おかしなコンサート無事終了

三澤洋史

おかしなコンサート無事終了
 8月31日日曜日、群馬県高崎市新町ガトーフェスタ・ハラダ本社ホワイエでの「おかしなコンサート」が無事終了した。3時半からと6時半からの2回公演。最初は休憩なしの1時間10分くらいのコンサートにしようと思っていたが、曲が多いのでやっぱり休憩を入れようという話しになり、結局蓋を開けてみたら、1時間45分のコンサートになってしまった。だから2回公演は団員にとっては思いの外大変だったに違いない。

 今回のテーマは「旅」。各地のご当地ソングを集めたが、北から南に順番にというわけではなく、音楽上の都合で割とランダムに曲を進めた。たとえば日本列島のヘソと言われる琵琶湖にちなんだ「琵琶湖周航の歌」にはじまり、一気に七夕祭りで有名な仙台に飛んで「青葉城恋歌」、さらに北海道に飛んで「知床旅情」という具合だ。僕達の世代以上の人が聴くとググッとくるような選曲だ。
 スペシャルゲストにテノールの田中誠君を呼んだ。彼が歌った「知床旅情」「長崎の鐘」「宵待草」「影を慕いて」は、どれも田中君の圧倒的な表現力で聴衆を魅了した。僕は、若い頃から彼のことをよく知っているが、円熟というのはこういうことを言うのだろう。こんな“うたごころ”のある歌手を僕は他に知らない。どの歌も心に染み入り、あるいは迫ってきて、もう少しで涙しそうになるのを必死でこらえた瞬間が何度もあった。

 サプライズ・ゲストとして、途中まで客席に座っていた内田もと海さんを呼び出して、「瀬戸の花嫁」を歌ってもらった。泣きすがる幼い弟を残して島を出て行く花嫁の情景が心に広がっていった。そこから後は内田さんも新町歌劇団の合唱に加わって、昨年石垣島に行った時、夏川りみのライブ・コンサートで感動した「涙(なだ)そうそう」と「童神(わらびがみ)」を一緒に歌ってもらった。「見上げてごらん夜の星」では、新町歌劇団をバックに田中君と内田さんがソリストとして歌い上げてくれたので、会場は一気に盛り上がった。

 ところで、「涙そうそう」から後は、木村泉(きむら いずみ)さんが、新町歌劇団が歌うサイドで手話をしてくれた。木村さんの手話は手話を超えていて、ダンスのようなパフォーマンスである。
 手話はもともと耳の聞こえない人に言葉を伝えるための手段だから、言葉がない個所は動かなくていいのだが、音楽に乗った言葉を手話で伝える時の木村さんのダイナミックな動きに魅せられた僕は、間奏や後奏でも自分の感じたままに動くようお願いしたのだ。
 最後の「花は咲く」では、歌劇団は舞台から離れて客席の通路一杯に広がる。一方、木村さんは反対に舞台の上に立って、「花は、花は、花は咲く」からのくだりの手話の指導を聴衆に向かってする。とっても分かり易い説明。そうして「花は咲く」は、会場のみなさんも手話をしながら歌い、全体が一体感を持った素晴らしいフィナーレとなった。

 お客様達が帰る時の笑顔。満ち足りた表情。それが、僕のような音楽家にとっては、心の栄養分であり明日へのエネルギーである。こうした聴衆の息吹がすぐ近くで感じられるような状態での親しみやすいコンサートは、どんなに中央での活動が忙しくなっても、決して離れてはいけないと強く思った。
 今回の演奏会は、ガトーフェスタ・ハラダの主催なので、休憩中の控え室には何種類ものハラダの製品がおやつとして並んでいた。おおっ!タダでいくつ食べてもいいんだ。でもやっぱり僕は、一番シンプルなラスクのGouter de Roiが好き!いくつも食べちゃった。

新町歌劇団をはじめ、関係してくれた全てのみなさん!お疲れ様でした!みんな、みんな、ありがとう!

小雨決行!テニスクラブ
 8月27日水曜日。朝から小雨が降っている。しばらく止みそうにない。どうなるのかなと思っていたところに、新国立劇場合唱団ソプラノ団員の黒澤明子さんからメールが入った。
「先生、お早うございます!まだ少し雨が降っていますが、大丈夫そうです。よろしくお願いします」
うわっ、やるんだ。気弱な人がリーダーだったら、もうとっくに中止になっているに違いないのに、黒澤さんってなんて熱い人なんだろう。うーん、そうだからあのような声が出て、あのような歌が歌えるわけか。
 前回のお盆前もそうだったのだけれど、こうやって気合いを入れて臨むと、どういうわけか、その時だけ雨が止むんだ。お空も黒澤さんの気迫にタジタジという感じかも知れない。というわけで、なんと無事にテニスの会が出来ちゃったのです。それどころか、気温は8月の終わりにしては寒いくらいで、いくら動き回っても体が楽なんだ。時折舞い降りる霧雨は、ちょっとほてった体をミストのように爽やかに冷ましてくれるので、むしろウエルカム。

 今回のコートは、新国立劇場のすぐ隣の大正セントラルテニスクラブ。「オペラハウスに反響するボールの音が心地良い」という触れ込みのコートである。コートと劇場の建物の間には、地下の駐車場から出てくる道路があり、劇場に勤める人達専用の自転車やバイクの駐輪場がある。僕はいつも自転車を停めながら、ボールがラケットに当たる音やかけ声を聞いていた。歩いていると、時折、黄色いボールが飛んできたのを投げ返して感謝されたりもしていた。でもテニスそのものには全く無関心だったから、まさか反対側のコートから駐輪場や劇場の建物を眺める日が来ようとは想像すらしなかった。人生不思議なもんだね。
 言っとくけど、僕のテニスはへたっぴいだからね。そりゃあそうだろう。この歳になって超初心者なんだもの。回りの合唱団員達が、みんなやさしくて寛容だから出来るんだ。みんなも割り切っていて、このチームをどんどん鍛えてどこかの試合に乗り込んでいこう、とかいうガッツリ・モードではなくて、仕事の合間に趣味で楽しもうというつもりで関わっている。それでいながら、黒澤さんが僕たちを相手に本当に丁寧に教えてくれるから、適度な上達感も得られる。今の僕にはぴったりなんだ。

いのちを慈しむこと
 ここから先はジジ馬鹿の記事なので、興味のない人は読まなくていいです(笑う)。孫娘の杏樹は8月28日で9ヶ月になった。いろんなところにどんどんつかまり立ちしているので、見ていて危なくてしょうがない。一日に何度かは、バランスを崩したりして泣いている。
 ハイハイは、通常の膝立ちだけでなく、いろんなフォームを状況に応じて使い分けている。僕の家はフローリングなので、腹ばいになって膝は立てずに足先で床を蹴っ飛ばし、洋服で板の上を滑らせるようにすると、びっくりするくらい速く進む。自分で突進していって椅子の脚に頭をぶつけて泣いたりしている。
 僕がビールを飲んで「ハー!」と言うと、「ハー!」と真似をする。唇で「ブルルルル」とすると「ブルルルル」とする。赤ちゃんって本当に「バブバブ」って言うんだね。なんだかわけのわからない事をしきりにしゃべっている。楽しい音楽のCDをかけると、リズムに合わせて体を揺する。そのまま頭を前に倒しすぎてゴツンして泣いても知りませんわ。

 「じいじのスクワット」が威力を発揮する。もともとは、抱っこしていて暇なので、この間にスクワットでもしていようと膝の曲げ伸ばしを始めたのだが、杏樹が眠くなってグズっている時に、背中をトントンと叩きながらこれをやると、どんなに泣いていても即座に泣き止むんだ。
 体をピンと張って抵抗しているのが、だんだん大人しくなってきて、ある瞬間、僕の肩に頭の重みが感じられる。全身脱力して頭をもたれかからせてくる瞬間がいとおしい。急に体の重さと体温とが感じられる。密着してくるので、暑い日には結構暑いんだけどね。
 スクワットの立て運動に横運動を混ぜてゆったりと揺らせていると、なんともいえない感情が湧き上がってくる。幼いいのちを慈しむ想いだ。こんな小さくても一人前に感情があり、自己主張をしている。「あたしはここに生きているんだ!」と精一杯自分の存在をアッピールしている。それがいじらしい。こうやって僕達みんなこの世に生まれてきたし、育ってきたのだ。母親や家族に愛されて、愛されて・・・。

 でも、反対から言うと、赤ちゃんってこんなにも大きな愛を必要とするのだ。それが存分に与えられた子はいいが、与えられない環境に育った子は、やはり太陽の光を充分与えられなかった植物のようになってしまうだろう。そんな状態に赤ちゃんが置かれないようにしなければいけない。
 「赤毛のアン」の幼年時代のような子供が、世界にも沢山いることにとても心を痛めている。あるいは親を失わなくても、逆に親が自分の子供を虐待したり死なせたりする事件を見ると、本当に胸が掻きむしられるような思いにとらわれる。こんないたいけのない子供に手を上げることの出来る人間の心には、なんと深い闇が巣くっていることだろうか。
 戦火の中の子どもたちのことも想わずにはいられない。未だに世界中の至る所で戦争が起きているし、テロや武装集団が暗躍している。いつの世も、大人たちが勝手にプライドを誇示し合って争って、一番被害を被るのは何も抵抗出来ない子どもたちなのだ。

 僕は強く祈らずにはいられない。
世界中のすべての子どもたちが、それぞれ豊かな愛情を与えられ、伸びやかな心に育ちますように!
そうしたことを可能にする社会を、大人たちが全力を尽くして築くことが出来ますように!

 子どもたちを守るために、大人たちが自分たちの内面に絶対的な光りと平和を持つこと。それこそが、僕達大人が取り組まなければならない最も熾烈な精神的戦いなのだ。

  
 


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