あえてイタリアへ行く

この一週間
 先週の「今日この頃」を読み返して、先週の段階ではまだまだ呑気なこと言っていたんだなあと思った。新国立劇場では、「マノン・レスコー」の総練習(ゲネプロ)はつぶれたけれど、まだ、よもや全ての公演がキャンセルになるとは思っていなかったし、東京フィルハーモニー交響楽団百周年記念演奏会「グレの歌」もあると信じていたからね。
 「マノン・レスコー」は、新国立劇場の歴史に残るくらいの仕上がりだっただけに、たった一度で良いから聴衆の前で上演させたかった。合唱団もあんなに頑張っていたし、フリッツァもノリノリだったし、つくづく残念だったと思う。今更言っても仕方ないけど、間違いなく「幻の名演」だった。悔しい!是非、将来再演を望みたい!

 その後、原発の騒ぎが起きて、計画停電やらなんやらで、気がついてみたら全ての公演がキャンセルになり、あれだけ埋まっていた僕のカレンダーは見事に真っ白になってしまった。さらに被害状況がしだいに明らかになるにつれて、この東北関東大震災は想像を絶するカタストローフであることが分かってきた。

 

原発
 先週の原稿を書き上げた13日の日曜日は、六本木男声合唱団倶楽部(以下ロクダンと呼ぶ)の練習日だった。団長の三枝成彰(さえぐさ しげあき)さんがみんなの前で、
「原発はねえ、本当にヤバいよ。もしかしたら放射能で東京も壊滅状態になるかも知れない」
と言っていた。

 本当かなあと思って帰ってきてからいろいろ調べてみた。こんな時は外国からの情報がより確実だ。何故なら遠く離れたところで客観的に見て、客観的に報道しているから。長女の志保は、フランス語のサイトから動画のニュースを見ていた。これは、アニメーション付きで子供でも分かるように説明されていた。僕はドイツ語のサイトから情報を入手した。さらに三枝さんの言葉を受けて、ロクダンのある団員が、知り合いである専門家からのレポートを入手し、関係者にメールで流してくれた。
 それらを総合すると、客観的に言って福島第一原子力発電所は確かにかなりヤバい。場合によっては、これからもっとヤバくなる。あっさり言ってしまうと、この原発事故はチェルノブイリよりは軽いが、スリーマイル島よりは重いというものだ。つまり核反応はすでに止まっているという点において、チェルノブイリより重くは決してなり得ないが、メルトダウンをおこし、放射能がすでに外部に相当の量流れ出している、あるいは今後も流れ出す可能性という点において、スリーマイル島より深刻なのだ。いずれにしても、原子力発電史上、最も重大な事故の内のひとつであることは間違いない。
 こうしてこの事件の真実は、日本以外では情報はつつぬけであり、すでに世界中周知の事実として認識されていた。これが情報化社会というものである。言っておくが、これらは地震が起こったすぐ後からすでに専門家達によって認識されていたことなのだ。

 ところが、テレビをつけると、我が国では何日にも渡ってまるで茶番劇のようなシーンが繰り返されている。苦しい答弁を繰り返す東京電力の社員あるいは枝野官房長官と、それを追い詰める記者達の攻防は、おそらく双方シナリオ通りなのだろう。双方揃って意図的に真実を隠蔽しているとしか見えない。
 もっと見ていていたたまれないのは、テレビに朝から晩まで出続けてコメントしているナントカ大学教授といった専門家達の態度だ。彼等は普段から真実を覆い隠すようには教育されていないから、その態度のしどろもどろさや、説明の分かりにくさには、同情を感じてしまうほどだ。一般市民は、外国語が出来ないということだけで、こんなにも真実の情報から隔離されているのか、と思ったらとても情けなくなってきた。

 ある記者がこういう質問をした。
「ただいま放水は一定の効果を上げているとおっしゃいましたが、それは事態が終息に向かっていると解釈してよろしいのでしょうか?」
僕は耳を疑った。この記者は究極のKYなのだろうか?それとも本当に何も分かっていないのだろうか?
 核反応が終わった後の余熱を持った核燃料を冷却するのは、今日明日で完了するものではないのだ。とてもとても長い期間がかかるのだ。本当はその間「ずっと冷却し続けなければいけない」のだ。だからこの事故は、一日や二日水をかけたくらいで終息するどころか、まさに始まったばかりだということは、小学生でも分かるでしょう。
 だから外国でこの報道を見ている人で、
「給水を始めたから安心!」
と思っている人は誰もいないのだ。給水は、何もしないで手をこまねいて見ているよりはマシかも知れないけれど、ある意味絶望的な行為だ。それなのに、対応に当たっている人たちがそのために多量の放射能を浴びていることを考えると、深い悲しみが僕を襲う。
 唯一の救いは、電流が通って冷却装置が復活すること。でも、もしそれが不可能ということになると・・・・もうこれ以上は僕の口から言えない。

 こんな危険なものを、こんなに無防備に扱っておいて、こんなにあっけなく危機的状況に陥り、しかもこんなに大都会の生活が依存していたなんて、全くあきれてしまう。原子力発電所が海の近くに建てなければならない理由も分かるが、あんな低いところに建てて、まんまと津波にさらわれて電源を損傷するなんて、この地震国日本にあえて原発を建設するにしては安易すぎる。
 津波は、イタリア語でもZunamiと言うくらい、日本発祥で世界言語となっている言葉なのだ。その津波を想定していなかったなんて・・・・。

 でも僕は、それでも人類が原子力というエネルギーから全て手を引けばいいとは思っていない。そうではなくて、科学や人類の意識がまだこの途方もないエネルギーを使いこなせるまで成熟していないのであって、ここで全ての原子力に拒否反応を示して、その発展の道を閉じてしまうことは、人類の発展にとって望ましいことのようには思えない。
 まあ、今のシステムの原子力発電のあり方は根本から見直される必要があるだろうし、一時的に世界から原子力発電がなくなるようなことはやむをえないだろう。でも五十年後、百年後にきっと未来人が笑いながら、
「あの頃は、あんなプリミティヴなシステムでよく原子力発電を起こしていたな。事故も起きるわけだ」
と言い合って、もっと素晴らしく発達したシステムで発電を行っているに違いない。

僕は人類の未来を信じる。

あえてイタリアへ行く
 さて、埋まっていたカレンダーが真っ白になってしまった僕は、この一週間、ほとんどどこも出ないで家にいた。とはいえ、暇ではなかった。子供オペラ「パルジファルとふしぎな聖杯」のオーケストレーションをしていて、そちらの方は何物にも邪魔されることなくはかどっている。
 毎日、いつも通り6時45分に起きて、一時間のお散歩から一日を始める。このペースを決して乱すことなく過ごしている。夜の仕事で遅くなったりしないから夕食が早い。そのお陰で体重はむしろ減った。いつもよりずっと規則正しく健康的な生活。
 昔この「今日この頃」でも紹介したことのあるランプと、妻が蜜蝋で作ったロウソクを灯して食事をし、寒い日はスキー用のヒートテックの下着を着てストーブの石油を節約している。自転車などのローテクが大活躍。
 このようにいつ停電になっても平気な素朴な生活をしているのだが、オーケストレーションだけはパソコンでしているので、やっぱり停電になられては困る。幸運にも僕の地区はこれまで一度も計画停電となっていない。

 この一週間の間にいろんなことを考えた。最初に起こってきた疑問としては、こんな時にイタリアなどに行っていいんだろうかということ。でも、オペラ劇場が活動している時期に80日間新国立劇場を開けて行くなどということが出来るのは今しかない。それと、僕が申請したために選考から漏れて行けなくなった人たちのためにも、行かなければ申し訳が立たない。やはりどう考えても行くべきだ。向こうで学んできたことを新国立劇場をはじめとしてオペラ界に大きく還元する志を持って、イタリアに渡るべきだという結論に達した。
 ただし、当初は妻を連れて行くことになっていたが、残念ながら断念して僕一人で行くことにした。心配なのは、あんな美食の国で僕のカロリー管理をしてくれる人がいないことだ。パスタ・・・ピザ・・・ワイン・・・チーズ・・・僕がたったひとりで耐えられるわけないだろうが・・・・。

 それより、こうした事態に家族を日本に置いていくのは、はっきり言って不安だ。でも僕が音楽家としてこの世に生まれたからには、音楽家としての使命を全うしなければならないように、僕の家族も自覚を持って留守宅を守ってくれるであろう。
 妻は、早くも所属しているカトリック立川教会の中で今回の震災に対する「支援する有志の会」を立ち上げてエネルギッシュに動き始めた。ミラノの近くのブレーシアという街は、彼女の洗礼名の聖女アンジェラ・メリチ生誕の地で、そこを何度も訪問するんだと楽しみにしていた彼女だが、叶わなくなってしまったのが気の毒だ。いつかまた連れて行ってあげるよ!

 3月分の公演がみんなつぶれて、ギャラが全てなくなって、経済的にもかなり厳しい中、災害の渦中にある日本を後にする。みなさん、申し訳ありません。そして、どうか応援してください。

もう包み隠さず言おう~僕の信条
 僕は、きっと明日自分が死ぬと分かっていても、同じように生活し、同じように音楽をやっている。その点についてはいささかの迷いもブレもない。さらに、僕がこの時代に生まれ、この時代で音楽家として生きていることには、神様の大きなはからいを感じる。というか、もしかしたら自分で進んでこの時代に生まれ出てきたようにも思える。

 子供の頃から繰り返し見ていた夢があった。それは、一面荒廃した地に自分がたたずみ、これから新しい世界を作って行かなければならない、と決心している夢だ。それは、恐らく目覚める度に忘れていた夢なのだが、ある時、自らの中にはっきりしたヴィジョンとして広がった。それが、初めてマーラー作曲交響曲第二番「復活」の最終合唱を聴いた時だった。
 この曲を自分で指揮したことは残念ながらない。でも、合唱指揮者として合唱団に練習をつけたことは何度もある。恐らく、僕の指導でこの曲を歌ったことがある人は、一度くらい僕のヴィジョンの話しを聞いたかと思う。この曲は、僕が自分の使命に目覚めた記念すべき曲なのだ。

 2012年に世界が滅びるとか、地球がフォトンベルトと呼ばれる特別な磁場の空間に入ったとか、いろんな噂が巷に飛び交っている。僕は預言者ではないし、霊能者でもないのでイエスともノーとも言えない。けれど、不思議な事に音楽をやっている時だけは、一種霊的になる。そうした僕には、ある大きな転換期が近づいてきているのが肌で感じられる。
 僕が確信を持って言えることがある。それは、21世紀前半においては、人類は変わらなければならないということだ。20世紀が唯物信仰と我欲と戦乱の時代だったのに反して、21世紀は霊性の時代にならなければならないからだ。本当は、人類自ら変革することが望ましかったのだが、そうでなければ、力づくでも変わらせられるのだ。 

 僕が自作ミュージカル「おにころ」で表現したことなのだが、我々が生命を持っているように、木や花や大地や海も生命を持っている。それどころか、この地球そのものも一つの生命体なのだ。そして全ての生命体は、ある波長のようなものを出しながら共鳴し合っている。大宇宙は、大いなる親和力と創造のエネルギーとで完結し充ち満ちているのだ。
 ところが人間だけはシンパシーに対してアンチパシーすなわちマイナス波動、あるいはマイナス・エネルギーを出している。このマイナス波動が、宇宙に不調和をもたらしている。我々人間は万物の長だなどと偉ぶっているが、所詮宇宙の前にはちっぽけな存在だ。地球という生命体が、人間の出しているマイナス波動に反応したとて何の不思議があろう。

 僕は希望を持っている。2012年に人類は滅びはしない。滅びてなるものか。でも21世紀を霊性の時代にすることは、我々人類に課せられた至上命令なのだ。そして僕達この時代に生まれた者達は、その扉を開く使命を担ってこの世に生まれてきたのだ。だから、これくらいのことにめげていてはいけない。みんなで力を合わせて新しい世界を創り出していかなければならないのだ。

 最後に・・・・。芸術の力をあなどってはいけない。芸術の奏でられるところでは、大いなる創造のエネルギーが働く。仮に聴衆が誰もいなくても、ちょうど決まった時間に司祭がミサを行う事に霊的な意味があるように、演奏会における演奏行為には、あるイニシエーションとしての意味があるのだ。
 ましてや聴衆がいて、演奏する者と聴衆がある親和力をもって空間を共有することが出来たとしたなら、そのエネルギーはうねりとなって世界に広がっていき、宇宙を揺るがしてゆく。その力は、信じられないくらい大きいのだ。

あなたは、これを信じますか?


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