教会で聴くクリスマス・オラトリオ

三澤洋史   

教会で聴くクリスマス・オラトリオ
 僕達がミニクリオラと呼んでいる「教会で聴くクリスマスオラトリオ」演奏会が12月15日日曜日行われた。今年は神奈川県のカトリック二俣川教会。このシリーズもすでに4回目を迎え、団員も来てくれるお客様も、その趣旨への理解がすっかり定着した感がある。伴奏は中澤薫子さんの弾くオルガンのみ。ソリストも全員、団員からオーディションで選出している。演奏会は無料。

 バッハのクリスマス・オラトリオは、ドイツ人にとっては特別な曲だ。日本人が年末といったら第九であるように、ドイツ人はクリスマス・シーズンといったらクリオラなのだ。ルター派のどこの教会でもこの曲を演奏する。上手な演奏ばかりではないが構わない。この曲は、それぞれの教会で飾られる「馬小屋」のように、ドイツ人の日常と分かち難く結びついている。
 僕は、東京バロック・スコラーズ創立当時から、このドイツの伝統をなんとか日本に紹介したいと思っていた。同時に僕は、日本人のバッハの受容に関して、「純粋に音楽としてのみ鑑賞する」という態度は否定しないものの、バッハの創造の原点である宗教性を全く無視しては、やはり充分な理解は得られないのではないかと思っている。
 誤解しないでいただきたいのだが、クリスチャンにならなければバッハの音楽は分からない、というつもりは全くない。それでも、なんらかの形で、ドイツ人の生活に溶け込んでいる文化としてのキリスト教と、その土壌から生まれたバッハの音楽との自然な関係を理解して欲しいという気持ちはある。その点で、最もふさわしい曲がクリスマス・オラトリオなのである。
 僕は、蛇足のそしりを甘んじて受けても、「おはなし」をすることによって、クリオラの背後にあるキリスト教文化を伝えたい。ドイツでは勿論「おはなし」などない。しなくても空気のように分かるから。でも、日本では、やはり聖書の内容を噛み砕いて伝えることはまだまだ必要であると思っている。
 普段あまり教会に足を踏み入れたことのなかった人達にとって、あの静謐な包まれた空間の中で、信仰にまつわる話を聞きながらバッハの音楽に触れるというのは、なかなか悪くない体験なのではないかと信じて、ここまでこの演奏会を重ねてきた。

 教会で、信者ではない団員が大多数を占める東京バロック・スコラーズが、信者向けに演奏するというのは、まるで「釈迦に説法」ではないかという意見があろう。実は、そこが一番の目的なのだ。まさに、東京バロック・スコラーズが「どのような」演奏をするかが、僕の最大限の賭けだったのである。
 つまり、この賭けに成功すれば、それはそのまま、バッハの音楽がキリスト教という狭い枠組みを超えて普遍的である証になる。今回は、とりわけ団員から発するオーラが温かく、それにつられて会場全体にとてもやさしい空気が支配していた。これを僕は望んでいたのだ。東京バロック・スコラーズを発足させて以来初めてだ。やっとここまで来たかと感無量の想いであった。
 今こそ言おう。この企画は、本当は団員向けに行われていたのだ。僕は、こうした演奏会こそが自分の最も自分らしい演奏会であり、自分の音楽人生の原点だという気持ちを新たにした。これが自分が指揮する今年最後の本番なのだが、この演奏会で今年を終われたということに満足感を持っている。
東京バロック・スコラーズのみんな、本当にありがとう!君たちは僕の宝だ!

 最後に、演奏会をやるにあたって、オルガンをはじめ、教会の様々な備品を勝手に動かしたり、いろいろ無遠慮なことをしたにもかかわらず、快く献身的に対応してくださった二俣川教会聖歌隊指導者の伊澤力氏に心から感謝の意を表します。

「インフェルノ」の仕掛け
 「ダヴィンチ・コード」などで有名なダン・ブラウンの新作「インフェルノ」越前敏弥訳(角川書店)を読み終わった。先週の「今日この頃」を読み返してみると、あの時はまだなんにも分かっていなかったんだなあと思う。

この物語の後半にあっと驚くどんでん返しがあるのだ!

びっくりして前の部分を読み返してみると、なあるほど・・・いろいろ伏線が仕込んであった。
「え?これって、あの人が言ったセリフじゃなかったの?」
という前代未聞の仕掛けもある。
 テーマは「ダヴィンチ・コード」のように衝撃的ではない。でも、エンターテイメント小説としてのダン・ブラウンの腕は第一級だな。また、ここで語られている人口爆発による人類滅亡と崩壊の危機には考えさせられるものがある。今、どの書店に行っても山積みになって売り出しているけれど、確かに一読の価値はありますよ。

第九の季節
 今年は、夏に発売したヤマハのコンテンツのために第九の録音や原稿作りをしていたので、一年中第九と関わっていた気がする。特に発売後も、毎月「第九のうんちく」を語る原稿をコンテンツ内で更新していたから、原稿作成のためにいろいろ勉強し調べていたのだ。
 このうんちく欄は、第九演奏のピークを迎える12月号でひとまず区切りが付いた。毎月興味深い内容を提示出来たのではないかと自負している。このホームページでも披露したいところだけれど、残念ながらそうもいかない。

でもチラ見くらいは許されるかな。最終号から:

 一般的には、ベートーヴェンが、この交響曲を作っている途中で、最終楽章に声楽を入れようと突発的に思いついたように言われているようだが、僕は全くそうは思っていない。何故なら、この交響曲全体は、「歓喜の歌」のメロディーを巻き込みながら周到に構成され作られているからだ。
 次の譜例を見ていただきたい。第1楽章の第2主題は、なんと「歓喜の歌」と似ていることだろう。

また第2楽章のトリオ部分のテーマも、メロディーの構成音は「歓喜の歌」と同じだ。これらは決して偶然ではない。

まだ他にも関連性が感じられる個所は沢山ある。つまり、ベートーヴェンは、明らかに最終楽章のシラーの詩による「歓喜の歌」を想定して第九を書き始めたのだ。

 終楽章のバリトン・ソロは、
「友よ、こんな音ではなく」
と歌って、それまで積み重ねてきた第3楽章までの音楽を全否定するようなことを言う。こんなブリッジを作ったから、木に竹をつないだような思いつきで声楽部分をつないだと誤解されているかも知れない。
 僕はこれにも異論を唱える。何故なら、第九の前に、第九と同じ構成を持つひな形があるからである。それは運命交響曲である。この曲にも、第3楽章と第4楽章との間にはある種の断絶がある。第4楽章の歓喜の爆発は、それまでの苦悩に満ちた音楽から見ると正反対だ。だからといって第4楽章だけあればいいかというと、それでは意味がないだろう。
Freude durch Leiden「苦悩を通っての歓喜」であり、苦悩があるからこそ歓喜が尊いのである。
 第九も似ているが、少し違うところもある。それは、運命の第4楽章にあたるのは、むしろ平和な第3楽章である。ここには爆発的な歓喜はないけれど至福感がある。だから運命交響曲ほどの表向き強い断絶はないのだが、精神の覚醒という静かだが確固たる断絶は存在しているのだ。それがさらに4楽章で一皮むける。ここでは、個の幸福感から、民衆へ目を向け、共に力を合わせて新しい世の中を作っていこうとするあらたな目覚めをうながしているのである。だから、
「このような音ではなく」
なのである。その意味で、第九交響曲は運命交響曲よりも一歩先に行っているのである。
 
 とまあ、こんな風にうんちくを述べています。もっといろんなことを語っていますが、これ以上知りたい人は、今からでも遅くないからヤマハに申し込もう。

 さて、我が新国立劇場合唱団も、今週から読売日本交響楽団の第九が始まる。すでに2回の練習を終えたが、今年の合唱団は、響きも表現も充実していると手前味噌をかましましょう。
演奏会は、
12月18日(水)19:00及び19日(木)19:00サントリーホール。
20日(金)19:00及び21日(土)14:00池袋東京芸術劇場。
23日(月)14:00横浜みなとみらい。
25日(水)18:30オペラシティ。この日だけ、第九の前に団員による室内楽があります。
指揮者はデニス・ラッセル・デイヴィス。詳しくは下記ホームページから。
http://yomikyo.or.jp/

今日この頃
 毎朝、散歩のために6時半過ぎに家を出るが、その時にまだ太陽が出ていない。インターネットで調べてみたら、12月16日月曜日の東京都の日の出時間は6時44分9秒だそうである。これから冬至に向かって1年で一番日照時間が短い時だ。
 真夏の時には、家を出た瞬間に、
「うわあ、もうあんな高いところに太陽がある、やだな、暑いから木陰を行こう!」
と思っていたくらいなのに、今はふとんから外に出るのもおっくうなら、戸外に出た途端にぶるっと体が震える。散歩していると四季の移り変わりを本当に肌で感じる。

 孫の杏樹ちゃんはすくすくと育っている。夫のトミーノは仕事が一段落して、ここ数日はイクメンに励んでいるそうな。そういえば志保が、
「トミーノが仕事で居ないから」
と言うと、妻が車でいそいそと迎えに行き、杏樹ちゃんともども家に来ていたけれど、ここ数日来ない。僕も仕事で忙しく、自転車でわざわざ見に行く時間もなくて、杏樹ちゃんに会ってない。代わりに杏奈が志保のところに行って、i-Phoneで撮った写メを送ってきた。入浴シーン。くくくく・・・・かわいい!たまりませんなあ!



 もうすぐ今年が終わる。本当にいろいろあった年だけれど、人生で最も楽しい年だったかも知れない。僕は、こんなにしあわせでいいのかしらと自分で思うが、僕のような指導者は、心に余裕を持ち、みんなに心を配れる安定した精神状態でいないといけない。僕の機嫌が悪くなって、ヘタにとばっちりをうけたら団員達が可哀想だ。僕は、満たされていることを周りに還元していくべきなのだ。この状態に甘んじることなく、絶えざる精進を重ねていこう。

そうすればまたみんながしあわせになれるのさ。

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