満を持してリベンジ「マノン・レスコー」

三澤洋史

春が近づいて来たけれど・・・
 風がゆるんできた。戸外に出ると、のほほんとした大気に抱きかかえられ、体が、寒さに対する重装備を解いてもいいかどうか戸惑っているのが感じられる。ベッドの上の布団から毛布を一枚抜き取った。下着がヒートテックからランニングに替わっている。
 道ばたの猫が、笑ってしまうくらいだらしなく寝そべっている。極寒の日の朝には、ぴっちりと背筋を伸ばして招き猫のような姿勢で座っていたのに。鳥たちの鳴き声も晴れやかで伸びやか。遠くの鳥たちとのんびりした井戸端会議のやりとりをしているようだ。
 真っ白な梅が、ハッとするほど清楚な姿で、散歩する僕の目の前に突然立ち現れる。それは初恋を胸に秘めた乙女の瞳のように生硬く、邪悪なものを寄せ付けない凛とした透明な空気をあたりに放出している。

 以前の僕だったら、春が近づいてくると無邪気に喜んでいたであろう。しかし、今の僕はちょっとメランコリック。もう終わってしまうのだ!夏の間からあんなに心待ちにしていた雪山のシーズンが・・・。
 先週体調を崩して行けなかったので、スケジュール表を見る限り、行けたとしてあとわずか2回がマックス。しかも、これからはもう雪質は望めない。したがって画期的な上達も望めない。そよ風の中のゆるい春スキー。
 先日、ニセコの後で体を壊したことを考えると、もう若くないのであまり無理できないなあという気持ちもあるが、逆に、行ける時に行っておかないと後悔するというあせりの気持ちもある。ニセコのために数日空けるのだって簡単ではなかったけれど、体が動かなくなる前に一ヶ月くらい山にこもって心ゆくまでスキー三昧の生活を送ってみたい。そうしたら満足するのかな?いや、そんなことしたら、それが癖になってしまって、次の年もその次の年も行きたくなってしまうだろう。きりがないや。
 今はすっかり元気になって散歩も再開した。でも今回は珍しく体調が戻ってきてからもしばらく散歩する気にならなかった。やはりニセコでコブを滑りすぎて、膝と腰が極端に疲労してしまっていたからだ。コブは整地の何倍も体を酷使する。こんな還暦じーじが、一日中コブと格闘するのは異常だね。しかも、数年前までろくに運動もしてなかったのだから、もう馬鹿としか言いようがない。
 でもねえ、僕は目覚めちゃったんだ。整地が二次元だとするとコブは三次元だ。コブの作り出す複雑怪奇な三次元的空間の中で自分の座標軸を決め、体幹を維持しながらコブの山を越える時のあのスペース・マウンテンのような浮遊感を一度でも味わった者は、もうそれなしでは生きられないのだよ。
 といっても、セックスやドラッグみたいな刹那的で退廃的なものではない。むしろ大自然や大宇宙とつながっていて、瞑想や覚醒を促す精神的充足感や宗教的法悦の世界を味わえるとあったら、のめり込むことに躊躇する理由もないではないか。

 ああ、本当に春が来てしまう前に、スキーに行きたい!まるで恋人に焦がれるよう。今週は残念ながら休日がない。淋しい!

飯守さんと情熱音楽スタッフ達による黄金時代
 3月6日金曜日。新国立劇場オペラ部門芸術監督の飯守泰次郎氏が、僕たち劇場付きの音楽スタッフを招待して食事会を催してくれた。出席したのは音楽ヘッド・コーチ石坂宏さん、音楽コーチ城谷正博さん、副指揮者根本卓也さん、ピアニスト小埜寺美樹さんと木下志津子さん、そして僕というメンバー。僕のアシスタントの冨平恭平君は、残念ながら東響コーラスの練習で欠席。飯守泰次郎氏自身を加えて合計7人であった。

 以前にもこの欄で時々書いていたが、現在の新国立劇場音楽スタッフは、間違いなく我が国における考えられる限りのベストメンバーであり、このメンバーだからこそ、次々と重なり合うようにして進行している当劇場のプロダクションを滞りなく円滑に運営させ、かつ世界に通用するトップレベルの公演を常に実現させることを可能にしている。飯守氏も、ご自分で芸術監督になられ、「パルジファル」「さまよえるオランダ人」で共に仕事をしてみて、本当にそれを実感したとおっしゃって下さった。
 話題は、バイロイト時代の話や様々なところに及び、飯守氏のお人柄もあって、始終リラックスした雰囲気の中で一同気兼ねなく自由に語り、笑い、食べて飲んで、実に楽しい一夜であった。

 最後はワーグナーに熱い城谷さんが、飯守氏に迫り、
「ヴィーラント・ワーグナーの演出を新国立劇場で再現することは出来ないでしょうかね?」
と言うと、飯守氏も、
「それ出来たら凄いね!」
と答え、一同大いに盛り上がった。まあ、実際に出来る出来ないはともかく、僕も個人的には一度体験してみたいものだ。最近流行の変な置き換え演出よりも、ヴィーラントの抽象的な演出こそが、ワーグナーの精神性、宗教性、哲学性にアプローチする最良の道かも知れない。そして、いつの世にも最も新しい光を投げかける、永遠のアヴァンギャルドな演出なのかも知れない。
 それにしても、城谷さんはワーグナーになると熱いねえ!そんなこと飯守さんにぶつけてしまうのだもの。でも、僕は思う。才能はないと話にならないが、本当に良いものを作り出すのは、才能だけでは成し得ない。情熱こそが全ての源。勿論城谷さんひとりではないのだよ。今の僕たちのチームのひとりひとりには、この情熱が息づいているのだ。
 おっと、忘れてはいけない。他ならぬ飯守氏自身が、誰よりも熱い情熱の人だ。だから情熱音楽スタッフの時代は、今や飯守氏を中心にして、これまで我が国で到達したことのない黄金時代を迎えていると僕は断言しよう。
これは決して手前味噌ではありません!

写真:飯守芸術監督を囲んで新国立劇場音楽スタッフ
飯守芸術監督を囲んで

満を持してリベンジ「マノン・レスコー」
 さて、新国立劇場では、「マノン・レスコー」が、ゲネプロを終えていよいよ本番を迎える。マエストロのピエール・ジョルジュ・モランディ氏は正真正銘なmaestro(ドイツ語でマイスター、すなわち親方)だ。古くは、今やレジェンドになっているジュゼッペ・パターネ、近いところではネッロ・サンティのような、イタリアの伝統的な親分肌の指揮者という意味で、僕は言っている。
 彼は、オケもソリスト達も合唱も完全に掌握している。練習中は結構威張っていて、時にはオケに対しても合唱に対しても馬鹿野郎呼ばわりもするので最初はびっくりしたが、それは彼のポーズというかスタイルであって、時折見せるユーモアがなんともいえない雰囲気をあたりに醸し出す。
 全体の音楽的仕上がりは、ピシッと締まっていながらカンタービレの要素にも溢れ、実に柔軟な演奏となっている。東京交響楽団があれほど多彩な色彩感と表情の変化を見せるなんて、なかなか聴けない。
 威張っている一方で、本当は結構出来上がりを気に入っている。ゲネプロが終わった後、彼は僕をその大きな肩でギューッとハグし、
「本当に素晴らしい合唱だ。ありがとう!」
と言ってくれた。

 スヴェトラ・ヴァッシレヴァのマノンは、実に可愛くて、デグリューが身を持ち崩していくのも分かる気がする。小柄できゃしゃで、近くで見るとちょっと皺もあるけれど(失礼)、少し離れただけでとても若く見えるのだ。特に最初の登場シーンで、お兄さんのレスコーに取り残されてポツンとひとりで佇んでいる瞬間などは、放っておけないオーラを醸し出している。くー、たまりませんな。
 それに声が素晴らしい。トスカ、蝶々夫人、ミミなどの他に、少し陰りのある音色なのでカルメンなどのメゾ・ソプラノっぽい役もレパートリーに持っているが、それがファム・ファタール(男を滅ぼす悪女)にピッタリなのだ。容姿、演技力、声の色、歌唱力・・・これ以上のマノンを望むのは、世界広しといえど大変困難であると断言する。

 彼女を筆頭にして、デグリュー役のグスターヴォ・ポルタもレスコー役のダリボール・イェニスも、みんな2011年の幻の「マノン・レスコー」公演の出演者であった。その日はゲネプロ前日の休日であったので、それぞれがそれぞれの場所で震災を経験した。地震そのものに日本人ほど慣れていない上に、我々だってうろたえるほどのあの大地震だ。さぞや恐かったであろう。
 さらに、ゲネプロも公演も突然中止になり、「マノン・レスコー」は無念にも全く人目にさらされることなくお蔵入り。スタッフ、キャスト達は涙を呑んで帰国して行ったのだ。
そのリベンジを、4年後の今回、やっと果たすことが出来る。しかも、4年前にもまして一同の想いは熱くチームワークが良い。その結果として、よりハイレベルに仕上がっている。
グスターヴォとダリボールの対談のビデオにその想いを見ることが出来る。

 「マノン・レスコー」は今日3月9日(月)から21日(土)までの間に5回公演。初期のプッチーニの作品だけれど、未熟さはみじんも感じられない。その華麗なるオーケストレーション、甘美なメロディーと深いドラマ性、すでにプッチーニ・ワールド全開だ。しかもこの作品は、プッチーニの全ての作品の中で、間違いなく指揮するのが最も難しい曲だ。言葉のニュアンスと音楽との接点を妥協なく極限まで追求しているからだ。若いからこそ出来たことだと思う。
 もし行こうかどうか迷っている人がいたら、行って下さい!絶対に後悔しませんから。4年前の分も合わせて、ひとりでも多くの人に観てもらいたい。

僕が、ここまで言うのは珍しいんだよ!だから本当に良いの!


   
 


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