今年を振り返って~胎動

三澤洋史

LET IT GOの正しい使い方
 電車の中の週刊誌Play Boyの吊り広告を見て笑ってしまった。
「日本国民『レリゴ~』で自民圧勝=これからどうなるの?」
だって。
僕が感心したのは、この見出しを書いた人は、「アナと雪の女王」のエルサが歌うLet It Goの本当の意味を深く理解している点だ。まさに、
「なるようになっちゃえ~」
という投げやりな態度が、次なる閉塞感を生み出していくというタイトルだから、この場にピッタリなのだ。これが、
「ありのままの姿見せるのよ」
では、意味通じないだろうが。
 しかし感心してばかりもいられない。本当に自民党に調子づかせていいのか国民?氷の城に閉じこもり自らを女王と名乗ってみても、雪の王国の未来は見えてこないぞ!

今年を振り返って~胎動
 今年を振り返ってみると、どうもいつもの年とは様子が違う。
「今年はこういうことがありました。良い年でした」
という簡単なものではないからだ。
むしろ全てのことが今年をきっかけに始まっているのだ。それは、僕という人間が、これだけの器でとどまらずに、さらなる進化をすることを命じられているようであり、そのための行動に無理矢理駆り立てられているようだ。
 みなさんはシンクロニシティ(共時性)というものを信じるだろうか?僕の人生で大きな節目を迎えるとき、必ず起きることである。数々の偶然が度重なって起きて、僕がこれから行おうとしていることが、人知を超えた大きな存在の意志に叶っていることを示しているのだ。僕が高崎高校から音楽の道に進もうと思った時しかり、声楽科にいながら指揮者の道に方向転換しようと思った時しかり、である。そして今回も・・・である。
 来年の3月3日で僕は還暦を迎える。今年は、そこに向かっての準備の年であるように感じられる。つまり、今年起きたことは全て完結しておらず不完全であり、今年発芽したものが、来年以降どういう花を咲かせるのかは、これからの僕の生き方にかかっているような気がしてならないのである。

関口教会とシンクロニシティ
 まず、この「今日この頃」でも触れている通り、待降節(11月30日)から関口教会(東京カテドラル)聖歌隊指揮者になった。この背景にも、いくつかのシンクロニシティが起きているのを感じる。
 今年の4月に亡くなった立川教会主任司祭チェレスティーノ神父との交友は、プロローグを成している。彼のお陰で、僕は堅信を受けることになったし、昨年8月には長女志保の結婚式を行ってもらうことが出来た。その結婚式の晩、僕の家でのささやかなパーティーで、チェレスティーノ神父から東京カテドラルの新しいオルガン製作の苦労話を聞いた。彼は立川教会に赴任する前、東京教区(カテドラル)の事務局長をしていて、イタリア製のオルガンを導入することに助力した。僕はその話を聞きながら、これは一度カテドラルに行ってオルガンを聴かなければと思っていた。
 それから関口教会聖歌隊の話が僕の元に舞い込んできたわけだが、現在の関口教会主任司祭の山本量太郎神父は立川教会出身。しかも親の実家は埼玉県神保原にあり、ごく近い親戚が僕の生まれ故郷の群馬県新町でしばやま商店という燃料屋をやっていたという。しばやまは知っていた。彼は新町の家が好きでしょっちゅう行っていたというのだ。神保原は、僕が妻と知り合った時に彼女が住んでいた町。そして立川、新町と、なんとも不思議な結びつきを感じる。
 この山本神父が歌ミサを大切に思っていることは、僕の聖歌隊への関心をなおいっそう誘っている原因になっている。彼はミサの最初から最後まで歌で行う完全な歌ミサを行っているのだ。司祭の歌に応答する会衆の「また司祭と共に」とか「アーメン」などを指揮することは、タイミングの問題などあって簡単ではないが、ミサというものが、単に物理的に会堂に集まった人達と共に行う儀式ではなく、聖霊を交えた魂の交わりであることに気が付いてからは、歌というものがいかに信徒達の魂を霊的に飛翔させるかに目覚めてきた。
 これを指揮している間に、司祭と共にミサを音楽的に進行させてゆく歓びを覚え、自分のこれからの音楽生活そのものが本質から変わっていくような気がしている。

新たな挑戦~おにころ高崎公演
 つぎに、高崎での「おにころ」公演について語りたい。僕の創作ミュージカル「おにころ」は、1991年に初演して以来、すでに6回の公演を重ねてきた。その間に多野郡が高崎市に吸収合併され、新町は高崎市になった。そしてその高崎市が、群馬音楽センターでの「おにころ」公演を支援してくれることになったのである。伴奏も、これまでの小アンサンブルと違って、群馬交響楽団がフル編成で参加してくれることになった。
 しかしながら、これにはリスクが伴う。主催はあくまで新町歌劇団である。高崎市は共催として少なからぬ助成金を出してくれるということになっている。でも、もし興行的に赤字になったら、それは全て新町歌劇団が負わなければならない。群馬音楽センターや群響の費用は新町歌劇団が払うのだ。そのためには、キャパシティ1900の群馬音楽センターがある程度埋まらないと話にならない。これまでの小さな新町文化ホールとはわけが違うのである。さらに、高崎市が最終的にいくら援助してくれるのかは、年度が変わらないと分からない。ここに行政の厳しさがある。
 僕は何度も高崎に足を運んだ。高崎市長とも地元の財界人達とも会った。そして、新町歌劇団と兄弟団体として、高崎に「おにころ合唱団」を起ち上げた。いろいろ心配の要素はある。でも、物事やってみないことには分からないからね。
「おにころ」が本当に広い世に出るべきものであるならば、この賭には乗らないといけない。天の御心であるならば、この賭には必ず勝つ!

静かな波紋
 それから、僕の著書「オペラ座のお仕事」について語りたい。すでに、この「今日この頃」を読んでくれている人は、僕がどういう生活をしていて、どういう人間かということについてある程度は分かってくれていると思うが、本が出て「今日この頃」を読んでいる人達からもあらためて、
「三澤さんって、こういう人だったんですね」
と言われると、
「そうかあ、やはりひとつの本になるというのは違うんだね」
と思わされる。

「今日この頃」というのは、その時その時の「今の僕」を現してはいるけれど、僕という人間の全体像を表現してはいない。記事は常に断片的である。その点「オペラ座のお仕事」は、話題こそオペラ中心に限定しているものの、生い立ちから始まり、僕が惹きつけられてきたアーティスト達、自分が大切にしているもの、などが一冊の中に収まっており、僕という人間を知るには最適の本であろう。

 この本からも、来年に向けていろいろな発展しそうな胎動が感じられる。先日、四谷のドン・ボスコに買い物に行った。ドン・ボスコとは、キリスト教の書籍や聖品、聖像などを販売しているお店だ。四谷駅から新宿通りに入る十字路にサン・パウロという大きなキリスト教のお店が見えるが、そのサン・パウロを通り越してちょっと新宿通りを歩いたところにある。
 僕は、そこに家で焚く乳香とそれをつける着火剤とを買おうと思って入った。するとそこのレジーにいる女性が、なんと関口教会聖歌隊のメンバーだったのだ。そして、彼女はすぐに二人の人物を呼んだ。ひとりはドン・ボスコ社編集部の方。もうひとりは社長の関谷神父である。ちなみに、僕の「ドイツ・レクィエム」のCDの表紙は、この関谷神父が撮った写真である。イエスが山上の説教を行ったガリラヤの丘の美しい風景だ。
 この二人は、ちょうど前の日に僕の話をしていたところだったが、突然当の本人が現れたのでびっくりしていた。これもシンクロニシティ。二人共、僕の「オペラ座のお仕事」を読んでくれていて、この本を取り寄せようと早川書房に連絡したが、もう品切れでありませんと言われてがっかりしていたという。
「それなら、また重刷しましたから、もう一度連絡していただければあると思いますよ」
と僕が言ったら、とても嬉しそうな顔をし、すぐ連絡して店頭に置いてくれるという。

 こんな風に、静かな動きがあっちこっちで見える。この本を出したことで何かが少しずつ変わってきているような気がする。

PS.速報:江川昭子さんが共同通信に僕の記事を書いて下さいました。

僕らしいバッハ
 最後に、自分のバッハへのスタンスを再確認する良い機会が与えられたことについて述べたい。10月10日に発刊された月刊「ハンナ」へのバッハ演奏の投稿と、先週お話しした某批評家の「バッハのクリスマス」演奏後の態度とは、僕に自分のバッハへのアプローチの覚悟を再確認させるために働いたシンクロニシティとして互いに関係があるとしか思えない。
 実は、「ハンナ」の原稿が世に出た後、僕がオリジナル楽器から離れた理由や、「古楽唱法なるものは存在しない」といった極論に対して、どこからも反対の声が上がらないのに不気味さを感じていた。僕としては、
「来るなら来い!」
というつもりで、挑戦的に書いたつもりなのに・・・。
 それが、めぐりめぐって某教授から来たということだな。だから、がっかりも怒りもしなかった。それよりも、むしろそのことによって、自分のスタンスが本当にそれでいいのかということを突きつけられた気がして、身が引き締まった。その結果・・・「自分はこれで行く」という決心を新たにした。
 僕は、僕でなければ出来ないバッハを追求する。たとえ孤高のものとなろうとも、僕は自分の心に響き、自分の納得のいくバッハのみを追い求める。そして必ずいつか結果を出してみせる。後世の人達が、なるほど「21世紀のバッハ」と呼んでいたのはこれだったのだな、と納得していただくようなものを提供し続けたい。
いのち尽きるまで!

僕らしい企画目白押しの来年
 来年には、還暦になってすぐに4月19日に浜松バッハ研究会で「マタイ受難曲」演奏会(アクトシティ)がある。7月には名古屋で、マーラー作曲「嘆きの歌」全曲演奏会(愛知祝祭管弦楽団)があり、8月には例の高崎での「おにころ」公演、9月に入るとモーツァルト200合唱団によるブラームス作曲「ドイツ・レクィエム」演奏会(セントラル愛知管弦楽団)がある。2005年に東京交響楽団と東響コーラスとで行った演奏以来10年目にあたる。
 その後、名古屋の「パルジファル」上演したグループ(現在の名称は愛知祝祭管弦楽団)を中心としたオーケストラと合唱団を率いて、ウィーン楽友協会ホールでのマーラー作曲、交響曲第2番「復活」公演などという大それた企画があるんだ。
 これはオケも合唱も全国から一般公募しているし、サポーターとして同行するだけでも旅行社としては大歓迎だというから、みなさんの中に興味がある人は是非MDRの中のこの記事を覗いてみて、賛同したら誰でも参加して下さい。旅行中はいろいろ僕ともおしゃべり出来ると思いますよ。


天国はほんとうにある
 久し振りに映画を観た。ヒューマントラストシネマ渋谷という映画館。渋谷から青山通り方面に出て、原宿方面に(つまり左に)歩き、宮下公園の向かい側にある。観た映画は「天国はほんとうにある」
 最近のアメリカは、ヤバイ方向には本当にヤバイが、一方でもの凄くスピリチュアルなものを創り出すパワーがある。これも30年前だったら、とても考えられなかった映画ではないだろうか。内容については、映画サイトをご覧下さい。

 つまりは、臨死体験に関する映画であるが、僕が感銘を受けたのは、むしろこの息子を支える牧師夫婦の生き方である。彼は、天国を説く牧師なのに、息子が臨死体験で天国を見てきたことを礼拝中の説教で語ることによって牧師の職を追われそうになる。こうした逆説的な展開も現実の世界では大いに起こり得ることだ。アカデミー賞に届くようなメジャーな映画になる性質のものではないが、こうした映画が創られて上演され、人気を博すだけでも特筆すべきことではないだろうか。
 同じ映画館では、もうひとつ「神は死んだのか」という映画が同時上映されている。無神論者の大学教授と信仰を持つ学生の対決の物語。これは時間がないので年内には観に行くことが出来ないが、必ず行こうと思っている。

年が明けると、キリストの生涯を描いた映画「サン・オブ・ゴッド」が封切りされる。ここにきて何故?と思わせるほど、宗教映画のラッシュだ。これも僕にとってはシンクロニシティ?

今年の「今日この頃」はこれでおしまいです。来週は白馬にいます。次の更新は1月5日の予定です。みなさん、良いお年を!


 


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