フォークトのローエングリンは凄いぜ! 

金環日食
 ちょうど朝の散歩の時間に金環日食が見られるというので、妻と二人で出かけた。娘の志保は横着して、ベッドから寝たまま観察だという。彼女の部屋には朝日が差し込むのだ。日食といっても、今回は皆既日食ではなく金環日食。僕は、1999年のバイロイト音楽祭開催中に、アウグスブルクまで皆既日食を見に行っている。その時の体験は、1999年のバイロイト日記の最後の項に詳しく書いてあるので、興味ある人は読んで下さい。
 皆既日食の場合は、太陽が隠れた瞬間、ゾットするくらいあたりの様子が一変した。でも今回の金環日食は、そこまで衝撃的ではないなあ。とはいえ、月が完全にすっぽり太陽に隠れた瞬間は、世界が不思議な光に包まれた感じにはなったね。自然は神秘的だが、それを一秒たがわず予測する人間の科学の力も凄い!

フィッシャー=ディースカウの思い出
 1983年のたしか6月だったと思う。ベルリン芸術大学指揮科に在籍していた僕は、8月終わりから9月始めにかけてのディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ講習会に応募するソプラノ学生の伴奏者として、あの有名なバリトン歌手の前でピアノを弾いていた。曲はシューマンの歌曲「クルミの木」。ピアノが始終アルペジオで伴奏するデリケートで難しい曲だ。
 オーディションが終わってから、何故か僕だけが呼ばれた。あらためてフィッシャー=ディースカウ氏の前に立つと、見上げるように大きい。それに、あのエラが張った頬から出る声は、しゃべり声といえども部屋中にビンビン響き渡っている。ディースカウ氏はこう切り出した。
「あのね、さっき君が伴奏した学生は残念ながら受からないと思うけれど、君の伴奏は気に入った。とても音楽的に弾いたよ。指揮科の生徒なんだね。それで、ひとり合格させようと思う学生がいるんだが、逆に伴奏者が良くない。君、その学生の伴奏を講習会で弾いてくれないかなあ?」
内心、ええ?と思ったが、まあ天下のフィッシャー=ディースカウ氏に気に入られたのだもの、悪い気はしない。
「いいですよ。喜んでやります!」

 ところが、それは実現しなかった。長女の志保の出産予定日が9月12日だったのに、思いがけなく早まって8月26日に生まれてしまったのだ。それで、講習会どころではなくなってしまった。僕は事務局に断りの電話を入れた。
 講習会が開催されている頃、退院してきたばかりの幼い志保を腕に抱いて窓辺を見つめながら、僕はつぶやく。
「今頃、みんな講習会をやっているんだろうなあ」
思わず断ってしまったのを後悔するようなしないような・・・・目の前の志保は、そんな僕の心の迷いなど何も知らずに、つぶらな瞳を僕に向けて無垢な微笑みを浮かべていた。僕は、フィッシャー=ディースカウ氏の前でピアノを弾くより、プライベートな生活の方を選んでしまったのである。まあ、今となってはその事に後悔はないけどね。

 時はそれより随分さかのぼる。国立音楽大学声楽科に在籍していた頃の僕は、オペラなんて知性のない者がやるものだと信じていて、なんといってもドイツ・リートこそが全てだという価値観に染まっていた。フィッシャー=ディースカウは僕にとって神のような存在であった。
 僕は、シューベルト作曲、歌曲集「冬の旅」全曲をレッスンに持って行き、あまりに全てをフィッシャー=ディースカウのコピーのように歌うため、先生からあきれられた。「冬の旅」「美しき水車小屋の娘」「白鳥の歌」は勿論のこと、シューマンの「リーダークライス」や「詩人の恋」、ブラームス、ヴォルフの歌曲のレコードは、擦り切れるほど聴いた。僕のお気に入りは、カール・リヒター指揮の「マタイ受難曲」で歌うバスのアリア。特に「我がイエスをかえせ」のキビキビしたテンポ感には痺れましたなあ!
 ベルリンに留学してすぐに、ドイツオペラ歌劇場で見た「フィガロの結婚」の伯爵が忘れられない。もうエロじじいそのもので、ここまで演じ切るかと思うほど、見事な役作りだった。

 今でも、ドイツ語の合唱を指導する時に発音や表現の仕方に関して手本としているのは、ノルベルト・バラッチではなく、フィッシャー=ディースカウである。ドイツ人でもここまで徹底して「全ての単語を理解される」ドイツ語で歌っている歌手はひとりもいない。
 そうした彼のあざといくらいの彫りの深い言語表現が、ドイツ語に慣れない日本人を相手に指導する時に一番役に立つのである。今でも折りあらば彼のリートに耳を傾けるのだ。

 フィッシャー=ディースカウの訃報に接して、ひとつの時代が終わったという感を強くした。もう、彼のような歌手は二度と出て来ないであろう。それほど、彼は偉大であった。心から彼の魂の冥福を祈りたい。合掌!

フォークトのローエングリンは凄いぜ!
 クラウス・フロリアン・フォークトが来日して、新国立劇場「ローエングリン」の主役が全員揃った。合唱が休みの間にソリスト達だけでローエングリン絡みの立ち稽古を集中的に行い、5月15日火曜日はいよいよ合唱と合体。第1幕ローエングリン登場のシーンから始まる。
 フォークトが第一声を発するやいなや、稽古場を埋め尽くしている合唱団達の間に衝撃が走った。
「えっ?なんて楽々と歌うの?」
このほとんどアカペラの歌い始めは、発声法で言うとちょうどチェンジ区域にあたり、不安定になり易い音域。誰でもとても緊張するところ。だがフォークトの歌い方にはなんの困難も感じられない・・・・というか、あのように歌われてしまうと、逆にあたかも誰でもあんな風に軽々と歌えてしまうはずではなかったかと錯覚する。
 基本となっている声は、ヘルデン・テナーとはとても言えない。むしろアントニーノ・シラグーザなどのような軽快leggieroなロッシーニ向きの声。ポジションがとても高いところにあって、目をつむって聴くとアルト歌手のようだ。あるいは、さだまさしのような女性声と言ってもいい。でもそのままクレッシェンドしていって、輝かしいフォルティッシモになると、もはやleggieroなどでは決してない。信じられないくらい男らしく強い声。驚くべきはそのコントロールの技巧!どんな音域でもどんなダイナミックでも自由自在なのだ!
 開いた口がふさがらないとはこういうこと!しかもテノールにしては珍しく、背も高く、甘いマスクと抜群のスタイル。休み時間になると、男性団員は彼の発声のことを口々に語り、女性団員はそのカッコ良さにひたすらため息をついている。

 フォークトは、たとえばヨナス・カウフマンのドラマチックなアプローチとは正反対だ。僕は一昨年の夏、バイロイトでカウフマンのローエングリンを聴いた。カウフマンの魅力は、なんといってもあの輝かしいフォルテにある。同時に、弱音のテクニックにも優れ、彼も素晴らしいコントロールのテクニックを持っているが、フォルテとSotto Voceとの間には少なからずギャップがある。ここまではフォルテ・モード、ここからはピアノ・モードと決めていて、そこに人工的なものを感じ、
「ほら、僕はピアノもこんな風に出るんだよ」
と言われているような違和感があった。
 ところがフォークトは、ささやくようなピアニッシモからメッゾ・ピアノやメッゾ・フォルテを通ってフォルティッシモまで、全く連続的につながっており、なんのギャップも感じさせない。まさに天衣無縫な声。
 さらに、音楽的感性が抜群で、フレージングや様々なニュアンスが見事に描き分けられており、あたかもドイツ・リートを聴いているようなきめ細かな表現が全編に渡って聴かれる。それでいて、表現に人工的要素は一切感じられない。一昨年は、バイロイトの「マイスタージンガー」で彼のワルターを聴いたが、ローエングリンこそ、彼の特質を最も効果的に表現出来る役だ。テノールという難しい声部でこんな風に見事にやってのける歌手は、現在世界中で誰もいないと断言する!しかも今は絶好調だ!

 相手役のリカルダ・メルベートのエルザもリリカルで美しいし、ゲルト・グロホフスキーの演じるフリードリヒ・フォン・テルラムントのドイツ語の語り口も驚嘆に値する。王の伝令の萩原潤さんも美声で大健闘している。
 最初の練習で、フォークトは僕のところにわざわざ来て、
「合唱、凄いじゃないか!」
とニコニコ笑って言ってくれた。彼に褒められるとちょっと嬉しい。

 指揮者のペーター・シュナイダーは、1990年に日生劇場で「トリスタンとイゾルデ」を指揮していて、当時僕は彼のアシスタント・コンダクターを務めていた。それからバイロイトでも一緒になっていたし、新国立劇場「薔薇の騎士」初演でも一緒に働いているので、来日する外国人指揮者の中では親しい方だ。
 合唱の練習の時にシュナイダー氏は、僕がバイロイト風(あるいはノルベルト・バラッチ風)に音符の処理をしていた何箇所かについて、自分はこうやりたいのだと訂正させた。休憩時間にいろいろ話している中で、
「君が、バラッチから習った通りにやっているのは知っているよ。でもねえ、僕はこの箇所については、本当はさっきやったようにやりたかったのだ。バイロイトでもね。ところが、バラッチはあの通り強いだろう。だから勇気を出して言えなかったのだ。やっと自分の思う通りに出来るよ」
と、恥ずかしそうな顔をして言う。
 そういえば、バラッチはよく指揮者相手にしても、ひるむことなく徹底して自分の主張を押し通していたなあ。1999年には「パルジファル」でシノポリと大喧嘩したしね。合唱指揮者ってあそこまで出来るんだ、と驚きと羨望の眼差しで眺めていたものだ。それまでの我が国の、音取りをして公演指揮者に渡すだけの立場の弱い位置づけとは大違いだった。
 それ以後、僕も、合唱指揮者という地位の確立に心血を注いできたと自負しているが、それでもね、僕は最終的には、マエストロには自分の音楽的意図を実現してもらいたいと思っているから、自分の想いをゴリ押しするのではなく、マエストロの音楽作りとのコラボを楽しむ方を選ぶ。この辺が、バラッチと多少袂を分かつ部分だ。

杏奈の束の間の滞在
 次女の杏奈がパリから瞬く間にやってきて瞬く間に去っていった。杏奈の乗った飛行機は、火曜日の午後1時に着くはずだったが、遅れに遅れて4時過ぎにやっと着いた。家に着いたのは夜の8時くらい。そして木曜日の夜の便で帰ったので、本当にわずかな滞在。
 滞在中彼女は、タンタンと一緒に行った散歩コースを歩いたり、タンタンの写真を整理したり、ほとんど全ての時間をタンタンだけの為に捧げた。それでも帰って行く時は泣いていたというから、どれだけタンタンのために労力を費やしても果てはない。

 志保は、杏奈に付き合って火曜日の夜中にラーメンを食べに行って口内炎が出来たりしていた。二人だけの姉妹とはいえ仲が良いのは端で見ていても気持ちが良い。パリに二人で住んでいた時は、よく喧嘩していたみたいだったけどね。
 とにかく僕達家族は、杏奈を交えてタンタンの話をしまくった。彼女は時差ぼけを直そうとも思わず、寝たい時に寝て起きたい時に起きていた。その方がパリに帰った時に即活動出来る。
 木曜日の早朝、妻と杏奈と三人で散歩したら、杏奈がポツリと言う。
「昨晩タンタンの夢を見たよ。タンタン、みんなのところに現れて、それから空を飛んでた」
チェッ、僕のところにはちっとも現れてくれないのに・・・・。
「でもみんな、タンタンが死んでいることは知っているんだよね。知ってて普通にいつものように可愛がってた」
ふうん・・・・。

 杏奈が日本を発った次の日の金曜日の午前中、志保のGALAXYに杏奈のiPhoneからチャットが入った。
「アブダビで暇してる」
志保はピアノの練習をしていたが、
「ヤバイ、チャットが始まっちゃった。暇人(ひまじん)に付き合っている場合ではないんだけどなあ」
と言いながら、楽しそうにチャットをしていた。
 写真は、ガランとした何も無い空港に意味不明のラクダの像が置いてある風景。だいたいエティハド航空の中継地アブダビって、名前だけは聞いたことあるけど、どこにあるのかもよく分からなかった。調べてみると、アラブ首長国連邦の首都でアブダビ首長国に属する。隣はドバイ首長国ということだから、ドバイとも近い。成田から12時間弱乗って、アブダビでトランジット。さらに5時間くらいかかってパリのシャルル・ドゴール空港に向かう。

 いやはや、格安航空料金とはいえ、行き帰りにこれだけかかってタンタンの為に帰国するんだもの、タンタンだって杏奈の夢に登場するくらいのサービスはするわな。

 後日談。アブダビ発パリ行きの飛行機もまたまた数時間遅れて、杏奈はシャルル・ドゴール空港からバイト先に直行しなくてはならなくなったらしい。家に帰ることも出来ずに、サン・ミッシェル界隈の公園で時間を潰しながら志保に電話してきた。
「もう、生涯二度とアブダビ経由は使わない!」
としみじみ言っている。

前に進もう!
 心が爆発しそうなほど耐え難い時期は確かに過ぎ去ったが、淋しいには変わりはない。でも、一番恐ろしかったのは、悲しさや淋しさではなかった。むしろ虚無感や喪失感であった。

 皆さんに笑われるのを覚悟で告白する。僕はタンタンと心が通じ合っていた。いろんな時にそれを確認していたが、特に、最後に国立駅前で別れた時、タンタンの瞳は紛れもなく僕に「なにかとても大事なこと」を告げていた。
 言葉で言ってしまうと、こういうことだ。
「僕はもう君と二度と会えないよ。それと、君は僕にとって本当にかけがえのないひとだったよ」
僕はそれを完璧に理解していた。本当はその時に分かっていたのだ。でも僕は、潜在意識でそれを理解しても表面意識で認めることを拒否した。あまりにそれを受け容れることは辛すぎて、僕の魂はガードして封印してしまったのである。

 今分かる。僕はそこまでタンタンと魂の領域で通じ合っていたのだ。それなのに、そのかけがえのない関係が、ある日全く一方的にぷっつりと途切れてしまったなんて、どうして信じることが出来よう!タンタンと過ごした11年と何ヶ月の間に、二人で少しずつ積み木を積み上げるように築き上げていった信頼関係。それがある日、無残にもガラガラと崩れ去ってしまったなんて、どうして受け容れることが出来よう。そして、もう二度とこの世で、その契りも絆も愛も確認することが出来ないなんて・・・・それが現実だなんて、どうしても認めたくないんだよね。
 それに・・・・これからは、まるでそんな絆なんて全く最初から存在していなかったかのように暮らさなくてはならないのか?それとも、すでに録音や録画されたものをエンドレスで流すように、何度も何度も繰りかえし思い出を辿るしかないのか?
 でもね、思い出には未来はないんだ。単なる過去形であり、手のひらのあちらこちらからこぼれてしまった砂のように、今となっては何も掴むことは出来ないんだ・・・・。

 でも、救いはある。ひとつは、あの最後のタンタンの瞳に対し、僕もきちんと眼差しで答えたということ。表面意識で否定していたというのと矛盾するようだけれど、あの時、僕は、彼の思いをしっかりと全身で受けとめることが出来た。そしてその瞬間、僕達の時間は止まったのだ。ほんの一瞬だったけれど、お互いの心の中には“永遠”が流れたのだ。
 「トリスタンとイゾルデ」の中で語られるように、トリスタンとイゾルデを結ぶ“と”という言葉が断ち切られることは、「僕とタンタン」の間の“と”にはなかったのだ。そしてこれからも永遠になにびとも断ち切る事は出来ないのだ。

 それと、もうひとつの救いは、僕に信仰があるということ。キリスト教では、犬の魂をどう扱っているのかは知らないけれど、とにかく僕は、いつか自分が死んだらタンタンに会えるという希望だけは持っている。それに、小さきものに注いだ愛は、決して無駄になることはないと信じている。
 何人かの宗教者は言う。
「動物の魂は、人間と違って個別化されていない。群魂(ぐんこん)と呼ばれる種族毎の大きな魂のかたまりがあって、死ぬとその群魂に吸収されていく。生まれる時は、そこから個別的に生まれ出ていく。ところが、人間と一緒に暮らして、沢山可愛がられた犬などは、その魂に「愛された」という良い意味でのカルマが刻印され、そのことによって群魂にあっても個別化がなされている」
 僕はこれを信じたい。タンタンも、僕達と暮らすことになって、愛されることの歓びを覚えたと思う。少なくとも野生動物の世界では、人間が注ぐような愛は注いではもらえないだろうから。そうした愛は、果たして彼らにとって良いのか悪いのかはまた別問題だけどね・・・・人間の食べ物、特に甘いお菓子なんかが動物には有害なように、“愛”も動物にはいらないと言われたら、反論は出来ないけど・・・・・。
 最初は人間から一方的に注がれるだけの愛だったかも知れない。でも、犬といえども、愛され続けていると、その愛に応えようとする個別の意志を持つ瞬間が生まれるのだ。愛のために自分からアクションを起こす事を新しく覚えるのだ。あの時のタンタンの眼差しのように・・・。それは僕には、犬の魂にとって進化のように思えるけれど・・・・。

 たかが犬一匹なんだけど、僕は、この世の中に生まれてきて、共に生きる他の魂とかけがえのないつながりを持つことが出来た。この魂の軌跡は誰も消せないし、それが僕の人生における何にも代え難い宝物である。タンタンと過ごした一瞬一瞬において、僕の魂はきらめき輝いていた。しあわせだった。

 でも、もうそろそろこうやって未練たらしく書くのはやめにしようと思う。霊感の強い志保は、僕の親父が亡くなった時は、部屋でうろついている親父を見たりしていたけれど、今回は何も見ないし何も感じないという。
「タンタン、どこにもいないよね。気配が全くない。あの子、なんにもこの世に未練がないんだろうね。もう真っ直ぐ自分の帰るところに行っちゃったんだ」

だから僕も、自分の執着でタンタンを下界に引き留めるようなことだけはやめようと決心した。
 
さあ、前に進もう!
生きなくっちゃ!


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