合唱指揮者の宣言

 ローエングリンが千秋楽を迎えた。ローエングリン役のクラウス・フローリアン・フォークトと、指揮者のペーター・シュナイダーに対するブラボーは、回を重ねるごとに多くなり、ついに最終日は嵐のような騒ぎになった。ドサクサに紛れてというわけでもないが、僕もこれまでにないブラボーを受けた。 
 人の評価というものに左右されないで、自分の納得のいく音楽を追究することをモットーにこれまで音楽人生を送ってきた僕であるが、それでもあのような歓声を浴びると、自分の追求してきたことが間違っていなかったと思って、とても励みになる。

 ただ、こうも思う。これからが僕の合唱指揮者人生の本当の出発点なのだ。シュナイダーは最終公演が終わった後で、僕の目をじっと見つめながら、
「本当にあの響きはバラッチのようだった。デリケートで深くて・・・・」
と言ってくれた。でも生意気のようであるが、僕は嬉しかったけれど有頂天にはならなかった。何故なら僕はバラッチではないからだ。

 とうとうバラッチを卒業しなければならない時が来たようだ。僕は、これから三澤洋史の音を作らなければならない。バラッチ・ブランドのイミテーションを作り続けるのではなく、どんなにつたなくてもミサワ・ブランドを確立しなければならないという声が、心の奥から聞こえるのだ。
 それは道しるべのない見知らぬ道。学ぶべき師も追従するべき先人もいない。頼りになるのは自分の感性のみ。でも、僕は僕なのだから。自分の内面から湧き上がってくる想いに忠実に生きるしか出来ないのだ。
 バイロイト祝祭劇場。ミラノのスカラ座。みんなみんな、それだけで押しつぶされそうになるくらい凄いが、それを分かっていて僕は決心する。ここまで僕を連れてきてくれたそれらを土台にして、そこから僕は、自分の残りの人生をオリジナル・サウンドの構築に捧げる!

これが僕の今日の宣言!

君も一緒に散歩しているの?
 毎朝、基本的に妻と二人で散歩している。でも時々妻が、用事があったり、前の晩眠れなかったり、体調が悪かったりしてギブアップすると、僕は一人で出掛ける。そんな時は決まって、いつものコースを離れて、昔愛犬タンタンと散歩したコースを歩いてみる。ひとりなので話しかける相手もいないから、タンタンのことを想い、心の中でタンタンに話しかけながら歩いている。
 するとよく、前を行く散歩中の犬が何度もこちらを振り返ることがある。そうすると、僕は少しだけしあわせな気持ちになる。ああ、タンタンが来ているんだな、僕と一緒に歩いているんだな、と思うからだ。僕には見えないけれど、犬には見えるんだろう。そうでなければ、今の僕はもう犬の匂いはしないし、よその犬が何度も振り返る理由などないもの。

 タンタンが死んでから天国へのあこがれが強くなった。散歩に出る以外はずっと家の中に閉じ込められていたタンタンの生涯を振り返ると、今では絶対に生前よりも自由で素晴らしいところにいるに違いないと確信する。
 肉体になど縛られていないで、魂の世界は自由なのだ。きっと今頃嬉嬉として天空を駆け巡っているに違いない。いや、タンタンだけでなく、僕たちも、こんな窮屈な肉体に束縛されている現世よりも、絶対、あっちの世界の方がいいに決まっている。

 死んでからすぐには、僕の家や身の回りにタンタンの気配のかけらもなかったのは、人間のようなこの世への執着や未練が全くなかったからだと思う。でも、行くべき所に行って落ち着いたら、今度は「地上に残してきた自分を大切に想っている人」が少しは気になり始めたかな?
もしかして、
「可哀想だからちょっと様子見に行ってやろうか」
なんて思っているのかな。タンタンを忘れられずにいる僕たちを、逆に哀れんでいるのか?だとしたら、犬の分際で上から目線だな、あいつ・・・・。

 そうさ、いまだに食べ物をテーブルからうっかり落とした時は、条件反射的にタンタンに取られる前に拾おうとしてピクッて動いて、妻や志保に笑われるんだ。頭では分かっていても、体が自然に動くのだ。
 食事が終わってまだ食べ物が残っているテーブルから離れる時には、上に登られないように椅子を内側に引くし、クラビノーバでスコアの勉強する時には、タンタンが膝に登らないのにあぐらをかいている。でも、そんな時には、見えないけれどちゃっかり乗っているかも知れないとも思うが・・・・・とにかく、12年近くも一緒に住んでいたのだもの、習慣がそう簡単には抜けないのは当然さ。

 志保は今でも夜中に酔っ払うと、
「タンタンに会いたい!」
と言って泣いているし、杏奈はパリのモンマルトルのアパルトマンの一角に、とっても素敵なタンタン・コーナーを作ってお花を絶やさない。

 まだまだ、平常心でいられるようになるまでには時間がかかるな。あんなに可愛がっていたんだもの。当然だろう!

PS: もしかしたら、タンタンが一緒に散歩しているなんてことは全然なくて、僕の全身から犬好きのオーラというか波動が出ていて、それによその犬が反応している だけかも知れない。まあ、そんなことはどうでもいいさ。僕はただ、タンタンが 一緒に散歩しているって思いたいのだ。「信じる者は救われる」ってやつだよ。

マウンテン・バイク
 もう一台マウンテン・バイクを買った。またLOUIS GARNEAU ルイガノだ。なんだかこのデザインとロゴのカッコ良さに惹かれてしまうんだな。どうして新しいのが欲しくなったのかというと、最近人気沸騰の29インチのタイヤのタイプを試してみたくて仕方なかったのだ。それに今度は「なんちゃって」じゃなくてちょっと奮発して本格的なリアル・マウンテン・バイクが欲しかった。
 ところが、そのモデルは大人気商品だったのだ。で、発売と同時に売り切れてしまっていて、どこの自転車屋に行って予約しようとしても、インターネットで検索しても全然手に入らない。さらに高いランクのモデルも手に入らない。仕方ないので、1ランク下の「なんちゃっての上」くらいのカジュアル・マウンテン・バイクを買った。別にレースとかに出場するわけでもないので、これで全然構わないのだけどね。

 一方志保は、以前からマウンテン・バイクが欲しかったという。特に最近は、(ちょっと太ってきたので、シェイプアップのために)マウンテン・バイクに乗って都心のオペラの練習に通いたいなんて言い始めた。
 でも、まだ駆け出しの彼女は、マウンテン・バイクを買う経済的余裕はない(頻繁に呑みに行く余裕はあるみたいだが)。で、僕が新しいのを買ったらお下がりを志保にあげることになった。ところが色が気に入らないという。
「なんで?黄色で可愛いじゃないか!」
と言っても聞かない。
 そしたら救世主が現れた。新国立劇場合唱団のテノール団員で、他の団員のバイクのパーツを好みに合わせて取り替えたり、色を塗ったりしてあげている整備工の経験のあるKに訊いたら、
「お安いご用ですよ。好きな色に塗ってあげますよ」
と言うのだ。

 ということで、まだ色は塗っていないが、このように2台並ぶと壮観でしょう。志保は白が好みだというので、いずれ2台とも白になるのだ。29インチ(通の間ではツーナイナーと呼ばれている)は、26インチの通常サイズと比べると、かなり大きい感じがするだろう。

LOUIS GARNEAU


 で、実際どう違うのかって?そうねえ・・・・プラスとマイナスの面がある。はっきり言って走り始めはかなり重い。すぐそこまで買い物に行くのには適さない。買ってから初めて走り始めた時、
「おもっ!」
って思って、がっかりした。
 でも走り続けると、タイヤが大きいだけあって、スピードはかなり出ることに気が付いた。走り始めが重いので、信号で止まりたくないのが難点。僕にとって一番嬉しいのは、起伏への対応性が圧倒的に優れている点である。タイヤが太いので、デコボコのところで衝撃がかなり吸収され、快適なのである。

 ええ?そんなデコボコのところに行くの?って訊く人がいると思うが、行くのである。って、ゆーか、行きたいのである。あんまりないんだけどね。公園とかなるべく探すのだが、良さそうなところは子供が占領しているんだ。まったく!つーか、普通そんなところへ、こんなおっさんが行かねーだろ。

 速く快適に走るだけだったら、マウンテン・バイクではなく、むしろシティ・バイクの細めのタイヤの方がスピードも出ていいですよ、と自転車に乗る人は忠告してくれる。でもね、僕はマウンテン・バイクが好きなのだ。僕はオフロード派で、音楽家としても人間としてもちょっとアウトサイダーなのである。それにマウンテン・バイクは、スキーのオフピステ(非圧雪地帯)のイメージ・トレーニングに最適なのだ。
 普通の道を走っていても、誰もいなければ、僕はゲレンデのつもりになってジグザグに走りながら、出来るだけ体を傾けてみる。坂道になればもう絶好調だ!マウンテン・バイクのタイヤは、道路にピタッと張り付いて、かなり急なカーブを描くことが出来るので、切れ味の良いカーヴィング・スキーの気分が味わえる。
 でも、スキー場と一番違うところは、向こうの曲がり角から突然人が現れたりするんだ。そんな時はとっても気まずい。恐らくこれまでに何人もの人に、
「なんて子供みたいなふざけた走り方をしているんだ、この変なおじさんは!」
と思われているに違いないのである。ああ、恥ずかしい!言っておきますが、人にぶつかったり危害を加えることは決してしませんからね。

 話はちょっと変わるが、カーブの練習をしながら、SAJ(全日本スキー連盟)の指導する「自然で楽なスキー」はやっぱり間違っていると確信した。カーヴィング・スキーは、自転車のように体を傾けるだけで簡単にカーブ出来るというのだが、自転車でさえカーブする方向に体を倒すだけで曲がったりはしない。それで出来ないことはないが、それでは不安定になるのだ。
 何故なら・・・・ここが肝心な点なのだが・・・・頭部が直立姿勢から離れれば離れるほど、人間の平衡感覚は正常でなくなり、判断を誤る可能性が高くなるからだ。実際、頭部を自転車の倒れた角度と同じだけ曲げたカービングを何度か繰り返すと、それだけで船酔いのような状態となってしまうのだ。
「うわあ、目が回るうっ!」
と、遊び感覚でハイブリッド・スキーイングをやるのは否定しないが、この方法ではとても競技には耐えられないし、不整地など不安定で滑れたものではない。要するにこの方法は、自転車でもスキーでも、我々をどこにも連れて行ってはくれないのである。

 では、自転車の理想的な曲がり方はどうかというと、以下の通りである。まず、カーブすると決めた時に、曲がる方向と反対方向に上体を少しだけひねる。それから、カーブするにつれてますますひねりながら、車体をどんなに傾けても、上半身、特に頭部はなるべく起こすよう心がける。まさに、アルペン・スキーのポールを曲がった時のあの格好であるし、ハロルド・ハーブHarald Harbが著書Essentials of Skiingで奨励している姿勢そのものである。これ以外にカーブにおける王道はないのだ!

essentials of SKIING

 ということで、読者の大半にとってはどうでもいいことを延々と書いてしまった。そんなわけでサイクリング大好きなのであるが、残念なことに、梅雨に入ってしまって、自転車で新国立劇場に行ける日々が少ない。その代わりプールにはよく行っている。でも、痩せるためなら、水泳よりも圧倒的に自転車の方がいいのだ。長時間の有酸素運動の典型だからね。

 あっ、今日は梅雨の晴れ間だ!ちょっと早く家を出て、自転車で新国立劇場まで行ってみよう。片道約25キロ、往復50キロの道のりだ。今日の午後は、日中国交正常化40周年記念「アイーダ」(演奏会形式)の合唱練習である。
 またいつかきちんと書くが、新国立劇場合唱団50名と北京の国家大劇院合唱団50名の合同による大合唱となり、日本と北京の両方で公演する。僕も7月終わりから8月初めにかけて北京に行きます。

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