畑中良輔氏のこと

 五月に入ってから、犬といい人間といい、僕の身の回りからかけがえのない存在が次々と亡くなっていく。一体どういう月だ!愛犬タンタンが死に、あの偉大なフィッシャー=ディースカウが亡くなって驚き悲しんでいたら、もっと驚くことが起きてしまった。ブル先生という、タンタンのお友達のようなニックネームを持つ、もうひとりの偉大なるバリトン歌手が他界された。すなわち、畑中良輔(はたなか りょうすけ)氏である。

 畑中氏は、あれだけビッグな人なのに、とても気さくで飾らない人で、いつもなんとなく親しみやすい雰囲気で周りの人達を惹きつけていた。でも、音楽を見る眼は的確で冷徹で、その研ぎ澄まされた感性は晩年まで衰えることはなかった。僕は、特に師弟関係とかはなかったけれど、熱心なカトリック信者だった奥様の畑中更予(はたなか こうよ)さんと僕の家族が教会を縁として親しかったり、いろんな偶然が重なって、折ある毎に親しくさせていただいた。

 畑中氏に最初にお会いした時のことは鮮明に覚えている。群馬県立高崎高校の10歳上の先輩に塚田佳男(つかだ よしお)さんというピアノ伴奏者がいる。由紀さおりと安田祥子のデュエットの伴奏で紅白歌合戦に何度も出たことのある人だ。高崎高校グリークラブの指揮者として来ていて、僕が最も影響を受けた人でもある。
 その塚田さんがカオスの会という室内楽中心の演奏会マネージメント組織を立ち上げ、自分のピアノの師匠である小林道夫氏やいろんな演奏家を呼んでいた。僕達高崎高校グリークラブ現役生は、演奏会をタダで見れた。ただし、切符のもぎりを手伝ったり、会場係をしたりしなければならなかった。
 演奏会が終わると、打ち上げの焼き肉屋に連れて行ってもらった。でも、演奏者にはカルビがふるまわれたが、僕達現役生にはホルモンのみが与えられた。それでもご飯だけはたらふく食べられたし、場合によっては演奏者と話しも出来たので、僕達はいつもカオスの会が楽しみだった。その数ある演奏会の中に、畑中良輔バリトン・リサイタルがあった。伴奏は勿論塚田さんがした。
 当時高校生で、声楽の勉強をしていた僕にとって印象的だったのが、畑中氏の歌うパパゲーノのアリアであった。特に「首つりのアリア」と呼ばれる最後のアリアが素晴らしかった。畑中氏は巧みに声のトーンを変え、顔つきやしぐさを変え、パパゲーノに成り切っていた。その頃は、畑中氏はすでにほとんどオペラには出演していなかったが、僕は、この人は心底オペラが好きなんだなあと思ったし、どうしてオペラにもっと出ないんだろうとも思った。それほど見事であったのだ。

 塚田さんがその時僕を畑中氏に紹介してくれた。僕が声楽を勉強していると言ったら、
「頑張ってね!芸大で待ってるよ」
と言ってくれた。その言葉が嬉しくてみんなに言って歩いた。でも実際には僕は芸大声楽科には受からなくて国立音楽大学に行ったし、その後何年も経ってから芸大の非常勤講師で呼ばれた時には、畑中氏はすでに退官されていた。惜しかった。

 時代は下る。2005年の夏。僕が新国立劇場の高校生の為の鑑賞教室で、最初に「蝶々夫人」を指揮した時、畑中氏はわざわざ楽屋に来てくれて、
「三澤君、とってもいいじゃないか!テンポがみんな収まるところに収まって、どこも自然で。こういうプッチーニが欲しかったんだ!」
と褒めて下さった。そのお言葉が、どれだけ僕の心に勇気を与え、励みとなったことか。

 最近では、僕が文化庁在外研修に応募した時、推薦書を書いていただいたのが、他ならぬ畑中氏であった。この歳になって新国立劇場を休んでミラノのスカラ座に3ヶ月研修に行くことに関しては、
「今頃行ってどうするんだ?もう充分キャリアがあるではないか?もっと若い者達に道を譲るべきではないか?」
といった声があちらこちらから聞かれたので、畑中氏に推薦状をお願いする際にも、同じようなことを言われたらどうしようかと思って恐る恐る頼んだ。
 でも僕が応募の理由を説明すると、畑中氏はむしろ僕のいくつになっても前進しようとする意欲をとても評価し、励まして下さった。それに師弟関係でもないのに自分のところに頼みに来てくれた事を喜んでいらっしゃるようでもあった。そして、あの多忙のスケジュールの中、二つ返事で推薦状を引き受けてくれて、すぐに素晴らしい文章を書いてくれた。だから畑中氏の推薦のお陰で僕はミラノに行けたと信じている。

 最後にお見かけしたのは、今年2月の「沈黙」公演の時である。車椅子に乗っておられたけれど、まだまだお元気であると感じられたのに・・・・・今頃天国で奥様の更予さんや若杉弘氏などと会っているんだろうな。
「更予、しばらくだね!ピノ(若杉氏のこと)!どうだい、元気でやってるかい?」
なんて感じだろうね。

 若杉氏や鈴木敬介氏、それに五十嵐喜芳氏など、戦後の日本のオペラ界を牽引してきた重鎮が次々と他界していく。戦後の荒廃から立ち直って、何も無いところから日本の音楽界を築き上げたあの世代の人達のハングリー精神とエネルギーは凄いと言う他はない!それに代わるビッグな存在が今の日本の音楽界にあるかというと、かなり心許ない。
 勿論人のことを言っていないで、僕等の世代がもっと頑張らなければいけないのだが・・・・・ともあれ、もう僕を叱咤激励してくれる人がほとんどいないのは淋しい限りである。

畑中先生!安らかに・・・・合掌!

オランジーナ
 昔、ソルボンヌ大学夏期講習でフランス語を勉強するために、パリに一ヶ月滞在していたことがあった。その頃愛飲していたオランジーナが、何故か最近日本で大量に出回っている。オランジーナは、早く言えばオレンジ・ソーダなのだが、その味はちょっと特別なのだ。オレンジだけでなく皮の香りがして、しかも後味がとても爽やか。
 それまで我が国では、紀ノ国屋など外国商品を扱っているスーパーなどでしか買えなかったけれど、今ではどこのコンビニでも売っているし、自動販売機でも缶のタイプのものが買える。一体誰が仕掛けたのだろう?まあ、いずれにしても僕にとってはとても嬉しい。みなさんも一度飲んでみてね。絶対に納得するから。


ヴェルレクの負の霊的パワーを超えて
 愛犬タンタンが死んでから、この曲を勉強するのが何よりも辛かった。この曲だけはやりたくなかった。どうしてこのタイミングで?と何度も絶望的になりながら思った。ヴェルディ・レクィエムの中には、どのレクィエムよりも強い“悲しみの感情”がある。そうでなくてもレクィエム(鎮魂曲)だ。どうしても亡くなったタンタンに対する悲しみの感情とカブるに決まっている。

 実は、この曲の勉強が佳境に入ってきた先週、感情だけでなく、肉体的にもこの曲にヤラれてしまった。冒頭の音楽からして、この音楽の持つ暗い色調が自分の喪失感と妙に共鳴し、魂が異次元の世界に同通してしまうのだ。そして、気持ちがどこまでも沈んでいって、心に絶望感だけが果てしなく広がってくる。こんなことは生まれて初めてだった。
 とうとう体にも変調をきたすようになった。先週の火曜日くらいがピークだった。まず胃の下あたりに引っ掛かるものがあり、食べ物が入っていかない。にぶいお腹の痛さがずっと続いて食欲が出ない。およそ僕の生涯において食欲がないなどということは、ほとんどなかっただけに、妻の手作りハンバーグを半分も食べないで残し、その後すぐにベッドに入った時などは、家族みんなで本気で心配した。
「パパ、タンタンの後を追って死んじゃうんじゃないの?」
と志保は言う。
「みんなの笑いものになるからやめてよね」
と妻は真顔で言う。
 僕も、なんとかしなければとは思うのだが、一方でヴェルディのレクィエムの勉強も中断するわけにもいかない。そこで霊的にあまり影響を受けない部分の勉強に集中した。

 一番激しいDies Irae(怒りの日)は、知らない人から見ると影響受けそうに思えるかも知れないが、この部分はヴェルディのいつものドラマチックなオペラ的表現であり、一番客観的になれる部分だ。ただ、たとえば本番で、意図的に東日本大震災の地震や津波の阿鼻叫喚と同通させようなどとしたら、いろんなものを無制限に呼び込んでしまい、大変なことになるだろう。
 一番距離を置いて勉強出来るのは、SanctusやLibera meのフーガの部分。こういう箇所は、作曲家が、感性ではなく頭で考えて作っている要素が強いので、こちらも淡々と曲に向かえる。勉強する側にしても、テーマの重なり合いを頭に入れて、アインザッツを出すイメージトレーニングを行わなくてはならないので、スコアリーディングで一番時間を使う箇所でもある。

 さて、ではどういう部分が一番霊的にヤバいか、特別に皆さんに教えよう。ヴェルディのレクィエムの中で、最もこの世とあの世との境界線が曖昧になって、向こうの世界に魂がスルリと入ってしまう箇所はLacrimosaに集中している。
ペータース版で677小節から680小節までの4小節間は特に危ない。響きが彼岸からやってきているので、意識がこちら側に戻ってこない可能性がある。
ついで順不同になるが、657小節から660小節までの重なり合うテーマの箇所。いや、Lacrimosa全体が特別な色調に包まれていて、これを書いていたヴェルディの心境はかなり死に接近していたと思われる。

 それ以外に彼岸の響きのする箇所を列挙してみよう。
No.1 Requiemの冒頭。
第2部のHostiasの冒頭と、Quam olim Abrahaeのフーガの後の218小節から結尾部分まで。
Lux aeterna全体。
その他にもIngemiscoの冒頭とか、各曲のちょっとした合間だとか、数え上げたらきりがないが、だいたい静かな部分に集中している。
 こうした部分は、音楽もそう難解ではなく、作曲家は感性を全開にして作曲しているだろうから、特にレクィエムということになれば彼岸からインスピレーションが直通で入ってくるのだろう。

 今回あらためて思ったのは、音楽の持つ具体的な力だ。“負の霊的パワー”と言ってもいいかも知れない。逆の意味で音楽って凄いなと思った。音楽でここまで表現出来るのだ・・・というか、音楽ってここまで魂の領域と直接つながっていて、内面から影響を与えるものなのだ。
 だとすれば、こうも言えないだろうか?僕の体を蝕んだようなこうした負の霊的パワーを演奏会で全開させたらどんなことになるんだろう?もしかしたら、もの凄いレクィエムになるのだろうか?
 いやいや、そのまま無制限にそれをしたら、むしろ僕自身が倒れてしまうだろう。それに、この演奏会の後で「自殺者続出!」なんてことになったら大変だろう。それは黒魔術にもつながる要素であって禁じ手だ。でも・・・・正直な話・・・・こうした演奏も世の中にはあってもいいような気もするなあ・・・・死ぬ前に一度くらいはやってみたい気もするなあ・・・・。なんというヤバい誘惑!

 それより、僕の体調がどうして戻ってきたか聞いて下さい。それはバッハのお陰なのだ。23日の水曜日のことだ。この日は、僕の姉の夫(つまり義兄)の三回忌の法事で、体調が悪いのを押して群馬に帰っており、そこから東京バロック・スコラーズの練習に直行した。僕は、練習の最中にみんなに体調が悪いことを告げようと思っていたし、場合によっては早退しようとすら思っていたのだ。 
 でもね、不思議とバッハの練習をやっている内にどんどん体調が戻ってきたので、結局何も言わないで済んだ。団員も、恐らく気付かなかったと思う。これまでにもよくあったが、バッハの音楽を演奏しているとそれだけで元気になるのだ。
 バッハの音楽の中には絶対的とも言えるまばゆいほどの光があり、それが僕の魂と体を内面から輝かし、治してしまうのである。音楽療法とかやっている人は、研究してみたらいいテーマだ。モーツァルトのことはよく言われているが、僕にとってはなんといってもバッハだ。
 それで、僕にひとつ安心要素が生まれた。それは、レクィエムで負の霊的パワーに負けそうになったら、バッハの音楽に触れればいいのだということ。

 その日を境にただちに全快というわけでもなかったけれど、少なくとも、その時から目に見えて良くなってきた。食欲は戻ってきたし、発想もポジティヴになってきたし、週末には体からエネルギーが漲ってきた。嬉しいことに、レクィエムに向かい合ってもだんだん大丈夫になってきた。
 さて、そうなってみると、逆にこの曲の持つ負の霊的パワーを使わない手はないなあとしだいに思うようになってきた。でも、うっかり不用心に近づいて元の木阿弥になってしまってはなんにもならない。自分自身がその負の霊的パワーに飲み込まれてしまわないように、音楽との距離を計りながら、自分のポジティヴな霊的パワーを高め、自分の意識をしっかりもって、それらをコントロールしながら演奏を行えるように持っていかなければならない。

 これから6月3日の演奏会に向けて、逆にチューンアップを行っていこうと思う。先ほどの生と死の境界線のユルイ曲では、向こう側に行ってしまわないよう意識をコントロールし、本番では軸をこちら側に残したまま、片足だけちょっと向こう側に入れるよ。そのためには完全に健康体で臨まないと危ないし、逆に自分の体力を全開にして出来うる範囲でギリギリまで向こう側に行こうと思う。

これは面白いことになりそうだぞ!

 とにかく、今度のヴェルディ・レクィエム演奏会は、なにか特別な演奏会になりそうな予感がする。僕は、みなさんをあちら側に引きずり込むだけではなく、悲しみの中から生きる希望を導き出し、慰めと愛で会場を満たすような演奏をめざすつもりだ。うまくいったら、まさに愛犬タンタンの死が無駄にならなかった事を証明することになる。

みなさん、楽しみにしていてね!


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