名演!飯守氏のシベリウス

三澤洋史   

名演!飯守氏のシベリウス
 7月12日金曜日は、東京フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会。新国立劇場の次期芸術監督の就任が決まっている飯守泰次郎氏の指揮によるシベリウス特集。通常は第2部のメインプログラムになることが多いシベリウス作曲交響曲第2番を第1部にもってきて、第2部では堀米ゆず子さん独奏によるヴァイオリン協奏曲と、わが新国立劇場合唱団を加えて合唱付きヴァージョンの交響詩「フィンランディア」だ。

 「フィンランディア」は、定番の合唱曲ヴァージョンがあって、交響詩の和声付けと全く同じなので、曲の真ん中にスッポリと入るが、ラストの盛り上がるところのアレンジには定番がないので、僕がアレンジした。フィンランド語は、フィンランドで活躍する女性指揮者新田ユリさんに僕が指導を受け、合唱団に伝えた。

 さて、僕は第1部からずっと客席で聴いていたけれど、交響曲第2番があまりの名演だったので、感動して涙が込み上げてきた。東フィルは新国立劇場オペラ公演で日常的に聴いているし、自分でも何度も指揮したことがあるが、弦楽器があんな風に鳴りまくっていたのは初めて聴いた。オーケストラ全体が大きなうねりに包まれていて、オペラシティの聴衆を巻き込んで感動的に仕上がった。
 僕は、休憩時間になったらすぐ楽屋エリアに駆け込んでいった。たまたま袖にコンサート・マスターの三浦章宏さんがいたので、思わず握手をしながら、
「素晴らしい名演ですね。感動しました」
と言った。付近の楽員達にも手当たり次第に賛辞を捧げたあと、合唱団員の楽屋に行って、「みんな、シンフォニーはもの凄い名演だよ。ここまで盛り上がった雰囲気を合唱団で失望させないよう、みんなも気を引き締めて演奏して欲しい!」
と叫んだ。僕があまりに興奮していたので、一同ぽかんとしていたが、稀有なる演奏会に参加しているらしいという事だけは伝わったようだ。
 さて、第2部も堀米ゆず子さんの超絶技巧かつ熱い音楽や、我が新国立劇場合唱団の熱演で大いに盛り上がり、演奏会は大成功の内に終了した。東フィルは、今や半ば新国立劇場のレジデンス・オケ的存在であるし、それと新国立劇場合唱団が飯守泰次郎氏と共にこのような演奏会を成し得たことは、次期芸術監督の船出がスムースに行く事を予感させた。

 今、僕は考えている。指揮法とはなんであるかということを・・・。はっきりいって飯守氏の指揮は分かり易くはない。いや、むしろ大変分かりにくいと言った方がいい。合唱団と「フィンランディア」を合わせた最初のオケ練習で、合唱団はバラバラになってしまった。また、交響曲の出だしのアインザッツを客席で見ていた僕は、
「こ、これは・・・自分だったら出られないに違いない」
と思った。終演後、何人かの楽員達と話したら、みんな一様に、
「自分だって出られないさ。でも、出ないと仕方がないだろう。だからエイヤッ!という感じで腹を決めて出たんだ」
と言う。オーケストラのあのうねるようなサウンドに関しても、みんな言う。
「全然分からないから、楽員の中にもの凄い緊張感がただよっていて、みんなでなんとかしなくちゃと夢中になって弾いている内に、ある時ハッと気づいたのです。あれえ、なんだか結構良い演奏になっているぞ・・・って。自分たちで自発的に弾いているように思っていたけれど、結果的には弾かせられちゃっているんです」

 指揮が分かりにくい指揮者の内8割がたは、だめな指揮者である。でも、飯守氏の分かりにくさは全然違う。ある意味意図的で、しかも、その分かりにくさの真っ只中に名演を生む秘密が隠れているのである。
 思えば、飯守氏は桐朋の斉藤秀雄メソードの優等生として小澤征爾などに次ぐ世代として将来を嘱望されていたが、ある時期そのメソードから離れたと言われている。今となっては、飯守氏の指揮ぶりの中に斉藤メソードの特徴を見ることは出来ない。僕が、あの演奏会以来ずっと考えていることは、飯守氏の動きの、具体的にどの部分がどう作用して名演を生みだしているのか、それを分析したいのに出来ない事だ。
 でも、ひとつはっきりしていることがある。それは、飯守氏がとても音楽的な良い練習をする点だ。彼はフレージングにとてもこだわっている。それから音色にも。音色というよりも、むしろ、オーケストラが創り出すサウンドというかソノリティに対してだ。そしてそれが、どういうメカニズムを経てかは分からないのだが、結局は、見事に飯守氏の意図が達成されている点だ。
 斉藤メソードだけでなく、ほとんど全ての指揮メソードはそうであるが、基本的にオーケストラを合わせるテクニックに終始する。テンポの設定、加速や減速、急激なテンポ・チェンジにおける対応、クレッシェンドやディミヌエンド、急激なダイナミック・チェンジにおける対応。でも、ソノリティに関しては、既成の指揮メソードはほとんど役に立たない。
 小澤征爾氏が欧米に行って苦労し、指揮ぶりが変わった点はそこだ。ヨーロッパの名指揮者で、小澤氏よりも見事に指揮出来る人なんてほとんどいないが、彼らは皆独自のソノリティを保持しているのだ。小澤氏は勿論斉藤メソードを残しながら、その上に彼のソノリティを積み上げていったが、飯守氏は独自の道なき道を歩んでいる。今のままでは、決して人は真似が出来ない。

 うーん・・・分からない。ただね、僕は、だからといって、自分の指揮をわざと分かりにくくしようとは思わないのだよ。出来れば飯守氏の名演のメカニズムを解明し、それをもっとクリアなテクニックとして抽出したい。僕は、この夏休みの間に、実は自分なりに指揮法の本を書いてみようと思っていたのだが、少し考える期間が必要になってきた。カラヤンは、自分のメソードの中にソノリティを表現するテクニックを持っていて、それを僕は自分の指揮法の中に取り入れてもいるが、もしそこに飯守氏の秘密が加えられれば、まさに画期的なものになるんだけどなあ・・・・。
 ただ、これだけは強調しておきたい。飯守氏の演奏会が素晴らしいものになったのは、飯守氏のテクニックの故ではなく、彼の高い音楽性の故であり、彼の音楽に向かう姿勢の故であり、さらに言ってしまえば、彼の人間としての“生き様”故である。

感動的な演奏を生み出すのは、テクニックではない。当たり前の事である。
それが感じられるから、僕は指揮者飯守泰次郎氏に対して最大限のリスペクトを捧げるのだ。

「パルジファル」合宿の成果
 7月13日土曜日。僕は、高校生のための鑑賞教室「愛の妙薬」公演を終えると、名古屋に向かい、14日、15日と、小牧勤労センターで行われている「パルジファル」の合宿で練習をつけた。
 「パルジファル」の指揮の難しいところは、とてもゆっくりな個所が多いので、指揮をしているというよりも、なにか太極拳でもしているような運動になって、腕が中空で止まっているような時間が多くて疲れるのだ。アレグロの個所になるとむしろ腕が解放されてホッとする。
 14日は、朝の10時から夜の8時までずっと振りっぱなしで、普通に疲れたが、それでも、最近かなり頻繁に通っている水泳が功を奏して、疲れ方が明らかに違う。しかも、レガートの腕の動きには大きな変化が見られた。恐らく、クロールのリカヴァリーで使っている筋肉が発達したのだろう。
 それと・・・これがとてもとても大事な点なのだが・・・レガートで僕はかなり肩胛骨(けんこうこつ)を意識するようになったのだ。すると、腕の稼働のレンジが広がって、表現力が飛躍的に拡大したのである。これは、指揮する人はみんな意識するべきだと思う。
 カンタービレの個所で、先ほど語っていた飯守泰次郎氏の振り方を試しにちょっと真似してみたが、まったくうまくいかなかったので即やめた。それで、カラヤンのテクニックに戻った。オケの団員は恐らく誰も気付かなかっただろうけれど、僕の中にはまた悩みが密かに広がった。

 14日午後にはクリングゾール役の大森いちえいさんが来た。彼のブリリアントな声にオケの一同ぶったまげる。お陰で第2幕の練習が異常に盛り上がり、熱気のある演奏になってサウンドも整ってきた。
 15日午後には、モーツァルト200合唱団と、第2幕の花の乙女のソリスト達が加わる。こうして歌が入ってくると、オケだけでやっていた伴奏部分は俄然光りを発しはじめ、団員達は、まるでパズルのピースがハマッて絵が立ち現れてくるように、自分たちがこれまで演奏してきたのはこういう意味だったのかと理解し始める。練習の充実度が増し、団員達のモチベーションが急上昇する。あれほど無謀に思われたこの「パルジファル」企画も、そんなに無謀でもないなとみんな思い始めている。

 って、ゆーか、これって、このままのテンションを維持していくと・・・手前味噌だが、かなりの名演になるのではないか。僕は、名古屋だから、東京近辺の人達には安易に、
「来てね」
とは言えないと思って、これまで遠慮していたけれど、少なくともワーグナーが好きな人には、
「絶対にわざわざ名古屋まで足を運んでも損はさせないよ」
くらいは言ってもいいかなと思い始めている今日この頃です。

 やっぱり、合宿で同じ釜のメシを食うというのは必要なのだね。夜の懇親会も含めて、団員達とも気心が知れてきて、いろいろが楽しくなってきた。
さあ、これから本番に向けて頑張るぞ!それと、やっぱり、この長丁場を乗りきるためにも、この夏はプールに通います。
体が資本です!
僕が体力を持たないと何も始まらないのです!


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