと襟を正した。五木氏は本気で宗教にどっぷり浸かっている。小説「親鸞」も、ここまで深く突き詰めて宗教者の内面を探っていたとは知らなかった。

 それでいて、五木氏もやっぱり小説家。宗教的テーマは掘り下げているが、小説としての面白さは決して犠牲にしていない。というか、五木氏独特の脚色や演出というものがあって、エンターテイメントの要素に満ちている。冒頭から牛頭王丸(ごずおうまる)と黒頭巾(くろずきん)という二頭の競べ牛(くらべうし)の対決から始まり、読者を緊張感に満ちた世界に無理矢理引き込んでいく。それから、河原妨浄寛(かわらぼう じょうかん)、ツブテの弥七(やしち)、法螺房弁才(ほうらぼう べんさい)といった何やら得体の知れないいかがわしい人物達が登場する。そうした登場人物達は、後から思いがけない関わり方をしてくるのだ。主人公が危機一髪の瞬間に助けに来てくれたり、まるで時代劇のドラマを観ているようにわざとらしいのだが、一度読み始めたら本を閉じさせない文章力はさすがだ。

 僕は元来、念仏による他力本願という思想にはあまり肯定的ではなかった。ところが今回大発見したというか、むしろ自分のこれまでの不勉強を恥じることとなったのは、親鸞の師である法然の生き様の素晴らしさだった。法然が釈迦のあまたの教えの中から、苦渋の末、阿弥陀信仰のみを選び取っていった過程を知るにつれ、他力信仰の開拓者の悩みと決断がギリギリのところで行われたものであることを理解出来るようになってきた。
 法然は、人々には、ただ阿弥陀如来に帰依する念仏、すなわち「南無阿弥陀仏」を唱えれば極楽浄土に行けると説き、妻帯も殺生も禁じてはいないが、自らには比叡山で学んだ厳しい戒(かい)を科して生きることを止めない。それを親鸞はいぶかる。
 親鸞自身はといえば、むしろ妻帯し、比叡山から完全に離脱して、念仏という拠り所がなかったならば、ただの脱落者と成り下がってしまう立場にまで自らを追い詰めている。それでいながら念仏のみを選び取っていくことを「危うい教え」と認識している。そして、念仏さえ行えば、どんな悪事を犯しても救われるとか、一度だけ念仏を唱えれば、もう極楽浄土は約束されたといった極端な考えに走る危険性から最後まで目を離さない。
 
 法然と親鸞。この二人は、両極端でありながら二人とも凄いし、仏法を愛するという意味では、心の奥底から分かり合っている。いいなあ、こうした人間同士の真剣な関係。凄いなあ、この時代の宗教者達!

子供オペラについての講演会
 2月27日土曜日は、日本ワーグナー協会名古屋地区例会。子供オペラ「ジークフリートの冒険」の制作過程について講演した。プロジェクターも持参し、ウィーン国立歌劇場のDVDなどを見せながら、約2時間に渡って語る。この講演会の準備をしながら、いろいろなことを考えた。
 この「ジークフリートの冒険」が何故成功したのかという点について、これまで自分で振り返ってみたことはなかった。でも講演の準備をしていて分かったことは、ライト・モチーフにこだわらなかったから、曲を縦横に切り刻み、ストーリーに合わせてはめ込み合成が出来たのだなということだ。そういう意味では、全ての先入観を捨てて、ただワーグナーの音楽そのものとだけ向かい合ったわけであるが、もしかしたらワーグナー自身も自分の音楽がそう受容されることを望んでいたのではないだろうかと思い始めた。

 ワーグナー自身は、ライト・モチーフに決して名前をつけなかった。だからその後、あまたの学者によってライト・モチーフ研究やライト・モチーフ論議が盛んにおこなわれるようになった。でも、以前にも書いたように、名前は、一度つけられてしまうと、それに捕らわれ縛られるのだ。たとえば「逃亡の動機」という名前がつけられてしまうと、もはや誰かが逃げる時や、あるいは逃亡について語られる時以外には使ってはいけないという感じになってしまう。
 ドイツ人は特に、あるライト・モチーフが最初に出てきた時に語られていたテキストに沿って、そのモチーフを呼ぶ傾向があるように思われる。しかし他人がどう呼ぼうと勝手なように、ワーグナーもその後そのモチーフをどの歌詞に乗せて使おうが、どの場面でどの意味合いで使おうが作曲家の勝手なのだ。音楽には音楽の独立した生命があるのだから。 だから僕がある音楽を全く違うシチュエーションで使おうが、それが場面にマッチしさえしていればいいという考えは、強引に言えばワーグナーの意図からはそんなにはずれてはいない。

 ワーグナーの音楽にはある特定のキャラクターを表現する並外れた表出力がある。だからマッチする場面としない場面とがとてもはっきりしている。それだけに選びやすいし使いやすいわけである。このことはワーグナーの音楽のかなり本質的な部分ではないだろうか。
 ワーグナーも、その点に関しては自分の音楽に絶対的な自信を持っていたに違いないし、だから自らの作品を「楽劇」と名乗ったのだと思う。楽劇の原語は、なんてったってMusikdramaすなわち「音楽のドラマ」なのだからね。

 こういうもろもろのことを考えるきっかけになるから、講演会というものは自分自身にとってもとても有益なのだ。ふうっ!2月は二度も講演会をした。全然疲れなかったと言えば嘘になるな。今度ばかりは、自分で自分を褒めてやりたい。

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