謹賀新年

三澤洋史   

 新年早々、皆様にあやまらなければならないことがある。
恐らく、すでに、
「あれっ、まだ来てないな」
と思われている方がいらっしゃると思う。
そうなのだ。今年は、なんと一枚も年賀状を書いていないのだ。

 昨年の暮れ。読売日本交響楽団の第九をやりながら、早く年賀状を作らなければと思っていた。そこである日、いつもの筆王というソフトを開けて、年賀状に挿入するべき写真をハードディスク内のファイルから探していた。すると見てしまったのだ。あの可愛い僕のタンタンの在りし日の写真を・・・・。
 そしたら、気分は完全に喪中になってしまい、とても「おめでとうございます!」という雰囲気ではなくなってしまった。妻や娘の志保に言ったら、彼女たちもそうだと言う。それで、僕はとうとう、
「もう今年は誰にも出すのをやめよう!」
と決心してしまった。
 それでもまだ、お正月になって群馬の実家から戻ってきたら、すでに図柄が入っている地味な年賀葉書を買ってお返事だけは出そうと思っていたのだ。でもなあ・・・・そんな地味な年賀状って、僕らしくもないし・・・・・とグズグズグズグズしている内に今日になってしまった。

 妻は、ああ言いながらも、枚数は少ないながらコツコツと、どうしても出さなければならない人には書いているようだ。こんなことなら喪中葉書を出すんだったとも思うが、なんだか・・・たかが犬で喪中葉書出したら笑われてしまうしね。

 1月6日の京都ヴェルディ協会の「ファルスタッフ」講演会に向けて勉強していた。ヴェルディ最晩年の最後のオペラの成立過程を調べるためには、「アイーダ」から「オテッロ」までの15年に渡る空白期間のことに触れないわけにはいかない。そして、その間に書かれたレクィエムについても・・・・そこでレクィエムのことを思い出した。
 僕は、一度暗譜した曲は、頭の中でスコアを思い浮かべながら最初からずっと響かせることが出来るんだ。レクィエムの冒頭の和音が頭の中に広がってきた。すると、タンタンが死んだ直後のあの胸のつぶれるような悲しみが蘇ってきて耐えられなくなってしまった。ひとつひとつの和音の変わり目の表情に、僕の感情が染みこんでいたのだ。
 あの頃、この世と彼岸との境目がこの曲と共に分からなくなって、意識があっちの方に行ったり来たりしていたけれど、ヴェルディのレクィエムを頭の中で鳴らすと、僕の意識はいつでも彼岸に行けるようだ。

 おっとっとっと・・・・正月早々、こんな陰気な事を書いていてはいけない。でも、そんなワケなので、どうか皆様、今年皆様に僕からの年賀状が届かないことをお許し下さい。それで、一度書かないと決めたら、誰に書いて誰に書かないという不公平を行わないためにも、いっそのこと誰にも書かないことにしましたから、もしそれでも僕の名前を名乗る年賀状が届いたら、それはニセモノですよ!もしかしたら「オレオレ詐欺」かも知れませんから、絶対に信じては駄目です。
 おっとっとっと・・・・冗談言っている場合ではないのです。本当に本当にごめんなさい!今年僕に下さった方には、絶対に来年はこちらから出しますからね。今年は皆様には素晴らしい年になって欲しいので・・・・それに僕も・・・基本的には立ち直っているので・・・・もっともっとアクティブに活動していきたいので・・・・やっぱり、声を大にして言いましょう!

明けまして、おめでとうございます!

家族、友情そして・・・コブでダンス?

白馬で過ごす年末
 年末はいつものように白馬で過ごした。読売日本交響楽団の第九演奏会が12月26日まであったので、27日の早朝に車で出発し、30日まで滞在した。途中、笹子トンネルが通れないので(29日には片側両面通行開通)、大月インターで中央道を降りて勝沼インターまで国道20号で迂回する。この短距離になんと1時間かかった。まあそれでもなんとかお昼前には白馬に到着した。
 中央道を降りるまでは長女の志保が新米ながら運転し、それからは妻が運転した。安曇野には雪がなく、こんなんで白馬は大丈夫かなと心配するほどだが、大町を過ぎてトンネルを抜けると急に雪国の景色になるから不思議だ。
 ペンション・ウルルはいつものように僕達を暖かく出迎えてくれたし、白馬五竜スキー場の雪はやっぱりいつものように最高だった。でも、今年はいつもと違うことが2つほどあった。

究極の癒し~家族
 ひとつは、白馬に三澤家の4人が全員集合したこと。次女の杏奈は、12月24日のクリスマス・イヴにパリから極上のブルゴーニュ・ワインと共に一時帰国して、そのまま素晴らしいイヴの夕食を用意してくれた。
 彼女はこれまでスノーボードをかじっていたけれど、今回は白馬でスキーを試みた。親友のプロ・スキーヤー角皆優人(つのかい まさひと)君の奥さんの美穂さんに、初日と次の日に半日ずつレッスンを受けて、プルーク・ボーゲンから習い直した。それで最終日にはパラレルまであと一歩というところまで上達した。


 妻は、小学校6年生の時にスキーで骨折したのがトラウマになっていて、何度薦めても絶対に滑らない。でも、僕達が滑っている間に、本を読んだり、編み物をしたり、アルプス平のレストハウスで息を呑むような雄大な自然を眺めたり、滑り降りてくる僕達を見守ったりしていて、スキーをしなくてもかなり満たされた日々を送っていたようだ。


 僕は、昨年の春に、角皆君経由で新しいスキー板をインストラクター価格で買った。その時に長女の志保も便乗してスキー・ブーツを買った。Full Tiltというフリースタイル用のブーツを作る会社のMary Janeメアリー・ジェーンという商品。名前もしゃれているが、デザインや機能性も申し分ない。女性向きでとっても素敵なんだ。僕の靴もそうだけど、インナーブーツを、チューンアップのお店で電子レンジを使って自分の足の形にフィットするように作り替えるので、装着して全く違和感がない。


 僕が今まで滑っていたスキー板のMIURA KLASSIKは、もういらなくなったので彼女にあげた。
「パパのおさがりなんてヤだ!」
と最初言っていたが、その安定性抜群の板で滑り始めたら案外相性が良いらしい。靴と板の両方で、滑りが見違えるように安定してきた。
 面白いもので、音楽でも人間性が出るが、スキーの滑り方こそ性格まる分かりだね。志保は、一見向こう見ずのように見えるが、実は案外安全運転で慎重型だ。もうきちんと滑れているのだから、もっとスピードを出して攻撃的に滑ればいいのに。彼女は転ぶと心が折れると言うんだ。
 僕なんかプライドも何もないので、折れる心もありしない。志保よりずっと下手だった時にだって、彼女の倍以上のスピードで滑ってどんどん転んだからね。まあ、僕の場合は、もう少し慎重になった方がいいね。これまで怪我をしなかったのが不思議なくらいだ。

 家族全員が家に揃っていることはなくはないけれど、自宅にいると、どうしてもそれぞれがバラバラに自分のしたいことをするし外出もするので、こんな風に白馬に閉じ込められて嫌がおうにもベターッと4日間一緒に過ごすような機会は本当に稀だ。娘達がまだ二人揃って留学していた2006年の春に、僕達夫婦がパリに行き、さらにアッシジなどのイタリア旅行をした時以来だろうな。
 彼女たちがだんだん大人になってきて、親元から糸の切れた凧のように離れて行ってしまうのではと思い、これも運命なのだとも思うが、こうして一緒に過ごすと、やっぱり家族の絆の深さを再確認する。社会の荒波の中で、誰にも認められなくても何もうまくいかなくても、ここにはいつも少なくとも自分を認め自分を愛しんでくれる人達がいる。
 家族こそは、互いの存在を無条件で許し合う究極の癒し。家族こそ、それぞれにとって疲れた魂と体の寄港地であり、明日への活動の原動力なのだ。僕も、忙しいと言っていないで、無理矢理暇を作ってでも、お金を遣ってでも、こうした機会を努力して作らないといけないのだと強く強く思った。

高橋君とヴァカンス・スキー
 さて、もうひとつ違うことは、白馬に親友の高橋正光(たかはし まさみつ)君が来たこと。これは、角皆君と二人で、
「ねえ、来いよ、来いよ!」
としつこく誘ったからもあるが、やはりお互いにだんだん歳を取ってきて、会える時に会っておこうという気持ちが働いているのかも知れない。
 ただし高橋君は、自分の税理士事務所が28日まであるので、29日の午前中に着いて角皆君のところに一泊し、30日半日滑っただけだった。その後高橋君は30日の午後、僕達家族の車に一緒に5人乗りして群馬に帰った。
 角皆君は高橋君のことを、
「僕が高校生の頃は、高橋君は僕よりうまかったんだよ」
と言っていたし、高橋君自身白馬に来る前のメールで、
「白馬に行くためにスクワッド100回やって鍛えているからね」
なんて書いてきたので、正直かなりビビッていた。
 ところが白馬に着いてまずはお昼を食べようということになって、「どんどん亭」という天丼のお店に行ったら、
「まずビール飲もうぜ!スキーと言ったらビールじゃないか!」
という。まあ、僕達も付き合って一緒に飲んだが、その後がいけない。彼は一回滑り終えると汗をだらだらかいている。
「やべえ、疲れるな、スキーというのは」
と言いながら、早々と引き上げた。スキー自体は実に上手だ。パラレルで二つのスキー板がぴったり付いている。滑りは美しい。
 高橋君は30日の午前中も、適当に滑ってからさっさとセンターであるエスカル・プラザに戻ってしまった。志保は、僕と一緒に滑りながら途中であることに気付いて、僕に言う。
「ヤバイよパパ。高橋さんがビール飲んじゃったら、高崎まで運転してもらえない!」
そこで僕たちは急いでエスカル・プラザに直行。レストランで高橋君を見つけた。すでに彼の前にはジョッキーが・・・・・。
「あっ!」
「あーあ!」
高橋君はのんびりと、
「どうしたの?」
「いやいや、なんでもない」
彼はもうスキーを続けるつもりはない。というか、もうレンタルスキーもレンタルウエアーもみんな返してしまって、超身軽な格好をしている。それでいながら、
「いやあ、久し振りにスキーが出来て本当に良かった!」
と喜んでいた。僕から見ると、なんともったいない奴!せっかく来たのに、もっとめいっぱい滑ればいいのに!
 でも僕は思った。自分はどうしてもスキーを自分の指揮における感性やテクニックに関係つけようと本気になり、悲壮感さえ漂ってしまう。でも税理士をやっている高橋君にとっては、スキーはまさにヴァカンスでありレジャーなのだ。考えて見ると当たり前のことだ。うーん、そういう生き方があってもいい・・・というか、どうしていけないのだ?まさに目から鱗だね。僕は少し真面目すぎるのかも知れない。もう少し肩の力を抜いてスキーに向き合ったら、逆に見えないものが見えてくるかも知れないと思った。こんなこと、自分からは決して考えつかないよ。


楽しい夕食会
 一方、角皆君は、年末のスキー場といったらかき入れ時なので、日中は「はじめてのコブ・キャンプ」など入っていて大忙し。でも、30日の晩はウルルに全員集合!すなわち角皆夫婦と高橋君と三澤家4人で夕飯を一緒に食べた。これがなんとも楽しかった。
 同級生って本当にいいなあ。まだお互い社会的にも人格的にも固まる前の付き合いだから、何でも言いたい放題で全然気を遣わなくていいんだ。僕の二人の娘達も楽しかったみたいで、
「角皆さんも高橋さんもパパとノリがそっくりだよね」
と言っていた。
 夕食が済んでから、そのままジャズの聞こえるラウンジにみんなで流れて行く。こたつにあたりながら、楽しい語らいはいつ果てるともなく続いた。
高橋君の話だと、それから角皆君の家に泊めてもらいに行ったわけだが、着くなり、
「マーラー聴くかい?」
と言われたそうだ。
「いやいや、夜も遅いからもう結構!」
と断ったそうだけど、僕たち3人とも「なんかヘン」を通り越してチョー・ヘン!

新しい板Velocity
 さて、僕のスキーの話だ。まず新しいVelocityという板は素晴らしい。素晴らしいんだけど、はっきり言って慣れるまで時間がかかった。自分から角皆君に、
「ギュンギュン飛ばせるやつをお願いね」
と言って取り寄せてもらったのだから無理もないが、最初思ったよりスピードがどんどん出てしまって、恐怖感で腰が引けてしまった。それに、カーヴィングがとっても良く利く。今までの板でスピードコントロール出来るところで、まだカーヴィングが利いて切れ味抜群なのだ。
 そんなわけでグズグズしていたんだけど、いつまでも臆病でいてもらちがあかない。気後れしていると体がますます板に置いて行かれる。そこで、これは腹を決めねばと思った。この板に乗ったら観念して恐怖心と戦ってもっと攻撃的にならねばと自らを鼓舞した。そうしたら初めて道が開けてきた。こうやって板が自分を嫌がおうにも駆り立て追い立て、半ば強制的に上達させてくれるのだ。
 スキー板というと、普通思い浮かべるのはサロモンとかオガサカとかだろうが、僕が乗っているK2は、もともとモーグル用の板を専門に作っているアメリカの会社で、Velocityも当然コブを念頭において作られている。
 コブを滑るためにはウェーデルン(ショートターン)が出来ないと話にならない。コブがターンの大きさを決めていき、しかもそのターン弧はたいていとても小さいのだから。その点Velocityはショートターンが大得意である。
 驚いたことに、この板に乗ってから急にショートターンが難なく出来るようになった。ジャンプするように抜重して、反対側の足に乗ると、もうその板がたわんでバネのように反射してくる。そのバネを利用してまたピョンと跳ねると、また反対側で反射する。ぴょん、ぴょん、ぴょんといくらでも出来る。うさぎみたい。へえっ、板によってこんなにも違うんだね。

 28日の角皆君のレッスンは、前半がこの板に乗ってフル・カーヴィングの練習。後半がいよいよコブ・レッスン。今回は昨年と別のライン取りを教わった。昨年習ったのは、コブの頭(トップ)を吸収動作をしながら体をかがめて(屈伸抜重で)滑っていく方法だったが、今年のはコブのトップではなく溝を通っていくコース。
 むしろコブのトップにストックを突いて、一番低いところを回っていく。伸身抜重のままでいい。これだと自然に溝がスキーを導いていってくれるので易しそうだが、その反面、レールの敷かれたジェットコースターみたいで、気をつけないとどんどんスピードが出て上に下に体が持って行かれるのが難点。
 これら二つの方法は、どちらがより上級とかいうことはなくて、状況に応じて自由に使い分けられるということだ。次の日、実際にひとりで滑ってみると、コブへのアプローチにおいて選択肢が広がってコブへの安定感が飛躍的に増した。要するにどこを滑ってもいいのだ。
 ただその先には、現在の最先端のモーグル選手達がやっているニューラインと呼ばれる恐ろしいライン取りがあるらしいが、そのことはまたいずれ話そう。僕のようなおっさんの膝と腰は、たぶんそれにはついていけないと思うので、角皆君もこの先僕にそれを教えることはないんじゃないか。

バッハはコブだ!
 コブを滑っていると、バッハのモテットを思い出す。長い音の後に小節線を越えてタイがある場合、その小節線を越える瞬間の浮遊感と、その後16分音符で戻ってきた重力を確認する着地感が、コブをトップから越える時のちょっとジャンプする感じと全く一緒なのだ。
 小節線を越えるタイは、バロック音楽の場合、ロマン派音楽のようにベターッと伸ばしてはいけない。さりとて完全に切り離してもいけない。小節線をジャンプ台やコブのトップのように捉えて、小節線のところで重力を解き放つ。でも声自体は次の16分音符に細いながらつなげる。16分音符は、着地の重力を大きく感じながら、かなりはっきり輪郭を出して歌われなければならない。
 この浮遊感と着地感がバッハ演奏の命でもある。そして、それを表現するためには、支えを初めとする完全なる声楽的テクニックがないといけない。東京バロック・スコラーズが追求しているのは、その表現方法なのである。
 バッハの密な対位法的音楽は、手法としてはパレストリーナから受け継いだものだが、そこに加えられた調性的力学と爆発的なリズム感とはバッハ独自のものであり、パレストリーナを整地とすると、バッハはコブそのものなのだ。あるいはパレストリーナを真空の宇宙空間での抽象的運動だとすると、バッハは重力や遠心力を最大限に利用したエキサイティングな現実運動なのだ。バッハを理解しようとする人は必ずコブを滑らないといけない・・・・とまでは言わないが、僕にとっては、今や「この感覚なしに三澤洋史のバッハは語れない」のだ。

ダンス・スキー?
 コブだけでなく整地においても、荷重と抜重が生み出す浮遊感が僕は大好きである。最初に角皆君にストックワークを教わって、その浮遊感にリズム感が加わったら、もう病みつきになってしまった。ストックを突いて荷重を解く。すると一瞬空に舞い上がる。うわあ、なんて気持ち良いんだろう!
 プライベート・レッスン中、角皆君がなんか言いにくそうにしている。
「あのう・・・・三澤君ねえ・・・・すぐでなくてもいいんだけど・・・・ちょっと頭に入れておいて欲しい事があるんだ・・・・」
「なあに?」
「三澤君、ロングターンで抜重する時に、まるで鳥が羽ばたくように大きく手を広げるだろう。気持ち良いのは分かるんだけど、まるで踊っているように見えるんだ・・・・」
「いけない?」
「いや、いけなくはないよ。いけなくはないんだけど・・・・これが表現芸術の世界だったら、それでもいいんだけど・・・・スポーツの世界ではね、能率最優先だから無駄なことはしないんだ・・・・」
「ふうん、じゃあどうすればいい?」
「腕の位置を固定して、肘からほぼ直角に手を伸ばす。ほとんど手首だけの意識でストックを突き後ろに送る。物足りないだろうけどシンプルにやるんだよ。それがきちんと出来た後で、あえて羽ばたくのは自由だよ。でも、最初に基本形をやった方がいい・・・・」
「分かった、分かった。あのさあ、遠慮しなくてもいいよ。なんでも言ってね」
こんな風に、放っておくと僕のスキーはすぐにダンスの世界に飛んで行ってしまうようだ。「三澤君、屈伸抜重もショートターンも上手だね。やっぱりコブに向いているね」
と褒めてもらったよ。

 フル・カーヴィングは、従来の外向系の滑りで抜重するタイミングで内足から角づけを始める。だからあの抜重の浮遊感がない。それが僕には物足りないんだ。いわゆるハイブリッド・スキーイングには荷重抜重という感覚が希薄なのだ。その代わり切り替えという感覚はあって、内足の小指が雪を捉えると即座にキュイーンとカーヴが一気に始まるのは確かに心地良い。ロッカー・スキーでは、どうやらそれが売りなんだ。
 ただ思うんだ。フル・カーヴィングって、ターンしても減速しないんだよね。逆に加速するんだ。じゃあ何故ターンするんだろうかね?直滑降でもいいじゃないか。そこんとこがもひとつよく分かんねーとこなんだ。レーシングなんかでは、旗が立っているポールをグルグル回りながらタイムを競うからわかるんだけど、僕たちの場合は・・・・・まあ、楽しければいいってことか?あまり深く考えないようにしよう。


スキーと大自然
 それはそうと、山の天候というのは毎日こうも違うものか。1日目はアルプス平で零下17度まで下がったというが、天気は快晴で雄大な景色に息を呑んだ。3日目になると、下のとおみゲレンデは曇りだったのに、ゴンドラでアルプス平に登ったら、途中から雲を突き抜けて真っ青な空が突然現れた。陽は燦々と降り注ぎ、まぶしいほどだった。それだけでも驚くのに、眼下を見たらなんと一面雲海が広がっているではないか!いやあ、もの凄い雲海なのだ!


 急いで写メを撮って、ウルルにいる妻を呼び出して、とにかくゴンドラに乗ってこの景色を見に来ないと一生損だと言って、無理矢理来させた。角皆君も長年白馬に住んでいるけれど、こんな雲海は初めて見たと言っていた。雲海からニョキッと飛び出るように、八ヶ岳や浅間山、志賀高原、そして遠く富士山まで見えた。敷き詰められた雲の上を伝わって、それらの山々にあたかもすぐに歩いていけそうな錯覚に陥る。滑りながら、
「この山々は僕のもの」
と、独り占めしている気分だった。スキーって、この大自然との一体感がたまらない。


 ところが、最終日の30日は、気温が上がって朝からピタピタと情けない雨が降っていた。もしかしてまたアルプス平では雨雲を突き抜けて雲海!と期待したけれど、ゴンドラで上がっても全くそんなことはなくて、かえって斜度の強いダイナミック・コースなどは、下から吹き付ける雨で視界が極端に遮られ、何も見えない状態だった。
 ただ昨日までのコブは雨できれいにならされ、ベシャベシャ雪でスピードも出ないし、白馬五竜最大の難所のひとつであるダイナミック・コースなのに、滑る事自体は超楽々だった。同じ斜面でも日によってこうまでコンディションが違うものか?
 ウエアーや帽子や手袋を絞ったら、比喩や誇張ではなく、ジャーッと音を立てて水がしたたり落ちた。高橋君はその日早々と引き上げたけど、案外賢明だったかもな。

 僕の手袋は革製なので、その後何日も乾かなかったぜ。大自然に抱かれて滑るというのは素晴らしいんだけど、こういうことも受け入れなければならないのさ。ちっぽけな人間の思うようにいかないさ。なんたって大自然なのだからね。

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