今年のお正月

三澤洋史

最も充実したクリスマス
 毎年12月24日が来るのが楽しみだった。クリスマス・イブの夜は、ずっと家族水いらずで過ごしていたからだ。カトリック立川教会に午後の遅い時間に行き、立川教会聖歌隊によるコンサートの練習をする。それから夕方6時のミサを家族みんなで受ける。8時過ぎからの聖歌隊のミニ・コンサートの指揮をして、9時からのミサには出ないで帰ってくる。そして、家族でパーティーをする。食事の前にお祈りをし、無事にクリスマスが迎えられたことを神様に感謝し、来年もみんな元気でクリスマスを迎えられますようにとお願いする。1年の内で最もしあわせで楽しいひとときであった。そのために、これまでイブだけは、どんな仕事が来ても断っていた。
 ところが、昨年末から突然それが不可能になったのだ。何故なら、僕は関口教会(東京カテドラル)聖歌隊指揮者になり、イブの晩は、午後5時、7時、10時、深夜0時のミサの指揮をすることになった。正直言って、僕はその日に家族と過ごせないことに一抹の淋しさを覚えていた。
 しかしながら、全く予想していなかった事が起こった。昨年のイブこそ、これまでの自分にとって最も内面的に充実したクリスマスとなったのだ。それどころか、クリスマスこそは、本当はこうやって過ごすべきであったとすら思えるものとなった。

 関口教会のクリスマスのミサは長い。会衆の数がとても多いので、聖体拝領の行列は果てしなく続くし、聖歌も沢山演奏するので1時間半近くかかる。ということは、5時のミサは6時半くらいに終わるので、次のオルガニストなどと打ち合わせしていると、もう7時のミサの時間が迫ってくる。休む時間などない。そんなこんなで、僕としてみると果てしなく礼拝の時間が続く感じであった。0時のミサが終わるともう1時半。次の朝の10時のミサも指揮することになっている。
 実は、聖歌隊指揮者になってから初めてのイブだということで、自費で隣の椿山荘を予約し、妻とふたりで泊まった。だからすぐにホテルに戻れる。妻は、
「こんな都会のオアシスだったら、普段もふたりで泊まりに来ようか」
なんて呑気なことを言っているけど、こんな状態だから泊まるんであって、なにもないのにこんな高級ホテルもったいなくて泊まれるかい。
 さて、この果てしないロングランであったが、その間、僕の精神は不思議と、いいようのない静けさに満たされていた。僕の全身は、平和とあたたかさに包み込まれていた。深夜にベッドに沈み込んだ僕は、次の朝までぐっすりと夢も見ないで眠った。そして朝は、妻とふたりでゆったりと朝食を取った。大気が輝いていた。朝の光が微笑んでいた。世界が僕達ふたりを祝福しているように感じられた。
 どうしてだろうな?この充実感は一体なんなのだろう?ゆっくりといろいろを思い出してみた。あの聖マリア大聖堂の中で、一般会衆の方を向いて典礼聖歌を指揮していた僕は、この静謐なる空間こそ自分の本当のホームグランドのように感じていたのだ!
 通常の演奏会で指揮するように、演奏する人達と聴く人達とに分断されているのではなく、会衆と一体となって奏でる音楽。その向かう先は人知を超えた至高なる存在。これこそ、音楽の本来あるべき姿なのではないだろうか。
 それともうひとつ思い出したことがある。クリスチャンになって、これまでの間で、もしかしたら唯一、お酒の入らないクリスマスだった。いや、お酒が入ったらいけないということではない。つまり、これまでは、イブは自分にとって「とても楽しいもの」であった。でも、今回はその楽しみに背を向けて、イブの晩の間、僕はずっと「自分自身を神様に捧げていた」のだ。
 そこまで思い返して、
「あっ!」
と思った。

 そうだ!これって、僕がずっとクリスマス・オラトリオで主張し続けていたことではないか!つまり東方の三人の博士達の生き方だ!知性も教養も社会的地位もある三人の博士達は、はるばるユダヤの国にまで旅をし、幼子イエスを探し当て、そして黄金、乳香、没薬を捧げた。そのためにお金も遣っただろうし、時間も労力も消費したであろう。でもそれは、そのことによって何か利益を得るためではない。箔をつけるためでもなく社会的地位を得るためでもない。ただ、ただ、捧げるために、彼らはやってきた。そんな捧げ尽くす生き方こそが価値のある人生だって、僕は毎年の教会でのクリスマス・オラトリオでもスピーチしていたし、先日の演奏会のプレトークでも言った。
 勿論自分で分かって言っていたつもりだ。でも、今初めて本当に分かった。こうした行動をした者だけが分かる心の底からの歓びを自分は手にしているのだ!だから、自分だけのお楽しみを追求している時よりも、もっともっと深い幸福感を感じているのだ。
 パウロは、行いではなく信仰によって人は義とされると言ったけれど、ハイハイしていた赤ちゃんが二本足で歩行することによって世界観が変わるように、信仰は行動によって新たな認識を得る。「与え尽くす」生き方が素晴らしいことを、今の僕は信仰によってではなく実感によって知っている。信仰が深まるということは、まさにこういうことを言うのだ。

 一方、いつも僕達と一緒にイブの晩を過ごしていた娘達は、自分たちで立川教会のミサに行き、その後志保の家で一緒に楽しく夕食会をしたという。孫娘の杏樹は、その日がミサ・デビューで(大半は眠っていたそうだが)、信者のみんなに可愛がってもらってゴキゲンだったという。こんな風に、みんなも受け継いでいってくれるんだね。

理想的な教師~私を覚醒に連れてって!
 何かを習うんだったら、本人の力量に関係なく、なるべくレベルの高い教師についた方がいい。出来れば、自分のことを良く知っている教師が望ましい。これから先は自慢話になってしまうが、僕のスキー教師は本当に理想的である。角皆優人(つのかい まさひと)君は、我が国トップ・クラスのスキーヤーでありながら(赤毛のアン風に言うと)腹心の友my bosom friendだからである。

 最初に角皆君に習ってから今日までをずっと振り返ってみると、僕は彼のお陰で何の無駄もなく進歩の最短距離を歩んで来ることが出来たと思う。まだボーゲンの跡の残る不完全なパラレルしか出来なかった僕は、彼によって正しいフォームと美しいターンを仕込まれた。今では、コブも(そんなにハイスピードでなければ)スイスイ行く。
 僕が習い始めた時は、ちょうど基礎スキーの価値基準が迷走していた時代であったが、幸運にも僕は、彼によって正しいカーヴィング・ターンを教え込まれた。カーヴィング・ターンと内傾(二軸あるいはハイブリッド・スキーイング)が混同されていた最中に、外向傾のフルカーヴィングを彼は示唆していたのだ。
 再びSAJがこれまでの過ちをあらためた現在では、彼の主張が全面的に正しかったことが証明されている。しかし、あの頃間違ったメソードを教えて、スピード・コントロールも出来ない大量の危険なスキーヤーを排出したトップ・インストラクター達は、みんな口をぬぐってその数年間がまるで存在しなかったかのようにしている。僕も、もし角皆君に習わなかったら、全く無意味な回り道を強要されたことだろう。
 恐ろしいことである。その罪の大きさをSAJは分かっているのだろうか?あの中で正しいことを主張し続けた角皆君のような人材こそ、本当はSAJの中枢には必要なのではないだろうか?でも、駄目だろうな。我が国では、日和見主義者だけが出世出来るのだから。

 さて、その後僕は、不整地やコブの中での安定した滑りを伝授され、今年はいよいよコブ滑りで最も奥深いバンク・ターンにまで辿り着いた。角皆君の眼には、僕が最終的にどんな滑りになっていくのが見えているという。そして、そのために、今後何をどう教えていけばいいのかも分かっているという。彼は僕の音楽を聴いているので、よりはっきり分かるのだと言う。やはり持つべきものは友だねえ。
 でもあえて僕は自分から将来の希望を言わせてもらおう。この歳になって競技に出るわけでもないので、僕は速く滑れなくてもいいんだ。でも、無駄を削ぎ落としていって美しいフォームに結晶した“機能美”を徹底的に追求したい。それでもって全てのキャラクターの雪山を自由に滑りたい。整地もコブも新雪もパウダー・スノウもボコボコ雪も、まるで音楽を奏でるようになめらかに描き分け、雪を制覇するのではなく、雪と一体になりたい。そして、最終目標は・・・雪の向こうに・・・ある“覚醒”を手にしたいんだ。
どうだい角皆君!そこまで僕を連れて行ってくれるかい?死ぬまででいいからさ。


友情万歳2014暮

今年のお正月
 暮れの27日に、東京大学音楽部コール・アカデミー定期演奏会OB合同ステージで大中恩(おおなか めぐみ)作曲「島よ」の男声合唱版を指揮した後は、白馬から群馬の実家に行っても、何の勉強道具を持って行かなかったし、全く譜面を見ることもなかった。こんなに徹底して音楽から離れた年末年始も珍しい。
 ひとつは年明け早々からコンサートがあるわけでないというのが理由だが、もうひとつは、東京に帰ってきてから様々な仕事が僕を待ち受けているので、お正月くらいは、その嵐の前の静けさを楽しもうと心に決めたからだ。
 群馬の田舎には12月30日に白馬から着いた。志保の夫のトミーノも含めて、三澤家と河原家で年を越し、1日には妻の実家に行って、妻の妹のめぐみちゃん一家などと一緒に過ごす。2日に三澤の実家に帰ってくると、親戚一同が集まって来て夕食を食べた。姉たちの子供やその子供達とワイワイ過ごす。
 この「今日この頃」でも何度か書いていた僕の下の姉(郁子)の長女貴子の長男である虎太朗くんは、今年の4月に小学校に上がるが、最近スキーに凝っている。そこで3日にみんなでスキーに行った。
 行き先はノルン水上スキー場。関越自動車道の水上インターを降りて坂を登ったらすぐにあるアクセスの良いスキー場なので、8時半に出発した我々は、1時間くらいで着いて10時くらいから滑れるのではと思っていたのが甘かった。高速道路が事故渋滞やチェーン規制でめちゃめちゃ混んでいて、全然動かなかったし、スキー場に人が溢れていて、レンタル用品を借りるのに約1時間、リフト券を買うのに約30分待った。手分けしてやったものの、結局滑り始めた時にはお昼を過ぎていた。お正月にスキー場になんか行くもんじゃないね。
 虎太朗くんは就学前なのに、スキーはかなりうまい。ボーゲンではあるが、ターンが自由自在だし、かなりスピードも出る一方でコントロールもとれている。お昼を食べるまでは、杏奈とふたりで虎太朗と一緒に滑った。そこに、僕にロード・バイクをくれた雅之君がつかず離れず滑っている。虎太朗くん、将来モーグル選手になればいいのに・・・あのう・・・ちなみに良い先生を僕は知っているよ。
 僕自身は、このくらいの緩斜面では物足りないと思われるかも知れないが、自分でもボーゲンの練習をやり直して重心移動をゆっくり確認したりしていたので、虎太朗の滑りを確認しつつ、自分でもそれなりに楽しんだ。まあ、後半は親に任せてとっとと上級コースに行ったけどね。


ノルン虎太朗と杏奈

 僕達、甥や姪とその連れ合い達は、とても仲良しなんだ。会うのはお盆と正月くらいなんだけど、それだけにこうしたひとときは楽しいね。孫の杏樹も、同じくらいに生まれた姪の知美の子供と面白いやりとりをしている。ひとつのものを取り合って泣いたりもするけれど、それも含めてこうした交友が大人になるまで続いていって欲しいなあと思う。

 さて、新しい週が始まった。いつまでもお正月気分でいないで、還暦の年の目白押しのプログラムをこなすためにも、健康で意欲に燃えて今年も頑張ります!

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