おかしなコンサート無事終了

夏の白馬
 8月11日木曜日。家族4人で白馬に行く。今年は志保が免許を持っているので、妻と交代で運転していった。妻にとってはかなり楽だったようだが、志保が運転している時には、僕は後部座席でシートベルトをしながらちょっと固まっていた。まだ志保の高速道路運転にはリラックス出来ませんなあ。
 愛犬タンタンは、今日はお泊まり。WAN LOVEワンラブという、家の近くの犬の保育園のような所でお預かりしてもらった。ここのご主人の下でタンタンは調教してもらい、最近はちょびっとだけおりこうさんになりました。それと、他の犬と仲良く出来るという社会化も進んできたので、一泊だけお願いした。

 11日の木曜日と言えば、まだお盆には早いけれど、今はお盆をずらして休暇が取れたり、前倒しをして帰郷する人達が多くなったのだろう。予想に反して中央高速下り方面はかなり混んでいた。お昼前には白馬に着くかと思っていたのに、結局白馬に住んでいる親友の角皆優人(つのかい まさひと)君の家に着いたのは午後の1時半を回っていた。
 角皆君は、まず僕たちをガーリックというイタリアン・レストランに案内してくれた。ここは今年の冬に一度行ったことがある。こんな田舎町にというと失礼だが、どうしてこんな本格的なイタリア料理の店があるのかと思うほど、イタリア帰りの僕にとっても驚きのレストランだ。
 僕たちは手当たり次第料理を注文した。トマトとアンチョビのピッツァや、各種パスタなども素晴らしかったが、絶品だったのは、カルツォーネと呼ばれる中に詰め物をしたピッツァだ。窯で焼いたほのかな焦げ目と香ばしさがたまらない。ミラノと同じくらいうまい。僕は赤ワインをグラスで頼み、妻と杏奈は白ワインを飲む。志保はよくワインを我慢出来るなと思ったが、夜に飲むことを楽しみにして、昼間は運転手になったというわけだ。

 さて、角皆君はなんと水くさいことに、僕たちが知らない間に、6月に若林美穂(わかばやし みほ)さんと結婚していた。それを次女の杏奈がなんとFACE BOOKの情報で知った。そこで今晩は、三澤家の女性達が材料持参で角皆君達に結婚お祝いのご馳走を作って食べてもらうことになっている。
 すでに去年の夏に白馬に遊びに来た時から二人は一緒に住んでいたので、結婚したといってもいきなり生活が変わったわけではないのだが、僕は今回美穂さんを見た瞬間、ちょっときれいになったなと思った。僕は、女性のしあわせそうな顔を見るのが大好きなんだ。その意味では、僕は徹底的なフェミニストです。

シャガール美術館
 ガーリックで遅い昼食を取った僕たちは、その足で白馬美術館に行って、シャガールの版画の数々を見る。シャガールはいつ見てもいいな。故郷への想いや、夢やあこがれや、愛する者達の飛翔や、ロバ君や、特徴のあるブルーやレッドが、まるで水戸黄門の印籠のように超ウルトラ・ワンパターンで現れるが、どの絵を見てもそこに表現されているのは、人間に対する深い愛と、そしてひそやかな悲しみ。あるいは時に深い心の痛み。

角皆邸での夕食とウルル
 美術館の後、一度角皆君達と別れて、今晩の宿泊先であるウルルに行く。ウルルではマスターがいつもの気さくさで僕達を出迎えてくれた。志保はすでに冬にスキーに来ているので知っているが、妻と杏奈は初めて。案内されて部屋に入ると、二人は木造の洋室の山小屋風の素敵な雰囲気に大喜び。
 それからすぐに僕たちは再び角皆邸に向かう。夕食のメニューは、昼のイタリアンが思ったより重かったので、予定を変更し二転三転したが、結局東京から持ってきた牛肉のかたまりを使ってのローストビーフ入りのサラダと、鶏肉を使ったポトフに落ち着いた。
 鶏肉のポトフとはインチキ臭いが、かえって骨付き鶏肉から良いダシが出るしヘルシーなので、角皆君達にはとても喜んでもらえた。美穂さんはスポーツ万能の女性で、角皆君と一緒に冬はスキーのインストラクター、夏は水泳のコーチをしている。でもピアノも弾くし、音楽の話も分かる。彼等はあまりお酒を飲まないので、僕たちは勝手に東京から持ってきた勝沼ワインやドイツ・ワインを開けて飲む。彼等にも勿論あげたんだよ。

 さて、楽しい語らいの後上機嫌で角皆邸を引き上げ、僕たちはウルルに入る。妻は疲れてさっさとお風呂に入りベッドに入るが、僕と二人の娘達はまだ懲りず、例のジャズの鳴るカウンターでカクテルを片手にマスターと語り合う。志保は得意そうに杏奈に向かって、
「冬にさあ、1日スキーをして疲れ切った体を、このカウンターで癒すんだ。これがたまらないんだなあ」
と言っている。まさにそうなんだけど、若いくせに生意気なこと言ってらあ!これは、僕みたいなおじさんのいうセリフ!
 僕たちはマスターに、明朝は五竜スキー場のゴンドラとリフトを乗り継いで山頂まで上がった後、2007メートルある小遠見(ことおみ)まで1時間半のトレッキング・コースを行く計画を話した。するとマスターは、
「私たちはね、アサヒビールから補助金をもらって、そのトレッキング・コースを整備しにかり出されたんですよ」
と言う。
「へえ、具体的にどんなことをしたんですか?」
「登り道に板を敷き詰めたり、ベンチを作ったり・・・・」
「うわあ、行くだけでも大変なのに、道具を持って作業をするんですかあ・・・」
 それにしても、このマスター本当にマメだなあ。このツマミに出ているスモーク・チーズも彼の自家製だというし(めっちゃうまい!)、そのペンション業の合間に登山道の整備なんかもしているなんて!
 昨日と明日の合宿客のラッシュにはさまれて、今晩の宿泊客は僕たちだけ。本当はこのラウンジは11時までなのに、マスターもゆったりと僕たちに付き合ってくれた。僕はその場で冬のスキー・シーズンの予約もしちゃった。また、このカウンターで志保の言うようにスキーの疲れを癒すんだ。もう楽しみで仕方ない。早く雪が降らないかな。

夏のゲレンデ
 8月12日金曜日。朝6時半に起きてお散歩に出る。朝食が7時半だし、今日はトレッキングもするので、お散歩はユルユルコース。草の伸びたとおみゲレンデを登ってみた。同じ場所なのに夏と冬とではまるで景色が違う。ここは初心者用のなだらかなコースなのに、夏見ると結構傾斜があるように感じられる。

上級コースなんてまるで崖だ。いいもりゲレンデもとても急だ。なんて不思議!それに、冬の間は凍っていて分からなかったが、至る所に小川が流れている。それが山の急な傾斜のせいで結構急流だ。



 ウルルに戻って朝風呂に入り、ゆったりと朝食。ここは日替わりで和食と洋食となるが、今日は洋食。ほわっと柔らかいオムレツなど朝から充実している。昨晩は角皆邸で食べたので朝食付きの宿泊だったが、本当はウルルの夕食を妻や杏奈にも食べさせてあげたかった。

小遠見までプチ登山
 8時半。とおみゲレンデのセンターであるエスカル・プラザで美穂さんと待ち合わせ。午前中のトレッキングには、最初角皆君も同行すると言ったのだが、彼の膝に損傷があることを知っている僕はやめるよう彼に促した。彼はその代わりに水泳のトレーニングに行くことになった。そっちの方がいい。彼とは、僕たちが下山して来たお昼に落ち合うことに決める。
 僕たちは冬の間にさんざお世話になった五竜スキー場のゴンドラに乗り、さらに山頂リフトに乗り継いで行く。ここはかつて凍てつく吹雪の中で迷子になりそうになりながら志保と二人で滑ったところだ。山頂リフトに乗っていると、僕たちと同じ高さのところを雲がゆっくりと通り過ぎて行く。視界は万全とは言えないが、気温は下の街よりも明らかに涼しく、高山植物が美しく咲き乱れていて、すがすがしいことこの上ない。
 さて、ここで妻と別れる。妻は登山には参加しないで、ここから高山植物を眺めながらゆったりと降りて、下で読書したりお茶でも飲みながら、僕たちの帰りを待っているそうだ。

 僕と二人の娘達、それと美穂さんの4人は、元気に小遠見めざして歩き出した。出発するやいなや上り坂がかなりきつい。そんな所ほど、補助の為に打ってある杭や板がとても助けになる。こうした作業をウルルのマスター達がやってくれていたんだなあ。偉いなあ!僕たちは登るだけでも大変なのに。
 その杭や板や、ところどころ休み場所に設置されたベンチには、「提供アサヒビール」と書いてある。それを見ながら思った。もしかしたら、このきつい上り坂の辿り着いた子遠見山頂には、アサヒ・ビールの自動販売機があるのではないだろうか?それを娘達に告げると、彼女たちも俄然元気になって、
「そうだ、そうだ、そうに違いない!山頂ビールめざして頑張ろう!」
と、急にピッチが速くなって、1時間半コースなのになんと1時間ちょっとで着いちゃった。
 ところが小遠見山頂にはアサヒ・ビールの自動販売機はありませんでした。
「チェ!商売っ気がねえな。ここに自動販売機を置けば絶対に儲かるのに・・・・」
と僕たちはつぶやいたが、そのためにはここに電気を引かなければならないことに気が付いた。お酒を飲まない美穂さんは、こんな三澤家飲んべえファミリーの会話をあきれて聞いていた。



 ところで美穂さんは不思議な体をしている。体脂肪率がとても低く全身筋肉質のスポーツウーマンなのだが、どんなに食べても太らない体質で、食べると体がぽかぽかと熱くなってすぐにエネルギーとなって燃焼してしまうそうなのだ。すぐに太ってしまう僕から見るとうらやましい限りだが、本人は逆にそれで悩んだりしている。特にこうした長距離のトレッキングなどの運動だと、僕たちよりもずっと早くエネルギー切れになってしまうそうだ。
 一方、僕たち三澤家の愉快な3人組は、帰り道になったら、
「行きよりずっと楽ちんだね!」
と言いながら、踊ったり歌ったりしてふざけながら降りて行く。
「それえ!ウェーデルンだあ!」
と、僕も曲がりくねった道を身をくねらせて進む。
でも美穂さんは、なんだか借りてきた猫のようにおとなしくなっている。
「美穂さん、おとなしいね」
と言うと、
「エネルギーが切れちゃいました」
と言っている。なんだか可愛い。


おやき村
 ふもとに降りて妻と角皆君と落ち合って、大町方面に車を走らせ、お昼を食べに行く。行き先は、昨年も行った「おやき村」というおやき専門のお店。妻と杏奈は知っているが、志保は初めて。細く急な山道を車でどんどん登っていく。ここは何度行ってもいい。焼きおやき、蒸しおやきと盛り蕎麦、それに蕎麦がきが付いた贅沢なおやきセット。うーん、また太っちゃう。それなのに角皆君はもっと酷なことを言う。
「この近くにとっても素敵な喫茶店があるんだ。そこの珈琲がおいしいんだ。それに、なんといってもケーキが絶品なんだ!」
うーん、悩ませないで!オーバーカロリーの危機。でも、そんなこと聞いたら行くしかないじゃないの。
「そこでみんなでお茶してから、僕たちは東京に帰ることにしよう」
 その喫茶店の名前を忘れてしまったので、ここに紹介できないが、珈琲もケーキも確かにとてもおいしかった。僕たちの語らいはいつまで経っても終わりそうになかったが、お預けしている愛犬タンタンのことも心配なので、その喫茶店を出たところで角皆君達と別れて、一路東京に向かった。

角皆君のこと
 僕は、角皆君のことをとても偉いと思う。いつも会う毎に彼への尊敬の念を強くし、彼のような人間を友人に持ったことを誇りに思う。何が偉いかというと、彼がこの歳になっても自分自身と真剣に向かい合っているのをやめないこと。
 たとえば今日も僕たちが山登りしている間、彼はプールでトレーニングをしてきた。
「今日は2.200メートル泳いできた」
と涼しげな顔で言う。毎日トレーニングを欠かさず、マスターズの大会に出て、最近もバタフライでまた全国一位になったり、
「自由形では惜しくも優勝を逃した」
なんて言っている。

 どうして?と人は思う。何が彼をそんなに掻き立てるのか・・・と。この歳になってわざわざそんな思いをしなくてもいいのに。でも、その答えも僕は知っている。スポーツは芸術と同じで、人間だけが行う行為だ。動物は、自分に生命の危険でも迫らない限り、自己の限界に自らを追い込んでいくような運動などあえてしない。でも人間は理由もなく限界に挑戦するような運動をする。何故?
 自分の肉体を酷使し、従わせていくのは楽ではない。肉体はいつも怠惰を望み、楽をしたがっている。でも、肉体に負荷を与えていくことで、精神は肉体と向かい合い、対話する事が可能になっていくのだ。その中でも、角皆君のように大会に出場するなどという環境に自分を追い込んでいくと、肉体にかける負荷も、体力の限界に触れているわけだから、自己の弱さともギリギリのところで向かい合うことになる。ところがこれこそ、我々人間の魂の最も深い喜びを導き出す行為なのだ。
 残念ながら、人に見せるという観点から見ると、スポーツは芸術とは違って、いつも最良の形で一般の人達に受容されているとは言い難い。でも、水泳の北島選手やなでしこジャパンなどのように、限られたシチュエーションではあるが、稀に人々に大きな感動を与えることが可能だ。その感動は、我々が日常の中に忘れ去っている「本質的なもの」を垣間見せてくれることによって起こってくるものだ。

 その「本質的なもの」を角皆君は手にしている。そうした非日常的なものと日常的につながっているから、僕は彼を尊敬しているのだ。はっきり言って僕たちの歳になると、日常生活で自分の限界に挑戦するといったシチュエーションに身を置くことはほとんどない。それに、会社に勤めていたならばあと数年で定年の年齢だろう。使いっ走りは若い者に任せて、自分はもっと責任ある立場で監督をして・・・・という風に発想がいくものだ。
 ところが・・・本当はそれでは駄目なのだ。白状しよう。もっと若い時、僕は沢山の指揮者達の元で仕事をしていた。そして、その中のある種の人達を冷ややかな目で見ていた。何故なら、その人達は、すでに戦うことをやめ、進歩することをやめ、自らと向かい合うこともやめ、過去においてどんな輝かしい経歴を持っていようとも、すでに芸術家としては死んでいたからだ。僕は、それらの先輩から学ぶことは何もなかっただけでなく、彼等の元で働くことが苦痛以外の何物でもなかった。芸術家の世界はシビアなのだ。先輩も後輩も役職も上司もない。人間と人間とが赤裸々に評価しあう世界だ。
 僕はどんなに歳をとっても、後に続く若い音楽家達にとってそんな先輩にだけはなりたくない。僕は戦い続けたいし、進歩し続けたい。そうした僕の見つめる視線の先に角皆君がいる。彼と会うと、いつもビビビーッと全身に電流が走るような感覚を覚える。同類同士が感じ合う共鳴というやつだ。おおっ!ここにも頑張っている奴がいるのだという気持ちだ。しかも彼はいつも僕よりももっとシビアに自分の限界と向かい合っている。

ケンプについての語らい
 今度出版されるクラシック・ジャーナルに、彼はウィルヘルム・ケンプに関する記事を書いたと言っていた。そのために彼はケンプの演奏をじっくり聴き直して、彼の長所や欠点などを徹底的に調査したそうだ。
 僕たちは彼の家でケンプの弾くシューベルトの変ト長調の即興曲を聴いた。ベートーヴェンだったら、途中で音楽の中に山や谷を作らないではいられないだろうに、シューベルトは平和で幸福感溢れる作風のみで曲を始め、そしてたいして発展することなく終わる。でもそれがシューベルトの良さ。こうした音楽を演奏することは簡単そうで難しい。作為的になってはいけないし、さりとて退屈になってもいけない。ケンプの演奏はゆったりとのどかに進むが、幸福感の中にそこはかとない哀しさを感じさせて理想的だ。
 志保はピアニストとして、ケンプのテクニックのなさを受け入れられずにいた。それも無理もない。現代の世の中において、星の数ほどもいる若きピアニストの中にケンプが紛れ込んでいたとしても、恐らくピアニストになることは出来ないであろう。志保が通っていたパリのコンセルヴァトワールにすら受からないであろう。ケンプがピアニストになれた背景には、それを許した時代性と、数々の偶然があったのではないかと思われる。
 僕に言わせると、ケンプはマイルス・デイヴィスのトランペットと同じだ。あれだけテクニックのなさを言われ続けていながら、演奏を聴くと、表現したいものは全て表現しつくしているのを感じる。それって、もともと飛車と角を持っていない将棋士が常に勝つのと同じで、ある意味普通の人より凄いって事かも知れない。

 こんな風に、角皆君達との音楽談義は、いつも刺激的で楽しい。どんな音楽家や音楽評論家や音楽学者と語るよりも実りがある。それは、彼が並外れて知的な人間だという証しでもある。角皆君との友情はまだまだ続く。


虎太朗(こたろう)
 お盆になって群馬の家に帰ったら、虎太朗が来ていた。親父が亡くなる前、僕の姉である郁ちゃんの長女貴子(たかこ)のお腹の中には虎太朗がいて、男の子であることが分かっていたのですでに名前が付いていた。親父は虎太朗が生まれるのをとても楽しみにしていた。
 親父が亡くなる前の晩、貴子の夢の中に現れて、
「こたろう、こたろう!」
と呼んでいたので、貴子はなにか胸騒ぎを覚え、予定を返上して親父のお見舞いに病院に駆けつけたら、その日の内に間もなく親父は息を引き取った。その虎太朗が2歳数ヶ月になっていた。時の経つのは早いものである。

 虎太朗はしゃべり始めるのが遅かったが、すでに何でも相手の言うことは分かっていた。それが、しゃべり始めるやいなや、まるで堰を切ったようにしゃべりまくり、どんどん言葉を吸収していく。その速度が並ではない。自分の話した言葉で大人達が笑ったり反応したりすると、嬉しくて何度も話す。ちょっと変な言葉ほど大人達は反応するから、困った言葉ばかり早く覚えてしまうきらいはあるけれど、大人達と言葉を通してコミュニケーションをとるのが楽しくて仕方がない。
 虎太朗は、何気なく大人達が会話している内容も聞き逃さない。その時は無反応に見えるが、大人達がすっかり忘れてしまったとんでもない時に、向こうを向きながらひとりでブツブツとさっきの会話を繰り返している。誰も教えたことのない新しい単語をどんどんしゃべっているので大人達はびっくりする。
 この頃の子供って凄いなと思う。もしこの頃に両親のどちらかが外国人で、それぞれが自国語で話しかけていれば、ごく自然にバイリンガルになるわけだ。それにしても、人間ってすべてが真似から始まるんだな。僕は、先日書き上げた文化庁の研修報告で、我々日本人がネイティヴにかなわない話を書いたけれど、虎太朗の様子を見ていて、そんなこともないなと思うようになった。
 我々日本人は、明治時代以降一気に入ってきた西洋文明を大急ぎで受け入れた。日本人は何でも真似することに長けていて、ドイツ音楽をドイツ音楽らしく、イタリア音楽をイタリア音楽らしく演奏することは出来るが、所詮イミテーションはイミテーションに過ぎないのではないかと思うところもあった。
 でも、それは違うんだ。イタリア人がイタリア語やイタリア音楽を覚えるんだって、“血”や“民族性”とかではなく、虎太朗のように全ては真似から始まったのだ。人間の文明は、全て後天的に真似によって吸収するものなのだ。要は、真似が真似だけで終わってしまうか否かであって、虎太朗のように全身で徹底的に真似すれば、しだいに本物になっていくのだ。僕たちも全身で徹底的に真似しよう!

 親ではないので親馬鹿ではないが、虎太朗はかなり知能が高い。彼は特別なオーラを持っている。でも問題もある。何でも知りたがり、何でもやりたがる。勿論大人から見れば持たしてはいけないものもあり、やってはいけない事もある。それを取り上げると、虎太朗の欲望は人並み外れて強い。どうしても手に持ちたがるし、何でも自分でやってみたい。普通の子供の比ではない。親の貴子達はとても大変だ。
 ああ、可哀想だなあと思う。親の方ではない。虎太朗自身だ。抜きんでた者はいつもこんな風なのだ。普通の人の満足することに満足出来ない。彼はもっともっと知りたいし、もっともっと高くなりたい。だからこういう者は人より何倍も努力する。努力するから当然人より断然良く出来る。それを人は簡単に、
「あの人は才能があるから」
とか、
「あの人は頭が良いから」
と片付けてしまう。
 でも、それは違う。それらの知識ひとつひとつは、この世でコツコツと努力して吸収し獲得したものに他ならない。人間の才能の高さは、どれだけ努力することが出来るかという能力の高さ以外にない。別の言い方をすれば、どれだけ努力しなければ満足出来ないかという、“自分自身の決めたボーダーラインの高さ”が、その者の才能の高さだ。
 虎太朗はいつも、もっともっと知りたいし、もっともっと高くなりたい。恐らくこれからずっと死ぬまでそれは続く。彼はそういう人間に生まれついてしまったのだ。親も心して育てなければいけない。

 僕も虎太朗のこれからの人生を見守っていこうと思う。必要な時期が来て必要となれば、僕は自分の出来ることで何らかの手を差し伸べようと心の用意をしている。彼は必ず何かを成し遂げる人間になる。ただそのために、彼は普通の人には考えられない様々な困難にぶつかり、様々な苦労をすることになる。わずか2歳数ヶ月の子供にこんな事を感じるなど僕の人生でも初めてだ。虎太朗は普通の子供ではない。


おかしなコンサート
 8月20日土曜日。今や全国的に展開している、あのラスクで有名なガトーフェスタ・ハラダ本社でのコンサートは、とても楽しいものに仕上がった。僕がこの演奏会のために書き下ろしたテーマソングの「おかしなコンサート」から始まり、大中恩(おおなか めぐみ)作曲の食べ物にちなんだ歌の数々や、ハラダのフランス風の包装にあやかってパリにちなんだ曲を集めてみたり、その他、パネルシアターや男声合唱など、もう支離滅裂一歩手前のバラエティーに富みまくり演奏会だったけれど、聴衆にとってみれば片時も飽きることなく最後まで楽しめたのではないかと思う。
 今は第一線を退いているけれど、僕が子供の時代から親しんでいたパン屋の原田の店長であった会長とその奥様にも久し振りにお会いした。演奏会のことをとても喜んで下さっていたので嬉しかった。会長は、当初その予定ではなかったようだが、
「また明日も来るんだ!」
と明るく言ってくれたので、横で奥様が驚いていた。
 僕のミュージカル「ナディーヌ」で登場する超ウルトラ大天才の博士ドクター・タンタンを演じたテノールの初谷敬史(はつがい たかし)君や、ソプラノの内田もと海さん、それに、今回は歌遊びとパネルシアターで聴衆を楽しませてくれた芸達者な余川倫子(よかわ ともこ)さんなど、新町歌劇団を取り巻く人材も豊富だ。最後の「手のひらを太陽に」では、会場中の人達全員が初谷君のダンス指導に合わせて歌いながら踊り、興奮の内に演奏会を終了することが出来た。
 ところで、この演奏会では、僕のドイツ・レクィエムのCDに合わせて、東日本大震災の被災地石巻で妻が出遭った元ヘルパーさんの方の作った和紙の宝箱を販売した。演奏会の中で僕が震災への想いを語り、その宝箱のことを言ったら、たちまちのうちに売り切れちゃいました。

 8月21日日曜日。「おかしなコンサート」2日目。もう本番をやってしまっているけれど、3時に全員集合し、さらなるパワー・アップめざして再び練習。弱い個所を徹底的に攻める。こうした気持ちが高揚している時にやる練習ほど効果の上がるものはない。どんどん良くなってくる。昨晩の聴衆には申し訳ありませんでしたとあやまりたいほど、いろいろな個所が改善されてきた。まあ、それでも初日には初日の緊張感というものがあるから、どちらがベターとも言い切れないのだけどね。
 こういうコンサートの形態はおもしろいな。新町歌劇団は、これまで新町文化ホール以外の会場ではほとんどコンサートをやったことはなかったけれど、僕は、もっとこじんまりした観客の息吹がじかに感じられるような環境で一度やってみたかったのだ。それが、ガトーフェスタ・ハラダという、こじんまりとはしているものの、ガラス張りのとってもおしゃれなホワイエで、演奏者と聴衆の一体感が得られるコンサートに結集した。

 今回新町歌劇団の団員の中には、僕の母校である高崎高校合唱部の現役メンバーが2人混じっている。僕の合唱人生のルーツは、男子校である高崎高校合唱部の男声合唱にあるのだが、僕が卒業した後、合唱部は衰退の一途を辿り、ついにつぶれてしまって長い間廃部であった。それがなんと2年前に復活した。
 復活させたのは1年生に入ったばかりの丸山君。ピアノも弾き指揮もする丸山君は、部員を必死でかき集め、現在では22人となった。その丸山君も今は3年生。音大の指揮科を受験するつもりだ。彼は中学生の時に僕のミュージカル「愛はてしなく」を観ていて、僕のことを同じ高校の合唱部の先輩として意識していたという。彼が僕に会いたがっていたので、僕はある時彼と高崎の駅で落ち合っていろいろお話しをした。そしたら巡り巡って仲間の田口君を誘って新町歌劇団の練習に参加するようになり、こうして2人でこのコンサートに参加するに至ったのだ。
 彼等がいるというので、プログラムの中に男声合唱曲を2曲混ぜた。「筑波山麓男声合唱団」と「いざ起て戦人(いくさびと)よ」だ。僕はガマガエルの帽子をかぶって一緒に歌った。いやあ、指揮するのも楽しいけれど、合唱は自分で歌うに限りますなあ!それに、母校の後輩と一緒に共演するってのも感無量って感じだ。

 このコンサートをやりながら、僕自身気付いたことがある。それは、自分が追求しているものは、本当の意味での“エンターテイメント”なのだなということ。エンターテイメントって“芸術”という言葉から見ると安っぽい感じがしたり、観客におもねているようなニュアンスが感じられるかも知れないけれど、真のエンターテイメントというのはそんなものと違う。
 人の魂を心から楽しませ、魂にエネルギーを与え、人間を内面から癒し元気にすること。これが真のエンターテイメントだ。さらに、そうやって元気づけながら、様々な重要なメッセージをその中に織り込んでいけたら最高ではないか!
 僕は、バッハもベートーヴェンもワーグナーも、その意味では高級ではあるけれどエンターテイメントだと思う。そうでないのは、そうした音楽に携わっていながら、その意味を真に理解せず、真に表現しきれず、単なる発表会に留まっていたり、ある種の権威主義に陥っていたりする状態なのだ。
 楽しむこと。エンジョイすること。その原点を忘れてはいけない。楽しませる、エンジョイさせるではない。自分が楽しまないではどうして聴衆が楽しいはずがあろうか。僕が最も幸福感を感じるのは、演奏会場を出て行く聴衆達の晴れやかな笑顔を見る時。今日も僕は、
「ああ、音楽家をやっていてよかったな!」
と最高にしあわせ!


Cafe MDR HOME  

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