聖書学と信仰

京丹後市から
 今(11月28日午前中)、京都府京丹後市峰山のホテルにいる。天橋立(あまのはしだて)の近くだ。写真は、朝の散歩の時に訪れた金刀比羅神社の階段。今日から新国立劇場合唱団による文化庁主催のスクール・コンサートが始まる。今日は、これから出発し、バスで20分くらいの大宮第三小学校に行く。

 新国立劇場では、現在ドヴォルザーク作曲「ルサルカ」が初日を迎え、ヨハン・シュトラウス作曲「こうもり」の舞台稽古が進行している。でも、二手に分かれた合唱団のそれらの演目の合唱指揮を行っているのはアシスタントの冨平恭平君で、今秋の僕は、コンサートや「古事記」など、むしろ劇場の外に出る事が多い。この旅の後は、例年通り読響第九がやはり劇場外の仕事となるが、同時に「沈黙」及び「ラ・ボエーム」の音楽練習が始まるので、本格的に劇場内に復帰することとなる。
 合唱団メンバーの何人かは、昨日27日日曜日の早朝に乗車変更して東京を離れ、天橋立あたりを旅行していたらしいが、僕は、名古屋に途中下車してモーツァルト200合唱団の「リタニア」(連祷)の練習をしてから、ここに向かった。今回のスクール・コンサートのピアノ伴奏者は娘の志保だ。名古屋から新幹線に合流して一緒に山陰線を揺られて来た。
 いやあ、京都府の中とはいえ遠かった。京都駅から山陰線の特急に乗って、さらに一両だけのタンゴ鉄道のローカル線に乗り換え、2時間半もかかった。せっかくここまで来たのに、大宮第三小学校で演奏すると、もうここを離れてしまう。今晩から京都駅近くのホテルに3泊の連泊となってそこからそれぞれの学校に通うので、美しい海辺の景色を味わう間もない。
 今回の演奏旅行では、まず京都近辺で4校のコンサートを行い、一度木曜日に東京に帰ってきてから再び4日の日曜日に長岡に行き、富山、福井方面の4校を回る。合計8回の演奏旅行だ。
 僕は、このコンサートをとても大切に考えているし、大好きだ。小学生のキラキラした瞳から学ぶものがとても大きい。それに音楽家として生きるエネルギーを沢山もらうのだ。さあ、これから部屋を出てバスに乗り込む。また、近況報告をしたいと思う。

藤崎さん、おめでとう!
 さて、それに先立つ11月26日土曜日は、このホーム・ページにも時々登場する、美人ソプラノ歌手Fの結婚式に出席した。大変残念である。結婚してしまった。もう思わせぶりなイニシャル・トークはやめよう。Fとは、バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)にも属していて、僕の指揮している合唱団の指導スタッフの要になっているソプラノ歌手の藤崎美苗さんのことである。いやいや、大変喜ばしい!
 藤崎さんのご主人になった人は、彼女が教えに行っていた合唱団でバス・パートを歌っていたビジネスマンである。そのせいもあって、披露宴にはいくつもの合唱団のメンバーが集まり、それぞれが自分たちの持ち歌を披露したりしたので、前代未聞の活気に溢れた披露宴となった。それに、この披露宴がもうひとつ変わっているのは、東京湾のクルーズ船の中で行われたことだ。窓からは夕暮れ時に刻々と移りゆく東京湾の景色が映し出されてゆく。さりげなく揺れる船内がゆりかごのよう。こういうのもなかなかいいね。
 僕は、志木第九の会と東京バロック・スコラーズという二つの団体から余興に出演した。第九の会では、「お酒がこぼれないように」と「上を向いて歩こう」の替え歌を団員に混じって歌い、TBSではクリスマス・オラトリオ第5部開始の曲を、酔った勢いもあって超特急で振った。
 最後にBCJを率いている鈴木雅明(すずき まさあき)氏の指揮で、全員がぶっつけ本番でハレルヤ・コーラスを歌ったが、出席者のほぼ全員が大きな声で歌っていたように思う。そんな人達の集まりだったのだ。こんな会は初めてだ。
 鈴木氏の指揮は、いやあ凄かった!エネルギッシュで、ほとんど暴れていた。このオーラがコレギウム・ジャパンを牽引しているのだろう。

 藤崎さんのしあわせそうな顔を見るのは、僕にとっても本当に嬉しかった。ご主人もやさしそうな人。よかったね。よかったね。若い人達の結婚式に出るのは本当にいいね。藤崎さん、おしあわせに!

自転車はどこを走るべきか
 今頃になって、
「自転車は車道を走るべきだ」
と声高に言われ始めた。毎日自転車を愛用している僕としては落ち着かない。

 確かに、元来法律では車両の一種と位置づけられていて、それ故に車道を走るべきだと決まっている。ところが、狭い道路に自動車がひしめきあっている日本の状況の中で、これを強制することにはさすがに行政もとがめていたのだろう。建前とは裏腹に、歩道を走る自転車に対し、なんらの強制力を与えることなく今日に至ったわけである。
 では、どうして今になってこのことを蒸し返してきたかというと、歩道を走る自転車と歩行者との間の事故が多発してきたからだ。自転車が車道を走った際に発生するクレームと、歩道を走った際に発生するクレームとを秤にかけて、歩道を走った際のクレームが勝ったというわけだ。
 僕からすると、これは見過ごすことの出来ないことである。確かに歩道を走っていると、追い抜こうと思っていた歩行者が急に方向を変えたりしてヒヤッとする事がある。特に僕の場合、一種の魂のシンクロニゼーション(共時性)が働くのか、自分が右側を追い抜こうと決心した途端、相手がまるで申し合わせたように右側に寄り出す。人と普通にすれ違う時もよくお互い同じ方向によけようとしてぶつかる寸前までいく。
 僕は長い間そのことで悩んでいた。こんなに人の念に自分が作用されるのは指揮者として問題があるのではないだろうかと思っていたのだ。でも、最近では逆に開き直ることにした。いや、そうではない。これはむしろ自分が指揮者として向いている証しなのだ。魂が同期しているのは相手なのであって、自分は相手の魂をむしろ巻き込んでいるのだ。はははは!歳をとってくると思考も図々しく自己チューになってきますな。

 閑話休題、事故が起きた場合、歩行者相手だと自転車というのは間違いなく加害者となり得るが、周りを見ていてもそうした自覚がないまま自転車に乗っている人が少なくない。いや、それどころか同じ自転車に乗る者として目に余ることが多い。信号無視、並んで走行、狭いところでのスピードの出し過ぎ。もう傍若無人の極みである。
 尼崎に行った時、自転車走行者のマナーの悪さには本当にびっくりした。JRの線路を越える地下通路では、
「自転車を降りて走行してください」
と書いてあるにもかかわらず、みんな柵をS字にくねらせながらもの凄いスピードで通り抜けてゆく。僕は、何度ぶつかりそうになったことか。しかもそんな時、こちらが文句言うどころか、きまってにらみつけられたのだ。

 再び閑話休題。つまりあれだね、自転車は間違いなく車両なのに、歩行者の延長の感覚で走行するから問題が起きるわけだ。歩道を走行する時は、交通法規は少なくとも「歩行者よりも」きちんと守り、歩道を通らせてもらっているという謙虚な気持ちがないといけないのだ。
 一方、車道を通行する場合、状況は一変して、自転車走行者とは弱者である。バイクよりも原付よりも弱い存在で、自動車と接触したら、間違いなく被害者の方になる。僕の家の近くの甲州街道を走行する場合、もし本日から車道を走らないと罰金ですと言われたら、僕は恐くて甲州街道はもう二度と走らないだろうな。あんなとこ車道なんて走ったら、もう本当に決して無事に生還出来るはずがありません!いや、ドライバーにとっても、片側2車線ギリギリの甲州街道を自転車がガンガン通ったら嫌だろう。自分が怪我しないからと言っても、事故を起こしたい人なんていないもの。
 そんなわけで、行政も、もし本当にこの法律を有効なものにしたいと思うならば、その前に日本の道路をドイツ並みに整備しないといけない。ちなみに国立市の大学通りは、左右に自転車レーンが整備されているので、駅近くの商店が建ち並ぶ区域の歩道に、
「自転車走行禁止」
とあっても納得がいくのだ。国立市は都市計画に沿って碁盤の目のように作られた街だからね。本当に良い街だ。それでも強引に駅近くで歩行者をかき分けて自転車に乗っているおばさんには閉口するけれど・・・・。

 でもねえ、一般的に言って、日本に都市計画を望むのは無理というものでしょう。東京が戦争で焼け野原になった時に、いっそのこと国がしっかりした都市計画をもって街を再建したらよかったという声をよく聞いていたが、今回の東日本大震災後の被災地の様子を見ていると、絶対に出来なかったと結論付けざるを得ない。
 早くガレキを片付けて都市計画に沿って地震にも津波にも耐え得る街作りを始めればいいのにと思うが、いっこうにその気配がない。それぞれの被害者達が、ここが自分の土地だったと主張してみても、自力ではその土地に家も建てられなければ、仮に建てたとしても、近くにお店とかないならどうしようもないのに・・・・。
 でもきっと、国はそのまま放置するのだ。そのうち、ここまでがオレの土地だ、いや、ここはオレのだといった被災者同士の小競り合いが続いた後、だんだんいきあたりばったりに家が建ってきて、道もいきあたりばったりに細くくねくねと出来て、また消防車も入りにくい路地が沢山あるような街が出来て、災害があると、広く真っ直ぐな道路がない故に人がうまく逃げられなくて、また大量の犠牲者が出て、その時だけ危機管理が騒がれるがそのまま放置されて・・・・ということが延々繰り返されて我が国がこれまで来たしこれからも行くのだ。あーあ。

 だから、家を立ち退かせて道路を広くして、自転車レーンを整備するのが無理なら、車道を走れなどという野暮は言わないことだ。それならむしろ、自転車走行者のマナーを徹底させて、歩道を走らせてもいい代わりに、マナー違反した者には自動車ドライバーのように罰金を科してもいいと思う。
 自分の健康管理に自転車が欠かせない僕としては、むしろみんなのマナーが良くなってくれて、自転車に乗る人も歩行者も双方気持ち良く共存出来るよう切に願っている。

聖書学と信仰
 先日の東京バロック・スコラーズ主催マタイ受難曲の講演会で聖書の講師をしてくれた佐藤研(さとう みがく)氏の著書がなんと僕の家にあった。「悲劇と福音~原始キリスト教における悲劇的なるもの」(清水書院)という本で、佐藤氏のお話を聞いた後で、確か僕の家にもキリスト教を悲劇的なものと結びつけたような本があって、斜め読みしたことがあるなと思って本棚を探してみたら、まさに佐藤氏の本だったのだ。それがどうして僕の家にあったかをこれから説明しよう。

 国立市にまだ愛徳カルメル会の修道院があり、ミサが一般の信徒にも開放されていた時代に、時々ミサを行うために来ていた今野東志男(こんの としお)神父という人がいた。この神父の説教はかなり変わっていた。そのしゃべり方には、どこか斜に構えるところがあるものの、説教の視点は独創的で説得力に溢れ、聞いている内についつい引き込まれ、最後には「なあるほど」と納得させられてしまう。話の背後に信仰に対する熱い情熱が感じられて、よく説教の後で拍手がきたりもした(ミサの中では普通そんなことは起こらない)。
 妻に聞いたら、彼は、イエズス会のフーゴ・ラサール神父が開設した秋川神冥窟(あきかわ しんめいくつ)という西多摩郡檜原村にあるカトリック禅瞑想の道場を管理しているという。ふーん、カトリックで禅瞑想ねえ・・・・。
 その今野神父が癌に倒れた。ところが「自然のままで自分はいいのだ」と言い張って、入院も抗癌剤投与などの延命治療も全て拒否し、わずか半年くらいの間に亡くなってしまった。まことに残念であった。その後、妻は遺品分けでということで、CDやDVDや本などをもらってきた。その遺品の中に佐藤研氏の「悲劇と福音」もあったのだ。

 インターネットで調べてみたら、面白いことが分かった。佐藤氏は、聖書学者でありながら禅宗の禅指導者(三宝教団)でもあり、実は時々秋川神冥窟を訪れていたようである。ということは、今野神父は佐藤氏のことをただ著書を通して知っていただけではなく、個人的に知り合いであった可能性が大なのだ。

 さて、「悲劇と福音」をあらためて読んで思った事がある。僕が知らなかっただけで、今や聖書学においては、聖書の中のかなりの部分が意図的に改竄(かいざん)されていることが常識となっているということである。
 僕はノーテンキにもこれまで、聖書学というものは、聖書が何を伝え、個人の生き方や行動に対するどんなメッセージを内包し、神について何を語っているのか深く研究する学問であると信じていた。でも、現代の聖書学とは、どうやらそんな生やさしいものではなさそうである。
 そんなことに驚いていたら、本屋の宗教書のコーナーである本を見つけた。バート・D・アーマン著、津守京子訳「キリスト教成立の謎を解く~改竄された新約聖書」(柏書房)という本だ。聖書の中のどの部分がどのような意図でどのように改竄されて今日に至っているかという、まさに今の僕にとっておあつらえ向きの本である。

 この本の著者であるアーマン氏は、最初は素朴で純粋なキリスト教信者であったが、聖書学を深く学ぶ内に、しだいに懐疑的になり、最後には信仰を捨てるに至ったという。ええっ?それでは、何の為に聖書学を学んだのか?聖書学は信仰生活にとっては害にこそなれ、益になるものはひとつもないのか?では、何も聖書学に首など突っ込まずに、そのまま素朴な信仰生活を送っていればよかったではないかと、いろいろな疑問が山のように生まれた。
 この原稿を読んでいる現在、僕はこの本をまだ読み終わってはいないが、僕自身にとっては、ともかく読んで良かったとは思っている。でも、自分の信仰心をしっかり持っていないと、あまりにも現代に残っている聖書という書物の存在の立脚点が曖昧であり、この著者のように自分の信仰さえ揺らぎかねない。
 ただ良い点もあった。聖書の中で、どこが少なくとも曖昧ではないという確証だけは得られたのだ。たとえば、イエス・キリストという人物が歴史上に確かに存在したという事実と、そのイエスが十字架にかかって殺されたという事実を疑う聖書学者はいないのだ。 そうでなければ、あれだけローマ帝国の中で迫害を受けながら、布教し続け、ついにはローマの国教にまでなったエネルギーの原動力の説明がつかないのである。それで、僕にとっては、もうそれだけでいいやという気になっている。

 この本を読みながら思った。聖書学者である佐藤研氏も、こうした聖書研究という“疑いの海”のただ中にいるのだ。にもかかわらず、あのような熱意と真摯なる探求心を持ち続けることが出来ているのは驚きである。
 そういえば僕は、講演会の後で佐藤氏に個人的に訪ねたのだ。
「あのう、受難とは離れるのですが、降誕物語の中で、マタイ福音書とルカ福音書とでは記述が全然違うではないですか。マタイで出てくる東方の三人の博士はルカでは全く出て来ないし、ルカで述べられている羊飼いと天使の話はマタイでは出て来ませんよね。マタイではヘロデ王がユダヤ人の王の到来を恐れて二歳以下の男子を皆殺しにしたというし、それ故、聖家族はただちにエジプトに逃れたと言われていますが、ルカではお宮参りして名前をつけるまでのんびりベツレヘムに滞在したことになっています。一体どちらが本当だと佐藤さんはお考えになりますか?」
すると佐藤氏は、
「どっちも嘘ですね」
とあっさりお答えになった。あまりにもあっさりと!
 どうやらイエスはナザレで生まれナザレで育ったというのが真実らしい。それを、「ダビデの町ベツレヘムで生まれたダビデの末裔ということにしておいた方がよい」と判断した誰かが、降誕物語をそっくりでっちあげたらしいのだ。
 それだけで、僕などはガックリ来る。ええっ、それじゃクリスマス・オラトリオをやっていることの意味は一体どうなるの?うーん、事実を知ることはいいのか悪いのか?佐藤氏にとっても、降誕物語からしてこうじゃ、ここまでに来る間に、葛藤が全くなかったとは言えないのではないだろうか。だから佐藤氏は、余計なことを“考える”よりもむしろ禅に傾倒し、瞑想する方を選んだのではないだろうか。

 おおっ、そうだ!瞑想だ!瞑想に限る!頭で考えて理論をひねくり回しても真実は見えてこないのだ。音楽でも、みんなが同じ音を物理的には聴いている。にもかかわらず、見えているものは同じではない。その能力、認識度に応じて、1人1人が違うのだ。これは信仰の世界でも同じなのだ。資料の検証や冷静な思考で信仰の世界を解明しようというのが傲慢なのではないか。

僕も禅寺へ通ってみようかな。

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