ブレーシア訪問の意味するもの

職人とは
 5月8日日曜日。やはりダニエレ・カッレガーレの「トゥーランドット」は素晴らしかった。合唱団もいろんな音色や表情あるいはニュアンスが出てきたし、テンポの変わり目もピシッと決まって、いやあ、なんとも気分がスカッとしましたなあ!聴衆もきちんとそれを理解して、カッレガーレに対しても最大限の賛辞が捧げられた。やはりここの聴衆の耳は肥えてますよ。
 ミラノ出身のカッレガーレは、ヴェルディ音楽院でコントラバスとパーカッションを学んだ後、なんと22歳の若さでスカラ座管弦楽団のメンバーとなり、それから12年に渡って演奏しながら沢山の偉大な指揮者を見て過ごすことになる。歌手を相手にしたコレペティトールから成り上がっていく、いわゆる劇場指揮者としての叩き上げとはややニュアンスは違うかも知れないけれど、いずれにしても劇場の隅々まで知り尽くしていることには変わりはない。

 僕が「職人」という言葉にこだわるのは理由がある。たとえば大冒険家誰それが、どこどこの山の初登頂を果たしたとニュースに出るだろう。でも、そこには大抵その探検家を登頂に導くために労力を惜しまなかったガイドの存在が欠かせない。時には探検家の荷物運びをしながらガイドするとも聞く。
 ではそのガイドは、自分ではその山を登れないのか?もしかしたら、その大冒険家の前に初登頂を果たすことが出来るのではないだろうか、と思ったことはないですか、みなさん?

 たとえば、新国立劇場の「オテロ」の時に、指揮者のリッカルド・フリッツァが腕を痛めて振れなくなったので、途中で音楽ヘッド・コーチの石坂宏(いしざか ひろし)さんが急遽代役で指揮をし、見事に公演を成功に導いたということがありましたよね。
 石坂さんもね、普段はマエストロのアシスタントとして公演を支えているけれど、こんな風にいざとなったら指揮出来るんですよ。まさに探検家のガイドと一緒なのですよ。いや、彼だけじゃない。城谷正博(じょうや まさひろ)君だって誰だって、新国立劇場に出入りするくらいの音楽スタッフは、みんな実はやろうと思えば指揮出来るわけよ。って、ゆーか、はっきり言うけれど、下手なマエストロよりもずっと上手にやれるのだ。
 逆に言えば、そのくらいの人材でないと、新国立劇場という最高レベルの劇場を「日常的に」支えられないわけよ。彼等は、それだけの才能を持ちながらあえて裏方に回ってあらゆる事に気を配る。あらゆる危機に対処するすべを心得ており、歯車が噛み合っていない時には、いち早く原因を追及し、問題を解決する。つまり、オペラ劇場で起こりうる全てのことに精通しており、オペラを知り尽くしている。こういう本当の「実力者」が、どの世界にもいる。

こういうのを“職人”という。

 こうした職人がオペラの世界に少なくなってきているのも事実だ。かつてはジュゼッペ・パターネのような、本当になんでも知っている文字通り“マエストロ”がいた。パターネは、イタリア・オペラならどの作品のどの一節でも、暗譜でピアノを弾きながら相手役を歌って歌手に稽古をつけられたという。最近ではネッロ・サンティがその最後の名残だ。 さて、我等がカッレガーレは、とても気さくで親しみやすく、往年の大マエストロのようにみんなが畏怖するようなタイプとは違うが、僕は是非、彼なりのやり方で大成していって欲しいと思う。


 5月9日月曜日。妻が来た。パリ経由で来るため、ミラノのマルペンサ空港には、なんと22:35という遅い到着時間だ。この週は語学学校が休みだし、スカラ座合唱団も月曜日は定期的な休日。夜にはスカラ座フィルハーモニーの演奏会があるけれど、それに行っていると迎えに間に合わなくなってしまう。
 そこで話は前後するが、僕は8日の日曜日の「トゥーランドット」が終わった後、20時からの公開ゲネプロを見に行った。最近はバレンボイムのお陰でかなりワーグナーの上演にも積極的なスカラ座管弦楽団だが、ジャナンドレア・ノセダGianandrea Nosedaのワーグナー名場面集が、どうもパットしなかったので、途中で帰ってきてしまった。ミラノに来てからどの公演も素晴らしかったフィルハーモニーだけれど、こういう時もあるのね。オケに問題があるのか、指揮者に問題があるのか、よく分からん。多分、両方だろう。

 ええと、話が横にそれてしまった。というので、月曜日は結局丸1日何も予定がないまま、ただ夜中近くに着く妻を待つという、なんとも情けない1日になってしまった。家の近くのプールに行ったり、イタリア語の勉強をしたりして過ごしたが、こんな時に限ってなかなか時間が進まない。
 彼女はパリの空港でトランジットの間に、娘の杏奈と会って一緒に食事をし、それから乗り継いできた。到着出口から出てきたのが23時10分くらい。それから23時26分発の電車に乗ってミラノに向かった。ノンストップを歌ったマルペンサ特急だが、なんと僕の家の近くのボヴィーザBovisa駅に停まるので、思ったよりは早く家に着いたが、当然0時を回っていた。彼女も極端に疲れていたので、感動の再会というわけにはなかなかいかなかったですなあ。

市場
 5月10日火曜日。本当はスカラ座の練習が10時からあったが、妻が着いた次の日に、朝から彼女をほったらかしにしたのではあまりにも薄情なので、午前中の練習はお休みして妻と市場に行った。ミラノでは、週の何曜日はどこという風に、市場が立つ場所と曜日が決まっていて、いつもどこかでやっている。月曜日と木曜日だったら、家のすぐそばの路地でやっているのだけれど、この日は、歩いて15分くらいかかるところでやっていた。
 パリの市場も面白いが、イタリアの市場はまたフランスとは全然違う。まず食べ物よりも靴やバッグなどの革製品、あるいは日用雑貨などの店がとても多い。ブランド品がその中に何気なく混じっていたりして、しかもめちゃめちゃ安い。これまでにも市場を冷やかして歩いていた僕は、そういう物には全然興味なかったが、妻は狂喜している。
 それから魚屋や肉屋、チーズ屋に八百屋と、おねえさんやおにいさん達の威勢の良い声が街中にこだましている。これらの品もみんなとても安いが、大きな単位でしか売らないので、僕一人で住んでいる時には、腐らせてはいけないと思ってなかなか買えない。だから妻がいる内にと思って、いろいろ買った。

ジェラールと偶然の一致
 それから劇場に行って「ロメオとジュリエット」の練習を見る。木曜日から立ち稽古が始まるので、追い込みの時期だ。合唱指揮者カゾーニ氏の要求も厳しいし、みんなも暗譜するので必死だ。僕と友達になったジェラール・コロンボのフランス語の語学指導は冴えているなあ。曖昧なところを決して逃さないのは、自分も合唱団員として、みんなの弱点をよく知っているから。そして、どう指導すれば、彼等をきちんとしたフランス語の発音とフランス語的表現に持っていけるかに熟知している。これまで「マノン」「カルメン」「ホフマン物語」と、この合唱団で指導してきた経験が生きているのだな。僕もとても勉強になる。
 休み時間に、僕はジェラールに言う。
「ここがもっと日本に近かったら、フランスものをやる時、君を言語指導者で呼ぶんだけどなあ。君のように、ベルカントのテクニックとフランス語の発音や表現を折り合わせて指導出来る人材は、日本にはいないからね」
「呼んでくれればいつでも行くよ」
「残念ながら、そうもいかないんだよ。言語指導者に航空運賃と宿泊代を払う余裕は僕の劇場にはないんだよ」

 話はちょっと変わるが、長女の志保のパリ時代からの友人で、若くしてフランス放送管弦楽団のティンパニー奏者となったとても優秀なアドリアンというフランス人の男の子がいる。彼がよくスカラ座管弦楽団のエキストラに呼ばれて、わざわざパリからミラノまで仕事に来るという話は、志保から聞いていた。一方彼は、指揮者チョン・ミュンフンにもとても気に入られていて、先日韓国のオケのツアーに参加して日本に来た。そこで志保は、東京で彼と会って食事しながらいろいろ話をしたが、
「パパは今ミラノにいて、ママはパパの処に行ったんだよ」
というような話題になったそうだ。すると彼は、
「スカラ座と言えば、合唱団の中にフランス人の友達がいるよ。家にまで遊びに行ったことがあるしさ」
と言うので、
「もしかして、そのフランス人の家ってブレーシアじゃないでしょうね?」
「なんで知ってるの?」
「それ、パパの友達だよ」
ということになったそうだ。

その事をジェラールに話したら、
「え?君の娘がアドリアンの友達だって?なんて、世界は狭いのだ!」
とびっくりしていた。

 ジェラールに関することには偶然の一致が多すぎる。だって考えてもごらんよ。妻の洗礼名がアンジェラ・メリチで、そのゆかりの地であるブレーシアにあこがれている一方で、僕がミラノに来て最初に出来た友達ジェラールは、ブレーシアのアンジェラ・メリチ通りに住んでいる。さらにこの時期に、僕の長女志保の友人がたまたま日本に来て、何の先入観も持たずにジェラールの話題に辿り着く。この偶然の一致の意味するところは一体なんだ?
 15日の日曜日に、僕と妻はいよいよブレーシアに行く。そこでジェラールが待ってくれていて、街を車で案内してくれることになっている。なにか、またいろんな偶然が重なるような予感がする。そうでなくても、今回のイタリアの旅には、なにか不思議な不思議な意味が隠されている気がしてならないのだから。

新町歌劇団ミラノ会談
 さて、練習が終わると、僕は早速ジェラールを劇場の外で待っていた妻に紹介した。それから彼と別れ、僕と妻は街の中心部にあるホテルに向かった。実は新町歌劇団のSさんとKさんが夕方にミラノに着く。目的は打ち合わせである。嘘じゃありません(笑)。 新町歌劇団は、あのラスクで今や全国的に有名なガトーフェスタ・ハラダ主催で8月20日(土)、21日(日)に子供向けの演奏会をすることになっている。そのメインの演目として、僕の作曲した「ぐるんぱのようちえん」を上演しようとしていたが、絵本の中でキャラクターのパネルを使ったりする際に、著作権上の問題が発生してしまった。僕は著作者と会っていろいろ相談をしなければならないのだが、ミラノに来てしまっているので滞在中には進展が望めない。その間にチラシやらチケットやらを進めてしまうわけにもいかず、残念ながら今回は見送らざるを得なくなってしまった。そこで彼女たちは新町歌劇団から派遣されてきた特別使節となって、ミラノ滞在中にミラノ会談を行って、コンサートの代替案を固めなければならないわけである。本当にご苦労である(笑)。
 旅行者が手配してくれた送迎車で彼女たちは無事到着。ミラノでの再会を喜び合った後、一緒に食事に行った。彼女たちは、
「すぐにでもお話しを!」
という感じだったが、僕は、
「まあまあ、まだ数日いるんだし、まずはおいしいものを食べてミラノを味わってからね」
と言って、ミラノ風リゾットやミラノ風カツレツなどでミラノの洗礼を受けてもらった。

 5月11日水曜日。今日は「トゥーランドット」の公演日。妻と二人の新町歌劇団大使に「トゥーランドット」を観てもらう。チケットはすでに完売であるが、12時に開くドゥオモ広場のチケット売り場に行けば、当日戻ってくる券があると思って4人で行くが、残念ながら戻ってきた券はなかった。杏奈の時にはあったのに・・・・。
 それで仕方なく、Galleria当日券に並ぶことにした。140席あるGalleria席の当日券は、午後6時に販売開始されるが、混雑するため点呼制を採用している。1時に登録して名前を書き、5時半に点呼を取って列を作ってチケットを買うのだ。なかなかオペラのチケットを買うのも半日がかりになってしまう。でも、1時に登録した時に140番より少なければ、当日行っても必ず観られるので良いシステムだ。
 さて4人は、最初の登録が終わってから、やれやれという感じで4人でピッツェリアに行ってボンゴレ・スパゲティーやピッツァを食べながら打ち合わせをする。ミラノ会談ガトーフェスタ・ハラダの演奏会は、「“おかし”なコンサート」というタイトルにすることに決定した。そして前半は食べ物に関した曲を集めて、途中で初谷敬史(はつがい たかし)君が、かつてのドクター・タンタンの格好をして乱入。「ドクター・タンタン」の曲を、若い団員達と一緒に踊って歌う。そこからしばらくは、ガトーフェスタ・ハラダがフランス風の雰囲気を持っていることからパリのコーナーになって、ミュージカル「ナディーヌ」からも「パリの花」などを演奏する。その後は、パネル・シアターのコーナーとなってETC・・・・・と、どんどん決まってくる。僕は最初と最後に演奏するテーマ・ソングをひとつ作曲しようと思い立った。
「おかしくって、お菓子食って・・・・」
というような歌詞も即座に浮かぶ。やはり彼女たち新町歌劇団からの大使がミラノまで来て会談した甲斐はありますな。

 その後、妻達は5時半の点呼やチケット購入に行ったが、その間、劇場内では5時から6時半まで「ロメオとジュリエット」の最終音楽練習をやっている。「トゥーランドット」は舞台袖から観れるので、僕はチケットは購入しなくてもいいんだ。それにしても、明日から立ち稽古だというのに、「ロメオとジュリエット」を合唱団はまだ覚え切っている感じではないなあ。大丈夫かなあ?
 「トゥーランドット」公演は、8日のカッレガーレの初日よりも、また一段と引き締まった良い演奏になっていた。指揮者が交代しても、そのための舞台練習などは与えられないので大変だが、その条件の中では最大限にやっている。本番をやりながら細部に至るまでの自分の解釈をどんどん伝えていくのである。だから多分スカラ座で公演を観るとしたら、千秋楽に近いほど良いのではないだろうか。

 妻も二人の大使達も大満足で劇場から出てきた。ただ妻は、
「あれで、合唱もピン・ポン・パンの三人も、もうちょっと合ったらいいのにね」
とか、
「合唱のソプラノの揺れが気になるわね」
とか言っている。さずが僕の妻。

「ロメオとジュリエット」立ち稽古開始
 5月12日木曜日。いよいよ劇場外のアンサルド練習場で「ロメオとジュリエット」立ち稽古開始。でもねえ、なかなか日本のようにはいかない。アンサルド練習場はとても大きくて、舞台のサイズそのままに練習が出来るという利点はあるが、その大きさが災いして、練習中でもみんなが話をしても構わないような雰囲気になってしまい、常にざわついている。演出助手が、
「静かにしてください!」
と叫んでも、みんな話をするのを止めない。全く、このイタリアという国では、しゃべるのを止めると死んでしまうような人ばかりなのだろうか?こんな環境の中では、集中して練習する事などとても無理だ。
 また、合唱団の動きも緩慢だ。それを知っていてか、演出家は、序曲とプロローグ、及びそれに続くダンスシーンでは、ほとんどの場面をダンサーと助演に演じさせていて、合唱団はその周りでただ壁の花になって立っているだけ。それでも次に動き出す大事なタイミングを逃している人がいる。

 これがもし新国立劇場合唱団で、演出家がこんな風に演出しようとしたら、僕は恐らく我慢出来なくなって、
「彼等はもっと動けるので、踊らせるなり演技をつけるなりして下さい。お願いですからあきらめないでもっと要求してみて下さい。壁の花では悲しすぎます!」
と言うだろう。
 2時間練習して、第一幕の冒頭までしか出来なかった。あまりの退屈さにあきれ果てて、いつもは練習を抜け出すことなどない僕だが、休憩時間に入ったところで何人かにことわって帰ってきてしまった。

ジェノヴァ会談
 5月13日金曜日。妻と新町歌劇団の二人の使節を連れてジェノヴァに行く。ガトーフェスタ・ハラダのコンサートの打ち合わせをジェノヴァで行うため(笑)。女性三人をエスコートしているので、まさか先日一人で行ったように、ケーブルカーで山のてっぺんまで行って歩いて帰ってくるなんて真似をさせるわけにはいかない。
 今日は丘の中腹にある展望台に有料のエレベーターで登り、またエレベーターで帰ってきた。この展望台からの眺めも横須賀に似ているので、デジャヴュ体験が蘇ってきた。Sさんは、先週の僕の「今日この頃」を読まないで来たので、僕のジェノヴァでの横須賀ストーリーは知らないのだが、ジェノヴァの街に着くなり、
「先生、この街って横須賀にそっくりですね」
と言うではないか!さらにこの展望台でも横須賀に似ていることを強調していた。

 女性というものはつくづく男性とは違うなと思う。一人の時は、旧市街に入ったら、狭い路地を止まらずにどんどん行くのが楽しかったが、妻達女性は、あっちの店でアクセサリーを見て、こっちの店ではバッグを見て、という感じで引っ掛かりまくるのですなあ。

 そうこうしている内にお昼になった。僕は今回は昼食の敗者復活戦を果たしたかった。でも、「地球の歩き方」に載っている旧港地区のAntico Osteria di Vico Pallaは、ちょっと奥まった分かりにくいところにあったので、なかなか見つからなかった。もうみんなは諦めかけていたのだが、僕は諦めなかった。みんなに、
「もうちょっと待ってね。必ず見つけるからね」
と断って人に聞いたりしてなんとか見つけた!
 でも、その店は地味で、店の前に立っても入っていいのかな?と思わせる古くて冴えない門構え。一人だと勇気がなくて入れないかも・・・・・。
 ところが、ところがですよ、これがまさに大当たりなんですよ!みなさん!ジェノヴァに来たら、必ずここを探し当てて入るべきです。若い元気の良いおねえさんが、僕たちの顔を見ながら、ジェノヴァ会談
「今日は、あたしを信じて任せてくれません?きっと気に入る料理を出してあげるから」
と言うので、それではとお任せにした。
 魚介類の前菜が3種類。日本の天ぷらのようなもの、茹でたエビ、タコ、イカの盛り合わせ、カルパッチョというが、ほとんど刺身盛り合わせといった感じのお皿。それから第一の皿が3種類。ほうとうよりもっと太い麺にバジルソースがかかっているジェノヴェーゼ、ラビオリと不思議な形をしたパスタ。この2種類のパスタは、魚をベースにした味付けがとても良い。これだけ食べたらもうほとんどお腹いっぱいになったので、メインの皿は一人分だけにしてもらった。これもお任せだったが、ドドーンとマグロ・ステーキが来た。
「地球の歩き方」を見て、胃袋の小さい日本人が来るからかも知れないけれど、おねえさんは量の調節を心得ている。僕たちは、それぞれのお皿に取り分けたので、残すことなくしっかりお腹に収まった。やっぱり旅行に来たら食べ物だよな。でもね、一人で来るより大人数でレストランに入る方が絶対に良いね。いろんなものを味わえるもの。
 ということでジェノヴァ会談も無事終了。あれえ?今日は一体何を相談したのですか?まあ、いいからいいから・・・・。

立ち稽古は続く
 5月14日土曜日。アンサルド練習場での立ち稽古は今日が最後で、「ロメオとジュリエット」は来週からスカラ座に戻って舞台稽古になるそうだ。だ、大丈夫かなあ?とはいえ、今日は一応第一幕の終わりまで進んだ。演出家はジェラールの話ではカナダ人で、典型的なカナディアン・フランスをしゃべるそうだ。
「カナダのフランス語って、どこがどう違うの?」
「イントネーションや語調も違うんだけれど、一番面白いのは、フランスではもうずっと昔から使わなくなってしまった古い言葉を使う事だ。だからフランス人には、とてもレトロでしかも格調高く聞こえる」

 その演出家は、なんとなく機嫌が悪くなっている。合唱団がなかなか場面の趣旨を呑み込んでくれないからだ。指示があるまで自主的に動くこともしないで、ただ突っ立ているだけ。見ている僕にも彼の気持ちは良く分かる。彼は、練習の合間にいろんな人のところに行って、小さい声で、
「みんな物語が分かっていない」
とこぼしている。
 それに、演出家が説明し始めても、ものの3秒も経たない内に、みんながおしゃべりを始めるので集中力を欠き、10望んでいたものが、6くらいであきらめざるを得ない。気の毒な演出家。

 ただ、合唱団が悪いとばかりも言えない。マスで動いている合唱団がみんな勝手に動き始めたら収拾が付かないこともあるので、きちんとどこから出てどう動いてと、さばいて欲しい面もあるのだ。その上で、ここは自分たちでふくらませて自由にやって下さいと指図をすれば、もっとスムースにいくのではないかな。
 それに、演出家というのは稽古場の親分なのだから、自分の思い通りにならなかったら、相手がスカラ座であっても遠慮なく怒るなりなんなりして、無理矢理にでも従わせるキャラクターの強さも欲しいなあ。まあ、スカラ座初登場の演出家としては、そうもしずらいというのも分かるけどね。最後の方は、演出家自身も英語で「静かに!」って叫んでいた。

 自画自賛ではないが、そこへいくと、新国立劇場合唱団の立ち稽古での集中力と、自主的な演技力は抜きんでているなあ。恐らく今のヨーロッパで、ドラマ的に新国立劇場合唱団のレベルまで到達出来る合唱団はどこにもないだろう。僕も、それが当たり前のように思って今までやってきたので、はっきり言って最初はカルチャー・ショックだったが、だいぶ慣れてきた。おっとっとっと・・・・慣れてはいけません!

ということで、見ている僕もなんとなく消化不良のままアンサルド練習場での練習が終わった。

ブレーシア訪問の意味するもの
 5月15日日曜日。新町歌劇団の大使達は、無事ミラノ会談を終えて帰途についた。一方、僕と妻はブレーシアに向けて朝出発した。ヴェネツィアやフィレンツェなどに比べてブレーシアのようなマイナーな街は、日本人の観光スポットにはなりにくいだろう。現に僕も、妻が言わなければ、その存在すら知らないで一生を終えたかも知れない。でも妻にとっては、今回のイタリア旅行の最重要地である。そして、前にも述べた通り、ジェラールが住んでいる街でもある。

 約束した通り、ジェラールがブレーシアの駅のたばこ屋の前で待っていた。今日は彼が僕たちを車で案内してくれる日なのだ。彼はまず車を北西に走らせ、イセオ湖と呼ばれる湖のほとりに連れて行ってくれた。ここは不思議な地形をしている。あたりの山はとても高く、その尾根は、鋭い傾斜のまま湖に向かって雪崩落ちている。湖の真ん中に島がある。ところが、その島は同時にとても高い山となっている。Monte Isolaモンテ・イソラすなわち「山の島」あるいは「島の山」という名前。ジェラールと僕そのまんまやんけ。ジェラールによると、この湖はとても深いそうだ。それは容易に想像出来る。あたりの山々の尾根やモンテ・イソラの傾斜を湖の中まで延長させたら恐ろしい深さになりそうだ。

 それからジェラールは再び車を走らせ、ブレーシアの街に戻ってきた。街の城壁を越えて旧市街に入る。静かな古い街。ミラノのような大都会と違うのは当然だが、他のどの街とも違って独特の落ち着きがある。なんだか本当に気持ちが安らぐ。ジェラールの性格と似ている。そういえば、ジェラールと一緒に居ても、この街と同じような落ち着きを感じるのだ。初めて会ってからそんなに経っていないのに、一緒に居てもちっとも気を遣わないし、何故か昔からよく知っている旧友のような気がする。不思議だ。ブレーシアという街も、ジェラールとの出遭いも・・・・。

 散歩している内にお昼になったので、ジェラールお薦めのレストランに入る。この地の料理とこの地のワインの組み合わせ。さすがフランス人のジェラールだけあって、素朴だが実に繊細な料理を出す店を選ぶ。
 自家製のサラミもおいしかったし、ラビオリの中の詰め物も最高!リゾットはサフラン味だが、ミラネーゼとは味が全然違う。甘草で味付けしてあって、独特の上品な味に仕上がっているのだ。
 メインは、なんとレバー料理。これが不思議だった。群馬の僕のお袋がよく作ってくれた、甘味噌で味付けしたレバー料理にそっくりなのだ。まるで今群馬にいるかのような錯覚を覚えたよ。

新旧ドゥオモ


サンタ・ジュリア博物館での既視感
 さて、食事後はまた旧市街のお散歩の続き。ここでちょっとしたサプライズが起きる。ジェラールが僕たちを私立サンタ・ジュリア博物館に連れて行った時のことである。博物館って一度入るとなかなか出て来られないではないですか。だから僕たちは、中に入るかどうしようかグズグズしていたのだが、その時通りかかったある婦人が、ちょうどチケットが3枚余ったからと言って僕たちにくれたのだ!
 この博物館ではちょうどアンリ・マチス展をやっていたので、僕たちはそれをサーッと見た。アイゼナッハな風景それから一度お茶を飲んで休息したが、そのテラスからの眺めが、まるでバッハの故郷のアイゼナッハにそっくりなので驚いた。あの緑の丘の上にヴァルトブルク城さえあれば、もう完璧にアイゼナッハだ。僕が興奮してジェラールに言っても、彼にはピンときていないみたいだったけれど・・・・。

 ジェラールは、
「ここにせっかく入ったんだから、どうしても君たちに見せたいものがあるんだ!」
といってあるところに案内してくれた。そこは・・・・なんと古代ローマ帝国時代の遺跡だった。僕はブレーシアとローマ遺跡など結びつかなかったのだが、実はこの地は、ローマ時代に、カピトリーノ神殿を中心としてかなり栄えていたのだ。その遺跡に足を踏み入れた時、妻がつぶやいた。
「なんか、とても強い気を受けているわ」
僕も、フッと気が遠くなって、そのままいにしえの時代にタイムスリップするような錯覚に襲われた。
 この博物館は、ローマ帝国時代の古い遺跡の上にさらに新しい建物や教会が建てられ、修道院として長い間使われていたそうである。ルーブル博物館にあるサモトラケのニケに似た翼を持つ勝利の女神像の凛々しいたたずまいにも心を打たれた。

カピトリーノ神殿跡


 博物館を出てから僕たちは古代円形劇場(Anfiteatro)跡や、カピトリーノ神殿跡を散策する。僕の中でブレーシアという街のイメージがどんどん変わってくる。先日もジェラールとの出遭いにまつわる偶然の一致について書いたが、もしかしたら妻だけでなく僕にとっても、このブレーシア訪問というのが大きな意味を持っているのではないかと感じられてきた。とってもとっても古い時代から、僕たちはつながっているのではないだろうか?

ブレーシア


聖アンジェラ・メリチ教会でのミサ
 さて、本日の最終目標はなんといっても聖アンジェラ・メリチ教会での4時からのミサに出ることだった。これもジェラールが事前に下見をして、ちょうど4時くらいに教会に辿り着くようにその前の街の名所巡りをセッティングしてくれたのだ。
 3時半過ぎ。聖アンジェラ・メリチ教会でアンジェラの遺体を訪問する。体は黒ずんではいるが、腐敗することなく静かに眠っている。小さい人である。

 妻は幼児洗礼なので、アンジェラ・メリチという洗礼名は、自分で選んだわけではないが、自分の守護聖人ゆえにいろいろ調べて、アンジェラの生き方に共感し、アンジェラが創立した女子修道会であるウルスラ会の一組織アソシエに熱心に通っている。まさにその聖女本人に今日とうとう会ったわけである。感慨深いものがあるだろう。

聖アンジェラ・メリチ教会


娘さん達とピッツァ
 さて、その後は、ジェラールが17歳の娘さんのクレールを呼び出して、一緒にピザを食べに行った。そしたらジェラールの姪もついて来た。ジェラールは、ミラノでブレーシア出身の奥さんと知り合い、結婚してブレーシアに住みクレールを授かったが、その後奥さんと離婚してしまう。でもクレールを自らの処に引き取ってそのままブレーシアに残って暮らすのである。
 元奥さんもブレーシアにそのまま住んでいて、クレールは両方の処を行き来しているという。さらにクレールは、奥さんの妹の娘、つまりいとこの女の子と仲良しで、こうしてジェラールの姪がピザを食べについてくるわけである。

 面白いのは、この子達は日本語を勉強している。
「こんにちは」
だけでなく、いくつかの言葉をしゃべる。
「どうして日本語を勉強しているの?」
と訊いたら、日本の漫画やアニメが大好きなので、日本語をしゃべれるようになりたいそうなのだ。
 クレールは2009年にスカラ座が日本公演に来た時にも一緒に来日しているので、NHKホールの近くに何があるとか上野の文化会館の近くはどうとかよく知っている。予想外に話が弾んで驚いたよ。

 こうして不思議な夕食会も終わって、心地よい疲れの中、僕と妻はミラノに向かって帰ってきた。とても楽しくなつかしく不思議な1日だった。

 僕は勝手にストーリーを組み立てた。僕は前世ジェノヴァに生まれ、妻はブレーシアに生まれた。二人はミラノで知り合い、その先は・・・・なんか、みなさん笑っていますね。もう、この辺でやめといた方がいいですね。うーん、新しいミュージカルでも書こうかな。作品として仕上げれば、笑われることもないしな。


Cafe MDR HOME  

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