「バッハとコラール」講演会無事終了

 学生時代の頃、何も知らずにバッハの音楽に惹かれ、カール・リヒター指揮の「マタイ受難曲」をひたすら毎日聴いていた時期があった。受難劇が進んでいくその場面場面でふさわしい時にコラールが響き渡る。そのタイミングが絶妙で、特にミ・ラソファミレーミというメロディーを持つ受難コラールには心底酔い痴れた。
 ところが、ある時、そのコラールのメロディーがバッハの作曲ではないことが分かって、がっかりしてしまった。
「ええ?どうして他人の音楽を安易に使うのだ?作曲家としてのプライドはないのか?」
と、バッハの創作態度に一種の不信感さえ覚えた。

 でもその後、いろいろバッハと付き合ってくるにつれて、バッハのコラールの使用には、彼のマルティン・ルターへの深い共感と、民衆と共に歩もうとした彼の想いなどがからんでいることが判明し、不信感を持った自分を恥じさえするようになった。
 誰でも一緒に参加して歌えるようにと、ルターは、当時流行っていた流行歌に宗教的な歌詞をつけ、替え歌として民衆に歌わせた。これがコラールのはじまりである。誰でも歌えるわけであるから、メロディーは当然簡単なのであるが、一方、卓越した芸術家がこれを扱って芸術作品を作ろうとしたら、大きな困難が伴うのだ。芸術家としての腕や業を見せようとしたら、コラールの単純さが大きな制約となるわけだ。
 
 そこでバッハは二つの解決策を考えた。ひとつは、コラールのメロディーを断片に分け、これに独自のメロディーや和声をつけて、交互にあるいは立体的に演奏する、いわゆるコラール幻想曲と呼ばれる作風を採択すること。もうひとつは、シンプルなコラールのまま演奏するが、内声部のハーモニーを凝って陰影のある音楽を作り出すこと。
 この方法論で、バッハは沢山のコラール作品を世に残すことになる。カンタータ、受難曲、モテット、オルガンソロの作品といったあらゆる分野に渡って、バッハはコラールに向かい合い続けた。
 コラールのメロディーは確かにバッハの作品ではないかも知れない。しかし、バッハはコラールという既製の食材を与えられると、それを自作の食材と合わせて一つの料理として提供するとか、あるいはその食材に合う第一級のソースを作り出してからめて差し出すとか、自由自在に出来る名人だったのだ。

 1月29日土曜日の東京バロック・スコラーズ講演会「バッハとコラール」では、我が国のバッハ研究者の第一人者である礒山雅(いそやま ただし)氏によって、そうしたバッハとコラールとの関係が丁寧に解き明かされていった。礒山氏の頭脳は今回も冴え渡っており、会場のオタッキーな質問にも全て誠意をもってお答えになっていた。本当に頭が下がる思いで一杯である。
 後半の三澤洋史の爆弾対談では、今回はあまり爆弾を炸裂はさせなかった。それには理由がある。バッハとコラールとの関係に興味を持つためには、ある程度の素養が必要なので、僕は会場の皆さんになるべくそのための材料を数多く提供したかったのである。だから礒山氏をけしかけるよりも、気がついてみたら自分がしゃべる時間が多くなってしまったきらいがあるが、礒山氏は投げかければかならず返してくれる「キャッチボール上手」な方なので、トータルとして有用な情報がみなさんに呈示できたのではないかと思う。
 ここまで到達できれば、あとは2月27日の演奏会で、僕が無駄なくトークをし、演奏で実例を示していくことで、バッハとコラールの関係の重要性は否が応でも感じ取ってもらえるに違いない。

 今まで講演会を主催してきて、常連さんも数多く見かけるようになったし、演奏会と講演会とのカップリングというものが定着しているのを感じて、とても嬉しい気持ちでいる。「二十一世紀のバッハ」というプロジェクト名を掲げると、なにやらものものしい感じがするが、要はバッハをこよなく愛する僕が、その喜びを他人と分かち合いたいというモチベーションから生まれたものだ。
 特に日本では、
「演奏家は演奏で示すべきもので、語ったりするべきではない」
みたいな常識がまかり通っているようで、僕もそのお陰でこれまで随分人からいろんなことを言われたが、その常識には全く根拠がないと思う。それよりむしろ、僕は音楽家こそもっともっと語らなければならないと思っている。語る習慣がないから、音楽家の言葉はつたなすぎて、人からいわれのない誤解を受けている。自分が何を感じ何を求めているのか、一度言葉という客観的なものにしてみると、自分で自分に驚くことすらあるのだ。

 バッハの音楽も、バッハから彼の私生活や信仰心を抜き出して、音楽だけ味わおうとしても、その全体像に迫ることは難しい。キリスト教国でない日本において、彼の信仰心に触れることはうっとうしい部分もあるのだろうが、肉が骨の周りが一番うまいように、キリスト教という骨の部分を取り去ってしまったら、旨味の部分も失われてしまうのだ。
 礒山氏の素晴らしいところは、彼の考えの根底にバッハの信仰心への理解があること。少なくとも、バッハの信仰心への畏敬の念が、彼のバッハ研究の出発点となっている点なのだ。そこが、僕が彼を誰よりもバッハ研究者として高く位置づけ、人間的にも尊敬している理由なのである。

 東京バロック・スコラーズが存続する限り、礒山氏とは、ずっとお付き合いを続けていきたいという思いを新たにした一晩であった。会場に足を運んで下さった全てのみなさん、ありがとうございました!

ロ短調ミサ曲演奏会
 さて、次の日すなわち1月30日の日曜日には、僕は再び名古屋にいる。モーツァルト200合唱団の演奏会は一週間後に迫っていて、今日は最後の合唱練習。曲目はバッハ作曲ロ短調ミサ曲。この合唱団はバッハをやるのは初めてなので、最初はかなり苦労したが、今日情け容赦なくシゴいたのが功を奏して、なかなか良い感じに仕上がってきたぜ。難しい曲は、理屈を言うよりも何度も何度も通して体に音楽を染みこませた。みんな歌い込んでいく内に、だんだん歌うのが楽しくなってくるのが感じられて嬉しかった。
 バッハのこうした難易度の高い音楽は、アドレナリンを出してイケイケ、ノリノリの感じでやらないと絶対良いものに仕上がらない。音の緻密さはスピード感につながるので、指揮をしている僕は、スキーで急斜面を駆け下りるのに似たスリルと興奮を味わうことが出来る。でも、みんなが守りに入ってしまうとつまらないものになってしまう。そこで僕は練習の最初にみんなに言った。
「みなさん、転ぶ時は谷側に転びましょうね。無傷で整っているけれど何もない演奏というのでは存在価値がありません。傷があったっていいではありませんか」
この言葉に一同安心したようで、見違えるように良くなってきた。大丈夫だ。この調子ならばインパクトのある演奏になること間違いなしだ。

 あえてみなさんに言います。モーツァルト200はバッハを専門とした団体ではないけれど、この団体とのコラボレーションによって、僕は自分のロ短調ミサ曲の演奏に新境地を開くでしょう。一言で言うと、明るくておおらかで豊かなバッハです。そしてエネルギッシュでスリリングなバッハ。興味のある方はどうぞ演奏会にいらしてね。

 それにしても、本当に名曲中の名曲!人類の作り出した最も素晴らしい絶対音楽のひとつ。自分の人生でまたこの曲が演奏出来るなんて、なんてしあわせな自分!

ガーラ湯沢
 1月27日木曜日と28日金曜日は、新国立劇場の仕事はオフだった。そこで僕は密かに再び白馬に行く事なんかも考えたのだけれど、どう考えてもそれは無理。さらに23日の日曜日あたりにちょっと体調を崩してしまったのが尾を引いて、仕事が山のようにたまっている。 
 そこで27日は一日家にこもって仕事に没頭した。午前中に思いの外仕事がはかどったので、午後になったらまたまた性懲りもなくスキー熱がぶり返した。
「明日、スキーに行きたいなあ・・・」
翌28日金曜日。僕は半日だけスキーに出掛けることにした。行く先はガーラ湯沢。荷物になるがせっかくマイスキーとマイブーツがあるので、試しに一度担いで行ってみた。
 うーん、気にしなければいいんだが、朝の通勤時にスキー板担いで電車に乗るってのは、ちょっと勇気が要るな。
「このクソ忙しい時にナニ呑気にスキーなんか行ってんだよ」
と回りの乗客の視線が語っているような気がするんだ。
 ガーラ湯沢は、日帰りサービス券を求めると、一日リフト券などついて一万円ちょっとで都心から往復出来る。朝早く家を出て7時51分大宮発の新幹線に乗ると、もう9時過ぎから滑り始められるんだ。そして夕方にはもう自宅に戻ってタンタンの散歩をしていた。おまけにマイスキーだと、あとかかる費用はロッカー代と昼食代のみ。もし夜から仕事があっても、スキー場から板とか宅配便で送ってしまえば荷物もなく帰って来られる。へえ、スキーがとても身近になったぜ。
 でもねえ、白馬五竜などに行ってしまうと、もう物足りないね。28日は一日雪が降っていて、気温も零下7度だったから、湯沢地方にしては雪質は悪くなかったのだが、なにせゲレンデが小さすぎる。中級コースも、斜度はそれなりにあっても短いので、結局難易度は低い。
 昨年よくコケた高津倉山頂からの急斜面は、白馬でのレッスンのお陰で今年は何の苦もなく滑れる。そこで出来るだけスピードを出してみたり、テール・ジャンプをしてみたり、ウェーデルンの練習をしてみたり、課題を自分で出しては滑ってみた。

新雪の恐ろしさ!
 それでも飽きてしまったので、午後は新しく出来た南エリアに行ってみた。ここでは上級用の非圧雪コースというのがある。どういうものかよく分からないけれど、まあ上級といってもたいしたことないでしょうと油断して踏み込んだ。ところがこれがとんでもないしろものだった。実は滑り出す直前に目に入ってきた光景の意味にいち早く気付けばよかったのだ。そうすればあんなひどい目に遭わずにすんだのに・・・・。
 
 そのエリアはとても急斜面だった。それだけならどうということもないのだが、そのあちらこちらにスキーヤー達が転がったままでいる。まず僕は、どうして彼等がすぐ立たないでいるのか気付くべきだった。
「何やってんだろうな?」
と思いながら滑走を始めてしまったのだ。
 この斜面にはいろんなシュプールがついていて、かなりボコボコの状態だ。そしてプラス・・・・つまり・・・・新雪なのだ。滑り初めてすぐにコブに乗り上げた、僕は角皆君から教わった屈伸抜重(くっしんばつじゅう)を使って方向転換をし、そして軽くジャンプをして・・・・・新雪に突っ込んだ!

 予定では軽い雪の反動があり、体が宙に浮く感覚があって次に進むはずだった。ところが僕はまるで雪に吸い込まれるように、全身で雪のふところの中にハマリ込み埋もれた。気が付くとスキーの先端は雪の中に深く刺さっている。顔は完全に雪の中。起き上がらなくてはと思ったが、起き上がれない・・・・。ストックを突く。ストックは手応えなく、どこまでも沈み込んでゆく。ストックを置いて手を突く。手もどこまでも沈み込んでゆく。スキー板を雪から抜こうとする。片方を抜こうとすると片方がズズズと沈み込んでゆく。もしこれが沼だったら完全に溺死してますな。どうしよう・・・・完全に思考停止・・・・。ほほう、積雪330センチの非圧雪ってこういうことなのね。おっとっとっと、こうしてはいられない。なんとかしなくては、このままだとマジ遭難するぜ。た、たーすけてーーーー!

 仕方なく体を完全に寝かせて開き直り、雪の上に仰向けになる。有り難いことに胴体は沈み込んでいかない。格闘すること十分くらい。やっとなんとか板を引き抜き。起き上がることが出来る。おおよかった!そこで再び、滑り始める。ところが、また急斜面を降りながら新雪にハマリ込む。その繰り返し。その内、ハッと思った。
「そうだ、角皆君が言っていた。新雪はコブを滑るのと同じなんだとね。絶対にトップから突っ込んではいけないんだ」
 ようし!行くぞう!ところが新雪だと思ってテールから突っ込むと、そこがたまたま何人かが滑った後で自然に圧雪されている。通常の急斜面でテールから突っ込むと、どうなるかは分かっていますよね。はい。コントロールがとれないままスキーはもの凄いスピードで走り出すのです。そうして再び宙に浮いています!おほほほほほ!そしてまるでスローモーションのように美しく華麗に新雪のふところへ落ちていきました。
 いやあ、でもね。新雪の中に落ちるというのは、これはこれで気持ちの良いものなんですよ。他では決して味わえない感覚だね。もうふわふわですからね。雲の上にいるようなんだ。

 その後は、もう人の通ったところを滑るのはやめにして、完全新雪の箇所を探して、ハマリこまないよう注意しながらなんとか圧雪コースに合流するまで降りていった。ふうっ!下のリフトまで辿り着き、そこの時計を見てみたら、どうやら三十分くらいかかっていたらしい。もう二度とあんなとこなんか行くもんか、と思ったが、実は・・・・面白いなと思い始める自分がいた。いや、もう今日はご勘弁願いますよ。でも・・・・、あんなところも自由自在に滑れるようになりたいなと思う。というか、どんなところでも滑れるような様々なテクニックを身につけたいと思う自分に気付いて、自分で愕然となった。ど・・・どこまでいっても懲りないこの性格!

音楽とは多様なゲレンデ
 それは恐らく僕が音楽家だからこう思うんだ。音楽をゲレンデになぞらえると、もの凄く多様なゲレンデなんだ。そこではとても多くの引き出しを必要とされるし、とても多くのテクニックを求められる。なだらかな圧雪だけのゲレンデなんて音楽にはないのだよ。 だから、スキーがどんなに難しくても、僕にはマーラーの交響曲を指揮する方がまだ難しいもの。逆に言うなら、そんな僕がせっかくスキーをするなら、「トリスタンとイゾルデ」全曲を指揮するくらいの興奮を味わいたいのだ。
「おっと、そうきたか?それではこういくぞう!」
といったやり取りを雪山と徹底的にやりたい。角皆君からもね、いろんなテクニックを習って、元気な内にあらゆる楽しみ方を知りたいのだ。もう、こうなると自分の老いとの競争だ。

五十の手習いの重要性
 五十の手習いとは良く言ったものである。歳を取ってくると、記憶力は落ちてくるし、目も悪くなってくる。女の子にはモテずらくなるし、疲れやすくなってくるし、無理も利かなくなってくる。自分の中の全ての要素が未来に向かって下降線を辿っていくようになるのだ。同世代の人たちが集まってする話だって、友人の病気の話や死んだ話、血糖値や尿酸値など自分の健康の話題などがほとんどだ。そんな世代の自分が描く自己の将来図も、輝かしいはずがない。わびしいものだ。
 だからこそ、人は五十になったら何か新しいことを始めなければならない。その新しいことは、なるべくこれまでやったことのないもので、容易に「進歩」が見えるものの方が望ましい。大事なことは、歳を取っても進歩出来るということを自分の体で感じられること。言葉を変えると、自分の生活の中で、どんなささいなことでもいいから、進歩するものを持ち、その進歩するものによって、自己の描く将来図が上昇線を描くように持っていくことである。その事によって人は発想がポジティブになり、人生を明るく生きられるようになるのだ。

 僕の場合は「還暦モーグル」だ。それまでは還暦なんて来てしまったら人生終わりだと思っていた。でも今はそれが目標になっているからね。「早く還暦よやって来い!」とは思わないけれど、それまでに目標を達成する自己のイメージを描けるようになった。そしてその自己のイメージは、今よりもはるかに「輝かしい」ものなのだ!
 それからね、シャモニーとかのヨーロッパのゲレンデの上級者コースを滑ることも新たに目標に加えられた。目標を設定することだけはタダだからね。老年よ大志を抱けってね。人生ってなんて楽しいんだろう!


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