今年も桜を愛でる

三澤洋史   

今年も桜を愛でる
 毎年桜のことを書いている。そのたびに日本という国と日本人という国民をちょっとだけ好きになる。この愛でる以外に何のとりえもない木を日本全国至るところに植え、一年の内のわずか10日間くらいの期間だけ味わうことで満足する日本人の感性を素晴らしいと思う。その果てしない無駄をとがめる声が上がらない限り、日本は安泰だ。
 たまたまこの時期だけ日本にやってきた外国人は、みんな口を揃えてその美しさを讃えるが、かといって自分の国が同じように桜の木で充ち満ちるようになるのは望まない。その木がおいしいさくらんぼを実らせるというならば別だけれど。

 我が街の国立では、駅の南側に真っ直ぐ延びる大学通りと、そこから直角に交わるさくら通りの桜が誇りだ。特にその名もズバリ潔い“さくら通り”では、通りの両側から張り出した枝が道路の中央で交差し、長い桜のアーチを形作っている。ここを車で通ると桜のトンネルの中を走り抜けていく感じだ。
 東京バロック・スコラーズの団員のHさんからメールが入った。
「神田川沿いの道を是非通られて下さい!」
Hさんは久我山に住んでいて、僕が新国立劇場まで自転車で行く時に、神田川の両脇の散歩道を好んで経由していくことを知っている。大きい道路を通っていくと排気ガスが嫌だし、ここはのどかで気持ちが良いのだ。ちょっと天気が崩れそうだなとは思ったけれど、桜の見ごろが過ぎる前に行っておこうと思って出掛けた。
 久我山から環八まではどうということはなかった。しかし高い煙突のある高井戸駅を左手に見ながら環八を越えた途端、見事な桜がずっと神田川を覆っているのに感動した。人も沢山歩いていて提灯も掛かっている。
 ほんのりとピンクがかった白い花はあでやかで色っぽい。その花の下を走って行くと、夢幻的な気分に浸ってまるで酔っ払ったようになる。純白の清楚な梅も大好きだけれど、梅では酔えない。高井戸から井の頭通りまでの道は、曲がりくねっていてやや遠回り。でもこの酩酊感が得られるならばもっと遠回りでもいい。いつまでも井の頭通りに出ないでくれと願うほど。
 来週の「今日この頃」を書く頃は、もう葉っぱばかりになってしまうのだろうな。まあ、新緑の桜の木もそれはそれで美しいのだけれどね。とにかく諸行無常の代名詞の桜に日本の心を感じる今日この頃である。

コルトレーンの悲劇
 4月6日日曜日の晩。今この原稿を、浜松バッハ研究会の「マタイ受難曲」練習後の新幹線の中で書いている。BOSEのノイズキャンセリングのヘッドフォンからはコルトレーンが流れている。コルトレーンについて何か書きたいと思っているので、インスピレーションをもらって良い文章が書けるかなと思ったわけ。
 しかし・・・・うーん、やっぱり出来ないわ・・・・ということでi-Podを消した。なんと2分ももたなかった(笑)。コルトレーンをBGMにしようとした僕が馬鹿だった。やっぱり田中啓文という人の言う通りだ。


 数日前から、ふとジョン・コルトレーンが聴きたくなった。どうせならば、まだ聴いていないアルバムを聴いてみようと思い、ガイドとして河出書房新社の「ジョン・コルトレーン」という本を買っていろいろ調べてみた。そしたら田中啓文という人が「お願いだから、ラーメン屋でコルトレーンを流さないで」というエッセイを書いていたのだ。
とにかく飲食店でコルトレーンをBGMに流すというのは一種の犯罪であると思 う。
(中略)
そう・・・・コルトレーンほどBGMにならん音楽はない。居住まいを正して対峙するか、それとも聴かないか、である。
(中略)
コルトレーンの演奏がBGMやダンスにふさわしくないのは、その音楽の持つ異常なまでにシリアスな雰囲気のためだろう。テーマも、リズムも、サックスの音色も、フレーズも・・・・なにからなにまで徹底的に「真面目」なのだ。私はそのストイックさを心から愛するものだが、いや、しかし・・・・ラーメン食う時に後ろで吹かれるのだけは御免こうむりたい。
 僕がBOSEのヘッドフォンで聴いていたのは、セロニアス・モンク・カルテットwithジョン・コルトレーンatカーネギーホール1957年というライブ録音だ。先ほど紹介した本で推薦されていたので、アマゾンで取り寄せてi-Podに入れ、二、三日前から聴いている。
 セロニアス・モンクというピアニストは実に変わっている。奇才と言われ、コアなファンが多い。作曲の才能はある。有名なRound about midnightはモンクの曲だし、他にもBlue monkなど傑作は多い。しかし演奏ははっきり言ってへんてこりんだ。
 普通のテンション和音とは違う変な和音を使う。でたらめじゃね?と思う時も少なくない。メロディーをずっと半音下の音と一緒に弾いたりして喜んでいる。ピアニストとしてのテクニックは無に等しい。僕の方が指が動くくらい。フレージングもダサい。でも、時々とても素敵な瞬間がある。批評家によっては、モンクをモダンジャズの中で最高のピアニストとして評価する人がいる。うーん、どうかな・・・。
 コルトレーンは、この時期ヘロインなどで自堕落な生活を送っていて、マイルスにあきれられ解雇されてしまった。それをモンクが拾ってくれた。コルトレーンはモンクのところでいろいろ学び、見違えるようになってマイルスの元に帰る。そのきっかけとなった演奏だ。コルトレーンのトレード・マークになったシーツ・オブ・サウンドの萌芽がここに見える。

 コルトレーンの音楽的生涯は、マイルス・ディヴィスに見いだされ、彼のバンドで活躍した前期と、マイルスの元を離れ、自分でバンドを率いていた後期のふたつの活動時期に分類される。特に後期の中でも、フリー・ジャズに走った晩年を分けて論じられる事が多い。何故なら現代においても、このフリー・ジャズのコルトレーンに関しては賛否両論あるからだ。
 最も狂信的なコルトレーン・ファンにとっては、まさにコルトレーンが聖者になって神とつながった時期と位置づけられるが、僕はハッキリ言って、コルトレーンの聖者説には疑問を投げかけるし、彼のフリー・ジャズには何の美学も認めない。勿論反論されるのは覚悟の上である。その事についてはあとでまた触れる。

 コルトレーンが何故聖者と言われるのか?特に我が国でそう思っている人が多いのか?それは、1966年に来日した時に東京プリンスホテルでの記者会見で「スィング・ジャーナル」誌編集長の児山紀芳の質問に対して、彼が答えた言葉からきている。

児山氏:あなたは、今から10年後、20年後、どのような人になりたいですか?
コルトレーン:I would like to be a Saint.(笑い)
児山氏:聖者になりたい?
コルトレーン:Definitely!(絶対に!)

 ところが、これはコルトレーンが、それまで付き合っていた4人の女ときちんと精算して、一緒に来日していた新しい奥さんであるアリス一筋に生きる宣言であると言われている。聖者になりたいと言った直後の笑いは、ピアニストでもあるアリスを横に置いて、彼女に向かって笑ったのだという。なあんだ、って感じだが、音楽家の発言なんてそんなものである。
 彼はインド音楽の教祖とも言われるシタール奏者のラヴィ・シャンカールに惚れ込み、4年間文通を重ねた後、ある時自分のフリー・ジャズを聴かせてみた。ところがラヴィ・シャンカールはコルトレーンを褒めるどころか、
「君の音楽からは苦しみしか聞こえない」
という致命的なダメ出しをガツンとかました。コルトレーンがめちゃめちゃ落ち込んだことは言うまでもない。

 僕もラヴィ・シャンカールに同感である。仮にコルトレーンが演奏中に何かを感じながら演奏していたとしても、その何かとは残念ながら“至高なる存在”ではない。本人は、音の洪水の中で一種のトランス状態になり、何かと同通してしまったのだろう。しかしながら、高次の存在は、あのような混沌と無秩序とは同通し得ない。同通したのは、低級霊、もしかしたら動物霊かも知れない。

 ここまで悪口を言ってしまったが、しかしながら僕がコルトレーンに宗教的なものを感じる事も事実である。むしろ「至上の愛」までの彼の演奏からは、天上的なインスピレーションを受けることも少なくない。
 コルトレーンの音楽には愉悦感が少ない。その理由として、彼のプレイが、チャーリー・パーカーやソニー・ロリンズのようにスィングするものでないという事が挙げられる。コルトレーンは、スィング感を導き出すためのタンギングのテクニックに劣っていた。それは、マイルスと一緒にやり始めた頃の50年代半ばの演奏を聴けば分かる。
「なんて下手クソなサックスをマイルスは雇ったんだ!」
と言われていた時期である。
 しかしコルトレーンは、それを補ってあまりある高度な運指のテクニックを持っていた。彼は、ひとつの息でおびただしい数の音符を一気に吹く事が出来た。その間は全くスィングをしないが、コルトレーンの音を敷き詰めたシーツ・オブ・サウンドは、その代わりに一種の陶酔状態を産み出すのである。これが、コルトレーンの音楽を「真面目なもの」とか「精神的なもの」と聴衆に捉えさせ、さらに、それがモード奏法と一体となって、果てしないワンコードと結びつくと、恍惚としたトランス状態をも導き出していったのである。
 コルトレーンのソロはだんだん長くなっていって、一度演奏し出すと止まらなかった。ある時彼はマイルスに長すぎると言われて、
「でも、どうやって止まったらいいのか分からないのだ」
と答えた。マイルスはひとこと、
「簡単だ。マウスピースを口から離せばいいのだ」
と言った。

 コルトレーンは、きっと演奏している最中には、麻薬のような陶酔の中にいたに違いない。それは長く演奏すればするほど、沢山の音を敷き詰めれば敷き詰めるほど強くなっていったに違いない。だからマウスピースを口から離せなかったのである。その陶酔は、だんだん霊的なものと結びついていった。それは素晴らしい瞬間もあれば、逆にリスキーな瞬間もあった。
 僕には、どの瞬間では神的なものが彼を支配していて、どの瞬間ではそうでないものが支配しているかはっきり言う事も出来なくはないけれど、言っても信じてもらえないだろう。とにかく、そうした霊的な領域に近づいていながら、コルトレーンの心がそのような世界に驚くほど無防備であったことが、彼の破滅を招いた原因である。
 ひとつの転機があった。それは、彼が調性と規則的なリズムを捨ててフリー・ジャズに走った時である。ここからコルトレーンの真の悲劇が始まる。彼の元に至高なる存在が近づくことはほとんどなくなり、それどころか、彼は、彼が望み期待していたものとは正反対のものに精神を支配されてしまったのだ。そして・・・それから間もなく彼は身体に変調をきたし、神が彼をこの世から呼び戻してしまう。
「もういいから帰って来い!」
と言われてしまったのだ。
 よく言われる。コルトレーンがもし早死にしなかったとしたら、その後どのような音楽をやっていたであろうか・・・と。僕は逆だと思う。コルトレーンがあのような音楽をやっていなかったら、神は彼にもっと命を与えたのではないだろうか。彼は、自分で袋小路に自分自身を追い込んでしまったのだ。

 さて、僕が好んで聴くのは、心身共に健全だった時代の50年代のコルトレーン。たとえばマイルスのバンドに居た頃の全ての演奏。どれも素晴らしい。その中には、あの世紀の名盤の「カインド・オブ・ブルー」も含まれる。
 また、今聴いているモンクとのカーネギー・ホールの演奏もなかなかイカすじゃないか!コルトレーンはモンクから和声のことをかなり習ったようだ。この演奏を聴いていると、モンク自身もコルトレーンに影響されてエキサイトしているようだが、モンクってやはりジャズ界の巨人かも知れないと初めて思った。
 まだ本当にはモンクに目覚めていない僕は、まだまだジャズの奥深さを知らないのかも知れない。

 コルトレーンという存在。僕にはとっても気になるのだ。時々コルトレーンを聴きたくなる。いや、聴くべきだという声が僕の心の奥底から響いてくるのだ。



 


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