先日、東京モーターショーに行ってまいりました。
 「環境」一辺倒でなく、スポーツカー的な要素への回帰なども注目されていましたが、小生の目からは、いよいよもってクルマ作りに対する「哲学」の差が鮮明になったショーだったな、との印象を持ちました。
 個人的に、スバルがトヨタと共同開発した実質2シーターのFRモデルが一番のお目当てでした。実物を見ると(トヨタは遠くから眺めるだけだったのに、スバルはコクピットにも乗せてくれた!)、そのボディラインなど狂おしいばかりのクラシック・スタイルで、日本のクルマが上昇気運にあった数十年前の良いところが復活しており、「これは売れなきゃイカン」との思いを強くしました。(元々、数ヶ月前まで雪国での単身赴任生活でスバルのフラット4&4WDに乗っていたので、スバルびいきではあるのですが)

 ところが、その後でフォルクスワーゲン(VW)のブースに行き、「こりゃ、やっぱり敵わないわ・・・」と思ってしまったのです。
 ひとことでいうと、「ムダがない」。いかにムダを排除するかに、全精力を費やしている。クルマ作りの思想そのものに、ムダがないのです。
 今やクルマ作りの基本になりつつあるハイブリッドでさえ、彼らからすれば「仮の姿」、あえて言えば「ムダな技術」。動力源を多重化することは、つきつめれば非効率以外の何物でもない、と彼らは考えているのではないか。
 その証拠にVWは、そのラインナップでトップに位置する大型セダンでも、たかだか1.8リッターのエンジンしか積まない。軽くて小さなエンジンで出力を極大化し、アイドリングストップなどでムダな燃料消費を押さえ込む。クルマ屋は、内燃機関の効率追及をあきらめてはいけない、まだまだやるべきことは残っている、という信念が前面に出ています。
 また、そのデザインも、無骨ではあるが空力的なムダはない。ムダを排除することが、デザイン的にもっとも美しいという思想。

 さらに隣のポルシェのブースに行ったとき、その思いは決定的になりました。
 なんと美しいフォルムだろう。このフォルムで、天下のフラット6を積んで、アウウトバーンをまっすぐに走り抜けたら!
 クルマは走るために存在し、その目的のために全てが収斂されている。
同社のブースでは、歴代の「911」の映像が流されていましたが、30年前の映像ですら、やはりデザインにムリ・ムラ・ムダがなかった!
 これと比較すると、トヨタ&スバルの「スポーツカー」には、まだまだムダがある。デザインにしても所詮「レトロ」であって、今の視点で突き詰めたフォルムではない。内装にしても、そしておそらくエンジン・足回りにしても、どこか大衆に媚を売るようなところがあって、いやな意味での「遊び」の部分が消えていない。

 そして思ったのです。あのヘルベルト・フォン・カラヤンが、こよなくポルシェを愛していたということを。

 さて、本題の「わがふる」ですが、三澤先生&東大OBの音楽作りが、このドイツ車の発想とオーバーラップしてきたのです。
 端的に言えば、音楽にムダがない。求めるものに対し、まっすぐに切り込んでくる。
 「あはれ花びらながれ」が始まったとき、そのテンポの遅さに、「これはどれだけ時間がかかるんだろう」と危惧したのも事実です。
 (18時からの立教OB練習に間に合うか、が気になっていたので)
 でも、骨太にまっすぐ流れる音楽に澱みはなく、充分な説得力をもっていて、余計なことを考える間もなく進んでゆく。
 目指している一点に向かって、フレーズをわしづかみにしながらグイグイ前進する。
 高音部や低音部の鳴らし方にもムダはない。ビブラートたっぷりのわざとらしさは皆無。パートの声として「そそられる」かどうかは別にして、ハーモニーの作り方としては申し分ない。
 更に言えば、曲間がとてもあっさりしている。曲間にまで過剰な「思い」を注入することなく、最後の「うみゆかば」まで視点はぶれない。
 (結果、われわれが当初思っていたとおりの時間に、「わがふる」は終わったのです)

 まさに、VWのクルマ作りではないか!!

 往年の巨匠、カール・ベームが、バイロイトで「トリスタンとイゾルデ」を振った際、「この悲劇は、ただ一つの巨大なクレッシェンドに支配されるべきである」という主旨のことを語ったそうですが、三澤先生の「わがふる」もまた、「かかるよき日をいつよりか われの死ぬ日と願ひてし」に向かった、おおきなクレッシェンドだったのだろう、と。

 ただ、最後にひとこと付け加えるならば、そんな三澤先生の手にかかっても、所詮タダタケはタダタケ。それ以上のものではない。
 やっぱり先生の棒で、ワーグナーを歌いたいと思ったのが、正直なところです。