イタリアでは(最終回)

劇場では
 スカラ座では、「ロメオとジュリエット」が初日を迎えて、順調に公演が進んでいる。平行してヴェルディの「アッティラ」の立ち稽古が始まっている。これは郊外のアンサルド練習場ではなくて、スカラ座の舞台を使って行われている。
 公演のある日は、14:00から16:00まで立ち稽古をし、20:00から「ロメオとジュリエット」の本番。「ロメオとジュリエット」幕が閉まるのが23:10で、それからカーテン・コールなので、なかなか長い1日になる。ブレーシアに住んでいるジェラールなんか、こんな日は家に着くのが2時頃なのだ。日本では無理だなあ。本番の前に2時間も別の演目の立ち稽古をするなんて!

 先日も書いたように、「アッティラ」の舞台稽古を16:00に終了して、20:00に「ロメオとジュリエット」の幕を開けるというのは、舞台スタッフにとっては相当大変だと思う。どちらも基本的にはひとつの舞台セットに、各幕毎にいろいろ工夫を凝らして様々なオブジェを取り付けるというものだが、それでも、ひとつの舞台を撤収して次のをセッティングするわけだから楽ではない。
 それに加えて、照明のセッティングに本当はとても時間がかかるはずなのだ。今はコンピューター制御で出来るのだろうし、2系統平行ですでにセッティング済みなのかも知れないが、いずれにしても調整は必要だろう。それに音響や小道具の手配、楽屋では衣装の交換などが行われるわけだ。よく大きいミスもなく運営していると思って感心する。
 この「アッティラ」であるが、僕はゲネプロを見ることなくミラノを発たなければならない。とても残念だ。

イタリアでは(最終回)
 この「イタリアでは」シリーズも、恐らく今回で最後だと思う。って、ゆーか、最後でないと困る。帰国の時に散々な思いとかしたくないので、是非最後であって欲しい。いずれにしても次にホームページが更新される時には、僕はもう日本にいるのだ。なんと時の経つのは速いのだ!

イタリアの子供と若者
 イタリアの子供達は可愛い。とても子供らしくてあどけなく純真だ。それに親達にとても愛されているのが分かる。

いつも8時45分から始まる語学学校に行くのに、朝の散歩代わりに家から45分かけて歩いていくが、その途中に小学校がある。その前を通りかかるのがちょうど授業が始まる頃なのだろう。子供達はお母さんやお父さんに連れられて来る。お父さんの割合の方が多いのに驚く。犬も一緒に来る。

そして、子供を学校に預けた父母達が、学校の前でたまっておしゃべりに夢中になっている。
 言っておくけど、幼稚園の送り迎えではなくて小学校だからね。一人の親に何人もの子供達が来るケースもあるから、隣同士で預け合って来たりもするのだろう。僕はこの光景を見るのが好きだ。子供達が愛されている社会は健全な社会である。


 同じような意味で、若者達も健全だと思う。勿論小学校児童と一緒というわけにはいかないだろうし、タトゥーを入れたり、やたらにカッコつけたり、恋人同士でイチャイチャしたりしている。でも、たとえばライプチヒなんかで見たような、心の闇を抱えて全てのことに投げやりになっているような殺伐とした若者達の群れや、日本の内向的な若者のように、内に秘めた無言の怖さを感じさせる若者には一度もお目にかかったことはない。
 イタリアの若者は、ほとんど一人残らずと言っていいほどよくしゃべるし、基本的に陽気である。瞬間湯沸かし器のように怒ったりもするけれど、何を考えているかは全て分かる。彼等の会話を聞いていると、日本人の若者よりもずっと話題が幼稚だけれど、驚くほど素直で善良さに溢れている。

 こうしたことの背景には、やはりキリスト教の力というものが歴然とあると思う。妻がミラノに滞在していた時に、一緒に散歩してふと入った教会では、子供達が聖堂に集まって司祭と一緒に初聖体の準備をしていた。それがとても楽しそうだった。それから、別の教会だけれど、妻がパリに発つ朝のミサでは沢山の子供達が初聖体を受けていて、ミサの終了後みんなで集合写真を撮っていた。親達にとってはとても大切な出来事なのが感じられて、こちらまで嬉しくなってきた。
 こうした雰囲気に包まれて幼年時代を過ごし、地域の共同体に迎えられて若者達は育ってくるのだ。とても幸せな事だと思う。その幸せな若者達がまた幸せな家庭を作り上げてゆく。その幸せの連鎖が、ここでは当然のように見られるのだ。

 また、たとえばトラムに乗っていて、突然向かい側のお兄さんが十字を切る。びっくりしてお兄さんの視線の方角に目を向けると、そこに教会が建っている。十字を切るのは年配の人が多いけれど、割と若い人達もごく普通のように行う。道ばたに教会があると、そこで跪いて十字を切る人も珍しくない。こういうことが自然に出来るって凄いと思いませんか?日本では出来ないよね。
 少なくともこの国では、自分がクリスチャンであることや、宗教を持っていて神様を信じていることを、何か悪いことをしているように隠したり、周りの目を気にしたりする必要は全くないのだ。宗教を持っている人達がマジョリティである社会はこうも違うのかと、いろんな事に遭遇して痛切に実感する。

イタリアのテレビ
 ここまで褒めておいて、これから相反するようなことを言うのは気が引けるが、イタリアのテレビには、実にくだらない番組が多い。特にシモネタの番組が多い。テレビ・ドラマも30代から40代くらいを対象にした内容のものが多い。

 たとえば、妻が、
「あなた、今夜あたり・・・・どう?」
と色っぽく夫に語りかける。
「そういえば娘のマルタは今日コンサートだと言っていたし、息子のリッカルドは友達の所に宿題を一緒にしに行くと言っているな。うふふふふふ・・・・」
 ところが、いろいろ起こって、なかなか子供達が家から出て行ってくれない。夫は、あの手この手を使って、子供達を必死で家から追い出そうとする。やっと出て行って・・・・それでは・・・というところに・・・忘れ物をして戻ってきた娘のマルタに、
「うわあああああ!」
と大慌て!

 別のドラマは、ある既婚男性が独身を装って「出遭い」系の会合のようなところに出掛けていく。そしてある女性と良い雰囲気になるが、べつにそれだけでおしまい。ところが次の日に警察が家に来る。その女性が行方不明になり、彼女の所持品から出てきたその男性の名刺を手掛かりに警察が彼の家に来たわけだ。
 妻は警察から、夫がそんなところに出入りしていた事を聞いて愕然とする。ほんの出来心で初めて行って実際には何もしていないのに、家庭内は一気に緊張。娘は軽蔑して口も聞いてくれない。この亭主のうろたえる表情が実にうまくて、よく考えるとあまり笑えない題材だが、随所で大笑いしてしまう。

 日本ではあまりないなあ、こういう内容のテレビ番組。イタリアでは、この手のドラマがやたら多いのだ。そして必ず「笑えるエッチ・シーン」がついている。一方、バラエティー番組やクイズ番組では、意味なく水着や全裸に近いくらいの女性達が登場して、クイズに当たったりすると踊りまくる。これには最初ウケたなあ。

 イタリアで、何か大きな催し物があると必ず登場するタイプの女性司会者には特徴がある。まず顔つきは美人だがややケバい感じ。そうねえ、日本人で言えば叶姉妹のどちらかのような顔立ち。ただし猛烈大きな声で早口で、声はややダミ声。たとえば和田アキ子のような感じのしゃべり方。そして、絶対にハズセないのが、必ずピッチリしたブラウスの前がはだけていて、もう胸がポロリとハミ出そうなくらい露出していること。
 この3拍子は、大体どのイベントの司会者でも揃っている。胸の谷間さえ見せておけば、男は誰でも喜ぶとでも思っているんでしょうかねえ?イタリア人って?

 まあ、最初の話に無理矢理戻そうとするとだね、この国のテレビは、ターゲットを完全に30代以上に絞っている。ここが、全て若者向きに制作している日本と大きく違うところだ。先ほどのようなドラマは、明らかに男性が見た方が身につまされて面白いが、日本で30代の男性といったら、仕事に追われてとてもこんな番組をゆったり見られる余裕なんてないではないか。でもイタリアでは、テレビをつけると中年の家庭人が楽しめるような番組に溢れている。
 こんなことの積み重ねが、彼等に生き甲斐を与えていて、健全な社会生活に貢献しているのかも知れない・・・・うーん、ちょっと褒め過ぎかな?イタリアのテレビ局は、もしかしたらそこまで考えてないで、ただ面白いから作っているかも知れない。

携帯電話、タバコ
 バスの中でもトラムの中でも、大きい音で着信音が鳴る。そして、それよりももっと大きい声でPronto!「プロント!」と始まって長々と電話する。この国では、乗り物の中でも携帯電話は自由自在だ。マナーモードにしている人なんか誰もいないし、
「今電車の中だから・・・」
なんていう風に遠慮しながらしゃべっている人も誰もいない。それどころか、普通の会話の何倍も大きい声でしゃべっている。
 びっくりしたのは、僕のBOSEノイズ・キャンセリングのヘッド・フォンが全く役に立たないことだ。何故なら、ノイズ・キャンセリング機能は、どうやら人間のしゃべる声に近い周波数ではあまり効かないように設定されているらしい。恐らく重要なアナウンスなどが聞こえないと困るという配慮なのだろう。
 日本でも周りで人がしゃべっていたが気にならなかった。何故だろうかと考えて分かったことがある。イタリア人達の会話は、声が大きいだけでなくピッチが高いのだ。つまり日本人的には、大声でアナウンスする時にしか使わない音域で彼等が会話しているということだ。
 その結果どういうことになるかというと、他の音域はシャットアウトされて静かになっているところに、近くのイタリア人の会話だけが妙にデフォルメされて耳にガンガン響いてくる。特にイタリア語教材の会話音源を聞いている時などは、同じくらいのピッチなので、もうゴチャゴチャになってしまって話にならない。

 もうひとつ困ったことに、彼等のタバコのマナーの悪さが挙げられる。この国でも本当は路上でのタバコは認められていないと聞いたことがあるのだが、信じられない。みんな堂々と歩きながらタバコ吸っているし、若きも老いも男も女も皆等しく、吸い終わった吸い殻をその辺にポイッと投げ捨てる。別に僕に直接害が及ぶわけではないのだが、気になり出すと気になって仕方がない。
 一方で、この国の清掃能力と、彼等の清掃に賭ける情熱に驚く。吸い殻はただちに片づけられるのである。あれだけみんなが吸い殻をポイするのに、あれだけ犬がうんちをし放題なのに、ミラノという街がパリよりも数倍きれいなのには驚く。ジェラートでもパニーニでも歩きながら食べるのが常識なこの国では、街のあちこちにあるゴミ箱にポイッと捨てられる。そのゴミ箱のゴミもまめに取り除かれる。
 恐らくこの国では、清掃に費やされる税金の額には計り知れないものがあるだろう。それを受け入れても、ポイする自由を獲得したいというのがイタリアという国であり、イタリア人という国民なのだ。

イタリア時間
 いくらなんでもスカラ座では“イタリア時間”はないのでは、と信じていたが見事にはずれた。合唱の練習が2時から始まるとして、2時5分前に行くと、誰もいないか、いても2,3人。2時1分前から人がぞろぞろ入って来る。合唱指揮者のカゾーニ氏や他のアシスタントは、大体2時ジャストか2分後くらいに入ってくる。それより早いことは絶対にない。その後からもゾロゾロ団員達が入ってくる。その後、出席を確認した合唱事務局のバイラーティ氏が入ってきて、本日の出席状況をカゾーニ氏に告げる。なんだかんだで、音が出るのが2時5分より前になることは一度もない。
 休憩時間は傑作だ。舞台稽古で休憩10分と告げられる。僕は、コーヒーを飲みたいと思ったが10分では無理だなあと思ってそのままそこで待っていた。でもみんな飲みに行ったりしている。その後12分くらい経った時点で、
「みなさーん、休憩終了です」
と館内アナウンスが鳴る。それからみんなは、そろそろ帰らなくちゃという感じで、のんびりとステージに向かい“始める”。そんなだから、15分後より前に音が出ることは絶対にないし、下手すると20分になってしまう。
 それならいっそのこと20分と言えばいいと思うでしょう。でも20分と言ってしまったら、必ず30分になってしまう。つまり僕は、10分間の休憩時間でも、本当はゆったりとコーヒーが飲めるのだ。僕なんかただの見学なので、何の義務もないのに一番時間を気にしている。未だに10分の休憩ではコーヒーを飲みに行く気にはならない。

語学学校最後の日
 6月10日金曜日。今日で語学学校が終わった。スカラ座では、ただ練習を見るだけなので、僕がイタリアに来て唯一アクティヴに行った事はイタリア語の勉強だった。サマンサもう、頭を悩ませながら時間をかけて宿題をしなくてもいいし、授業中急に指名されてパニックに陥る心配もない。なんという開放感と言いたいところだが、反対になんと淋しいことだろう!明日から一体どうやって生きてゆこう?

 その最後の日の授業は、なんと学校の方針で「ミラノ旧市街の歴史的建造物巡り」という課外授業というかハイキングに変わってしまった。ところが、僕たちのクラスには勉強好きがそろっていて、みんなで、
「そんなの無駄だから授業しようよ!」
「そうだそうだ、僕たちは授業を受けるために授業料を払っているんだ。ハイキングなんか自分で勝手にするさ」
と抗議した。
アンドレアは、
「あのね、これは学校の方針なので、僕たち先生はノーとは言えないんだよ。そこんとこ分かってよ!」
と逃げ腰。
 双方が噛み合わないまま当日が来た。もうひとつの初心者クラスと合同だったが、僕たちのクラスで当日出席したのは、南アフリカ生まれの女の娘(こ)のアリスンと、男性は、僕とブラジル人のイグナシオとポルトガル人のクレーベル。合計4人だけ。他の連中はみんなボイコットした。最後の日だったので、僕は全員と挨拶したかったのに・・・・。

 歴史的建造物巡りは、いちいちみなさんに説明する必要のないくらい、たいしたことなかったが、途中の道のりを徒歩で行く間に、ヴァレンティーナ先生達といろいろ話したのは思ったより楽しかった。
 まずヴァレンティーナが僕に話しかけてきた。でも、いろいろ話している内に衝撃的な事実に直面してしまった。なんとヴァレンティーナは、長女の志保と同じ歳だったのだ。 ミラノ大学を卒業してから、ミラノ市内の私立大学で精神科学を勉強し、その後、移民の人達の為の語学クラスを2年ほど経験してから、今年の2月に初めて今の語学学校に来て教えているという。
「もっと年寄りだと思っていたんでしょう」
「というか、僕から見たら先生だからね。もっとキャリアがあると思っていた」
「ということは、あたしの教え方がうまかったってこと?」
「そうだよ」
「うれしい!」
「ところで、君のお父さんは何歳なの?」
「54歳。お母さんは51歳」
ゲッ!僕はヴァレンティーナのお父さんより2歳も年上か。
 写真を撮ったら、ふざけて変な顔ばかりするので、良い写真がない。こんなところは、確かに授業を離れるとただの27歳。だんだん志保と一緒にいる気分になってきた。こうなると父親目線になってしまって駄目だコリャ!

 アンドレアとは、ナポリ・ピッツァを一緒に食べて以来、親近感が増していろんなことを話せる。彼はとてもインテリで、いろんなことを知っている。
「原発の建設に関して、今度イタリア全土の国民投票があるだろ」
「あるね」
「君はどう思うの?それから基本的にイタリア人はどう思っているの?」アンドレア
「多分、結果はノーと出るだろうね。ヒロもそう思うだろ」
「今の技術と体制のままで、僕の家の隣に原発が建つと聞いたら、絶対に反対するね」
「そうだね」
 イタリアは、チェルノブイリの原発事故があって被害を被ってい以来、原発を廃止していたのだが、今年になって、政府は再び建設しようということに決定した。その矢先に福島第一原発の事故が起きた。それで国民の感情がネガティヴな方に向いてしまった。政府はこれまで結論を先送りしていたが、ここで一挙に決着をつけようという事で国民投票に至ったわけだ。確かこの「今日この頃」が更新されるあたりに投票だ。

 お昼になったので、みんなでカルツォーネの店に行く。僕は知らなかったのだが、ドゥオモの裏あたりにおいしいという評判の店がある。いっぱい並んでいる。店内に椅子はないので、それをみんなで店先で立ち食いしてから解散した。僕は、今日が最後なので、みんなとハグハグして別れた。
 僕とアリスンは話し込んでいたので、みんなより遅く注文して、まだ食べ終わっていなかった。それでなんとなく二人だけ残ってしまった。それからしばらく路上で立ち話していたが、どこかでお茶でも飲もうかという感じになって、カフェに入った。


アリスン
 アリスンはとても真面目な娘だ。ここも“イタリア時間”だから、みんな適当な時間に授業に来るが、始業時間の8時45分に教室にいるのはたいていアリスンと僕だけ。先日の試験では、彼女は僕に負けてとても悔しそうな顔をしていたが、成績はクラスでトップだ。僕がこのクラスに入ってきた時に、最初にカップルを組まされて課題を一緒にこなしたが、その時もみんなの中で一番良く出来てヴァレンティーナに褒められた。クラスの中ではあまり話をすることはなかったけれど、折に触れて彼女がする発言に共感を覚えていた。

 ある時、アンドレアが宿題を出した。
「遺伝子組み換え、クローン、安楽死、死刑の賛否といった話題で、自分の考えを作文してくること。その際にpenso che(自分はこう思う)といった接続法の文章を必ず使う事」
それでアリスンは、遺伝子組み換えとクローンの話題を取り上げた。アンドレアが次の日に、
「宿題やってきた者は?」
というと真っ先に手を挙げて、遺伝子組み換えやクローンは“自然に反する故に”望ましくないと主張した。
ちょうど僕も同じ話題を取り上げていた。
「あのう、反対の立場から同じテーマについて主張します」
とアンドレアに告げて、僕は次のような作文を読み上げた。
「ガリレオ・ガリエイの唱えた地動説は、神に反対するように見えたが、そうではなかった。科学は自然の中に隠された様々な真実を暴き出し、それによって我々に新しい可能性を開いてくれる。その発展の途上で様々な問題が起きるし、それらを短絡的に経済的に利用しようとする人達によって、時に大きな危険を伴うが(遺伝子組み換え食品など)、それは科学の発展が悪いのではなく、科学が充分に発展していないことから起きることだ。もし我々が100年後の世界を見ることが出来れば、現代に起きている大部分の問題はすでに解決しているように思われる」
こうした文章を作り上げるのに、僕はもの凄く時間をかけた。アンドレアは、
「ヒロ、よくこれだけの事を書けたじゃないか」
と、とても褒めてくれたし、他のクラスメイトも、
「凄いな」
と賞賛の声を上げてくれたので、なんだかアリスンの意見が霞んでしまった。
 でも僕は本当は、アリスンの主張をとても良く理解していたし、心情的には彼女に近い人間なのだ。もしかしたら、僕は彼女にその事を伝え切れないまま永久に別れてしまうことが自分で納得出来なくて、その場を去りがたかったのかも知れない。

 最初に言ったように、アリスンは南アフリカ生まれ、一時ロンドンに住んでいた。今は、イタリア人の彼氏とミラノに住んでいて、スパでアルバイトをしている。カフェでいろいろ話してさらに分かったのだが、彼女は、基本的な人生観が僕の妻によく似ている。自然食に始まって、漢方や陰陽の考え方や、ホメオパシーなどに傾倒しているいわゆるナチュラル派。彼女は、これまでにインドやタイ、バリ島などアジアに旅をしていて、本当はアジアに住みたいと思っている。
「ロンドンで何していたの?」
「瞳の色を見て、体のどの部分が弱っているか判断して、ホメオパシーではないけれど、それに似た方法で治療することを学んでいたの。でも、そうやって学問を積み重ねても、限界があるのよ。アジアに行くと“気の達人”とかいるでしょう。結局、最後は自分の感覚とか才能とかに頼らざるを得ない。そういうことを教えてくれる師に出遭いたいんだけれど、なかなかいないの」

 かなり長い時間、いろんなことを話し合ってからカフェを後にし、僕たちは別れた。お互い、人生観がとても近いところにあることを確認して腑に落ちたようで、何かとても満足感を覚えた。恐らく彼女もそうだったと思う。
 メルアドとか交換しようと思ったけれど、恐らく、僕も日本に帰って自分の事に忙殺されたり、彼女も自分の生活に戻っていったら、メル友になってもきっと続かないのは二人とも分かっている。
Ci vediamo!
Ci vediamo-----forse!
「また会おうね!」
「また会おう・・・・多分!」

 恐らくもう二度と会うことはないであろう。でも、僕は嬉しい。地球のどこかでアリスンのような娘が、人生に真面目に取り組んで、頑張っていると信じられることが。同じような価値観を持つ人間同士が、長い人生の間に一瞬だけ出遭い、共感を持ち合い、そしてすれ違って行く。それが人生というもの。でも、出遭いって、なんて素晴らしいんだろう。そして、生きるってなんて素晴らしいんだろう!

ヴェルディのカンタービレ!
 6月11日土曜日。「アッティラ」が14:00から16:00までオケ付き舞台稽古。前回までで、とりあえずなんとか最後まで立ち稽古はついたが、合唱団はまだ何も整理されていないし、体に慣れていない。
 それでも、もうこのタイミングでオケ付き稽古になってしまうのだね。だから当然のように、随所でズレズレ。オケもズレズレ。でもね、もうだまされませんよ。こんなんで大丈夫かいなという心配は無用なんだ。きっと本番近くになってグググッと急に仕上がってくるのだろうから。

 指揮者のニコラ・ルイゾッティはとてもいいと思う。ヴェルディの本道を行っている。単刀直入で、それでいながらニュアンスに溢れている。ひとつだけ驚いたのは、これまでにない独特のカンタービレが突然オケから聞こえてきたこと。それが、ヴェルディの作風ととてもマッチしているのだ。まるで、あのヴェルディの幼稚とも言える単純なハーモニーとメロディー・ラインは、このように“歌って”こそ初めて生きてくるのだと言わんばかりに・・・・。
 それは、真ん中に筋が一本ピシーッと通っていて、響きがいっぱい詰まったカンタービレ。小細工は一切しないが一本調子でもない。言葉ではとても表現出来ない。もしかしたら、これこそがミラノ・スカラ座管弦楽団の本当の財産なのかも知れない。もしかしたら、これこそが、世界中でスカラ座管弦楽団にしか出来ないカンタービレなのかも知れない。だとすれば、これこそが今回の僕のミラノ滞在における最大の収穫かも知れない。そう思ったら鳥肌が立って身が震えた。
 ヴェルディを聴かないでは、スカラ座に来たとは言えないということか?というか、ヴェルディって、イタリア人にとっては何と大事な作曲家なのであろうか!何と偉大なのであろうか!

岸さんミラネーゼを満喫する
 さて、今日は、東大アカデミカ・コールのメンバーである岸柾文さんが、二組のカップルと一緒にミラノを訪れた。彼等は「ロメオとジュリエット」のチケットを買っていて、今晩の公演を観る。イタリアでは、レストランはお昼の時間が過ぎると一度閉まってしまい、夜の時間帯に開くのは早くて7時半、通常は8時からというのが普通だ。でも、スカラ座のオペラは逆に8時から始まるので、その前は食べられないし、終演後では11時半くらいになってしまうので、とてものんびり食事をする感じではない。それで岸さん達が困っていたので、僕は6時くらいから食べられるレストランを探して予約を入れておいた。

 ドゥオモ広場からガレリアを通ってスカラ広場に出る直前にある。なんでも大野和士氏がスカラ座を指揮しに来た時に、好んで通った場所だという噂のレストランだ。ここは旅行者が多いので、夕方でもずっと開いている。

 この日僕が皆さんに薦めたのは、まさにミラノ三昧。名物のミラノ風リゾット、ミラノ風カツレツ、そして子牛の骨付き肉を煮込んだオッソブーコを、温野菜やポルチーニというキノコと付け合わせて食べる。それにちょっと豪華なキャンティを加える。なかなかミラノの料理もイケるではないかと再確認した食事であった。僕は、たいして案内もしないのに奢ってもらっちゃった。いいのかな?


ミラノのドイツ人
 6月12日日曜日。バイロイト大学元教授のディーター・クラインとヴィンター・和子さんがミラノに遊びに来た。僕が仲良くなる人というのは変わった人が多いのだが、ディーターもその例にもれず、元教授なのにとても変わっている。
 どう変わっているかというと、“いつものように”今回もミラノの宿泊先は、なんとキャンピング場だ。ただ今回は“いつものように自転車で”来たわけではなく、車で来た。なんていったって、バイロイトからアッシジやローマまで、自転車でテントを背負って行ってしまう輩だからね。

 彼等とは10時にドゥオモの前で待ち合わせした。やっぱりドイツ人だね。10時前にもうちゃんと着いていたよ。イタリア時間とは違う。僕は、ここのところずっとイタリア語の世界に生きていたので、正直言ってドイツ語がしゃべれなくなっているのではないかと心配していたが、不思議なもので、最初はさすがに多少のとまどいがあったけれど、チャンネルが違うと全ての回路が変わるんだね。これはこれ、それはそれで、ほとんどいつものようにしゃべれたのでホッとした。
 でも、たとえばカフェに入って店員に注文している時、イタリア語をしゃべっているつもりが、知らず知らずのうちにドイツ語になっていたよ。イタリア語とドイツ語は、まさに正反対の言葉なので、この二つは混じらない。なので、両方を一度に使うシチュエーションが一番困る。

 まず僕たちが会って一番最初にしたことは、カフェに入ってダベることだった。彼等は今年の2月から3月にかけて日本に来ていて、東京バロック・スコラーズの演奏会にもディーターが駆けつけてくれたが、その後、一緒に食事をするはずのまさにその日に、東北関東大震災が起きて、そのまま会えないで終わってしまった。
 和子さんはバイロイトに帰ってから、バイロイトのピアノ製作所のシュタイングレーバーと協力して、地震復興資金のためのチャリティ・コンサートを開いてくれたりした。そんな話が山ほどたまっていたので、会話は果てしなく続いた。
 和子さんは、日本人といっても外交官の娘で、ずっと海外で育ったため、英語がネイティブで、次にドイツ語、それからスワヒリ語ときて、日本語が一番不得意だ。それなのにバイロイト大学で日本語を教えている。だから僕たちの会話は当然ドイツ語になる。

 さてこのままでは、夕方までどこも行かないで、ただおしゃべりしただけで終わってしまう。ディーターが言い出した。
「ヒロ、どこでもいいから僕たちが喜びそうな所へ連れて行ってくれないか?」
うーん、難しいなあ。彼等のことだから、通常の有名なところに連れて行ってもきっと喜ぶはずはない。少し考えて、自分の行きたい所に行こうと単純に思った。つまり、例のロマンティックなティチネーゼ門のあたりだ。結構歩くことになってしまったが、彼等はなかなか歳の割には元気だ。
 僕たちは、ミラノの中でも最も古い教会に属するサン・ロレンツォ・マッジョーレ教会を訪ね、お昼は、この教会が見えるピッツェリアで食べたが、なんとここも正真正銘なナポリ・ピッツァの店だった!とてもおいしかったぜ!
 それから僕たちは、もうひとつの古い教会であるサンテウストルジョ教会を訪ねる。ここも先ほどの教会と同じ4世紀くらいに建てられたが、その後度重なる増築や改築がなされて、その都度各時代の様式が乱暴に取り入れられているので支離滅裂になっている。そのとっ散らかり方が、この写真のような角度から撮るとよく分かるでしょう。僕も裏手に回ったのは初めてだったので、とても面白かった。

ディーターと和子さん


 それから僕たちは中心街に戻り、スカラ座博物館に入った。スカラ座博物館には、プッチーニの有名な絵とか、ヴェルディのデスマスクとかの他は、はっきり言ってたいしたものはないのだが、劇場の内部をバルコニー席からのぞくことが出来るので、初めての人には興味深いのだ。

 そして僕たちはまた午前中に行ったカフェに入り、またまたおしゃべりに夢中になっている内に遅くなってきたので、またすぐ会えるねと挨拶して別れてきた。一日中ドイツ語でしゃべっていたら、頭の横の方が疲れている。イタリア語を使う所とは別の場所だ。なんだか不思議だな。脳の中で分担があるのかな。
 帰りの電車の中で、周りの乗客達が話すイタリア語に耳を傾けている間に、だんだん頭がイタリア語モードに戻ってきた。面白いのは、僕は、こうしてワープロの前で字を書いたり、たまに妻や志保と話す以外にほとんど日本語を話していない。考える時も今はイタリア語で考えている。日本語を必要としていないのだ。残念だな。せっかくこういう状態になったのに、もう日本に帰るのか。

 さて、明日から大変だ。こちらで買った楽譜や本などを日本に送らなければならないし、プリンターもイタリア人の知り合いに返さなければならない。いろいろ具体的に帰国の準備を始めなければならないのだ。
 一方で、ジェラールともいろいろ話したいし、僕の家の近くの合唱団員達が僕を食事に呼んでくれる相談もしている。最後の日々になって加速度的にみんなと仲良くなってきて、どんどん去り難くなってきている。最初の頃のひとりぽっちの状態が嘘のようだ。
 ああ、帰りたくない!でもね・・・・そろそろ仕事もしたい。こんな夢のような日々がいつまでも続いたらバチが当たってしまうもの。

ということで、来週の更新は、も、もう日本からです!


Cafe MDR HOME  

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