この夏、ひとつの奇蹟が起きます

三澤洋史   

タンタンの命日と埋葬
 5月5日日曜日。愛犬タンタンが死んでまる1年経った。その間、タンタンのことを忘れた日は一日たりともない。いや、一瞬たりともなかったといっても大袈裟ではない。タンタンは、あたかも眼鏡のフレームのよう。僕の意識と記憶の縁を成している。その存在を忘れたように見えても、ちょっと気にしさえすれば常にそこにある。
 かつてはパックリと口を開けていた魂の生傷は、今は揺りかごを揺らす母のまなざしのように、あたたかく優しいひそやかな哀しみに変わっている。でも、この哀しみがこれ以上癒えることはもう生きている限りないであろう。

 人はペットロスなんて簡単に言うけれど、そんな軽いものじゃない。これは、自分という存在が、この地上において同じ時代の同じ空気を吸っている他の存在と邂逅し、ともに火花を散らして交わった魂の軌跡であり、僕は自分が生きていることをタンタンを愛したことによって証明する。勿論それは、タンタンに対してだけじゃない。僕の母だったり、妻だったり、娘達だったりもする。いずれにしても、そう思える相手は、僕の人生の中で決して多くない。いや、むしろ本当に少ない。

 さて、我が家の居間にずっとタンタンのお骨が置いてあった。これをどうしようか何度も何度も家族で話し合った。そして出した結論は、命日の日に庭に埋めましょうということであった。もう本当に自然に還してあげようと思う。タンタンだってあちらの世で落ち着いて修行しなければね。
 それに僕たちも前に進まなければならない。タンタンのことは忘れるはずないけれど、命日をきっかけにひとつの区切りはつけなければならない気がしたのだ。タンタンはもういない。それを自分の心の中でごまかして生きたくはないのだ。

 タンタンはもういない・・・・こう書いているだけで涙が出てきちゃった。うーん、違うな。タンタンがいないのはこの世にだけさ。人間が風邪引いたくらいのあったかい体温をして、舌を舐めるとザラザラしていて、ぴっちぴちのおなかにおっぱいがいっぱいついていて、真っ黒なきんたまをさわるとちょっとひんやりとしていて、あの息の臭い生身のリアル・タンタンはもういないけれど、タンタンそのものは不死不滅だ。いつか自分もこの世の生を終えたら会えるって、これっぽっちも疑わないでいるよ。
 でもね、実際にリアル・タンタンがいないんだから、残りの人生をいないものとして生きていかないとしょうがないじゃない。

 ということで、5月5日の朝、僕と妻と長女の志保とで、タンタンの命日のお祈りと埋葬式をしました。僕が最初、創世記第3章19節の「お前は顔に汗を流してパンを得る。土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る」という一節と、コリントの信徒への手紙Ⅱ第5章「わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っていますetc...」という一節を読む。そのまま短いお祈りをして、お骨を持って庭の片隅に埋葬しに行く。
 タンタンのお墓用には、ミニチュア・ダックスフントをかたどったイタリア製の陶器の置物を楽天経由で取り寄せた。これが結構タンタンによく似ているのだ。そのタンタン像をちょっと離れたところからこびと達の像が見守っている。なかなか素敵なお墓でしょう。


タンタンの埋葬


 タンタンがいない初めての夏が来て、タンタンがいない中、初めての秋風が吹いて、氷が張って、桜が咲いて、はなみずきが咲いて、季節がひとめぐりした。どの季節もとってもとっても淋しかったけれど、これからは逆にどの季節が巡ってきても新しい淋しさはない。それどころか、これからは季節ごとに、前の年より癒えている自分をただ発見していくだけ。
志保は、スマートフォンで撮った写真を写メでパリにいる杏奈に送る。杏奈から即座に返事が来る。向こうは真夜中なのに。今日は、家族4人がひとつになってタンタンの思い出にどっぷり浸かった。
 でもあしたからは、地に足をしっかりつけて、現実の世の中を生きてゆこう。
タンタンは再び眼鏡の縁になる。いつでもそこにいるけれど、あまり見ないようにする。縁ばかり見ていたら歩けないからね。

でも、あと一回だけ言わしてね。
僕のタンタン。愛しているよ!

この夏、ひとつの奇蹟が起きます
 5月5日は、新国立劇場で5時まで「ナブッコ」立ち稽古をした後、劇場の練習室を借りてピアノに向かう。「パルジファル」のコレペティ稽古を歌手達につけるためにピアノを練習している。アンフォルタスの初鹿野剛君とクリングゾールの大森いちえいさんにはもう稽古をつけたのだけれどね。
 「パルジファル」のヴォーカル譜を弾くのは簡単ではない。ゆっくりな箇所が多いので、指が回らないとかではないのだが、和声がとても凝っているのだ。半音階でくねくねと変化していく色彩の変化が素晴らしい反面、気をつけないとすぐ臨時記号を読み間違える。いつもの「この和音の次はこれ」という「落とし処」に落ちない。

 「トリスタンとイゾルデ」くらいから、ワーグナーは頻繁にマイナー・シックススという和音を使い始めた。これは、従来の和声法の中では、短調の下属和音という位置づけで用いられている和音で、次に属和音が来ることが必要となる。
 でも、ワーグナーは、これまで使っていた減七和音や、「ワルキューレ」などで好んで使い出した増三和音など同様に、このマイナー・シックススが、いろんな調に即座に飛んでいけるための「どこでもドア」として使えることを発見した。
 「トリスタン」では、まだ機能和声の連結方法に従っている。とはいえ、そのために複雑な半音階進行の途中における偶成的な和声として位置づけている。前奏曲冒頭A-F-E-DisというメロディーでDisと共に鳴る和音がG#m6(マイナー・シックスス)であるが、これを機能的に説明するとかなりややこしい。イ短調a-mllのDoppel Dominant(属属和音)第2転回形第5音下方変位で、Gisは、本来第7音として響くべきAに到達するための下方からの倚音(いおん)として偶成的に存在している。
 この和音は当然属和音であるE7に行かねばならない。「トリスタン」ではGis-A-Ais-Hというメロディーの流れを持ちながらE7に移行するので、和音が決まった瞬間のメロディーの音は第5音下方変位のAisである。こんな風に苦しいが、とりあえず法則には従っている。あたかも、門限が午前零時だと決められている家に11時59分に帰って来る不良息子のようである。
 ところが「パルジファル」になると、もう従ってはいない。不良息子はついに12時を越えてしまったのだ。マイナー・シックススは下属和音としての機能を離れてしまったので、属和音への連結も行われなくなってしまった。
 では、その拠り所は何?と問われると、機能和声法に代わって、「聴いておかしくない」あるいは「聴いていてカッコいい」という感覚的法則に頼るようになるのだ。いまや、マイナー・シックススの後、ワーグナーは好きな和音に飛んでいけるのである。
 このような、「トリスタン」から「パルジファル」への発展は、聴いているとささいな事に見える。だから「トリスタン」の和声的革新性から見ると「パルジファル」では後退が見られていると述べている音楽学者もいるが、「バカこくでねえ!」と声を大に言いたい!まったく、そんな表面的なことしか見えないで音楽学者がつとまるから世の中不思議だ。
 それどころか、これは大変なことなのである。それをドビュッシーが証明している。ドビュッシーは、バイロイト音楽祭で「パルジファル」を観ているが、それが、その後の彼の作風にどれだけ大きな影響を投げかけているか。
 つまり、ドビュッシーは門限を破って良いことを知ってしまったのだ。いや、もしかしたら、そもそも12時という門限などナンセンスであったこと、あるいはさらに門限などというものは、最初からなかったのかも知れないと思ってしまったのだ。だから、ドビュッシーはもう12時5分に帰ってくる必要もないし、終電に急いで間に合う必要も感じないし(「パルジファル」では、せめて終電で帰って来た)、朝帰りでもいっこうに構わないのである。これが「パルジファル」が内包する新しさなのである。

 さて、ピアノの練習をしながら、あっちこっち和声のアナリーゼをしていたため、思ったより長引いてしまった。7時頃に僕は劇場を出て東京駅に向かう。新幹線で名古屋に行くためだ。名古屋駅からさらに東海道本線に乗り換えて東京方面に戻る。金山を通り越し、共和を通り越し大府で降りた。時計は10時を回っていた。
 5月6日月曜日。大府はもっとにぎやかな街かとおもったら、なんにもない所なので驚いた。でも、ここの市役所の建物が素晴らしい。地下の多目的ホールも新しくて広い。今日はここで一日「パルジファル」のオケ練習。午後にはモーツァルト200合唱団が加わって合唱とオケの合わせ。
 いやあ、やっぱり合唱が加わると突然曲らしくなってくるね。パルジファルが白鳥を射落として登場する男声合唱の場面では、最初合唱団の人達は、いつものピアノの音と全然違うのにとまどって誰も出てくれなかった(笑)。アインザッツを出しながら彼らをみると、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。
「みなさん、びっくりしてないで出てくださいね!」
一同苦笑。
 でも、第1幕場面転換の音楽からシンセサイザーによる鐘の音を経て神殿の合唱が始まると、僕の体をビビビーッと電流が走った。ま、まぎれもない「パルジファル」の音楽だ。天才が最後に辿り着いた境地だ。ここのところピアノを弾いているので、細部に至るまで和声連結が頭に入っていて、その響きと色彩感とは僕の血と肉となっている。
 第3幕の終幕では、合唱とオケの響きが混じり合い一体となって天国的な音楽を紡ぎ出していく。いつまでも続いていたいこの至福感!

この8月、名古屋に天上から天使の群れが舞い降り、ひとつの奇蹟が起きます!

ふたつの読書感想文
1)村上春樹著「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(文藝春秋)
 この小説は、これまで読んだ村上文学の中で一番好きな部類に属するかも知れない。いわゆる彼の代表作から比べると、あまり『トンでない』ことから物足りなさを感じる人も少なくないだろうが、僕は珍しく村上文学で『泣けた!』のだ。
 なんて言ったらいいのだろうか。つまり心の琴線に触れたのだ。一番信頼していた親友達から突然の絶交を言い渡された主人公多崎つくるは、死を考えながら暮らす。この冒頭から僕達は、どの読者も一度は味わったことのあるであろう「人生における己の存在の希薄さ」を追体験する。存在を否定された人間は、かくも深い傷を負うのだ。
 しかしながら、不可思議だった謎がしだいに解けていく中で、つくるは自分の人生と向かい合っていく力を得ていく・・・・と書くと、普通のマトモな小説のような感じがするが、村上文学では、そんな風に一直線にストーリーは運ばない。にもかかわらず、つくるが、出来れば知らないでいたいあの最後の難問に正面から立ち向かっていく決心をした時には、月並みかも知れないが、そこに「生きるということの素晴らしさ」を感じてジーンときてしまった。

 この小説で何度も出てきてライトモチーフのようになっているのが、リストのピアノ曲集「巡礼の年」だ。これは小説のタイトルの一部を成しているだけではなく、この物語全体のトーンが、この曲集の、とりわけ第1年スイスの巻の『ル・マル・デュ・ペイ』に流れるメランコリックな雰囲気からインスピレーションを得ている。しかもそれはラザール・ベルマンの演奏でなければ駄目なようだ。
 この曲のベルマンの演奏は聴いたことがなかったので、僕はアマゾンで申し込んだ。そしたら申し込みが殺到しているというので、この原稿を書いている現在まだ届いていない。まったく、村上春樹の思う壺だし、商魂たくましい陰謀にまんまとハメられたようで悔しいが、こうなったらベルマンの演奏を聴いてみないことにはなんとも落ち着かない。
『ル・マル・デュ・ペイ』。その静かなメランコリックな曲は、彼の心を包んでいる不定型な哀しみに、少しずつ輪郭を賦与していくことになる。まるで空中に潜む透明な生き物の表面に、無数の細かい花粉が付着し、その全体の形状が眼前に静かに浮かび上がっていくみたいに。
 なんて面白い形容の仕方だろう。この文章を理解するには何度も丁寧に読まなければならない。読み飛ばしてはいけない。自分でもうまく捉えることの出来ないつくるの哀しみが、空中に潜む透明な生き物になぞらえられていて、それがこの音楽によって少しずつ輪郭を与えられるということだ。
 村上文学の中で取りあげられる音楽は、どれもちょっとマイナーでオタッキーなので、1Q84のシンフォニエッタのように曲が文学の素晴らしさに負けることも少なくないのだが、ここでの選曲は素晴らしい。まるでこの曲を紹介するためにこの小説が作られたよう・・・というか、この小説全体がこの曲へのオマージュなんだろうな。Le Mal du Paysというフランス語はホームシックとか郷愁という意味。哀しみが切々と紡ぎ出されていくけれどセンチメンタルではない。高貴で奥深い。

 と、ここまで褒めておいて、即座に手のひらを返すようにけなすのも気が引けるけれど、僕には、いつものように主人公の人物像が気に入らない。いつものワンパターンで「これといって特徴のないシティーボーイ」。
週末、つくるはジムのプールに行く。ジムは彼の住んでいるマンションから自転車で十分の距離にある。彼のクロールのペースは決まっていて、千五百メートルを三十二分から三十三分かけて泳ぐ。もっと速く泳ぐスイマーがいれば、脇に寄って先に行かせる。他人とスピードを競うことはつくるの性格には合わない。
 こういう奴ってムカつくんだよな。1500mを32分から33分というわずか1分差で毎回泳げる人って、はっきりいってハンパじゃなくうまい。平泳ぎはそんなでもないが、クロールの場合、25mや50mを全速力で泳ぐというのはすぐ出来るけれども、500m以上を休むことなくあるペースを保ちながら泳ぎ切ることのどんなに難しいことか。フォームや呼吸法に少しでも問題があると不可能なのだ。どこかでフォームを習い、水泳というものと一度きちんと向かい合った経験がないと無理だ。習っていないのに出来たとすれば、それはそれで天性の才能に恵まれているだろう。
つくるはそんなことを考えるともなく考えながら、二十五メートル・プールを息の切れないペースで往復した。顔を軽く片側に上げて息を短く吸い、水中でゆっくり吐いた。その規則正しいサイクルは距離を重ねるにしたがって、次第に自動的なものになっていった。片道に要するストローク数もぴたりと同じになった。彼はそのリズムにただ身を任せ、ターンの回数だけを数えていればよかった。
 ますますムカつくなあ。そんだけフォームが良かったら、それで全速力泳げば、マスターズの大会で優勝間違いなしだ。僕なんか、クロールと平泳ぎをまぜまぜにして、途中でハアハアいいながら何度も休んで、それで1000mを35分がやっとだよ。こっちはおじさんだから仕方ないけどさ。火野正平さんが自転車に乗ってハアハアするのと一緒だ。
 また、時計を見ながら泳げるわけないから、1500mにつき1分差以内というペース配分が出来るつくるは、33分のピアノソナタをどんな気分であろうとどんな体調であろうと1分差以内で演奏出来るピアニストと一緒だ。指揮者になったら抜群のテンポ感だ。
 
 僕が言いたいのはこういうことだ。それだけ泳げるんだったら、普通だったら相当自信を持っているだろう。北島康介を見ろよ。彼は水泳しか出来ないんだぞ。浅田真央ちゃん見ろよ。彼女はスケートしか出来ないんだぞ。それでも、彼らは、それだけでひとかどの人物として評価されているし、自分のアイデンティティーだってそこに置いているだろう。
 村上春樹自身だって、「走ることについて語るときに僕の語ること」という著書で、自分が「走る人」であり、アテネ・マラソンやトライアスロン・レースに出ることを「アピール」しているではないか。最近だって、ボストン・マラソンのテロ事件について「走る人」としてコメントしているではないか。著者本人のこうした行動が証明しているように、それだけ出来る人は、普通ちょっと自慢したりアピールしないではいられないのだよ。
 それなのに自分の文学の主人公はいつも、「他人とスピードを競うことは性格には合わない」とクールに言ってのけたり、なんとなく自分にはこれといって特徴がないとか言いながら、平気で女の子にモテたりするんだ。本当に特徴なさそうで何も出来ない奴だったらもっと同情するんだけどね。
 一度、超ブ男でダサくてきたなくてだらしなくて臭くて全く女にモテない青年を主人公に小説を書いてみろよ。まあ、それじゃあ、本当につまんないか・・・・。

「村上文学では結末を期待してはいけない」
これは鉄則ではあるが、彼の小説では、いつも結末の前にその解決だけは見たいと思うような事が起こるんだよね。それが読書を止めさせない原動力になっているのだが、一番知りたい解決はついに果たせないで終わるのだ。
 確かに、オペラの終幕のように誰かが死んで終わりだとか、逆に絵に描いたようなハッピーエンドで終わるとかは勿論期待出来ないにしても、もちっと読後感を爽やかにして欲しいなあと思うことが常だ。この小説でもそれは同じなのだが、次の文章を見てもらいたい。
あとには白樺の木立を抜ける風の音だけが残った。
どうです。村上文学には珍しく、ストレート・プレイのすがすがしさをたたえているではないか。まるで『ル・マル・デュ・ペイ』の余韻のようではないか。この点に関しては、手放しで褒めたいな。それにしても、はやく届かないかな、ベルマンの「巡礼の年」。

2)ヴィクトール・E・フランクル著「夜と霧」(みすず書房)
 この本は霜山徳爾による旧訳で読んだらしいが、内容については全く思い出せなかった。本屋で見つけて買ってきてみたら、妻が、
「あら、これ家にあるわよ」
と言う。記憶の彼方からだんだん覚醒してくると、かつては読むのに随分苦労した本のような気がしてきた。でも、今回の池田香代子訳では一気に読めてしまった。やはり翻訳というのは大事だ。
 原題はtrotzdem Ja zum Leben sagen(Kösel-Verlag,München 1977)「それでも人生に対してJa(しかり)と言う」の中に収められているEin Psychologe erlebt das Konzentrationslager「心理学者、強制収容所を体験する」だ。邦訳の「夜と霧」というタイトルには何の根拠もない。にもかかわらず池田氏は旧訳のタイトルを踏襲し、わざわざまた「夜と霧」という題名にした。
このたびも、日本語のタイトルは先行訳に敬意を表して『夜と霧』を踏襲した。これは、夜陰に乗じ、霧にまぎれて人びとがいずこともなく連れ去られ、消え去った歴史的事実を表現する言い回しだ。
(池田氏によるあとがきより)
 この点に関して僕は全然納得出来ない。原題の「心理学者、強制収容所を体験する」ではどうしていけないのだろう。何故僕がこう思うかというと、この本は、夜と霧にまぎれて消え去ってゆく怖さを表現する文学などではないからだ。
 そうではなく、ユダヤ人迫害という極限状態において、人間はどこまで獣と化すものか、あるいはギリギリのところで人間は人間として踏みとどまることは出来るのか、尊厳を保つことが出来るのか、人間とはいったいなんであるか、といったことを問う書物であるからなのだ。
 そもそも収容所の中での強制労働は、ユダヤ人たちが自然に死んでいくための口実みたいなものであるから、どんなに悲惨で過酷な環境もあり得たわけである。実際にありあまるほどの暴力、飢餓、凍傷、疫病などの状態がこれでもかといわんばかりに描写されていく。激怒した筆の運びではなく、むしろ淡々と描かれていくだけに余計リアリティがあり、読み手に出口のない焦燥感を与えていく。その環境の中で、心理学者である筆者も、他の被収容者同様、決して褒められたふるまいが出来ていたわけではなかった事を正直に書いている。
 彼の冷徹な視線は、「このような状況を生み出し得る」人間を容赦なく見据え、深く考察する。その意味で、これはある種の哲学書といえる高みに到達している。最も有名な文章を引用しよう。
わたしたちは、おそらくこれまでどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。ではこの人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とはガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ。
この言葉に辿り着いて胸を熱くしないでいられる者はいるのだろうか。
僕はみなさんに推薦したい。村上春樹の本はどっちでもいいから(笑)、この本だけは、一生に一度は読むべきです。

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