「わがふるき日のうた」を演奏し終えて

旅先でカーヴィーダンス
 今回の長岡、富山、小松、福井の旅は、天気が悪かったので、またまた名所旧跡を訪ねるという感じではなかった。それに今回は同じホテルに連泊というのはなくて、コンサートが終わったら即次の街へバス移動するので、到着する頃にはもう夕方になっている。唯一の楽しみは夕食ということになる。
 体重計には乗っていないけれど、多分太っている。そんなにグルメ三昧というわけでもなかったが、行くのは決まって居酒屋だったから。さらに追い打ちをかけるように、朝散歩をしようと起きると雨が降っている。まあ、どうしても散歩したければ傘を差して行けばいいのだが、どうもモチベーションが落ちてしまうのだ。

 代わりといってはなんだが、雨の日は、散歩している時間帯にカーヴィーダンスをやっている。あっ、笑っている人がいるね。なになに?カーヴィーダンスは女性がするもんでしょうだって?そんな法律はどこにもないのだ。確かに動きはコアリズムよりも女性っぽいし、直線的な動きよりもねばる動きが推奨され、「踊るほどにくびれができる」というキャッチ・フレーズの通り、美しいウエストラインを作ることをめざしているようである。でも、男の僕にも充分役に立つのだ。

 カーヴィーダンスは次女の杏奈がパリでやっていた。実際杏奈はこれを一生懸命やって、この3ヶ月足らずの間に少し痩せたし、おへそのまわりの筋肉がなんと割れていた。そこで試しに一緒にやってみたら、なかなかよかったのだ。
 後半の旅に出る時に、
「貸して」
と言ったら断られたので、富山駅前のデパートで新しく買った。「DVD付き、樫木式・カーヴィーダンスで即やせる!」(GAKKEN HIT MUCK)という本で、なんと1000円である。買う時ちょっと恥ずかしかったけどね。

それぞれの街の風景
 長岡は、夜着いて次の午前中に上組小学校に行って練習と公演をしたら、もうバスに乗って富山まで移動してしまったので、残念ながら街を味わうことはほとんど出来なかった。

 富山に着いたら、トラム(市電)が走っているのを見て嬉しくなった。トラムを見るとミラノを思い出す。これがあるだけで街に独特の雰囲気が生まれるね。しかも富山市のトラムは車両も新しくて、いろんな模様が描かれていて楽しい。


 一方、小松という街は不思議な街だ。立派な街並みはあるし、家々もぎっしり立ち並んでいるが、アーケードは全てシャッターが閉まっている。それに街に人影がない。飲み屋ばかり沢山あるのだが、お店らしいお店が極端に少ない。
 バスの運転手さんが言うのには、郊外に量販店が出来てお客がみんなそっちに流れていってしまって、中央商店街が壊滅的になってしまったそうだ。うーん、僕の郷里の高崎なんかもそうだからね。淋しい限りだ。
 でも翌朝お散歩した時、ちょっと離れたところに、立派な野球場や陸上競技場、体育館、それに高飛び込み台のあるプールなどが、ゆったりと取った敷地内に建ち並んでいたのを見た。このあたりは小松運動公園というらしい。そのまわりを散歩している内に、住民にとっては住みやすい街なのだろうとも思った。

やさしい街福井市
 小松市立月津小学校の公演が午前中だったので、最後の宿泊地である福井市には午後早く着いた。でも雨がかなり降っていて、東尋坊とか永平寺とかの名所に行けば行けないことはないのだが、どうもその気になれない。そこで僕は、やや体がなまっていることもあり、福井市東山健康運動公園プールへ行くことにした。

 インターネットで見たらタクシーで行くのがいいと書いてある。地図では距離感覚が分からなかったが、実際にはとても遠かった。タクシーで市街地を抜け、やや閑散とした校外を走り抜け、さらに家もない広々とした田んぼの中をひたすら走る。向こうに低い山並みが見えて、あたりには美しい日本の田園風景が広がっているのに、それを味わうどころか、僕の方はタクシー・メーターがどんどん上がっていくのに気が気ではない。その山の上に登って行ってタクシーは止まった。なんと2500円もした。入場料は500円と安いが、結果的に3000円払ってプールに入ることになる。なかなか地方でプールに入るって楽ではありません。

 でも嬉しかったのは、なんと50メートルプールなのだ。しかもプールの他にジムにも入れるし、サウナ付きのお風呂もある。お風呂にはシャンプーやボディ・ソープもついている。夏には屋外のウォーター・スライダーも使えるようだ。これで500円はどうみても安い!
 それになんといっても受付のお姉さんが親切だったのに感動した。帰りに僕が、
「行きにタクシーで来たんですが、高かったので、福井駅に行くのにタクシー以外の方法はありますか?」
と訪ねたら、
「そうですねえ、ここは人里離れているんですよ。電車も遠いし、バスしかありませんが・・・ちょっと待って下さいね。今調べますから」
と言って1人のお姉さんが奥に入っていった。
 その間にもう1人のきれいなお姉さんが僕を真っ直ぐに見てニコニコしながら、
「出張でこちらにいらっしゃったんですか?」
と訊く。僕は意表を突かれてドギマギしながら、
「あ・・・は、はい。そうです」
「それで、空き時間が出来たので、ここまで泳ぎに来てくださったというわけですね」
「そうです」
「わざわざありがとうございます」
「あ、いえ・・・・あのう、50メートルプールがあるって凄いですね。なかなかないですよね。」
「ええ。少なくとも県内ではここだけです」
「それにとても泳ぎやすかったです(東京体育館と違って全部背が立ったからね)。お風呂もあって充実した施設ですね。ちょっと遠かったですが(ちょっと?)、来て良かったです」
「そういってもらえるとすごく嬉しいです」

 笑顔の素敵な美人である。夕食にでも誘いたいところであるが、志保がいるのでそうもいかない・・・って、ゆーか、僕はそんな男ではない(本当かなあ?)
最初のお姉さんが裏から走って出てきた。
「お客様、5時5分のバスがありますから、急がれた方がいいです。この坂を下りてこう行ってああ行って・・・・」
バス停までなかなか遠そうだ。時計を見るとあまり時間がない。
「ご親切にありがとうございました。では」
「お気をつけて」
予想通り、お姉さんの案内してくれた道の一本一本が長い。つまりバス停まで超遠い。ゲッ、間に合わないぞ。走れ走れ!小雨の降りしきる中を僕は走る。ハアハア!

 ようやく遠くにバス停が見えてきたぞ。でも、道の両側にあるかと思ったら、片側にしかない。しかもその片側は、僕が想像していた福井駅の方向とは逆向きの道路側にある。大丈夫かなあ?見ると、バス停の側に若いお兄さんが傘を差しながら立っている。
「あのう、済みません。福井駅へのバス停はどこですか?」
「ここですよ」
「こちら側でいいんですか?」
「はい。5時5分ですから、もうすぐ来ますよ」
ニコニコしていてやさしい。おお、表情がさっきのお姉さんと同じ!いいなあ。福井ってなんかみんなこんな風だ。
 バス停の時刻表を見て驚いた。本数が極端に少ない。昼間は全然なくて午前中と夕方から夜にかけて何本かあるだけ。うっかりこれを逃したらいつ帰れるか分からなかったぞ。走った甲斐があった。

次に福井を訪れたらまた行くんだ。東山健康運動公園プール!

サンサンホールのヘリコプター
 12月8日木曜日。このスクール・コンサート最終日は、福井県吉田郡永平寺町の上志比文化会館サンサンホールに7つの小学校から4,5年生のみが集まって公演が行われた。このサンサンホールのあたりは、典型的な日本の田舎の風景が見られ、その中をえちぜん鉄道勝山永平寺線の電車がわずか一両でのんびりと走り抜けてゆく。あたりを取り囲む山々には霧がかかってとても幻想的。まるで遠い過去へタイムスリップしたような錯覚に駆られた。


 このサンサンホールの裏庭に、陸上自衛隊のヘリコプターが止まっている。というより、飾ってあると言った方がいいな。もうくくりつけてあって、飛ばないようになっている。「ヘリコプターがあるんだ。見に行こうぜ!」
リハーサルが終わって本番までの時間に、男性団員の何人かが走って行く。僕も少し遅れて行く。
 4人乗りの小さいタイプ。遠くから見るとおたまじゃくしみたいで可愛い。みんなコックピットの計器類を覗き込んでいる。操縦席の前面は足元まで透明なガラス張りになっているので、操縦したら足がすくみそう。
「うわあ、恐ええなあ!みんなよく平気だなあ」


 カパッという音がして、後ろの排気口のカバーが開いた。バイクの整備工でもあるテノールのOが内部を見ようとして開けたのだ。
「あれっ?」
「ええっ?いいんかよ?」
「怒られるよ」
Oはそんなみんなの心配など何処吹く風で、
「なるほど。こうなっているんか。原理はバイクと同じじゃねえか」
と言いながら内部に手を突っ込んで何かの器具を回し、
「ちょっと、誰かピットの中見て!これと連動しているレバーがどこかにあるだろう」
と言う。覗いてみると、確かに左側のレバーが回っている。
「おおっ、凄いね!」
と一同感嘆の叫び!
 僕がOに質問する。
「これって何で飛ぶの?」
「ガソリンよりもずっと精度の高い燃料」
「ふうん、じゃあ、ガソリンスタンドに降り立って、『すみません、ハイオク満タン』といくわけにはいかないんだ」
一同爆笑。


 男っていうのは面白いね。こんな風にいろいろ調べてしまうのは習性というものでしょうかね。僕はそんなにメカに興味がある方ではないけれど、それでも小学生の頃は戦艦大和の内部のしくみがどうなっているのかとか、零戦がどうやって飛ぶのかとか夢中になって調べたものだし、最近ではパソコンの内部を勉強して自分で組み立てて自作パソコンを作ったりもした。何より、ヘリコプターがあると聞いて走って見にいくというところからして、いくつになっても男の子なのだ。
 ちなみに女性はひとりも見に来ませんでした。全然興味がないんだなあ。こんなに楽しいのに。女性はこの時間、本番に向けて一生懸命お化粧にいそしんでいるということである。やっぱり男から見ると不思議な生き物である。

旅の終わり
 さて、サンサンホールに集まった各学校の4,5年生達の歌声が素晴らしくて、後半の「みんなで歌おうコーナー」がめちゃめちゃ盛り上がってスクール・コンサートの全行程が終了した。指導すればするほど声の色がどんどん変わってくるのは、指導していて気持ちの良いほどだった。

帰りのバスの中での僕の挨拶。
「子どもが相手だからといって少しも手を抜くことなく。いや、それどころか、それぞれの団員達が自分自身とシビアに向き合い、この旅の間、毎日最高の音楽を奏でてくれたことを心より感謝します。
それに加えて、みんなひとりひとりがとても良い人で、互いに仲良く最高のチームワークを組んでこの演奏旅行を行う事が出来ました。
僕も新入団員や、普段あまり話す機会が持てなかった人達とコミュニケーションを取ることが出来て有意義だったと思います。
そしてなによりも嬉しかった事は、こうした僕たちのなごやかな雰囲気が音楽の中にも現れていて、やさしさ溢れる音楽が、間違いなく子ども達やご両親達、そして先生達の心にしっかり届いている手応えを感じたことです。これこそ、僕が日頃から理想としてきた音楽のあり方でした。
この最高の仲間達よ、本当にありがとう!」
 8回の本番を終えた達成感と、みんなで作り上げた一体感とがバスの中に溢れる。バスは小松空港に向かって一目散に進む。

 ところが、急に高速道路が途中のインターで閉鎖になってしまい、バスは一般道を走らなければならなくなってしまった。もともと順調に空港に到着しても、出発1時間前というギリギリ・スケジュールなのに、一体どうしたことか?果たして東京には帰れるのか?みんなの中に緊張感が走る。
 その内、誰かがスマート・フォンから事故の近況を読み上げた。
「高速道路でトラックが横転。中からブタの群が飛び出し、道路のあちこちに走り去ったため、高速道路は閉鎖されたが、無事捕獲。けが人はなし。ブタもみんな無事な模様!」
一同大爆笑!

 結局バスの運転手さんが猛スピードで一般道を走ってくれて、なんとか空港には間に合った。なんとも滑稽な旅の終わりであった。

「わがふるき日のうた」を演奏し終えて
 演奏会において暗譜で指揮をした時、一番困るのが、本番が終わっても頭の中で勝手にエンドレスで曲が鳴り続けることだ。i-Podならば切ることも出来よう。せめて音量を絞ることも出来よう。でも完全に制御不能。お手上げなのだ。おまけにご丁寧に譜面付きだ。目の前にありありとレイアウトまできっちりと写真のように浮かんで消えないのだ。

 勿論、そのように勉強したのだ。今回、東京大学音楽部コール・アカデミー演奏会の、OB合唱団アカデミカ・コールとの合同ステージ曲である、多田武彦作曲男声合唱組曲「わがふるき日のうた」は、全ての音を暗譜した。
 そこまでしなくとも、少なくともメロディーと対旋律や和声構造を覚えるだけで、指揮をしようと思えば出来ないことはないのだが、僕が今この曲に出遭い演奏することが自分の運命のようにも感じられて、自分でも不思議なくらいのめり込んで、暗譜しようと特別努力しなくても自然に九割方覚えてしまっていた。それが一週間前。
 それから練習を録音にとって旅先で勉強していたが、実際に聴きながら暗譜したわけではない。暗譜は譜面を読んで覚える。頭の中で音を響かせる。和声学の課題はピアノを使わないで書くが、その反対の行為をするのだ。録音は一日に一回だけ暗譜を確かめるために聴いた。でも、自分の頭の中で響く合唱の響きの方がはるかに美しいので、なるべく聴きたくなかった(笑)。
 次なんだっけかなあ、と思い出しているうちは、まだまだ暗譜で指揮するにはほど遠い。自分の体の一部のように、街を歩いていても自然に頭の中をメロディーが流れてくるまでにならないといけない。演奏会の直前は四六時中その曲が流れ続ける。それがめちゃめちゃ楽しい。
 それだけに、演奏会が終わった後は、達成感と共になるべく早く忘れ去りたいのだ。自分勝手なのは分かっている。でも、出て行って欲しい。次の仕事が控えているし、頭を切り換えたいのだから。特に今回は、終曲のメロディーがいつまでも頭から離れないので辛い。

	海にもゆかな
	野にゆかな
	かへるべきもなき身となりぬ
	すぎこし方なかへりみそ
	わが肩の上(へ)に雪はふる
	かかるよき日をいつよりか
	われの死ぬ日と願ひてし
	                        三好達治
 この終曲には本当に感情移入をしたなあ。現在のプライベートな自分は、こんなに孤独でも不幸でもないけれど、こうした寂寥感というものは、歳を取ってくると誰でも基本的に持って来るのではないか。僕にとっては、いつしか「自分のうた」となってしまった。

 文語調は難しい。こんなことでは日本人としていけないのかも知れないが、僕にとってはドイツ語やイタリア語の方がはるかに馴染みが深く理解しやすい。なんでこんなに分かりにくく言うのだ?でも三好達治のこの詩には、文語調の格調高さが不可欠だと、外国語かぶれの僕にも素直に思える。

 「海にもゆかな」の「な」は、禁止や否定形と混同するけれど、この場合は「海にだって行こう」の意味だ。つまり、「帰るべき場所も失ってしまった今の自分だ。海にだって山にだって行こう」ということだ。
 面白いのは、「すぎこし方なかへりみそ」の「な」と「そ」のコンビネーションが「かえりみる」という動詞をはさむとことによって否定形を作り出すいう方法が、フランス語のneとpasが動詞をはさむのとそっくりだということだ。「過去の日々を振り返るな!」という禁止の意味。
「かかるよき日をいつよりか、われの死ぬ日と願ひてし」は、「このように雪の降る美しい日を、私は一体いつから自分の死ぬ日と願うようになったのだろうか」という意味。
うーん、ペシミスティックだけれど、なんとも味わい深い良い詩ではないか。

 コール・アカデミーと、アカデミカ・コールの合同合唱団は、本番で練習時と全然違った演奏になってしまった僕の指揮によくついてきてくれた。彼らはゲネプロ直後の僕の、
「何かが足りない。それが何なのかみなさん自分で考えて下さい」
といったコメントを、本当に真摯に受けとめて本番に臨んでくれたのだ。
 本当は、その足りない何かというのは、僕の元に本番で降りてきたインスピレーションだったのかも知れない。その日の演奏は、それが降りることで完結すべきものであり、だからこそ、ゲネプロ時には僕の心に不足感があったのかも知れないのである。
 でも、本番の演奏にあれだけ充実感があったのは、彼らから発散する詩への想い、音楽への想いの強さによると確信している。こうしたキャッチ・ボールが出来るのが大人の音楽作りというものだ。

 僕もそれなりの歳になってきた。これまでいろいろ回り道をしてきたけれど、ようやく自分なりの音楽が出来るフィールドがあちらこちらに出来てきたような気がする。音楽家としての僕は、とどのつまりは有名になりたいわけでも、社会的地位を得たいわけでもないのだ。ただ、自分として納得のいく音楽が奏でられればそれでいいのだ。
 こんな風に、自分の欲求がだんだん純化されてきて、絞り込まれてきてみると、アカデミカ・コールというのが、自分の音楽活動において、いつしかかけがえのない団体のひとつになっているのを感ずる。

なんといっても、僕は男声合唱が大好きだしね。男声合唱は僕の原点なのだ。

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