中塚さんの壮行会

三澤洋史

オトナのオペラ
 「ばらの騎士」というオペラは、見る度に違ったところが心に響いてくる。その意味で、こんな奥が深いオペラはない。それは、ホフマンスタールの台本のせいだな。

 第3幕の最後で、女装したオクタヴィアンがオックス男爵を誘惑し、それをみんなでいたぶるわけだが、そもそもオックス男爵がオクタヴィアンを女性だと勘違いして惚れ込んでしまったのは、第1幕で朝早くオックス男爵が元帥夫人の部屋に飛び込んできた時、女装したオクタヴィアンと鉢合わせしてしまったのが発端だ。
「オクタヴィアン・・・マリアンデル・・・オクタヴィアン???」
と言いながらオックス男爵はだんだんその事を思い出してくる。それに対し元帥夫人は、
「あなた騎士でしょう。もうそれ以上詮索しないの・・・」
と釘を刺す。オックス男爵は、
「ははあ・・・・」
と気付いて、
「まあいい。それではこれまでのことは、みんな水に流しましょう」
と答える。
 男爵は、あの朝自分が入ってくる前に、(男性である)オクタヴィアンと元帥夫人が一緒にいたこと・・・ということは、つまり、前の晩から二人の間に起きていたことなどに気が付いたわけだ。
 実は、男爵が気が付いた瞬間、ゾフィーも舞台上にいる。ゾフィーは、微妙な表情をしながら、元帥夫人とオックス男爵の会話を聞いている。ここのゾフィーは、どのくらいこの事に気がついているのが正解なんだろうか?うーん・・・・あまりはっきり気が付いてしまうと、その後、元帥夫人が去った後のゾフィーとオクタヴィアンの二重唱は、あんなハッピーにはいかないだろうし・・・かといって、全く何も気が付かないのも、オペラとしては粋じゃない気がする・・・・うーん、ビミョウ!奥が深いなあ。なんともオトナのオペラだなあ。

中塚さんの壮行会
 僕が、サントリー・ホールで、東京交響楽団で東響コーラスと一緒にブラームス作曲「ドイツ・レクィエム」を指揮してから、もう10年経った。このホーム・ページもその演奏会の準備の一部として起ち上げたものである。
 演奏会自体は2005年5月1日に行われたが、この演奏会が成功するために、決して忘れてはいけない人がいる。当時東京交響楽団事務局で東響コーラス担当のマネージャーをやっていた中塚博則さんその人である。

 1990年代の後半から2000年代の最初まで、僕は東響コーラスの合唱指揮者の仕事をほとんどフルに引き受けていた。マーラーの第2交響曲「復活」をはじめとして、第8交響曲「千人の交響曲」、「ロ短調ミサ曲」「マタイ受難曲」、マクミランやエルガーのオラトリオ、それから毎年の第九など、沢山のオケ付き合唱曲を手がけ、この頃の合唱指揮者としての僕の生活の中心は、ほとんど東響コーラスと共にあった。
 一方、2002年1月に、僕は新国立劇場公演として、オペラ「ヘンゼルとグレーテル」を指揮した。オケは東京交響楽団であった。その公演を観ていた中塚さんは、僕を東響コーラスの合唱指揮者としてだけではなく、東響コーラスも指導しつつ、東京交響楽団のコンサートの指揮者としてステージに立たせたいという強い想いを持ってくれた。そして特別演奏会の企画を起ち上げ、推進してくれた。それが「ドイツ・レクィエム」特別演奏会として結実したわけである。
 勿論、この企画は中塚さんひとりの力ではないだろうが、中塚さんは、チケットの販売をはじめとして、並々ならぬ情熱を注いでくれた。特に僕の故郷群馬の新町歌劇団を訪問し、さらに僕の母校の高崎高校にまで出向いてくれたのである。
 今でも、新町歌劇団の事務局のSさんは、
「ああ、中塚さんですか、よーく覚えていますよ。一緒に高崎高校に行きました。途中いろいろお話ししましたが、とっても楽しい方ですよね」
と、なつかしそうな顔をして言う。

 ほほう・・・とっても楽しい方という印象を残しているとは・・・あははは・・・いやね・・・中塚さんというと、みんな口を揃えて「変わった人」と言うもんで、そのSさんの発言に、僕は正直言って少なからぬ衝撃を受けたわけなんだな・・・。
 でも、彼は本当に情熱の人なんだ。内に、触れたら火傷しそうなマグマのような思いをたぎらせている。この人なくして「ドイツ・レクィエム」公演の成功はあり得なかったということだけは断言出来る。合唱指揮者としてはともかく、指揮者としては無名のような僕を起用して特別演奏会を企画していくにあたっては、まわりにリスクを心配する声もあったに違いない。それを向こう見ずな彼が、無理矢理にでも押し通したのではないかと、今となっては恐縮してしまうのだ。
 ただ、その「ドイツ・レクィエム」公演の成功が、その後の僕の音楽生活を送っていく上で、どれほど大きな自信につながったか、そして、この演奏会からどれほど沢山の学びを得る事が出来たか・・・それを考えると、中塚さんこそ、僕の人生にとって、本当に大恩人であると言い切れるのだ。
 中塚さんの事を考える時、僕は、
「人間って、ひとりでは生きられないんだなあ。助け手がいなければ、何事も成し得ないんだなあ。ありがたいことだなあ」
と、中塚さん自身と、中塚さんを僕の前に遣わしてくれた神様に感謝しないではいられないのだ。

 さて、その中塚さんが、東京交響楽団の前事務室長をしていた妻の洋子さんと共に、お母さんの面倒を見るという理由で、楽団の業務を離れ、岩手に引っ越して行くという。そこで5月31日日曜日の夜に、二人の壮行会が行われた。僕はその日は朝から高崎で自作ミュージカル「おにころ」の集中稽古だったが、早めに切り上げ、後は振り付けの佐藤ひろみさんに任せて、新幹線に飛び乗り、壮行会の会場へと向かった。

 会場にはすでに、東京交響楽団元楽団長で現在は最高顧問である金山茂人さんをはじめ、東響コーラスの生みの親であり、初代合唱指揮者であるホリヤンこと堀俊輔さんなどがいらっしゃった。それに、おびただしい数の東響コーラスのメンバーや元メンバー達が押し合いへし合い溢れていて、200人をゆうに超える大パーティーとなった。これも中塚夫妻の人徳であろう。
 金山さんや堀さんの挨拶が傑作であった。ふたりともやっぱり中塚さんのことを「ヘンな奴」と紹介している。僕も中塚さんの経歴は知らなかったけれど、中塚さん本人の説明も合わせてちょっと紹介すると・・・。

 中塚博則さんは、京都大学を卒業してから(頭いいんだ!)、家庭教師をしながら音楽の勉強にいそしんでおり、最初は作曲家をめざしていたという。それから上京して東京交響楽団事務局に入ったわけであるが、東京での慣れない生活の中で、物価の違いなどに驚きの連続であったという。
 彼は、お金がなかったので、自分でお弁当を作ってきてお昼に食べていたけれど、その中身が毎日ほとんど一緒で、それを見るに見かねた洋子さんが、ある日からおかずを一品差し入れしてくれたという。その内、気が付いてみたら、なんと洋子さんの作ったお弁当を中塚さんがごく普通に食べているようになっていたということである。それがふたりの結婚につながっていったということであるから、なんとも微笑ましいなれそめ話である。ごちそうさま!
 僕は、新国立劇場が忙しくて、最近はあまり東響コーラスには行けていないが、どっちを見てもなつかしい合唱団のメンバーばかりで、本当に楽しい語らいの時を過ごした。それに、オーケストラ元楽団員のヴィオラの諸橋さんやチェロのボーマンさん達の弦楽四重奏の楽しい演奏をはじめとした余興の数々に、感心したり大笑いしたりで、瞬く間に時が過ぎていった。

 でも、パーティーも終わりに近づいてくると、
「ああ、これからは、あのヌルッとした中塚さんの個性的な風貌を見ることもなくなるんだ。洋子さんの、あの微笑みと、あの高い頭声のやさしい声も聴けなくなるんだ」
と思って、なんとなくウルウルしてきてしまった。東響「第九」演奏会の名物アンコールの「蛍の光」を一緒に歌ったけど、こんな時、こんな曲歌わせるのやめてよ!もうホントに涙腺ゆるみまくってしまったぜ!

 中塚さん、洋子さん!本当にこれまでありがとうございました!お世話になりました。岩手に行ってもどうかお元気で、楽しく暮らして下さい。あのね、その内、冬にそっちの方へスキーに行くかも知れない。そうしたら会いましょうよ!おいしい岩手のお酒を紹介して下さいね。


壮行会全員集合 (プライバシー保護のため一部画像処理済)


ジャズタモリ
 「おにころ」高崎集中練習の帰り、新幹線の時間までちょっとだけあったので、駅構内の本屋にぶらりと入る。ふと目に入ってきたのは、タモリが雪の中でトランペットを吹いている表紙の写真。SWITCHという月刊誌だが、これまで一度も意識したことない雑誌。特集として「ジャズタモリTAMORI MY FAVORITE THINGS」と書いてある。
 中をめくると、ナベサダことアルト・サックス奏者の渡辺貞夫や、糸井重里、笑福亭鶴瓶といった人達がコラムを寄せていて、実に興味深い。思わずレジに持って行き、東京に向かう新幹線の中で読んでみた。


ジャズタモリ


 特に興味をひいたのは、タモリがベイシーという一関のジャズ喫茶で好きなジャズのアルバムをかけるという企画で、ここで彼がリクエストしたアルバムの大半が、僕の愛蔵版であったり、好きなジャズプレイヤーであったりしたことだ。
 なんといっても、タモリの世代は僕と完全にかぶっているので、ジャズの好みもある程度かぶっているのは当然かも知れないけれど、たとえば、村上春樹などとは随分違うことを考えると、ここまで考えていることが近い人はあんまりいない。いつかどこかで出遭うことが出来て、ジャズの話を始めたら、話がつきないだろうな。
 たとえば、彼は、トランペッターのクリフォード・ブラウンを真っ先にあげた。ブラウンは、トランペットのアドリブ・フレーズの美しさを極限まで追求した人で、彼のフレーズをそのまま譜面に写し取ったら、理想的な作曲となるほどだ。
 それから、フランク・シナトラとカウント・ベイシー楽団の共演ライブのアルバム。シナトラを軽んじる人は多いけれど、彼のちょっと崩したメロディーのこ洒落た感じは、かのマイルス・デイビスも最大限に評価している。また、カウント・ベイシーのスイング感こそは、あらゆるジャズ演奏の中でも特筆に値する。
 それからビル・エヴァンスのピアノ・トリオの演奏。3人だけで繰り広げる信じられないほどの調和は、トリオ演奏のひとつの頂点を極めている。面白いのは、中に突然スヴィヤトスラフ・リヒテルが弾くラフマニノフ作曲ピアノ協奏曲第2番が入っていることだ。タモリはこれをかけながら指揮の真似をしていたそうである。
 そして、当然のようにマイルス・デイビスのアルバムが何枚もある。それも「カインド・オブ・ブルー」のような超メジャーなのはなくて、僕の好きな「いつか王子さまが」など、ちょっとリラックスしたアルバムが入っているのが嬉しい。意外だったのは、コルトレーンが入っていないことだね。
 この雑誌の中の能町みね子さんがエッセイの中でこんな風に書いている。
(タモリと菅原さんという人の会話)
「人は向上心なんか持つとロクなことがない」
「ジャズも向上心を持ったらダメだな」
「コルトレーンも向上心さえ持たなければなあ(笑)」
などと二人は楽しそうに私のそばで話していて、私はその場の気体を共有しているだけで溶けるようである。
 僕も、時々コルトレーンを「重い」と思う事がある。そんな気持ちをタモリは上手に代弁してくれる。とにかく、僕には本当に楽しい雑誌であった。この先このSWITCHという雑誌を手に取る可能性はどのくらいあるのか知らないが、今後はちょっと興味を持って本屋で眺めてみよう。

ノルディック・ウォーキング
 6時過ぎに起きて約1時間の散歩に出る。四季を通して散歩をしていると、日の出の時刻(外出時の暗さ)から始まって、気温や大気の香りや空の色や雲の形、あるいは木々の緑の濃さや花々の色彩など、ありとあらゆるものが季節によってこうも変わるのかと驚くばかりだ。
 しかし散歩というものは、なんだね。下半身に対してどうも上半身の運動量が少ないのである。それを解決しようとして、よくおばさんが大きく腕を振って歩いているのを見かけるが、わざとらしくて恥ずかしく、ちょっと自分には無理だなあ。
 そこでいろいろ調べている内にノルディック・ウォーキングをやってみようかと思い立った。ノルディック・ウォーキングの原理は超カンタンである。スキーのようなストックを両手に持って突きながら歩くだけ。もともとはクロスカントリーの選手が、夏の間のトレーニングとして行っていたものだから、スキーのストックをそのまま使ってもいいのだろうが、アスファルトを突いて歩いたら、アスファルトもストックの先端も傷つくので、専用のゴムのカバーを先端に取り付けて、すり減ったら取り替えながら使うそうだ。
 ネットで取り寄せて使い始める。原理が簡単なだけに、即効果が現れるという感じではない。つまり、どうとでも使えるのだ。2本のストックをゆっくり交互に突いて歩けば、運動というより歩行補助という雰囲気だ。これならもっと歳取って歩行困難になっても大丈夫だぞ、うわっはっはっは・・・・いやいや、そうじゃなくって・・・・陽だまりの老人になるために買ったんじゃないぞ!
 これは意図的に運動性を高めようとしないと駄目なんだ。まず大股で歩こうと努める。ウォーキング・シューズのカカトから着地して体重移動を行い、つま先で足が土から離れる。ストックはむしろ斜め後ろに押し出すようにする。つまり、あれだな。冬のゲレンデ間のちょっとした登りの雪道を、スキー板を履いて行く感じ。だからクロスカントリーの練習になるわけか。
 そうするとね、めちゃめちゃ運動性が上がり、スイスイと前に進むし、腕の筋肉を使っている意識がある。ストックを突くことによって、歩行の際の足や膝にかかる負担は逆に軽減するわけで、全身で歩く感じだ。
 これはいい!ただ、そうでなくても今は散歩していると汗ばむ季節になっているところに、終わる頃の汗の量が増えている気がする。まあ、運動するために散歩しているんだから、むしろ喜ぶべきか。


ノルディック・ウォーキング

 これで僕の場合、冬にはスキーのストックを持ち、夏にはノルディック・ウォーキングのストックを持つ生活になる。また、指揮棒はドイツ語でTaktstockタクト・ストック(シュトック)というから、僕の人生は、いよいよストックと切り離せないものになってきているわけだ。

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