アナと雪の女王

三澤洋史

オペラ座のお仕事
 とうとう僕の本が出る。実は、これを書いている10月20日には、すでに僕の手元には届いている。また、新町歌劇団などをはじめとして、事前にまとめて直接早川書房から取り寄せした僕の関係する団体にも順次届いているはずだ。でも、正式に全国の書店で発売されるのは24日の金曜日。初台オペラ・シティ2階のくまざわ書店など、売れそうなお店は早川書房の方にお知らせしておいた。
 自分の本が普通に本屋に並ぶなんて不思議な感じ。表紙は最初、僕が新国立劇場の中のリハーサル室で練習をつけているところにしようと言っていたけれど、いろいろ紆余曲折を経て、結局楽しいイラストになった。結構目をひくと思う。

 あらためて読み直してみた。読みやすいフォントでレイアウトも良く、注釈も本文の下についているので、音楽に詳しい人でなくても読める。同時に、コアな音楽ファンにとってはたまらない内容が満載だ。特に、歌劇場の内側をこんな風に事細かく描いた本って、これまであまりなかったと思う。
 あはははは。今日はのっけから手前味噌まくりだなあ。
みなさん!どうか買って下さいね。決して後悔しませんから。

PS. こちらからも買えます。
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旅の日々
 文化庁主催のスクール・コンサートの旅が近づいている。来週の「今日この頃」は、旅の空からお送りすることになる。来週月曜日から2週間、東海地方から愛知県、岐阜県などを回る。
 週末の10月31日金曜日の西伊豆での演奏の後、団員達は東京に帰るが、僕は京都に渡り、11月1日土曜日、京都ヴェルディ協会主催の「ヴェルディ・レクィエムについて」講演会をする。次の日に浜松に行き、11月2日、3日は、浜松バッハ研究会の「マタイ受難曲」の合宿をして、そのまま豊橋の宿に入り、旅を続ける。7日金曜日には東京に帰るが、8日、9日の週末は、湘南国際村で東京バロック・スコラーズの合宿。ふうっ!しばらくバタバタして、落ち着く暇がありませんなあ。
 新国立劇場テニスクラブは、旅の間、テニスが出来る所を探してすでに予約済み。ということは、僕達もテニス・ラケットとテニス・シューズやボールを持参しての旅。それに加えて、僕の場合は、あわよくば泳ぎたいと思っているので、水着も持参。一体何のために行ってるんだか分かりませんなあ。でも、運動しないと、旅の最中は外食ばかりだから太ってしまうのだ。これが一番禁物。演奏をきちんとするためにも、体調管理は必要なのだ。

 2週間、妻と離れているのも淋しいが、なんといっても可愛い可愛いアンジュッジュ(孫の杏樹)と会えないなんて、じいじ淋しくて死んじゃいそう。どんどんつかまり立ちして、伝え歩きや片手支えの片足立ちなどを余裕ブッコイてしている最中なので、いない間に歩き出してしまったら決定的な瞬間に遭遇できなくて残念だな。言葉も、わけのわからないことをバンバンつぶやいているが、どうか生まれて初めてしゃべる言葉は「じいじ」であって欲しい。あのつぶらな瞳でじっと見つめられながら、
「じいじ・・・・」
なんて言われたら、もう、どうしましょ・・・・おっとっと・・・ええと、何だっけ?あ、そうそうスクール・コンサートの話題だった。

 この「今日この頃」でも何度も言っているけれど、僕はスクール・コンサートが大好きだ。通のお客様のために最高の音楽をお届けするのも、職人としては最高の喜びだし、生き甲斐でもあるが、音楽の力の凄さを肌で感じる最も素晴らしい瞬間は、スクール・コンサートの中でこそ、しばしば味わうことが出来るのだ。
 いつも何気なく歌っているそれぞれの学校の校歌を僕はあえて編曲する。新国立劇場合唱団がその力を充分に発揮できるような音域に移調し、伴奏型やハーモニーもよりイカしたものに変えて、生徒の前で最初に演奏すると、生徒達の、
「うわあ、なんだこりゃあ・・・え?いつも歌ってる僕たちの校歌?す、凄い!」
というオーラを背中で感じる。その瞬間の、
「やった!」
という歓びを理解出来るだろうか。それは決して優越感とか自己満足ではない。プロがプロにしか出来ないことを提示することによって、技術と音楽性さえあれば、こんなことも出来るんだよと、音楽の持つ無限の可能性を示すことなのだ。あこがれられるものを持つことの素晴らしさ。自分たちが音楽家になるきっかけの時、必ずみんなあったに違いない出遭いの驚きを、子どもたちに与えたいという希求。
 それから日本の歌やベートーヴェンの第九の抜粋やオペラの名曲の数々を披露し、そして校歌や各学校が用意した「Believe」などの自由曲の歌唱指導をする。合唱団員達は生徒達の間に入って一緒に歌う。その一体感!

アナと雪の女王
 これまで文化庁のスクール・コンサートの最後に送るアンコール扱いの曲は、小学校中学校共、カルメンの行進曲であったが、今年から変更した。中学校はそのままだが、小学校用として「アナと雪の女王」のLet it goを取り入れた。
 新国立劇場のプロデューサーのTさんが、あるオーケストラのスクール・コンサートに視察に行ったら、アンコールでその曲を演奏し始めたところ、小学生達がみんなで大声で歌い始めたので驚いて帰って来た。それで、うちでもやろうかという話になった。
 僕は、「アナと雪の女王」が流行っているのは知っていたが、内容については全然知らなかったので、Let it goという曲がどこでどのようなシチュエーションで歌われるのか知るためにDVDを借りて観てみた。

 うーん、凄い!いつも驚くのだが、ディズニー映画をあなどってはいけない。ここには、人を楽しませる(エンターテイメント)ということはどういうことか、というノウハウが最高の形で実現されている。エンターテイメントを安っぽいと思ってはいけない。エンターテイメントと言ったって別にパチンコやギャンブルの延長ではない。
 ディズニーのエンターテイメントには過去の「白雪姫」などから始まって「アラジン」など、その中に必ず「真実なるもの」の表現がある。つまり、ジーンとさせたりホロッとさせたりする要素が必ずあるということだ。それがないと、人々が本当の充実感を得られないというのを、製作者達は知っているのだ。
 さらに大事なのは、その「真実なるもの」を一般の人に広く理解してもらうためのテクニックを最大限に駆使しているのだ。僕も、自分のミュージカルや、(特に)子供オペラであえて取り入れている要素であるが、ここでは皆さんに、絶対成功するエンターテイメントの3つのテクニックを教えよう。

 まず、ユーモアの導入。ディズニーの映画でユーモアがないものはない。ユーモアこそは作品の内容に興味を持ってもらう第一歩だ。そのためにユーモラスなキャラクターを必ずサイド・キャラクターとして作る。ここでは、かつてエルサが魔法で作ったオラフと呼ばれる雪だるまだ。短気なウェーゼルトン公爵もそれにあたる。
 しかし、この物語ではアナも、なかなかひょうきん者だ。ちょっと調べてみたら、コンセプトでは、アナの髪は赤毛で、顔はそばかすだらけということである。確かにちょっとだけ赤毛で、よく見るとそばかすもないことはない。アナは原語ではAnnaアンナで、Anneアンと一緒。つまりアナは「赤毛のアン」なのだ。おりこうのお姉さんから比べたら、ちょっとおっちょこちょいでドジというキャラクターを持っている。さて、そうやって笑えるキャラクターを作ることが、笑わないシリアスな人物の深刻度を強めることになるのだ。それは、アナの姉の雪の女王エルサその人である。
 次に大事なのは、危機的状況を作り出すこと。つまりアドヴェンチャー・シーンの導入だ。雪山でオオカミの群れに追われたり、深い谷に落ちそうになったり、雪のモンスターに襲われたり、まあ、こんなんで主人公はよく生きてるね、と思わせるほど、危機一髪の連続である。これは何故必要かというと、そうした過程を通して、それに関わる人達の親近感を高めていくからだ。それは観客である我々と主人公達であったり、物語の中では、アナと氷売りのクリストフだったりする。
 最後に最も重要なことだが、真実を表現するために、あえて真実とは反対のものを提示すること。ここでは(あまりネタバレはしないが)真実の愛とみせかけの愛(隠された野心)を並べることによって、「真実の愛」とは何かという事を分かりやすく表現しているのだ。

日本語版の小さいけれど重大な過ち
 さて、僕はこの映画をDVDで観ながら、ふたつの点でかすかな違和感を持った。そのひとつは、元来僕が何故「アナと雪の女王」のDVDを観たかという理由となったLet it goの歌詞についてである。
 というのは、日本語版で観ていた僕は、エルサがひとりで山の中に入っていく場面で歌われる、

ありのままの 姿見せるのよ
ありのままの 自分になるの
(略)
そうよ変わるのよ わたし
(略)
これでいいの 自分信じて
光あびながら 歩きだそう
という歌詞にとても感動して、
「ああ、エルサもやっと悩みから解放されて、自分の歩く道を見出したのだな」
とある種のカタルシスを覚えたのだ。

 なのに、その後物語がどんどん進んでいくと、そうした決心したエルサのせいで国中は雪と氷に包まれてしまい、妹のアナが会いに行ってもエルサは心を閉ざしたまま。それどころか巨大な雪のモンスターを作り、やってくる人達を攻撃する。
 どう考えても、エルサのやっていることは間違っているようにしか見えないのだ。彼女がそうした状態になった転換期に歌われたのがLet it goとあれば、ちょっとおかしいのではないか、と僕は思った。そこで・・・・。
 僕は英語版の歌詞をインターネットで探した。凝り性の僕は、同時にドイツ語版とイタリア語版も入手した。すると・・・・大変なことに気付いてしまったのだ!みなさん、下の歌詞をよく読んで下さい。僕が頑張ってかなり直訳調で訳しました。

The snow glows white on the mountain tonight
今夜は、山の上では雪が白く輝き
Not a footprint to be seen
足跡も消されてしまった
A kingdom of isolation
孤立の王国
And it looks like I'm the queen
そして私は その王国の女王のようね

The wind is howling like this swirling storm inside
風はうなる 心の中に渦巻く嵐のように
Couldn't keep it in, heaven knows I've tried
抑えておくことが出来なかった これでも頑張ったのよ 天は知っているわ
Don't let them in, don't let them see
誰も中に入れてはだめ 誰にも見せてはだめ
Be the good girl you always have to be
いつも“いいこ”でいなければならなかった
Conceal, don't feel, don't let them know
隠すのよ 何も感じないで 気づかせてはだめ
Well, now they know
でも今は 知られてしまった

Let it go, let it go
そうなったらもう、なるようにさせるしかないじゃない
Can't hold it back anymore
もう隠すことなんて出来ないもの
Let it go, let it go
なるようにさせるしかないのよ
Turn away and slam the door
背を向けて ドアをバタンと閉めて
I don't care what they're going to say
何を言われたって気にしない
Let the storm rage on
嵐が吹き荒れるに任せるのよ
The cold never bothered me anyway
(私の心の)冷たさが 私を煩わせることは決してなかった

It's funny how some distance makes everything seem small
おかしいわ ちょっと離れただけで 全てがたわいのないことに見えるの
And the fears that once controlled me can't get to me at all
私を押さえつけていた恐怖も もう私を捉えたりはしない
It's time to see what I can do
今こそ 私が何が出来るかを知り
To test the limits and break through
限界を試し それを打ち破るその時だわ
No right, no wrong, no rules for me
正しさも 間違いも ルールもないの
I'm free
私は 自由よ

Let it go, let it go
なるようにさせるしかないのよ
I am one with the wind and sky
私は 風や空と一緒の存在
Let it go, let it go
なるようになればいい
You'll never see me cry
あなたはもう私が泣くのを見ることはないでしょうね
Here I stand and here I stay
私はここに立って そしてここにとどまるの
Let the storm rage on
嵐よ 吹き荒れるがいいわ

My power flurries through the air into the ground
私の力は 空を抜けて 地を揺るがす
My soul is spiraling in frozen fractals all around
私の魂は あたり一面 凍った雲の断片となって 渦を巻く
And one thought crystallizes like an icy blast
そして思いは 氷の突風のように 結晶するの
I'm never going back, the past is in the past
もう決して戻らないわ 過去は過去だもの

Let it go, let it go
なるようにさせるしかないの
And I'll rise like the break of dawn
私はあかつきのように立ち上がるの
Let it go, let it go
なるようになればいい
That perfect girl is gone
あの“完璧な少女”なんて もうどこにもいないのよ
Here I stand in the light of day
私は 陽の光に照らされて ここにいるわ
Let the storm rage on
嵐よ 吹き荒れるがいいわ
The cold never bothered me anyway
(私の心の)冷たさには 慣れっこになっているのよ

 どうです。全然違うでしょう。エルサは、自分が魔法を使えることをずっと隠して“いいこ”を演じていなければならなかった。でも、ある時それが民衆の前でバレてしまった。もう、どうしようもない。なるようになるしかない。エルサは、半ばやけっぱちになって山にこもる。唯一嬉しいのは、もうこの自分の魔法を行う能力を抑えなくてもいいという自由を得たこと。だからエルサは、みんなに背中を向けて、ドアを閉めて、自分の世界に引きこもる決心をしたのだ。
 つまり、Let it goは、この物語全体が悪い方に傾いていくきっかけとなった曲だ。みなさんも、テーマ・ソングの割には案外物語が始まってから早くに出てくるなと思ったでしょう。それなのに、日本語訳の方は、とてもポジティヴなエンディング・テーマのように訳されている。これは意図的なものだな。つまり、この曲を軸にして売ろうという魂胆がミエミエなのだ。
 ただ、ここで日本語の歌詞を聴いてしまうと、僕のように、この曲と後半のストーリー展開とに違和感を感じてしまう人は少なくないだろう。本当は、こういうことはやってはいけないのだ。これは意訳ではない。意図的改竄(かいざん)だ。

 もうひとつの違和感はタイトルだ。これはLet it goのことに気付いたことから芋づる式に分かったことである。「アナと雪の女王」の原題を知って唖然とした。そしてその瞬間、すべてのことがスルスルっと符合して、この制作者の意図とこのストーリーに潜む奥深さが完全に理解出来たのだ。
 原題はFrozenという。freeze(凍結する)の過去分詞だ。直訳すると「凍結された」とか「凍り付いてしまった」だが、「凍り付いてしまった世界」とか「(エルサの)凍り付いてしまった心」とかという意味をも含んでいるのは間違いない。英語圏の子どもたちは、このタイトルを一目見て、瞬時にこれはエルサの閉ざされた心とそこからの解放の物語だと気付くわけだが、日本ではどうであろうか。
 先ほど述べた「赤毛のアン」をモデルにしたアナへのシンパシーが、このストーリーへの本当の理解をさまたげてはいないだろうか。それに関しては、「アナと雪の女王」というようにアナの名前を最初に持って来たことが影響していないだろうか。
 たとえば、子どもたちは、真実の愛の相手は氷売りのクリストフだと思ってはいないだろうか。違うのである。凍り付いてしまったアナを救ったのはエルサの真実の愛である。そして、このFrozenという物語の核は、エルサの心が真実の愛に目覚めて「溶解」する瞬間にあるのである。アナとクリストフは、その後恋人同士にはなるが、アナが生き返った時には、まだお互いを本当にかけがえのない存在と認識し合うまでには至っていないのだ。

 こうしたことは、もしかしたら小さいことかも知れない。しかし、同じようにこうした物語を作っている僕からしてみると、むしろ一種の犯罪にも相当する。タイトルとLet it goの歌詞の意図的改竄は、日本の子どもたちの作品への正しい理解をさまたげているのが明らかだと感じられるからだ。推測するに、その原因は・・・たぶん・・・ちょっとした経済原理からきている。これが日本の姿だ。
 この現象は、日本とアメリカとの関係とも似ている。抑圧され、追い詰められたエルサは、さらなる誤った道へ自らを追いやっていくしかない。それが現代アメリカの病んでいる姿ならば、日本は、その赤裸々な姿を見ようともせずに、その影の部分を隠し、「ありのままの自分になるの」などと、きれいごとばかり並べて集団的自衛権などを持って追従していく。これから物語が悪い方向に行くのに、エンディング・テーマ的な見せかけのしあわせを夢見るお人好しさ。
 「アナと・・・」というタイトルで、主人公をアナだと思わせる狡猾さ。だってエルサよりもアナの方が感じが良いもの。そうやって主人公エルサの心の深い深淵に焦点を合わせることから意識を遠ざけることが、見たくない真実から目を反らせて、表面的な明るい面ばかりを見させて、本当に深刻な事態を導く現代の日本の社会との符合をどこかに感じないだろうか。
 たとえば、御嶽山の噴火の兆候は絶対にあったはず。しかしながら、一番の行楽シーズンに一番の金づるを閉鎖することの経済的リスクは無視出来なかった。さらに、予知がはずれたときの攻撃も恐かっただろう。それで結局、気軽さと楽しさだけを強調したまま、最悪の事態を招いてしまったわけである。あげくの果てに、予知は出来なかったと開き直っている学者たち。不思議なのは、まわりもそれ以上深く追求しない。もし追求したら、たぶん、どこからか圧力が入るのではないかな。

 おっとっとっと。「アナと雪の女王」から御嶽山の噴火まで話が来てしまったが、僕はいろんなことを感じるよ。今、ちょうど自作ミュージカル「おにころ」を高崎で上演することで話が進んでいるだろう。公演の規模も桁違いに大きくなって、経済的リスクも大きい。先立つものがないと何も出来ないのも現実だ。
 だからといって、もしウケ狙いで内容を薄めてしまったら本末転倒だろう。僕の場合は、そうはなっていないけれど、きちんとした内容を誤解のないように観客にきちんと届ける努力だけは、こうした分野に携わる人達にはして欲しい、というのが僕の切なる願いだ。

 余談になるけれど、「アナと雪の女王」のストーリーと落とし処は、僕が作った新国立劇場子供オペラ「スペース・トゥーランドット」にそっくりだね。氷の女王は、真実に目覚めて涙することで氷の惑星の氷を溶かすのだ。そしてラベンダー姫は結婚出来るのに、氷の女王はひとりのまま。それもエルサの運命と一緒だね。
もしかして、ディズニーはパクッたんじゃね?
言っとくけど、こっちが先なのは間違いないんだからね。

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