ガラパゴス人間

三澤洋史

ハナミズキとタンタン
 ハナミズキが咲くとタンタンを思い出す。先日まで4月には似合わない寒くて天気の悪い日が続いていたが、ここのところやっと天気が回復してきて穏やかな日が続いている。それに呼応して新緑がいっせいに萌えだした。早朝散歩すると、その淡い緑を背景にして、交互に植えられているハナミズキの木に咲くピンクと純白の花が鮮やかに浮かび上がっているのに胸が高鳴る。ハナミズキは、生硬い梅よりはしなやかだが、妖艶な桜よりは清楚な感じがする。
 今年の5月5日が来ると、愛犬タンタンが死んでからまる3年経つ。まだ3年しか経っていないのかと思う。家にはタンタンの写真が飾ってあって、言葉を覚えはじめた孫娘の杏樹が時々それを指さしながら「タンタン」とあどけなく言う。
 でも杏樹がどんなに可愛くても、杏樹はタンタンの代わりにはならない。杏樹は杏樹、タンタンはタンタンである。僕の携帯の待受画面は相変わらずタンタンだ。もうやめようと一度は別の待受画面に変えてみたが、なんとなくタンタンに悪いような気がして、また元に戻した。

 忘れてあげる方がいいとも聞く。忘れられればね。僕の胸の中にひそかな一室があって、そこには僕のタンタンとの思い出が住んでいる。そこに悲しみも閉じ込めている。いつも悲しんでいるわけではないが、僕の心の一部にずっと悲しみが存在している。その悲しみは、そのまま人に対する思いやりややさしさや神様に対する敬虔さと結びついていて、僕という人間の内面を深めている。
 杏樹が僕のことをとても慕ってくれて、僕に抱っこを求め、甘えながら僕にペターッとひっついてくることがある。そんな時、僕は杏樹の体温を感じながら、密かに泣きたいような気持ちになる。悲しいからではない。むしろ、とてもしあわせなんだ。
 杏樹は時々、僕の方を見ているのだけれど、僕を通り越して少し後ろを見ていることがある。結構生まれたての時からそうだった。そんな時、僕には分かる。彼女は僕を「見ている」のではなく、僕という人格を全身で感じているのだということが。霊能者だったら言うかも知れない。彼女が見ているのは僕のオーラだとか、僕の守護霊だとか・・・。僕は思う。もしかしたら、僕という人格を形成している要素の中に、僕がタンタンをあんなにも愛した歴史が刻み込まれていて、それを彼女が感じているのかも知れないなあ・・・と。
 そんな霊的に言わなくても、僕はタンタンを失ってから、間違いなくそれ以前より優しい人間になったと思う。子どもにはそうしたことを大人よりもずっと敏感に感じる能力がある。杏樹がそんな僕を受け止めてくれているとしたら、タンタンのお陰だな。

 愛する人生は素晴らしいと思う。たとえ傷ついても悲しんでも、愛さない人生よりはしあわせな人生なのだ。タンタン、僕の人生の一時期、僕と一緒に過ごしてくれて本当にありがとう!
またいつか会おうね。

ガラパゴス人間
 まだガラ携を使っている。この携帯電話が壊れたらスマート・フォンに換えようと思っているが、買った当時ちょっと値の張った良い携帯なのでなかなか壊れない。一方で、このままでいいとも思う。だって、スマホを使っている人を見ると、電車の中でもまるで中毒のようにスマホをいじっているではないか。自転車に乗っていると、スマホを見ながら歩いている人が危なくてしょうがない。その反面、もし自分がスマホを買ったら、自分もかなりハマり易い性格なので、あんな風にならないとも限らない。いや、絶対になるだろうな。
 スマホでただちにネットにつないで、いろんな情報を手に入れるのは便利そうに見えるけれど、そうした情報の中のかなりの部分は、なければないで差し支えないものではないか。少なくとも今の僕がガラ携で不便を感じたことはない。ガラ携でも駅スパートは使えるしね。ま、負け惜しみのようではあるが、そんなわけで僕はまだしばらくガラ携人間でいます。

 パソコンは、デスクトップもノートも相変わらずWindows XPだ。WordやExcelなどのMicrosoft Officeは2003、譜面作成ソフトであるFinaleは2006ヴァージョン。一太郎やATOKなどのJustSystemだけはちょっと新しくて2010ヴァージョン。なんとまあ古代人間なのでしょう。でも、これで何の不自由も感じない。
 というより、WordもFinaleも、それより前のヴァージョンから買い換えた時に、些細なマイナー・チェンジ以上のものを何も感じなかったので、すでに基本機能としては完成されていたことを悟り、次のヴァージョンを購入する気にならずに今日に至っているのだ。
 たとえば、僕の所に添付ファイルでしょっちゅう送られてくるdocxのファイルは、変換モジュールが働いて開くことが出来るが、「2003の機能では不充分」といって表示出来なかったことは、これまででたった一件しかない。それも「2003の機能で代用します」と言われて表示したけれど、何も問題なかった。恐らくフォントとかそういうことだったようだ。つまりこのことは、他の人達も、最新ヴァージョンを使っていても、2003以上の新機能はほとんど使っていないという証明となっている。

 XPも快適そのもの。サポートが終了するとハッカー達から攻撃されるから危険だとさんざ脅されたけれど、そんなものマイクロソフトの戦略に決まってると思っていたさ。実際、人々から忘れ去られ、ガラパゴス状態になることによって、かえってハッカーの視線からはずれ、絶対的平和状態に置かれている。
 ハッカーだって、こんな見棄てられたヴァージョンのOSを今更攻撃したってやり甲斐がないじゃないの。儲かるわけでなし、彼らにとっては、一番目立つところで一番効果を上げてその存在を示すこと以外には興味がないわけでしょう。
 もし、残ったXPを片っ端から攻撃して、Windows 8かなんかにヴァージョン・アップせざるを得ないように追い込んでいる情熱的ハッカーがいるとしたら、その人は間違いなくマイクロソフトからの回し者に違いない。
 ですから皆さん、家に眠っているXPのパソコンは、今や一番安全なOSだよ。それにXPはよく出来ているOSでスペックも要求されないから、あらためてお薦めですよ。

 性能の向上を掲げてヴァージョン・アップを煽る戦略では、企業はもう2000年代前半のような利益は見込めない。パソコンにおけるヴァージョン・アップの時代はすでに終わったに等しい。勿論、高度なスペックを要求する世界では、まだまだヴァージョン・アップを追求して欲しいのだろうが、今やみんな気付いてしまったのだ。「何でも可能な」高いパソコンを一時はブームに乗って無理して買ったが、よく考えてみると一般人にとっては、メールとインターネットさえ使えれば事足りるのだということに・・・。
 会社における事務仕事のためには、プラスしてWordとExcel、それにプレゼンのためのパワーポイントとかあれば充分。そのためには別にXPだってよかったろう。XPのサポートを終了させ、もう使ってはいけないように見せかけているのは、マイクロソフトの勝手な陰謀である。次のソフトに買い換えさせ、利益を得るためである。
僕はその手には乗らない。

 ただ企業は企業で、この事に気付いていないはずはない。アップルは、パソコンに依存したヴァージョン・アップ神話にしがみつかずに、次の時代の到来を見据え、i-Phoneという驚異的なものを出した。これはパソコン的には逆に大きなヴァージョン・ダウンである。それにスクリーンはデスクトップとは比較にならないほど小さくて見づらい。その代わり、軽量化、快適性、及びシンプル化が徹底的に追求されている。
 さらに驚いたのは、周りの環境をも変えたのである。つまりWi-Fiなどの無線LANの整備による「どこでもインターネットが開ける」というサービスの充実である。また、周りがCDのコピーによる利益の損失に目を光らせている時代に、アップルはまずi-Podというファイル音楽プレイヤーでブームを作り、結果的にCDからのコピーガードを企業にはずさせることに成功した。その一方で、i-Tuneとインターネットを使っての音楽配信により、CDそのものやCD販売店を衰退させることにもつながってしまったが、とにかくi-Podを作ったときにはもう、それをスマホに入れて広く普及させることを視野に入れていたのだろうな。

 娘の志保や杏奈を見ていると、i-Phoneで最も活用しているのは、インターネットやメールにも増してデジカメやビデオの機能だ。杏樹が可愛い仕草をするやいなやスマホでパッと撮る。カメラとしての機能は安いデジカメに勝るとも劣らない。それにビデオもあんなに気軽に撮れるならば、高いビデオの器械も買う必要ないよな。
 こうして、インターネット、メール、デジカメ、ビデオ、さらに音楽プレイヤーなどを全て一台でこなすってもの凄い発明が成し遂げられ、市場に普及した。だけど、そういうことをしている最中に電話がかかってきたら、一番迷惑じゃねー?電話さえなければもっと平和・・・なんてね・・・元は電話器なんだけど、一番の弱点は電話があることなんてね。
 そういう人のためには、今度はi-Padというのが容易されているのだ。i-Padは画面も大きいし、さらにいろいろなアプリが使える。僕のまわりではみんなネット経由でスコアなどをダウンロードして、譜面の代わりに使っている。もう至れりつくせりだね。

 僕の場合、そうしたことを客観的に見ているのは楽しい。だから志保がi-Padを買ったばかりの時、僕ももしかしたら買おうかなと思って、使い方を一緒に勉強したのだ。でもね、あまのじゃくな僕はある大事なことに気付いてしまって、それ以来買う意欲を失ってしまった。
 たとえばダウンロードしたファイルを、好きなところにフォルダーを作って名前をつけて自分の思い通りに管理したいなと思っても出来なかったりする。それには我慢がならない。また、たとえば杏奈が撮った杏樹の写真やビデオを僕のパソコンで見たいなと思った時、SDカードを頂戴というわけにはいかない。つまりi-Padには意図的にインターフェースがないんだね。だから外部との接触はインターネットを通してしか出来ない。コネクターはあるので、全く出来ないわけではないのだろうが、少なくともパソコンのようには出来ない。
 USBを経由して外部機器に接続ということも出来ない。DVDドライブにつないでソフトをインストールしたり、DVDをそのまま観たりは絶対に出来ないし、パワーポイントで作ったファイルをプロジェクターにつないでプレゼンすることも出来ない。まあ、これをi-Padに搭載したら、本当に誰もパソコンを買わなくなるので、アップルで言えばMacの滅亡を自ら招いてしまうわけか。ただ、それでもいいと企業が思ったら、即座にそうなるのだろうけどね。

 僕はね、そういう風に大企業の論理で右に左に踊らされるのが嫌なんだ。僕はもっと自由に振る舞いたい。だからi-Padという腹立たしいものは買わない。あ、なんという頑固爺(がんこじじい)だって思ったでしょ。

いいのいいの、ガラパゴス人間とお呼び!
来週はゴールデン・ウィークにつきお休みします。

   
 


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