十束尚宏君の思い出

三澤洋史   

似顔絵入りパルジファルTシャツ
 名古屋ワーグナー・プロジェクト事務局からTシャツが届いた。8月25日に名古屋芸術劇場コンサートホールで行われる「パルジファル」全曲演奏会の記念として作られたものだ。このオケのクラリネット奏者のWさんが、その中に僕の似顔絵を入れてくれたことで、どこでもあるような黒いTシャツが突然「世界でたったひとつのTシャツ」に変貌した。
 事務局では、沢山作ったから、僕の関係する合唱団や団体で、もし売れたら売ってくれるとありがたいという。そこで、6月22日土曜日朝の東京バロック・スコラーズの練習にわざと着ていった。そうしたら、なんとアンフォルタス役で出演するバリトンの初鹿野剛(はつかの たけし)君も着てきたじゃないの。彼のところにも昨日届いたという。
 ということで、男同士ペアルックで「はいチーズ!」と、なんとも気持ちの悪い(笑)写真ができあがりました。ここに書いてある、
Zum Raum wird hier die Zeit.
とは、第一幕転換音楽の時にグルネマンツがパルジファルに向かって言うセリフで、神秘的な「パルジファル」の中でも最も神秘的な言葉である。すなわち、
「ここでは時間が空間となるのだ」
である。
黒い地にこの文字が浮かび上がっているデザインは、バイロイトの売店で売っているTシャツと同じで、「盗作じゃね?」と言われそうだが、何もこの言葉はコピーライターが作ったわけでもないし、そもそも「パルジファル」といったら「時間が空間に」というほど有名な言葉だから、どこにも遠慮することなどない。
 それよりも、あなたもこのTシャツどうですか?このテキストを胸に掲げていると、意識が時空を超えて、なにか良いことが起きるかも知れないよ。ということで、現在、このホームページ経由で欲しい人のために、ちょっと方法を考えますのでお待ち下さい。主催者は千円でいいとか言っているけれど、送料とかいろいろ解決しなければならないことがあるので、今度具体策を出します。
 これはねえ、後で価値が出るかもよ。ヤフオクで100万円なんてね。って、ゆーか、一度買ったものをヤフオクなんかに出すなよ!


時間が空間に

ヴェルディの人間像
 加藤浩子さんと知り合ったのは、六本木男声合唱団倶楽部の演奏会後のパーティーであった。ご主人がなんとロクダンの団員なのだ。それで話をしている内に、研究の専門がバッハとヴェルディということで、僕の活動範囲と完全にカブッている事が分かった。それがきっかけで、我が東京バロック・スコラーズにも、講演会の講師や演奏会の司会で何度かお招きしている。一方、僕も加藤さんから声を掛けられて講演をしたりしている。

 彼女からある時著書をいただいた。それは2002年に発表された「黄金の翼=ジュゼッペ・ヴェルディ」(東京書籍)であった。その本の表紙裏の加藤さんのサインには2008年と刻まれているが、彼女は僕に渡す時に、
「今から読み返してみると、いろいろ不勉強というか若気の至りゆえの誤った記述もあって恥ずかしいのですが・・・・」
とご謙遜しておられた。でも、今読み返しても、決定的な誤りというものはどこにも見いだせない。

 先日、六本木男声合唱団倶楽部の練習に行った時、加藤さんのご主人から、
「先生、これ、浩子から渡されるよう言いつかってきました。くれぐれも先生によろしくとのことです」
と言われて渡されたのが、今日紹介する「ヴェルディ~オペラ変革者の素顔と作品」(平凡社新書)である。それを読んで、僕にはあの時の加藤さんの言葉の謎が解けた。つまりこの新しい本の中には、従来のヴェルディ観をくつがえす新しいヴェルディ像が随所に書かれているのである。
 2008年のあの時、加藤さんは、最初の著書の後の御自分のさらなる研究によって、すでにこれらの事に気がついており、それ故に新しい本を書く必要性を感じていたのだろう。ただ僕は彼女を弁護するわけでもないけれど、新旧ふたつの本を読み比べても、前の本が劣っているとも感じない。
 小説タッチの文章は味わい深く美しいし、そこに表現されているヴェルディ像は、現在でも一般的に語り伝えられているヴェルディの人となりそのものである。つまり、イタリア人を中心として、人々がこうであって欲しいと願うヴェルディ像である。でも、それの何が悪い!と僕は言ってしまいたい。

 たとえば「ナブッコ」に代表されるように、ヴェルディがイタリアのリソルジメント(民族統一運動)の旗手として、愛国への願いを作品に投影させたという事だって、最近の研究ではかならずしもそうではないのではないか、と学者に疑われていようが、人々はそれを信じたいのである。
 「ナブッコ」第3幕の合唱曲「想いよ、金色の翼に乗って」が第二の国歌と言われていること自体がその証である。初演時にアンコールされたのが、たとえ「想いよ、金色の」ではなく「偉大なるエホバよ」の方であっても、現代において、イタリア人の大半が「想いよ、金色の」にヴェルディの愛国心を感じているならば、そこにヴェルディの愛国心が表現されているということに疑問の余地はなかろう。そこに表現されているものこそが芸術にとって真実なのだから。

 とはいえ、客観的事実というものも、それはそれで知りたいと思うもの。さて、それでは、新刊において、どんなヴェルディ像が見えるのか?ちょっと覗いてみよう。

 ヴェルディが「アイーダ」によって、もはやヨーロッパにおいて得られるオペラ作曲家として最大の地位と名声を獲得したあと、「悠々自適な老後生活を送ろうとして農村に引きこもり」、「オテッロ」まで15年もの間オペラを書かなかった、というのは、半分は本当だが半分は嘘である。
 何故なら、ヴェルディの住んでいたサンタガタの農園経営に対しては、加藤氏が、「いったいこの人は作曲は本業だったのだろうか」と疑問を抱くほどの情熱を傾けている。

 ヴェルディが所有していた農園の面積は、なんと東京ドームの143個分に相当し、そこで働いていた小作人は200人を越えていたという。そして、小麦をはじめ、穀物、ソラ豆、トウモロコシ、ワイン用のぶどうなどを栽培し、養蚕も営んだ。羊や乳牛などを飼って、ハムなどの肉製品やチーズを作らせた。新しい機械を導入したり、井戸を掘り水路を開拓した。

 こうなると、単なる農村の悠々自適な老後生活とはほど遠い。むしろ精力的な実業家の姿ではないか。

 また、劇場がその作品の上演権を握っていた時代に、イタリアにおいて著作権を獲得し、作曲家や作品の地位を向上させたのもヴェルディの大きな功績である。彼は国会議員になったが、作曲家の権利に対する法律の制定(1865年)を支持し、イタリアが国際的な著作権協定に加盟するよう尽力した(1888年)。

 これらのことから浮かび上がってくるのは、つまり、ヴェルディは経済観念が極端に発達していた人物だということである。すなわち、借金することをなんとも思わず豪奢な生活に明け暮れたワーグナーと正反対で、ヴェルディは実に現実的で堅実な人間なのである。 彼のオペラの創作も、生涯に渡って、現実にギャラをくれる劇場や出版社との関係の中で行われていた。一方で、音楽家のための老人ホーム「音楽家の憩いの家」やヴィッラノーヴァの病院などは、私財を投じて建てているから、ケチだけの人生でないことは言うまでもない。

 これは、ほんの一部だ。これ以上説明してしまうと、皆さんが「今日この頃」だけで満足してしまって、この本を買うのをやめてしまうので、このくらいにしておく。ちなみに、旧刊の方で興味深かったのは、「アイーダ」以降の長い作曲中断の期間における愛人ストルツと妻ジュゼッピーナとの愛憎の物語だ。これは女性である加藤さんだから書けた文章だろう。みなさんにも一読を奨める。

十束尚宏君の思い出
 1984年夏ベルリン。僕はカラヤン・コンクールの本選に残っていた。おおっ、今から考えると、なんと1Q84の年だ!指揮をしながら練習をつけるその一挙一動が審査対象となるこのコンクールで、演奏しているオケはベルリン交響楽団。
 実はこのオケを僕はよく知っていた。ベルリン芸術大学では、指揮科の学生の勉強のためにこのオケを指揮する機会が時々与えられていたのだ。さらに先日、僕は卒業試験でチャイコフスキー作曲第5交響曲をこのオケで指揮して一等賞の成績をもらったばかりだった。
 こうした「地元の強み」がかなり有利に働いたのだろう。ファイナリストの8人の中には、同じ指揮科ラーベンシュタイン・クラスの同僚で特に親しかったイスラエル人ノアム・イェイニもいた。

 僕は、第2次予選のストラヴィンスキーのハ調の交響曲がうまく振れて、在学中に親しくなっていた何人かのベルリン交響楽団の楽員に、
「お前が一番良かったよ」
と言われて、すっかり有頂天になっていた。
 インターナショナル・コンクールのファイナリスト。上位8人!これが世界の頂というものか。もしかしたら入賞?いや、ひょっとしたら、カラヤン・コンクール第1位も夢ではない?と思ったら心臓がバクバクしてきた。次第に僕は理性を失ってきた。
 こうなったら、僕がストラヴィンスキーの変拍子を確実に振れるだけでなく、むしろセンシティヴな音楽をデリケートに振れるところも見せなければ・・・・強みを徹底的に見せつけることこそコンクールだからなあ・・・・そこで血迷ってしまった。
 僕は本選の課題曲の何曲かから、なんとドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」を選んでしまった。それが失敗だと気がついたのは、すでに冒頭のフルートの練習をつけた時であった。これはフルート・ソロであるから、指揮なんかしなくてもいいのだが、始まった途端に、自分の抱いていたイメージと全く違うサウンドとフレージングが聞こえてきて、僕の思考ははたと止まった。分厚い音で朗々とインテンポでブラームスのように鳴り響いたと思って欲しい。
 僕は気を取り直して必死にフルーティストに説明する。
「いや、そういう感じではなくて・・・なんていうのかな・・・その・・・もっとけだるい感じで・・・もっと品の良いルバートで・・・そんな骨太じゃなくて、もっときゃしゃな感じで・・・」
何度もやらせるけど、どんどん違う方にいく。それどころか、いつもはあんなに優しくて好意的なベルリン交響楽団フルート奏者のお姉さんが、今日ばかりはみんなの前でソロにけちをつけられて不機嫌になり、
「わかんないわよ」
とふてくされている。このお姉さん、ベートーヴェンとかブラームスの交響曲を吹かせるととってもうまいのに・・・・。
 それ以後の弦楽器やホルンなども同様の感じ。やればやるほどイメージから離れていく。いやあ、ドイツのオケでドビュッシーだけはやるべきでなかった。みんなしっかり音を出しすぎ、真面目すぎ。どっしりとボテッと、ドイツの肉料理そのもの。どんなに直そうと努力してもどうにもならない。いや・・・勿論・・・それを何とかするのが指揮者だというのは分かっているよ。でも、制限時間が来てベルが鳴らされて指揮台を降りる時、僕の心は苦い敗北感のみに包まれていた。そして、結果は聞くまでもなかった。

 そのコンクールの会場に十束尚宏(とつか なおひろ)君がいた。彼はその夏、ボストンのタングルウッド音楽祭にいて、そこからベルリンに飛び、ここにしばらく留まるつもりでいた。たまたまカラヤン・コンクールが開かれているというので見学に来たわけである。
 それから数日して、カラヤン・アカデミーのファゴット科で勉強しているM君の家でちょっとしたパーティーがあり、住むところが決まるまでM君の処に転がり込んでいる十束君と、僕はいろいろ話す機会を得た。彼は、タングルウッドで小澤征爾さんにレッスンを受け、そこでスパルタ式にシゴかれたらしく、
「小澤さんなんてオニだ!」
と言っていた。僕は、
「愛のムチなんじゃない?見込みがあると思うから厳しいんだろう」
と言って慰めたけれど、同時に心の中で、こいつはなんて純粋な奴なんだろうと思っていた。
 コンクールの話題になった。僕がドビュッシーで失敗した話をすると、
「見てましたよ。なかなか大変でしたね。ドイツのオケってあんな風なのですね」
「ねえ、ここんとこ十束君ならどうやる?」
「僕が秋山先生に教わった時は、こんな風に振ってました」
その棒さばきが実に鮮やかだったのでびっくりしたのを覚えている。
「ちょっ、ちょっと・・・もう一回やってみて!」
「こうやって、それからこうやるんです」
「なあるほど・・・・そうかあ。それを君は秋山さんから教わったんだね」
「そうです。秋山先生を僕はとっても尊敬しているんです」
 秋山さんというのは秋山和慶(あきやま かずよし)氏のことである。僕は、それを聞いて、日本に帰ったら一度秋山氏の門を叩いてみようと思った。ずっと後になって、東響コーラスの演奏会の打ち上げの席で秋山氏と隣り合わせになった時、
「・・・そんなわけで、十束君がそんなに尊敬している秋山先生に、僕は弟子にしていただきたいとずっと思っていました。結局、日本に帰ってきて、妻と娘二人を食わせるために必死で働いたので、それは果たせない内に今日に至ってしまいましたが・・・」
と言ったら、秋山氏は、予想していなかったほど、すごくすごく喜んでくれた。

 そのカラヤン・コンクールが1984年のことだから、僕が今回の新国立劇場「夜叉ヶ池」公演を指揮する十束君と再会するのは、なんと29年ぶりということになる。あのややひ弱で内気な青年は、年を重ねてだいぶたくましくなったけれど、その繊細な感性はそのままだ。
 指揮の仕方は、基本が秋山氏で、緊張感のある箇所になると小澤氏的要素が入ってエネルギッシュになる。ところどころ尾髙忠明氏のシャープな棒さばきが入る。僕は、彼のどの教師ともアシスタントや合唱指揮者として共演しているので、全ての彼の動きが細かく分析できる。勿論、それを統合して音楽を演奏しているのは、十束君の個性的な感性であることはいうまでもない。
 香月修のドビュッシー及びラベル風のサウンドが、十束君のバトンの元で美しく流麗に流れるのを聴くと、僕の脳裏には、あの惨敗した「牧神の午後への前奏曲」の不器用な指揮さばきとダサいサウンドが蘇る。そして、あの時、もし僕が十束君のようなバトン・テクニックを持っていたら、あの「牧神」はもうちょっとなんとかなったのかなあとも思う。 が・・・・やっぱりバトン・テクニックだけでもないなあ。「牧神」を選んだのは自分の慢心だったと思うし、練習の付け方も自分のイメージする音への導き方も、まだ経験不足で下手だったのだと思うし・・・そもそも、ドビュッシーの音楽がどこまで分かっていたのか疑わしい。要するに全てが若気の至りだったのだ。

 だから、十束君の「夜叉ヶ池」の指揮ぶりを見ていると、僕のほろ苦い若き日の挫折感が蘇ってきて、ちょっとだけ胸がキュンとなる。
振り返ってみると、青春時代って、みんな傷だらけなんだよね。

   
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