旅のパウロ

三澤洋史   

ランキング1位のピーター・グライムズ
 音楽の友で、2012年のベスト・コンサートの第1位に「ピーター・グライムズ」が選ばれた。また「ローエングリン」が8位、「沈黙」が18位に入っている。とても嬉しい。新国立劇場合唱団のことにも言及されていて、大変ポジティヴな評価がされていた。また、「モンポウ」演奏会など新国立劇場合唱団の関わった演奏会を取りあげている評論家もいた。
 僕は褒められるために音楽をやっているわけではないけれど、正当に評価されても喜ばないほど性格がひねくれているわけでもない。合唱団員にとっても、とても励みになるであろう。だってみんな本当に頑張っているもの。一緒に働いていて胸が熱くなる想いにかられることが最近少なくないのだ。

今日は素直に叫ばせてね。嬉しいいいい!!

旅のパウロ
 1月26日土曜日。14時から始まった「タンホイザー」公演が18時20分くらいまでかかったので、それから急いで「志木第九の会」の練習に行ったが、かなり遅れてしまった。でも皆さんの顔を見て、やっぱり来て良かったなと思った。
 現在練習しているのは、メンデルスゾーン作曲オラトリオ「聖パウロ」。2008年に名古屋のモーツァルト200合唱団で演奏したので、パート譜などはそこから借りることになっている。僕の大好きな曲だ。特に今日練習した第11番の「見なさい、私たちは堪え忍ぶ人達を幸せだと讃えます」は、あこがれに満ちた夢見るような美しい曲。まさにメンデルスゾーン・ワールド全開だ。
 ちょうど「聖パウロ」をやっているので、最近本屋で買った本を合唱団員の人達に紹介した。東京バロック・スコラーズの講演会ですでにおなじみの聖書学者である佐藤研(さとう みがく)先生の書いた「旅のパウロ」(岩波書店)だ。

 この本の特異なところは、佐藤氏自らが、果てしない距離に及ぶパウロの旅の行程を車で回られ、そこから受けた様々な印象が多分に語られていることだ。それと平行して、聖書学者らしい、現代の聖書学を基本とした赤裸々なパウロ像が描き出されている。その紀行文と聖書学の二重構造がとても魅力的である。

読みながら沢山のことが僕の中でクリアになっていく。

パウロの伝道活動は、広大なローマ帝国の領土内で行われた。それを可能にしたのは、パックス・ロマーナといわれるローマ帝国最盛期の政治的安定状態であった。

ユダヤ教をベースに始まったキリスト教が、国境を越え民族を越えて世界宗教にまで広まっていく過程において、キリストを信じながらも同時に選民思想を捨てない極右のユダヤ人をはじめとして、教会の内部において沢山の対立や軋轢が生まれていた。パウロ自身は国際感覚に溢れ、徹底的にリベラルな立場をとっていた故に、妥協策を取ろうとした恩師バルナバやペテロとも袂を分かち、孤立していく。

イスラエルを飢饉が襲い、教会が経済的に困窮していた時に、パウロは伝道先の外国において献金を集めてはエルサレム原始教会に持っていった。こうして、異邦人教会とエルサレム教会が同じ神の業の内に立つという大義を守っていた。

それでもパウロの意図したキリスト教の国際化をエルサレム教会は受け容れることが出来なかったようで、彼はイスラエルで捕らえられ、ローマに送られて、結局そこで殉教する。
ローマに渡った後のパウロは、新約聖書の使徒言行録によれば、
パウロは、自費で借りた家に丸二年住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。
(使徒言行録第28章30節)
ということであるが、佐藤氏はこの記述を信じてはいない。
「訪問する者はだれかれとなく歓迎し」
を逆に解釈し、これは軟禁状態にあったとする。そして2年後に何らかの罪状により処刑されたと結論づける。

 そもそも使徒言行録はルカによって、パウロが死んでから30年以上経った紀元後90年頃に書かれたとされている。ルカの記述は、パウロの旅の行程などに関してはおおよそ客観的に書かれているが、パウロの実際の言動に関してはかなり脚色されていると佐藤氏は言う。
 これは僕にとってかなりショックであった。というのは、使徒言行録によれば、パウロはエルサレムで捕まった時、自分がローマ帝国の市民権を持っていることを訴え、
「れっきとしたローマ市民に対してそんな扱いをしてもいいのか?」
と逆に脅している。さらに強気になって、ローマの皇帝に上訴することでローマに渡るのだ。そのローマで自由に伝道活動したという記述を信じていた僕は、
「パウロとは何と醒めたしたたかな奴だろう」
と、一種の抵抗感のようなものを覚えていた。それがくつがえったとなれば、僕のパウロ像は大きく変わらざるを得ないのだ。

 佐藤氏は、パウロがエルサレムに戻る必要はなかったと主張する。そうすれば逮捕されることもローマで殉教することもなかったと説く。
もしもパウロがある程度醒めた、いわば政治的な状況もよく読める人であれば、自分がやってのけたことは、もう既に民族的「ユダヤ教」を事実上離れてしまっていたことくらいはわかったはずです。
ところがパウロは、彼のヴィジョンを真のユダヤ人のとるべき次のステップだ、と理解しているのです。そのステップまで、いつかは他の者たちも必ずついてくる、と考えていたのでしょう。
   (旅のパウロ238ページ)

割り切って考えたら、パウロはそこで「キリスト教」を作ってしまえばよかったのです。もう「ユダヤ教」はやめた、と。そして、エルサレム原始教会はいまだにユダヤ教にこだわっていて話にならない。我々の道は全く新しい宗教なのだ、と。
(旅のパウロ239ページ)
そしてそれが「パウロの悲しいまでの律儀さ、義理堅さ」なのだと言い切っている。

 さらに佐藤氏はその後のイスラエルの運命に言及する。紀元66年イスラエルは凄惨な対ローマ戦争に突入し、70年にはエルサレムが炎上、それと同時にキリストを信じる右翼的保守派は完全に無力化し、エルサレム原始教会は歴史上から姿を消すのだ。
 キリスト教は、パウロがこだわったユダヤ教との一致などあざ笑うかのように、民族を越えた国際宗教として発展していく。パウロが見直され、パウロの伝道の様子が使徒言行録としてしたためられ、パウロの手紙が聖典となっていく。
 なんと皮肉な運命であろうか!いやあ、それにしてもキリストといいパウロといい、なんと激しい人生!そして彼らを取り巻くなんと激動の時代!

 さらに衝撃的な記述がある。佐藤氏の本の最後の方で、「人はイエスへの信仰によって義とされる」という、従来言われ続けてきたパウロらしい思想にメスが入れられた。僕は、最初それを信じたくなかった。何故なら、これまで僕が信じていたパウロとは、親鸞にも通じる他力本願の人であったから。
 でも佐藤氏の検証をずっと追っていくにつれて、どう考えてもこちらの方に信憑性があるように思えてきた。要約するとこうだ。ギリシャ語では「人はイエスの信によって」と書いてあり、決して「イエスを信じることによって」とは書いてはいない。それを他力本願のように意図的に訳したのはマルティン・ルターであると佐藤氏は言う。
  ルターはpistisというギリシャ語の意味範囲も、それにほぼ忠実なラテン語のfidesという語も知っているのに、ドイツ語にする時にはあえてGlaubenという単語にしてしまった(ガラテヤ書第2章16節=durch den Glauben an Jesus Christum)。これだと「人間が信仰する」という意味にしかならないのです。
(旅のパウロ224ページ)
 ではどういう風に考えたらよいか?佐藤氏の言葉を借りると、
「キリストが顕している信、すなわち誠実さ、によって私たちは義とされる」
ということである。こうしたことを総合的に考えると、パウロは決してキリスト教を、
「阿弥陀仏を信じて念仏を唱えれば極楽浄土に行ける」
という浄土教のようにねじまげていたわけではないのだ。パウロが見たのは十字架につけられるまで真実に忠実だったイエスの姿であり、そのイエスのリアリティがパウロの全ての言動の原動力になっていたわけだ。

 おっと、かなり書いてしまったが、とにかくキリスト教を深く知りたい人や、信者の方にこの本を強く勧める。僕はこの本を読んでパウロのことをとっても好きになった。堅信の時にミカエルという第二の霊名をもらったけど、パウロにしておけばよかった。
 まあ、ミカエルも大好きなのでいいけどね。勝手にもうひとつつけて名乗っちゃうか。ミカエル・パウロ・フランシスコ・・・・ミッシェル・ポール・フランソワ・・・・誰のことだ?


高津倉山頂でデジャヴ!
 1月24日木曜日。前日の新国立劇場「タンホイザー」公演初日と「愛の妙薬」舞台稽古との間にはさまれて1日オフ。この時期にオフといったらスキーに行くしかありません。でも早朝自宅を出る時にはしとしとと雨が降っていた。天気予報でも湯沢方面は雨ということだった。意気消沈しながら新幹線に乗る。
 ところが、ところがである・・・・長いトンネルを抜けてみたら、なんと快晴!雲ひとつない紺碧の空!嬉しくて思わず妻にメールを送ってしまった。ハズれてよかった、天気予報!

 1年ぶりのガーラ湯沢はなつかしかった。結局いつも白馬以外はほとんどここで滑っているので、ホームグランドに戻った気分だ。でも、今日はいつもと違って、雪に輝く冬山を厳かで近寄りがたく神聖に感じる。リフトに乗っている間、抜けるような青空から浮かび上がる白銀の山を見つめながら、僕は突然祈りたい衝動に駆られた。先週述べた健康への感謝の念がまだ尾を引いていて、自分がまたここにいられることが限りなくありがたいことのように思われた。
 いや、それだけではない!もっと純粋に、もっと根源的に、僕の魂は冬山の持つ神聖さに打たれているのだ。そして、大自然に包まれているだけで、祈るという意図的な行為をしなくても僕の全身そのものが祈りとなっている。こんなことは滅多にない。
 深呼吸をする。雪の精霊、木々の精霊、山の精霊が僕の体の中に入り込んできて僕を清める。僕は息を吐く。僕の中からあらゆる醜いものが吐き出されてゆく。そうして僕の意識はしだいに僕の体から離れ、まるで祈りそのものに自分が入り込んでいくような、あるいは自分と大自然とが相対するものではなくひとつに合体したような雄大な感覚が僕を捉える。
 高津倉山頂に到着。滑る前に眼下に広がる魚沼平野を眺める・・・と・・・突然、僕の意識は、まるで目の前の立ちこめていた霧が去ってなつかしい景色に出遭うように、ある記憶と鮮明に重なる。
「これだ!」
それは、もう20年以上前に夢で見たデジャヴであった!

 1990年頃、僕は幾晩か立て続けに不可解な夢を見た。その時期、特に僕の意識は精妙になっていたようだ。それらの夢は起きてからもあまりに鮮明だったので、僕は画用紙に絵を描いて保存していた。その時は、その夢が何を意味するのか全く分からなかった。今、その絵は見あたらない。ロフトとか、家の隅々まで探せば見つかるだろう。
 問題は、その内のいくつかを僕がずっと後になって現実に体験したことだ。体験?そうだ・・・つまり・・・一般的に言われるところのデジャヴ(既視体験)だ。一度も行ったことのない場所の見たこともない景色、それをあらかじめ夢で見て、それから現実に体験するのである。

 そのひとつは、たとえば左側に車が何台もならんで駐車してあり、右側に家が建ち並ぶ路を歩いている夢だった。そこに並ぶ家々はどれも個性的な形をしていて、外国の街並みに違いなかった。
 それがデジャヴとなって現れるのは、僕がバイロイト祝祭劇場で合唱指導スタッフの一員として働くようになった時。最初の年は別のアパートだったが、2年目からは劇場のすぐ裏のタンホイザー通りの民家の2階を間借りする。その年、すなわち2000年夏のある朝、僕は近くのパン屋さんに焼きたてのカイザー・ゼンメル(丸い一人用のパン)を買いに行って家に戻ろうとしていた。路を歩きながら、まるでジグソーパズルが自然に集まってきてひとつの絵を形作っていくように、僕の目の前で、ある決まった風景に近づいていき、そしてある瞬間、完全に一致した!
「あっ、この風景!これだ!」
僕は思わずそこに立ち止まり、しばらく呆然としていたものだ。

 こんな風に僕の観るデジャヴは、特別な素晴らしい場面ではなく、たいてい何でもない時の何でもない風景に過ぎない。しかもその前に同じところを何度も通っていても、その日のその時刻でないと駄目なようだ。それでいながらデジャヴの記憶は決して逃さない。記憶の中に眠っていた画像と現実の風景とが、その瞬間、まるで二つの絵が重なり合うように、あるいは突然ぼやけていた画像のピントがピタッと合うように符合する。
 思い違いとか想像とかの入り込む余地はない。体験した人でないと信じてもらえないだろうが、夢見た当時、行ってみたこともなければ見たことのない場所の景色が、ディテールまで一致した時の衝撃というのは、とても人に説明出来るものではない。それを一回でも経験しただけで、どんなに無神論者でも、神や超自然的なものを信じる人間に何の苦もなくなれるであろう。

 そのデジャヴを久し振りに高津倉山頂で体験した。高津倉山頂はこれまでにも何度も来ているのに、この天候とこの位置関係でなければデジャヴにはならなかったようだ。デジャヴは厳密なのだ。
 この景色、昔夢で見た時はあまりに現実離れしていた。自分がとても高いところにいて、そこから遙か下の雪に埋もれた寒々とした下界を眺めていた。夢で僕は、自分の魂が空を飛んでいるのだと思っていた。それにその場所は、現実に存在するどこか地上の世界ではなくて、むしろ霊界の景色に違いないと思っていた。
 無理もない。1990年当時の僕は、スポーツになんか全然興味がなかったから、こんなシチュエーションそのものが想像もつかなかった。仮にスキーをやったとしても今より全然下手だったから、レストハウスもない上級者専用の吹きっさらしの雪山の山頂にひとりたたずむなんて、その先一生あり得るとも思わなかった。

 ということは、まてよ・・・・僕がこんな風にスキーにハマルって事も、あらかじめ計画されていたことなのかな?でも・・・思い返して見ると・・・だいたいこんな風に、人生の折り返し点を過ぎてから突然こんな生活が始まるっていうのが普通じゃないよな。
 そもそも血糖値が高いのでダイエットや運動の必要性が生まれて・・・ちょうどそんな時にプロスキーヤーの角皆優人(つのかい まさひと)君が僕の前に現れて来て・・・娘達が僕を無理矢理スキー場に連れて行って・・・・それからスキーにハマッたわけだ・・・ええっ?なんだ、この一連の展開は???

デジャヴよ、教えてくれ!スキーは僕を一体どこへ連れて行こうとしているのだ?

美しいスキー
 さて肝心のスキーであるが、悔しい!もっとうまくなりたい!またまたコブ斜面で格闘していたが、とうてい満足のいく状態ではない。まだバランス感覚が悪い。重心移動が下手だ。もっともっと自在に滑りたい。
 とはいえ、昨年より上達はしていると思う。でも、音楽でもそうなのだけれど、僕の場合、上達すればするほど理想がどんどん上がっていくのだ。こういう人ってどこまでいってもしあわせ感覚を満喫できないんだ。なんと不幸な人生!
 理想が上がるということは、裏を返せば理想的なイメージが出来上がってくるということでもあるので、悪いはずはないのだが、理想が見えた時点で、今の自分の状態に我慢がならないというのが問題なのだ。なにか自分がヌクヌクとぬるま湯に浸かっているようで嫌なのだ。

 別にいいじゃないか、と思う。どうせ余暇でありレジャーなんだから。今さら選手になるわけでなし、職業にするわけでもなし、休日に楽しんで帰ってくればいいのさ。でもねえ・・・・僕って、音楽に対するアプローチに始まって、自分の人生において全てこういう風に生きる癖がついちゃっているんだな。気が付いてみるといつも全力疾走しているみたいだ。
 昨年末白馬で角皆君のレッスンを受けていた時、急斜面のアイスバーンで足を取られて彼の前で転倒した。僕はその時とってもとっても悔しかった。そこで彼に訊いた。本当は訊くのもプライドが許さないくらいだったのだが・・・・。
「ねえ、今僕に何が起こった?どうして転んだ?」
そんな時の僕の眼はたぶん血走っていたに違いない。彼は冷静に分析してこう言った。
「アイスバーンに入ってズルッと思いがけなく滑って、体が大きく山側に傾いたよね。普通、人間って転びそうになったら自然に足を出すだろう。同じように傾いた体を支えようと山側のスキーに重心を乗せてしまったのだ。そうしたら山側のスキーのカーヴィングが利いて思わぬ方向にスキーが動いて転んだのさ」
「じゃあどうすればいい?」
「ズルッと滑ってもあわてないで、なんとか外足(谷側)荷重を踏ん張って貫くんだ。外足荷重でいる限りスキーの動きは常に制御できるからね」
なんと頼りになる友人!
 それで次に同じ斜面を滑った時、僕はわざとさっきのアイスバーンに行く。同じようにズルッとくる。でも角皆君の言うことをきいて外足荷重で踏ん張る。そうだ、僕はもう二度とアイスバーンで転びたくはなかったのだ。
「三澤君、もう大丈夫だよ。その体勢だったらもう転ばない」
こういう風にリベンジしないと、決して枕を高くして寝られない僕。やっぱり不幸だな。

 今年の僕は、どの瞬間においても自分が“制御”出来ていないと我慢出来なくなった。少しでも足を取られる瞬間があったら、もう自分で自分を許せない。徹底的に原因を追及して二度と同じ過ちを犯さないようにする。
 一方で整地の急斜面なんか、去年の倍くらいのスピードで滑っている。向こう見ずではない。完全に制御出来ている状態を確認したら、ここまで出してもいいだろうというスピードの許容範囲が広がるのだ。
 スピードは恐い。オーバーに言えば生命の危険と隣り合わせだ。でも、その状態だからこそ、僕の内部である種の野生が解き放たれるのを感じる。風を切りながら最速で谷を駆け下りる瞬間、僕の内面はやはり“祈り”に似ている。それは、完全なる制御のみが成し得ることだ。この疾走の中の祈りが今の僕には必要なのだ。

 今さら安全運転と言っても信じてはもらえないだろうが、今の僕ほど安全運転な者はいない。数年前にスキーを再開した頃は、正直言って僕ほど向こう見ずな者はいないくらいだった。でも今は違う。
 僕は美しいスキーをしたいんだ。それは、和声学で言うと、連続五度などの禁則を犯しさえしなければ良い作曲かというと、そうとは言えないのと似ている。むしろ美しい和声進行をすれば、禁則など起こりようがないし、禁則が起こっている箇所は何かうまくいっていない感じがする。
 また、良い声を持っている歌手と、人の心を打つ名歌手とのへだたりも似たようなものだ。そこへ至る道は、まずフレージングに始まる。フレーズを美しく仕上げること。それはスキーのターンを美しく仕上げることに似ている。あんなグチャグチャに見えるモーグルでさえ、全体を美しくまとめ上げることが最終目標なのだ。
 今の僕は絶対に無理はしないんだ。力でゴリ押ししても決して美しいスキーには近づかないことを知っているから。とりわけ怪我だけはしたくない。それよりもテクニックを磨いて、無理をしなくてもギュンギュンいけるように地道に努力したい・・・・。

なんだ、やっぱりギュンギュンいきたいんじゃないか・・・・・まあね。


Cafe MDR HOME  


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