通天閣~道頓堀~心斎橋

 10月27日木曜日。「愛の妙薬」尼崎公演の第一回目と二回目の間のオフ日。早朝から快晴。空気も爽やか!合唱団員達は、仲の良いグループごとに、午前中から京都に出掛けて行ったり、すっかり秋の行楽気分だ。
 昨晩、指揮者の石坂宏(いしざか ひろし)さんを囲んで、音楽スタッフはもとより、合唱団員や助演、スタッフも巻き込んでのアンオフィシャルな初日パーティを行った時、いろいろ合唱団の女性達と話している内に、僕は、このオフ日には大阪に行ってみようと思い立った。
 実は、大阪という街をあまり知らない。京都や神戸は仕事で何度も来ているが、何故かこれまであまり大阪には縁がなかった。来たとしてもいつもとんぼ返り。道頓堀も通天閣も行ったことがない。
「えーっ!信じられない!」
とみんな言っている。折しも、この日のNHK朝の連続テレビ小説「カーネーション」で心斎橋が出てきた。もう、こうなったら大阪初体験だ!このホームページのコンシェルジュにメールしたら、喜んでいろいろ教えてくれた。コンシェルジュはバリバリの大阪人だからね。


 とはいっても、浜松の講演会の準備もあるので、午前中にいろいろ作業をして、お昼頃から出掛けた。阪神電車で梅田まで出て地下鉄に乗り換え、動物園前で下車。まずは通天閣に登るんだ。まるで絵に描いたようなお上りさんなのだ。
 地上に出ると、おおっ、すでにコテコテの大阪がそこにあるやんけ。もう一時過ぎているのでお腹がすいている。まずは昼食だな。合唱団のみんなは、通天閣界隈に行ったらば、絶対串カツを食べるべきだと力説していた。
 なになに?いろいろある串カツ屋をのぞく。でも、みんな昼間からビールなど飲んで、串カツとキャベツばかりほおばっている。ご飯を食べている人いないぞ。えーと、あった!一軒だけ串カツ定食を出す店があるので入ってみる。でもね、僕が、
「串カツ定食!」
って言ったら、何人かの客が振り返った。な、なんだ?なんか文句あっか?
その後お兄さんが、
「飲み物は何にします?」
と言うので、
「いや、特にいらないです」
と言ったら、またコソッとみんなこっちを見たような気がする。
 なんだいなんだい、串カツを食べながらビールも飲まないのは人間じゃないとでもいいたいわけ?僕だってビールくらい飲めるさ。でもね、まだ今日はこれからいろいろ行くところがあるんだからね。串カツを食べながらご飯を食べるのは、どうやら邪道らしいね。

 その邪道の串カツ定食が来た。串カツ五本と冷や奴とポテトサラダとおしんこと味噌汁とご飯。悪くないでしょ。これで580円とかの値段。東京ではまず考えられない。串カツの内訳は、牛肉、マグロ、ウズラの卵、あとなんだったけな。他の店を知らないので比較出来ないが、とってもおいしかったぜ!
「ソース二度浸けお断り」
だそうである。
「キャベツ食べ放題」
だそうである。こだわりと太っ腹が同居している。さらにこうも書いてある。
「ソースが足りないという人には、キャベツですくうという裏技があります」
だってさ。こだわりと太っ腹とやさしさが同居している。
 目の前の容器にたんまり張ったウスターソースに串カツをドボンと浸け込んで食べる。ソースは見かけほど濃くないので、確かに途中で食べかけの切り口にもう一度浸けたくなる。でも、前の人が歯でちぎった具をドボンしたら、次の人は良い気持ちがしないだろう。なあるほど、二度浸けお断りの意味が分かった。それが大阪のやさしさ。


 さて、通天閣である。なんといっても大阪と言えば通天閣である。大阪の魂である・・・・・うーん、そうねえ・・・・エッフェル塔に親しみ、新東京タワーを最近見た僕としては・・・・はっきり言って・・・・低い!わずか百メートルだそうである。名古屋のテレビ塔とどっちが高いんだ?これで大阪の象徴と言われてもねえ。でも、形は悪くないね。
 エレベーターで登ってみた。なるほど、大阪の街が一望の下に見渡せる。実はコンシェルジュが僕にメールを送っていた。北東側の丘(上町台地)にダークブラウンの校舎が見えたら、そこがコンシェルジュの母校だそうである。イタリアのサレジオ修道会が経営する大阪星光学院という。探したらすぐ分かった。ほう、こんな通天閣が見える丘に彼の青春時代があったわけね。


 さて、通天閣を降りてからは、普通の人だったら、また地下鉄などに乗って真っ直ぐ心斎橋なんかに行くのだろうが、僕の場合は違うんだな。まず、歩いて難波まで行く。それから・・・・浪速(なにわ)スポーツセンターに行って一時間ばかり泳いだ。なんだ?大阪まで来てプールかよ?って言う声が聞こえる。でもこれには理由があるんだ。

 尼崎のホテル・ニューアルカイックにはスポーツクラブであるルネッサンスが同じ建物に入っている。ここは会員制だが、ホテル宿泊客は、特別にビジターとして1050円で使える。僕はそこのプールで2日ばかり泳いだ。部屋から2分だから近くて超ウルトラ便利。でもプールは3コースしかなく、その1コースはウォーキング専用。しかも全長20メートルくらいしかない。
 僕はいつも開館してすぐの9時から泳ぎ始めるけれど、朝から沢山のおばあちゃん達がウォーキングに来ている。そのおばあちゃんがよく僕に話しかけてくるのだ。
「よう泳ぎはりますな」
から始まって、
「うちは膝の手術をしたんですわ。それでリハビリに来てまんねん」
などと、どうでもよいことを延々としゃべる。こっちは年寄りのおもりをしに来たんとちゃいまんねん。泳がしてーな・・・・な、なんで僕まで関西弁になっているんだ?尼崎はなんだね。まるでイタリアみたいなところだね。みんなしゃべり好きなんだ。
 ということで、なんだか欲求不満がたまってきていて、広いところで思いっきり泳ぎたくなって、インターネットで探していたら、難波駅からすぐ近くのところに浪速スポーツセンターがあることを知ったわけ。
 おおっ!やっぱり広々としたプールはいいね。それにおばあちゃん軍団がいないのが何よりいい。久し振りにガッツリ千メートル以上泳いで、すっかりいい気持ちになって浪速スポーツセンターを後にした。

 その後は、鼻歌交じりに御堂筋を北上。といっても真っ直ぐ行ったわけではなく、面白そうな路地があると右に曲がり左に曲がり、要するに御堂筋を背骨に見立てたら、あばら骨もナメ尽くすようにひたすら歩いた。うーん、大阪の街はどんなに歩いても飽きない。特に道頓堀のあたりは最高だね。
 最初に御堂筋から西側に入ったら、ラブホテルが密集していた。あるホテルから、どうみても不倫にしか見えない中年のカップルが堂々と腕を組みながら出て来て目があってしまった。やだあ、こっちの方がドキドキしてしまうでねえの。ま、これも道頓堀のひとつの風景かも知れない。あわてて引き返し、今度は東側の路地に入る。こちらは正統的な繁華街。おおっ!なんと活気に満ちていることか!

 そしていよいよ「カーネーション」の舞台ともなっている心斎橋に辿り着いた。ここがかつていち早く西洋文化を取り入れた中心地か。大丸デパートもある。道頓堀ほどゴチャゴチャしていない分、現代となってみると、東京の一画とあまり変わらない気がするが、なんとなく感慨深いものがある。

 そのまま御堂筋を北上しようかとも思ったが、泳いだこともあってさすがにくたびれてきた。それで再び地下鉄に乗り、梅田に着く。梅田の北側、阪急梅田の近くのチャスカ茶屋町に本屋のジュンク堂が出来たというので、行ってみた。東京都内のジュンク堂は、空間が狭く本がツメツメだが、ここはいいぜ!なんといっても広々としていて、本屋と言うよりは図書館という雰囲気。みんな椅子に腰掛けて本を読んでいる。僕はね、図書館とかこんな本屋とか、こうした知的な空間が大好きなのだ。
 そこで買った「イタリア語の起源」ジュゼッペ・パトータ著(京都大学学術出版会)という本に、僕は今すっかりのめり込んでいる。これはラテン語からイタリア語にどう移ってきたかという言語的歴史書であり、宗教曲でラテン語を使い、オペラでイタリア語を使う僕が、喉から手が出るほど渇望していた情報がぎっしり詰まっている。まさに僕のために書かれた本だ。これでまた、練習時における僕のうんちくの時間が長くなるかも知れません。


 さて、その後がいけない。コンシェルジュからはいろいろな食べ物屋を紹介されていたのだが、思ったより長くジュンク堂にいた僕は、すっかりお腹がすいてしまった。今さら心斎橋や難波に戻る気持ちになれない。そこで僕は、梅田でおいしそうな店を探すことにした。当然和食ないしは焼き肉屋をめざしていたけれど、そこにふと目に入ったちょっと上品そうなワンランク上っぽいイタリアン・レストランにフラッと入ってしまった。「イタリア語の起源」なんていう本を買った影響もあるかも知れないし、ミラノから帰ってから、なんとなくイタメシ屋を見るとフラッと入ってしまう癖があるんだ。
 ところが残念ながらこれが大失敗!場所や店名はレストランの名誉のために明かさないけれど、ピッツァも冷凍ピザをチンしただけのようなものが出てきたし、生ハムもおいしくなかった。何よりいけないのは、イタリア料理店なのにグラス・ワインがフレンチしかなく、2種類頼んだどちらも料理と全く合っていなかったこと。
 僕のような一人客は、ボトル一本なんて飲み切れないので、せめてハーフボトルを置くとか、デキャンタで頼めるとかして欲しい。さもなければ、グラス・ワインに手を抜かないで欲しい。料理が多少イケてなくても、少なくともワインとさえ合っていればまだ許せたのに・・・・ここ数日、ビールや焼酎ばかりでワインに飢えていた僕としては、そこんとこがはずせないポイントなのだ。
 ついでにもうひとつ言ってしまうと、ルッコラの代わりに水菜を使うの、やめて欲しいんですけど。バジルやオレガノやルッコラのように香りがきついのがイタリアンのイタリアンたるゆえんなのに、その香りを避けてしまったらなんにもならないじゃないの。
 あーあ、そんなこと言ってみても仕方ないなあ。別に大阪だから悪いわけではないよ。東京にだってイケてないイタリアンは山ほどあるもの。それより、せっかく大阪に来たのだから、おとなしくコンシェルジュの言うことを聞いて近鉄鶴橋駅近くの鶴一(つるいち)の焼き肉か、道頓堀と御堂筋の角にあるはり重(はりじゅう)のすき焼きにしておくべきだったのだ。
 そんなわけで尻尾を丸めながら阪神電車に乗り込んで尼崎に帰ってきた。グラス2本だけで切り上げてしまったワインももの足らず、ホテル近くのファミマで山崎ウィスキーの一口飲みサイズの小瓶を買い、部屋で炭酸水とホテルの氷で飲み直し。最後の最後がなんともしまらない大阪見物の半日でした。

浜松学芸高校の講演会
 10月28日金曜日。「愛の妙薬」尼崎公演無事終了。何度観ても楽しい舞台だ。指揮者の石坂宏さん、ご苦労様でした!合唱団のみんなは急いで化粧を落とし、飛ぶように東京に帰っていく。でも僕は今日中に浜松に着けばいいので、のんびり近くの喫茶店で珈琲を飲んでから阪神電車で梅田に向かった。といっても夜の7時過ぎにはもう浜松に着いてしまった。今晩こそおいしいものを食べる。出来ればおいしいワインを飲む。

 ホテルでチェックインを済ませた後、街に繰り出した。そういえばアクト・シティの地下にイタリアンがあったな。ところがふと見ると、ビア・レストランの看板がある。なになに?マイン・シュロスMein Schloss(私のお城)・・・・おおっ!ドイツ語やんけ。気が付くと足がそっちの方を向いている。ほらほら、思いつきで入るとまた後悔するから・・・・ところが今回ははずれなかった。
 まずビールがうまかった。僕が頼んだのはWeizen Bier小麦ビールとDunkles Bier琥珀色ビール。その他に、僕は飲まなかったが、Helles Bier通常の明るい色のビールとSchwarz Bier黒ビールがある。多分これもおいしいだろうと推測する。店構えもドイツのビヤホール風。
 料理が来た。ミュンヘン風白ソーセージを始めとして本場風。僕って、料理一つでこんなにも幸福感を感じたり落ち込んだりする人間なのだと、自分自身を再認識した。今晩は実にハッピー!
みなさん!この店はお薦めです。浜松に来て鰻に飽きた人はどうぞ!駅からとても近いです。

 さて、次の日すなわち10月30日土曜日は、いよいよ講演会の日。10時半から12時10分までの1時間40分の間に、浜松学芸高校音楽科の約90名の生徒を相手にいろいろなことを話した。
 まず、バッハの楽曲のアナリーゼをして、作曲家が何を考えて曲を作っているか、そういった作曲家の意図にどう配慮して演奏家は演奏するべきかを語った。それから、沢山の外国人演奏家と接している中で、日本人と外国人で音楽へのアプローチがどう違うかを話したりした。次に新国立劇場合唱団のことについて話したり、オペラについて触れたりした。
 また、電子音楽科もあるこの学校なので、NHKで放映した「スペース・トゥーランドット」のビデオを見せながら、このサウンドにはヤマハ・エレクトーン2台の音が含まれていることを示したり、電子楽器で演奏する際に気をつけなければならないポイントや、電子楽器の将来性についても述べてみた。
 最後に、自分が作曲をする理由やモチベーションについて語った。その題材として新町歌劇団の「ノアの方舟」のDVDを使った。実は、「おにころ」とか他のミュージカルを観せようとも思っていたのだが、準備段階でこの作品に決めた。そして話の最後をこうしめくっくった。
「バッハやベートーヴェンやワーグナーやヴェルディが生きていた時代は、それらの作品が現代音楽だった。聴衆は、今度の新作は一体どんなものなんだろうと期待しながらそれらを受容していった。作曲家は聴衆と結びついていたし、それらのテーマや問題意識は、その時代と結びついていた。
だから、それらの作品がどんなに偉大であろうと、そのままでは過去の作品だ。僕たちは、それらを現代に結びつけ、現代に生きる聴衆に『今の』問題として語りかけなければならない。
同時に、現代の息吹に合った新しい作品も生み出していかなければならない。昨年、洪水とそこからの再生を表現する自作の『ノアの方舟』を上演した時、僕は、何故か今こそこの作品を上演しなければならないという大きな使命感を感じていた。その時は、その半年後にあの3.11の大津波が東北地方の太平洋沿岸を襲うとは夢にも思わなかったが、後になって自分の予感の意味が分かったのだ。
芸術家は、ある種の共時性を通して時代とつながっている。まだ若いみんなも、時代の中で生き、時代とつながっている新しい芸術を奏でて欲しい。」

 僕は、話しながら、自分で自分の話している内容に教えられる気がした。「ノアの方舟」をあらためて見直してみると、そこに本当に大切な様々なメッセージが込められているのだ。そして、今回の上演に対して付け加えられたアリアだとか宇宙人というキャラクターとかが、まさに今の時代にマッチしていたのである。
 でも、同時に難しさも感じた。「ノアの方舟」は、震災前に上演しておいてよかったなと思う。3.11以来、逆にこういった作品は上演しづらいのだ。震災後すぐに石原都知事が「天罰だ」と言った発言が問題となったように、あるいは鉢呂吉雄元経済産業相の「死の街」発言を巡る辞任騒動のように、被災者の心情に配慮した場合、みんなの生き方に問題があったから、このような災害に遭ったのだと主張しているように受け取られ、逆に抵抗感を生む可能性があるのだ。
 震災前だったから警鐘を打ち鳴らす意味でこの作品はタイムリーだっただろう。でも無力感もある。では、「ノアの方舟」を上演して実際に何が変わったというのだろう?どんなに警鐘を打ち鳴らしても大震災は起きたし、実際には何も変わらないのではないか?芸術とはかくもか弱い存在感しかないのか?
 いやいや、そうではない・・・・と信じたい。物質的にだけ考えてはいけない。世界のどこかで何かが変わっているのだ。これを上演したことで世界に投げかけられた波動があり、宇宙の果てから帰ってくる波動があり、もしかしたらほんの少しだけ・・・・あの大震災の時も、そしてこれからの僕達の未来も・・・・すでに塗り替えられているのかも知れない。それが芸術の本当の力だ・・・・・。

 こんなことを、学芸高校の生徒達にDVDを見せながら僕自身は考えていた。彼等にはそんな僕の心の葛藤など分かるべくもない。でも、それが今に生きる僕たちがアクチュアルな作品を呈示する時に起こる一番大きな困難であり、新作を発表する者が負わなければならない十字架なのだ。すでに権威付けられた過去の名作を上演するのと違って、新作は何の保証もなく、一蹴され抹殺される可能性すらある。
 でもだからこそ、若者達には“大作曲家の傑作による庇護”という内海の中にいる状態から抜け出て、あえて時代の最先端という荒海に乗り出していって欲しいのだ。

 このように、講演会というものは、実は講師自身が一番何かを得ることが出来るのだ。自分がそのテーマについてあらためて考える絶好の機会なのだ。実際、この準備をしている尼崎での約一週間は、僕の精神にとって近年にないとても充実していた期間であった。
 公演後、鰻をご馳走になりながら担当の先生達と楽しい語らいをし、心地良い疲れを感じながら新幹線に乗って、一週間ぶりに我が家に辿り着いた僕を、愛犬タンタンが尻尾をちぎるように振りながら迎えてくれた。5分くらい僕の顔をなめ回すので、口の周りがバリバリになってしまったよ。


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