杏樹な日々~メロメロじーじ

三澤洋史   

杏樹な日々~メロメロじーじ
 孫娘である杏樹(あんじゅ)の誕生から10日間以上経ったが、いまだにお産の体験の興奮状態がどこかで続いている。といったって、僕が産んだわけではないし、父親ですらないし、ただの傍観者に過ぎないのであるが・・・それだけ“人が生まれる”というのは非凡なことなのだ。
 杏樹は志保のおっぱいを存分に飲んですくすくと育っている。毎日顔も表情も変わってくる。僕はなんだかんだと言いながら、自転車でひとっ走りして杏樹を見に行く。毎日見てる。ヤバイ!どう見ても完全にメロメロ。

 ある時、志保が妻の車で外出するため、2時間ばかり杏樹を預かってくれないかと言われた。
「まかしとき!がってんだい!」
志保は搾乳器でおっぱいを絞って、
「杏樹がおっぱいを欲しがったら、これを人肌に温めてあげてね」
と言い残して外出していった。よしきた!ここはおじいちゃんの出番。まだ杏樹は哺乳瓶から一度もおっぱいを飲んだことないけど・・・まあなんとかなるでしょう。
 最初はよく寝ていた。僕は杏樹の側で勉強を始める・・・でも気になって仕方ない。10分おきに見に行く。なんだ、よく寝ているじゃないか。って、ゆーか、起こしたいのかい?そのうち目をつむったまま動き始める。ぐずっているようにも見える。さだかではない。もう勉強どころではない。気が気ではない。じゃあ、抱っこしちゃおうかな。目をあける。おおっ、なんとかわいい!
 口を動かし始める。もぐもぐ・・・もぐもぐもぐ・・・もぐもぐもぐもぐ・・・うーん、これって、やっぱしおっぱいが欲しいのかな?ようし、それじゃあ、おじいちゃんが作ってあげましょう。とびきり上等な素晴らしい人肌おっぱい!うーん・・・熱いかな・・・ぬるすぎるかな・・・杏樹を抱っこして哺乳瓶をあげる。あっ、吸い付いた・・・あれれれれ・・・ベロで突き返した。こんなもの飲めるかいって顔している。なんだ、なんだ、おじいちゃんのじゃ飲めねえってのかい・・・ええっ?可愛くねえなこの女・・・いやいやいや・・・そんなことないよ。杏樹ちゃんはかーいいもんね。世界いちかーいいかんね・・・あれれれ?また寝ちゃった。なんだ、本気でハラへってなかったのか。
 志保が帰ってきた。早速おっぱいあげている。杏樹は喜んで吸い付いている。実にしあわせそうな顔している。ふん、なにさ。まあ、母親と争うつもりもないけどね。

 こんな風にもうどうしようもない。メロメロじーじ。それにしても、こんな僕のくだらねえ文章に付き合っているみなさんも気の毒だねえ。も、申し訳ございません!

杏樹とトミーノのいるクリスマス
 今年はひときわクリスマスが来るのが楽しみである。我が家では、24日のクリスマス・イヴになると、毎年カトリック立川教会に行って6時からのミサにあずかり、僕は、6時と9時のミサの間にある聖歌隊のプチ・コンサートでクリスマス・キャロルを指揮する。それから家に帰ってきて家族でお祝いの食事をするのが習慣である。今年は新しく志保の夫のトミーノがその食事に加わる。そして勿論新生児の杏樹も(一緒に食事はしないが)その輪に加わるわけだ。

 我が家のクリスマス・ディナーでは、食事の前に毎年僕がお祈りをする。その時いつも、
「来年のクリスマス・イヴも、みんなが元気でこうして迎えることができますように」
と祈る。これまで、実際には志保や杏奈がパリにいたりして、全員そろわない年も少なくなかった。でも彼女たちはパリにいても、この日を特別な日としていた三澤家の伝統を受け継いで、自分で料理を作ってお祝いしていたのである。
 今年のクリスマス・イヴは、みんなが元気なだけではなく、思いがけなく二人も家族が増える。だって昨年のクリスマスあたりは、志保がトミーノと付き合っていたのは知っていたけれど、こんな早くこんな展開になるとは思いもよらなかったからね。いやあ、人生長く生きてると、いろんなことが起こるものだ。

降誕のリアリティ
 今年のクリスマスが特に楽しみなのはそれだけの理由ではない。僕の中に新しい感覚が芽生えたのである。それは、キリストの降誕、あるいは聖母マリアの出産というものに、生まれて初めてある種のリアリティを感じたということだ。
 たとえば、降誕祭前4週間の待降節といわれる時期に対する理解について。これまでは、救い主が降臨を迎えるために自分たちの心を整える、節制、反省、精進の時期だと理解していた。それはそれで間違いではないのだが、大切なことを忘れていた。
 それは、「楽しみに待ち望む」という気持ちである。出産予定日を数えながら、生まれてくる子供を待ちわびる感情である。マリアも当然のごとく大きなお腹をしながら、子供の胎動を感じながら待っていたに違いない。期待半分、不安半分な気持ちで。
「陣痛って痛いのかな?どんな顔して出てくるのかな?自分の子供を胸に抱くって一体どんな感じかな?」
 みなさんも一度、マリアの気持ちになって待降節を感じてみよう。すると世界が全く違って見えるだろう。降誕祭をちょっと緊張しながらもワクワクと感じられるのではないかな。

 そんなことをいろいろ考えていたら、出産の光景が蘇ってきた。イエスの誕生って具体的にどんなだったのだろう。やっぱり同じように生まれてきたんだろうな。ヨセフはトミーノのように、陣痛に苦しむマリアの手を握っていたのではないか。あんな時、夫は他に何もやりようがないのだからね。でも、そこに愛を感じるよね。
 イエスは、神であったって、マリアとへその緒でつながり、マリアの産道を通って出てきて、産声を上げて地上の空気を思い切り吸い込み、マリアのおっぱいを飲んで、おしっこしてうんちして、マリアにやさしく抱っこされ、マリアとヨセフのやさしいまなざしに守られながら人生を出発したに違いない。それら一連の光景が、あたかも眼前で展開するように、僕のイメージに鮮やかに浮かび上がってきたのだ。

 イエスは苦難の生涯を送ったけれど、彼に限らず、人の一生は楽しいことばかりではない。むしろ辛いことの方が多いのではないだろうか。にもかかわらず、どうして僕は、志保が妻から生まれてきた時も、杏樹が志保から生まれてきた時も、涙が溢れ出たのだろうか?この世なんて、そんないいものじゃないのに。そんな世に生まれたことは、理性で考えると決して“おめでたいこと”なんかじゃないのに。
 しかし、出産に触れた感動は、嬉しいとか悲しいとかいう感情をはるかに超えた、もっともっと深く、自分の存在の根源的なところから湧き上がってきたものであった。それは“いのち”の根源に触れた悟りのようなものであり、全身からわけもなくほとばしり出る法悦感なのだ。

 志保が言う。
「生まれてからの杏樹の動きってさあ、もう全部知っているんだよね。なんでかっていうと、お腹の中でも全く同じ動き方をしていたわけ。何時くらいから動き始めて、何時くらいには大人しくなるとか、蹴っ飛ばし方までそのまま」
 僕は、ハッと思った。そうか、人間の誕生日はこの地上に出た時だけれど、実はその人間の“いのち”はその前からあったのだ。それだけじゃない。その子らしい動き方、つまり、その人間のキャラクターや行動パターンとか癖は、もうすでに備わっていて、母親はすでに知っているのだ。
 そして出産の時を迎える。マリアもヨセフもみどりごイエスの顔を見て。
「はじめまして!あたしがママよ」
「へえ、こんな子が入っていたんだね。パパですよう!」
と挨拶したんだろうな。出産とは、すでに胎内で生を受けていたイエスとの地上での出遭いの瞬間。なんてエキサイティング!

 志保の杏樹に寄せるまなざしに、まさに“母性”というもののエッセンスを見る。それは、全ての女性の母性の原型。人間的な・・・限りなく人間的な愛の原点。それが母親が子供に見せる母性。
 僕だって、幼い頃にお袋に愛されていたという実感が、オーラのようにこの歳になるまで僕をずっと包んでいて、僕のエネルギーの全ての源泉となっている。恐らくイエスとて例外ではない。マリアの素朴で純粋な愛を存分に受けて育ったからこそ、あの慈愛に溢れた救世主となり得たのである。愛ほど、この世における強い力はない!

 僕は、ちょっと勇気を出して、あることを言おう。これを言うとキリスト教信者から怒られそうであるが・・・僕が常々思っていた事だ。それは、
「どうして処女懐胎でないといけないのだろう?」
という疑問。
 別に「マリアは処女懐胎ではなかった」と主張して、聖書を否定し、教会を敵にまわすつもりは毛頭ない。ただ、
「マリアが仮に処女懐胎していなくても、僕のマリアに対するリスペクトには何の変化もない」
と素朴に思うのだ。
 僕にとっては。むしろマリアがヨゼフと愛し合ってイエスを授かった方が、はるかに自然だし感動的だ。なんでキリスト教はそこまで性を否定するのか?セックスはそんなに醜く、いやらくして罪深い行為なのだろうか?もし、そうだとしたなら、出産はどうなんだろう?
 出産では血も汚物も出る。赤ん坊は血や様々な分泌物でヌルヌルしているし、母親は長い陣痛と最後のいきみで汗びっしょりで顔はむくんでさえいる。それだけ見ると醜いように感じられるかも知れない。でも・・・にも関わらず・・・僕は、その全てを美しいと思った。出産を成し遂げた志保の顔には、たとえばオリンピックのマラソンで走りきってボロボロになりながらも勝利を手にしたアスリートの輝きがあった。このゴールは、まさに愛の結晶ではないか。
 僕は、マリアを尊敬するあまり、陣痛に苦しんでいても3歩下がってマリアの手も握れないようなヨセフだったらヤだなと思う。むしろ握るヨセフの手をマリアには握り返して欲しいと思う。そこに僕はかけがえのない愛を感じたい。マリアとヨセフには愛し合っていて欲しい。別にプラトニックじゃなくったっていいじゃないか。

 まあ、これは僕の勝手なイメージです。僕がいいたいのは、イエスも、人間の子として生まれたからには、おしっこをし、うんちをし、おっぱいを欲しがり、わがままを言ってお母さんを困らせ、やがてハイハイを始め、つかまり立ちをし、歩き出し、ひとつひとつお母さんから言葉を覚え、いたずらをしてマリアをハラハラさせたに違いないということ。生まれるやいなや立ち上がり、
「天上天下唯我独尊」
と叫んだのではないということ。
 でも、そのひとつひとつ母親をわずらわせたことが、逆にどれだけマリアに幸福感を与えていたことか。どれだけの愛情をマリアはイエスに注いでいただろうか。どれだけしあわせな聖家族がそこにあったことか。

 バッハは、クリスマス・オラトリオに受難コラールを使用し、
「キリストが降誕したのは、後に苦難を受けて人類を救済するため」
という教義を強調したかったようだが、僕はそんなのナンセンスだと思っている。
 降誕祭は、そんなこと考えないで単純に喜びましょう!救い主の“いのち”がこの地上に肉を受けた神秘を思い、それを祝うだけで充分。そこに、「我々が救われたから」などという打算を入れてはいけないのです。

 だから僕は、12月15日に二俣川カトリック教会で行われるクリスマス・オラトリオの演奏会でも、“いのち”を喜び、“いのち”を祝うことのみに徹して演奏しようと決心している。

インフェルノ
 僕は、「ダビンチ・コード」「天使と悪魔」をはじめとしたダン・ブラウンの著書については、出版されているものは全て読んでいるだけでなく、その攻略本のようなものまで買って読んでいる。ある意味、ダン・ブラウンおたくである。
 でも、本当の事を言うと、ダン・ブラウン自身に魅せられているわけではないし、彼のファンというわけではない。ただ、彼が扱うテーマが、聖杯伝説やバチカンのコンクラーヴェと呼ばれる新法王選出、あるいはフリーメーソン(ロスト・シンボル)など、いつも僕が興味を持っている領域内にあるので、僕は気が付いてみると彼の本を買ってしまうのである。
 さて、書店に行ったら、そのダン・ブラウンの新作が出ていたので買って読み始めた。今回の「インフェルノ」(越前敏弥訳角川書店)が扱っているのは、ダンテの「神曲」の中の地獄篇である。物語の舞台は、イタリアのトスカーナ地方の中心地であるフィレンツェから始まり、後半になってヴェネツィアに移っていく。
 内容に関しては、ネタバレになるといけないのであまり語らないが、今回は主人公であるロバート・ラングドン教授自身が命を狙われるところから始まる。そして手に汗握る追っ手からの逃亡、パートナーの女性など、ハリウッドのアクション映画さながらのお決まりのアイテムに満ちている。ダン・ブラウンの筆は冴えているし、いつも通り読んでいると楽しい。
 ただ、今回の内容の弱いところは、レオナルド・ダヴィンチが彼の絵の中に衝撃的なメッセージを込めたようには、ダンテ自身は「神曲」の中に隠れたメッセージをしたためているわけではない点だ。だから、これを読んだからといって新たな発見は望めない。感想も・・・そうねえ・・・もし皆さんの中に、まだ「ダヴィンチ・コード」も「天使と悪魔」も読んだことない人がいたら、そちらを先に読むことを薦める。「インフェルノ」がもしダン・ブラウンの処女作だったら、現在の地位を彼が築くことが出来るかは疑わしい。作品の出来うんぬんではなく、“その衝撃性において”という意味である。
 それでも、ダンテの「神曲」に対する興味が湧くだけでも読む価値はある。だってそうでしょう。みなさんは「神曲」って読んだことありますか?ないでしょう。有名だし、文学史上に燦然と輝く名作であるのは分かっている。でも、これだけ内容を知られていない名作というのも珍しい。僕も、これまで特に興味もなかったけれど、「インフェルノ」を読んだ後に一度「神曲」を読んでみようと思っている。その意味では、僕にとって「インフェルノ」は、ダンテの「神曲」への最良の入門書である。

 フィレンツェという街をよく知っている人には、めちゃめちゃ楽しい内容であろう。ヴェッキオ宮殿、アルノ川、ポルタ・ロマーナ美術学校、ボーボリ庭園、ヴァザーリ回廊、五百人広間など、名所旧跡の間を通り抜けながら事件が進行するのだから。
 でも、残念ながら僕はフィレンツェは通ったことあるだけで、街のことは全然知らないのです。自分でそれらの場所を挙げながら、何一つとして知らない。残念!畜生!こんなことなら、ミラノにいた時に無理しても行っておくんだった。僕に便乗してパリから遊びに来た杏奈なんか、ひとりでフラッと行って、トスカーナ料理をちゃっかし食べて帰って来たのに・・・・。
 ダン・ブラウンさん!次はミラノかベルリンかバイロイトを舞台にしてお話を書いて下さいよ。あ、それとも東京・・・それも特に初台近辺でカーチェイスとかやりましょうよ!



 


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