「結婚」のかなり良い仕上がり

三澤洋史   

食材偽装について
 「食材偽装次々に拡大」という表示はおかしい。食材偽装は次々に拡大などしていない。もともとあったものが次々に発覚しているだけだ。発覚させているのはマスコミだ。テレビでは、食材偽装していたデパートなどの責任者を次々に出させる。責任者がなにか言い逃れをしようとしたり、謝罪を渋ったりすると、マスコミの思うつぼ。たちまちもの凄い集中砲火を浴びせ、土下座するまで許さない。あるいは誰かを辞任に追い込まむまで許さない。

 典型的な“いじめ”の構造である。背中を向けて逃げる者に石つぶてを浴びせるのは人間として最も卑怯な行動である。そして、もっと問題なのは、それを見て「ふふふ」とほくそ笑んでいる視聴者である。
 みんな正義づらして追求しているけれど、マスコミはただ自虐的な国民の気持ちを煽ってうっぷん晴らしをさせて、短い間に荒稼ぎしようとしているだけだ。その証拠に、こうして似たようなケースを探し出して飽きるまで際限なく見せている。視聴者はまんまと乗せられて2ヶ月で飽きる。そして・・・ここが大事なところなのだが・・・マスコミは視聴者にこの事件を忘れさせる。問題は、根本的な解決を見ることなくうやむやになっておしまい。
 こうしてこれまでに、賞味期限偽装がやり玉に挙げられ、運動部や体育会系の組織の体罰やパラハラが追求され、ストーカー行為を訴えたのに殺人に追い込んでしまった警察の怠慢が問題にされた。でも不思議に思わないかい?これらのことは別に順番に起こっているわけではない。むしろ同時進行している方が普通だろう。殺人事件は突発的に起こるので別にするとしても、食材偽装は前々からあったことだよね。とすれば、要するに期間限定のブームが創り出されているのではないか。ではそのブームは誰が創っているのか?決まっているだろう。マスコミだ。

 こうした報道姿勢こそが問題なのだ。でも、それを許しているのは我々国民だ。それは、我が国が世界の中でも抜きんでた「いじめ大国」であるというのと関係している。それだけ国民の1人1人が、胸の中にもやもやしているものを抱えていて、何かでうっぷんを腫らしたいと思っているのだ。
 もしあなたが、テレビで誰かが土下座をするのを見て楽しいと思うならば、あなたの感情はゆがんでいる。もしあなたが、誰かが辞任に追い込まれて「ざまあみろ」と思うならば、あなたの性格は屈折している。子供の社会からいじめがなくならないのも、親がもっとシビアないじめ社会の中に生きているからだ。その中でみんな被害者であると同時に加害者なのだ。

 さて、とはいっても、僕は食材偽装を弁護するつもりもない。実に嘆かわしいことだと思う。でもそれは食材偽装だけの問題ではないでしょう。建築設計偽装、賞味期限偽装、産地偽装など数え上げればきりがない。要するに早い話、国民の中に「バレなければ何しても良い。自分さえ良ければ他人はどうなっても関係ない」と思う人が多くなっているということでしょう。
 どうしてそうなってしまったのか?理由は明らかなのです。宗教心がないからなのだ。いつも言っているけれど宗派の問題ではない。自分の思考や意志決定、そして行動がこの世を超える価値観で行われているかどうか、なのだ。
 僕の親父は大工だったけれど、昔の職人は、人が気づかないところでも精魂込めて仕上げていた。それぞれの分野でそれぞれの職人に“こだわり”があった。ラーメン屋などで「こだわりの」なんていう表示を見るが、そんなあざといものは本物のこだわりではない。本物のこだわりは人になんか言わない。
 丁寧に作った家は地震が来ても壊れない。家が壊れれば人が死ぬ。大工はその意味では人の命を預かる商売である。建ててすぐの家が壊れて誰かが死ねば責任問題も起こるが、古い家が壊れても誰も責めない。そこでふたつに分かれる。人が責めなくても誰も気がつかなくてもきちんとしたものを建てようと思うか、建材を5本抜いて経費を浮かせて、あとは自分の知ったことかと無責任でいるか。僕はそばで親父の仕事を見ていたので断言するが、昔の大工に後者はひとりもいなかった。そんなことしたら“おてんとうさま”に申し訳なかったからだ。
 こうした職人気質から会社組織になって経済優先になったというのも、原因のひとつにはあるだろう。信念に燃えた社長とやる気のある従業員がより良い製品を作り出すという常識から、会社は株主のものという常識に変わりつつある。また、コンプライアンスとかなんとか言って、隠蔽しても文句も言えないような体質が生まれる。
 社会も人間もみんな薄っぺらくなって、今結果が出るもの、ただちに評価されるもの、すぐに利益が出るものにしか興味を示さなくなっている。そんな世の中で、みんなの信仰の対象になっているものは“経済”ではないか。でも、その宗教は、人間として最も根本的な、
「嘘をついてはいけない」
という常識すら軽視するのだ。そんな宗教は、刹那的には「しめしめ」という状況をもたらしてくれるかも知れないが、めぐりめぐってそのツケが自分自身に降りかかり、結局誰もしあわせにはなれない。

 もうひとつだけ大切なことを言おう。僕は、個人的にはこの食材疑惑にあまり関心を持たない。何故かというと、
「あんたたち、ブランドに惑わされないで自分の舌で味わいなさいよ!」
と言いたいのである。
 表示がないとうまいもまずいも分からないというのは情けない。化学調味料とかでごまかされた味ばかり食しているから、食材の本当のうまさを知らないのではないか。それに、逆に言えば、美味しければブラックタイガーでもなんでもいいじゃないか!値段の割にまずければもう食べなければいいのだよ。そうすればそこで自然な自由競争が起きて、高くてまずいものを売っている人は、商売が立ちゆかなくなるだけなのだから、一体どこに問題があるの?
 ブランドなどに惑わされて目や頭で食べるからこんなことが起きるのだ。日本人は、ある意味最も情報操作し易い国民だね。イタリア人を見なさい!彼等は、食材の善し悪しを見極める舌だけは世界一なので、どんなブランドや名前にも惑わされない。今この場で自分が食べているものが絶対なのだ。だから食材偽装しても何の得もないので、誰もそんな事する人いない。その点だけに限って言うと、実に素晴らしい国民である。その点だけはね・・・。

「結婚」のかなり良い仕上がり
 新国立劇場では、ストラヴィンスキー作曲「結婚」の練習が続く。11月5日火曜日には、マエストロ稽古。6日水曜日と7日木曜日はオケ合わせであった。オケ合わせといっても、編成が特殊で、ピアノ4台とパーカッションのみである。小埜寺美樹(おのでら みき)さんをはじめとする4人のピアニスト達はみんな超優秀で、初日なのに、まるで事前に何度も合わせていたんでしょうと言いたいほどピッタリ合っている。でも、考えてみてもピアノ4台で練習できる環境なんてないから、本当に生まれて初めて合わせたのだ。
 我が新国立劇場合唱団も大健闘。かえってオリジナル編成でやった方が分かりやすい。4台あるピアノの誰かが声部をなぞってくれるし、打楽器もアクセントをバシンと決めてくれるので、リズムの精度が飛躍的に上がった。

 結婚は8分音符イコール80のテンポで始まる。すぐに倍の160になる。次に1拍80の2つ振りである8分の6拍子になる。それから4分音符120の2拍子になる。それぞれの場面では完全なインテンポが要求される。何故なら、この一定テンポを使った遊び心が「結婚」の醍醐味だからだ。
 80と120のテンポは完全につながっている。80を1拍とした8分の6拍子のひとつひとつの8分音符の速さは80×3=240である。その音符を2つ集めると240÷2=120で、4分音符イコール120の2拍子が出来る。つまりここでの8分音符の速さは同じなのだ。曲の中では、そこにさらに8分の5拍子など変拍子がどんどん乱入してくるので、もの凄く複雑に聞こえるが、基本的仕組みは簡単なのである。

 まだバレエとは合わせていないが、ロンドンのロイヤル・バレエの映像はDVDで見ている。秀逸な振り付け。新国立劇場のバレエも優秀だから、これは楽しみになってきたぞ!指揮者のクーン・カッセル氏も大喜びで、
「この演奏者達はみんな凄い!これはCD化するべきだ!」
と言っている。

 公演は、11月13日水曜日(19:00)、15日金曜日(19:00)、16日土曜日(14:00)、17日日曜日(14:00)。オペラパレスです。絶対に後悔や失望はさせません。それどころか「火の鳥」だってバレエ付きで観れるんだよ。ストラヴィンスキーおたくは必見!

水と戯れる
 結構足繁くプールに通っている。「結婚」のオケ合わせと夜の「ホフマン物語」の合唱練習との合間などに案外時間が取れた。塚本先生にレッスンを受けてから、ひとつのことに目覚めた。それは、水の性質というものが分かってきた事だ。そして、それと戯れることが出来てきて水泳がぐんと楽しくなってきた。

 レッスンの最中。平泳ぎのブレス後の入水が深すぎる。
「なかなか浮いてこないんですけど」
と言った僕の言葉に対して、
「とりあえず前に出した手のひらをちょっと上に向けると浮いてくるんですけどね」
と塚本先生は答えた。
「あ、ホントだ!」
飛行機のフラップと一緒である。こんなことで本当にヒョイと浮いてくるのである。ま、これが根本的な解決ではないんだけどね。

 クロールでリカバリーから入水する時に「水をつかむ」と言った先生の意味がよく分からなかったので、教えてもらった。その時に、わざと小学生がやるように、バシャッと上から水を叩いて入水させられた。手のひらで水を感じるためである。
 入水してから腕を伸ばしていくと、確かに、手のひらから腕に沿って水の流れを感じる。その時に手のひらを下に向けると体が沈む。上に向けると体は浮く。流体である水の中をかき分けて体が進む時、揚力を感じる事はなんと心地良いことだろう!
 体を左右に交互に傾けながら進む。そのローテーションの時に、自分の体を、つるんとした水の膜がすっぽりと包みこんでいるように感じられる時は、美しいストリームラインが出来ている証拠である。その快感が得られない時は、軸が曲がっている。体は伸ばした方が良いのだが、同時に、お腹は引っ込めた方が良い。背骨が反ると、また抵抗を作ってしまうから。そうした体勢に、水は実に素直に反応する。

水って、なんて不思議な物体なのだろう!
魚になりたい!

感動的な手話ダンス
 先日「今日この頃」でも書いた、新町歌劇団の「ふれあいコンサート」のための練習に行ってきた。練習場に入ったら、前回2人だった手話の人がなんと8人に増えていた。歌劇団の人達が、僕のいない間に手話教室に通ったら、その手話教室の生徒さん達が興味持ってこちらの練習に参加して来たそうである。その中には耳の聞こえない方もいた。本番には12人に増えるという。びっくりしたなあ、もう!2人と12人とでは存在感が全く違う。
「ちょっ、ちょっと待ってね。今考えるから・・・」
ステージングのアイデアを最初から練り直さないといけない。とはいえ、僕はちっとも困っていない。いいじゃないか!多い方が楽しいよ。

 ということで、行き当たりばったり思いつきでステージングを決めた。「花は咲く」では、手話の人達を真ん中に集めて、合唱団がそれをハの字に囲むようにして歌い始める。最初は、歌劇団は止まって歌い、手話の人達だけが動いている。
「誰かの歌が聞こえる」
のところにくると歌劇団は、ハッとした表情をしながらゆっくり前に出てくる。そして、「はなーは、はーなは、花は咲く」の直前に歌劇団の人達が大きく場所移動をし、みんなで一体となって手話をし始める。この瞬間の光景は実に感動的だ!曲の後奏では、歌劇団が手話の人達の中に入って行き、互いに手をつなぎ合い、肩を抱きながら前方を仰ぎ見るポーズで終わる。

 「翼を下さい」では、歌劇団が舞台の右前から左後ろに対角線上に整列し、手話の人達は舞台左前に集まっている。この曲は「花は咲く」よりもビートが利いているので、「この大空に」と歌劇団も手話を始める個所ではステップを踏んで大きく動かせたい。ところが手話の動き自体が時々そのステップと合わない。
そこで僕は、歌劇団の手話を、ステップに合うように簡素化したり、意図的に変えてみた。こんなことしていいのかな、とも思ったが、手話の先生と相談しながら変えて、それから一緒にやってみたら予想をはるかに超えた効果が得られた。
 ある瞬間、手話の人達と歌劇団の動きとがズレる。でもそのズレが楽しい。それに、意味内容を伝える手話というものに、作品のエネルギーの視覚化という要素が加わって、曲の生命力も爆発的に広がった。
 これ、手前味噌だけれど、かなりイイよ!うーん、17日はバレエ「結婚」の本番だから、僕自身は新町には絶対に行けないんだけど、「ふれあいコンサート」に来てくれたお客様はきっと感動してくれると信じている。
 僕も・・・ヤバイ!手話にハマリそう!って、ゆーか、本気で習おうかな。新しい外国語を習い始めるよりは楽そう。うーん、でも時間がないし・・・どうしようか悩んでいる今日この頃です。


 


当ホ-ムペ-ジに掲載された記事、写真、イラスト等の無断転載を禁じます。
Copyright ©  2004-2013 HIROFUMI MISAWA All rights reserved.