忘れ得ぬ夏への予感・・・いや確信!

三澤洋史

忘れ得ぬ夏への予感・・・いや確信!
 6月14日(日)朝10時。高崎中央公民館には、おにころ役の泉良平(いずみ りょうへい)さん、桃花役の前川依子(まえかわ よりこ)さん、庄屋役の大森いちえいさん、そして高崎おにころ合唱団の指導者であり伝平役の初谷敬史(はつがい たかし)さんと、新町歌劇団指導者であり妖精メタモルフォーゼ役の余川倫子(よかわ ともこ)さんが集まり、高崎おにころ合唱団と新町歌劇団の合同である40人の合唱団と一緒に立ち稽古を行った。
 さらに午後になると先日子役のオーディションで合格した20人以上の子供達が加わって、メイン・キャストや大人たちと一緒に稽古をした。

 練習では、上毛新聞の取材と、上毛新聞社の高崎支部が高崎市内に配布する生活情報誌タカタイの取材とが入った。両者とも、沢山の写真を撮りながらまる一日練習風景を取材してくれた。また、群馬テレビは、僕のインタビューと午前中の練習風景をフィルムに収めていった。
 彼らメイン・キャストが入ったことで、合唱団員達のモチベーションは一気に上がり、中央公民館は熱気の渦に巻き込まれたようであった。メイン・キャスト達は、前川さんを除くと、みんな経験者で、ただでさえその成功は約束されているようなものであるが、彼ら一様に、新たに役に立ち向かう並々ならぬ決意が見えた。前川さんは、すでに全てのセリフを完全に覚えていて、すでに現在、世界に羽ばたいている中村恵理さんの、他に追従を許さない桃花像を追い抜く勢いである。
 立ち稽古は、通常いろいろなことに気をとられ、なかなか思うように進まないものであるが、僕も(自分で言うが)最初から、何かが降りている感じがして、驚くほど順調に進んだ。第1幕は、子どもの加わるシーンを残して、午前中にほとんど荒通しといえるくらいドラマの流れを追うことが出来たのだ。

 午後の子供達の稽古も、先日のオーディションで40人以上の中から選ばれた20人あまりの集中力のある子供達と、とても密度の濃い練習が出来た。ひとり、なんでもふざけてしまう坊主頭の悪ガキの男の子がいるが、僕は逆にそういう子が大好きだ。また、そんな子の対処は心得ている。だって、僕の「オペラ座のお仕事」に書いてある通り、僕自身が、かつてそういう悪ガキだったからね。
 おにころに向かって子供達が、
「でかのうなしー!」
と叫ぶシーンがある。子供達に叫ばせてみる。ん?なんか変だな。例の悪ガキに、
「ひとりで言ってごらん」
というと、
「でっかどうなしー!」
と叫ぶ。言っていることが分かってなかった!
「あのなあ、これは、でっかいけど能なし、つまりなんにも出来ないということで、おにころを馬鹿にする言葉なんだ。わかったあ?」
すると他のみんなも、「あっ、そうなのか」という顔をする。みんな意味も分からずにただオウム返しに言っていただけなのだ。子どもってそんなもんだ。
 例の悪ガキ君はちょっと考えて、今度は、
「でっかドウナツー!うひひひひひ!」
とふざけた。みんなもちょっと愉快になって笑う。はははは、こうくると思った。でもね、こんな時は過剰に反応しないで放っておくんだ。
みんなが、
「でか能なし-!」
と叫ぶと彼はワンテンポ遅れて、
「でっかドウナツー!」
と叫ぶ。みんなクスクス。いいんだ別に。ただそんな時は何度もやらせる。みんなが飽きるまで。最初はウケていたが、何度もやらせている内にみんなも飽きてくるので笑わなくなる。そうなると彼も張り合いがなくなって大人しくなってくるのさ。
 でも、そこまでだと、ただ彼のモチベーションが落ちるだけだろう。ここからが大事なのだ。僕はこいつが可愛いくて仕方がないので、練習中に何度も意味なくその坊主頭を撫でる。すると、彼はだんだん僕のことを好きになってくる。他の子供達も、彼をそんな風に扱う僕を好きになってくる。
 そもそもオーディションの選定基準は、僕の美学に従って行われているので、必ずしも優等生が選ばれたわけではない。だから落ちた子供達もがっかりしないでね。でも、こんなちょっとハズれた子供達との練習はめちゃめちゃエキサイティング。つまり僕は、練習を通して昔の悪ガキである自分に出遭っているのさ。

 さて、5時までたっぷり練習して、みんなクタクタだったろう。でも、本当に実りある練習が出来た。実はこの日に賭けていたんだ。これで、「おにころ」公演の成功は、実現に向けて大きく近づいたと断言出来る。僕は、練習の最後にみんなに言った。
「みんな、これから大変だろうが、みんなの気持ちをひとつにして、今年の夏を、生涯において決して忘れ得ぬ夏にしようではないか!」

 そう、僕にとっても、60歳の忘れ得ぬ夏に是非ともしたい。いや、なるのだ!もう、天によってそれは運命付けられているのだ。あとは、僕さえブレなければいいのだ。

アファナシエフのベートーヴェン
 アルバムの名前はJe Suis Beethoven「わたしはベートーヴェン」(SONY SICC 10221~2)。この言い方には覚えがあるだろう。フランスの風刺週刊新聞「シャルリ・エブド」のパリ・オフィスに、イスラム系テロリスト達が押し入り、11人が殺害された事件が起こった。 これが人間の基本的な「表現の自由」を脅かす行為であるとして世界が立ち上がり、各国の代表者を含む200万人がパリで街頭デモをを行った。その時の合い言葉がJe Suis Charlie「わたしはシャルリ」である。


Je Suis Beethoven

 ピアニストであるアファナシエフが新しくリリースしたベートーヴェンのピアノ・ソナタ・アルバムのタイトルJe Suis Beethovenは、それをもじったものだという。しかし僕には、その意味がよく分からない。Je Suis Charlieは分かる。わたしたちひとりひとりはみん「シャルリ・エブド」のシャルリなのだ。つまり、人間として自由に考え、行動し、表現する基本的権利を持っている個別的存在である。その存在価値という意味では、民族、宗教を問わず、万人は平等であり、それを暴力で犯す権利は何人たりとも持ってはいない。 
 でもね、「わたしはベートーヴェン」となると、「?」と思う人は少なくないだろう。それについてCDジャケットに本人の説明が載っているが、ちっとも説明になっていなくて、読めば読むほどますます分からなくなる。ただ、いわんとすることは推測出来なくはない。ベートーヴェンの芸術の価値や存在がこの無機的な現代に脅かされていて、それを守ろうという本人の決意表明かも知れないし、また、わたしもひとりのベートーヴェンであり、ベートーヴェンの喜びや悩みや情熱を共有し得る同じ人間である、だからあなたにもそれが届くに違いない、という願望の表現なのかとも思う。

 しかしながら、Je Suis Charlieは、万人に賛同を得たスローガンではない。デモの時、あるいはそれ以後に、Je Ne Suis Pas Charlie「わたしはシャルリではない」と表明した文化人は少なくない。僕も、どちらかというとその一人である(とはいえ、あの時もしフランスにいたら、僕がデモに参加した可能性はかなり高いのだが)。
 つまり、表現の自由は無制限なものではないということ。言っとくけど、僕は雑誌「シャルリ・エブド」のような言動は、はしたないことだと思っているから、
「『シャルリ・エブド』に揶揄されても何も文句言うな!」
という風潮が、あのデモ以来もし生まれたら、今度はそれに反対したであろう。中傷、嘲笑、威嚇というものを相手に対して無制限に行うことは、逆に相手の基本的人権を脅かす可能性があるのだ。
 Je Suis Beethovenというのも、Je Suis Charlieと同じような独善的な香りがする。だって、「僕はベートーヴェンの音楽が嫌いだ!」
という人がいるに違いないし、いたっていい。現に僕は、ベートーヴェンの音楽がわざとらしくて嫌だなと思った時期があった。嫌でなくても、あんなキャラクターの強い音楽、いつも聴こうなんて思わないじゃないか。

 ええと・・・いきなりCDの内容に触れる前に、タイトルに文句つけたことをお許し下さい。これも表現の自由の範囲内ということでご容赦願いたい。何故、こういう言い方をしたかというと、アファナシエフは作家としての活動もしているということで、CDジャケットにも短からぬエッセイを載せている。付属のDVDではインタビューもしている。
 でも、僕は、そのエッセイを読んで、はっきり言って失望した。現在のところ、DVDのインタビューは観ていないし、おそらく今後も観ないであろう。彼の著作も興味ない。思考がかなりとっ散らかっており、何を言っているか分からないのだ。こういう人がいるから、
「音楽家の言葉なんか信用してはいけない。音楽家は音楽そのもので勝負するべきだ」
と言われ、こうして執筆活動をしている僕なんかも、そのような「蛇足音楽家」の代名詞のように扱われるわけである。だから、とっても迷惑である(・・・でもないんだけどね)。
 このJe Suis Beethovenというタイトルも、つけるにあたってどれだけの覚悟があったのかと、問いたくなるのだ。

 さて、逆の言い方をする。アファナシエフの文章を読んで感動し、ピアノを聴いてガッカリしたというのでなくて良かった!親友の角皆優人(つのかい まさひと)君が、
「三澤君、是非聴いてみて!」
というので、アマゾンで取り寄せたが、CDを買って損したと思わなくて良かった。つまり、聴いた後で、現代において「語るべきものを持つ音楽家」であり、「新たに訴えかけるものを持つベートーヴェン」であると言うことが出来て良かった。

 ただし、はっきり言って、これは疲れるCDである。良く言うと、とても哲学的な演奏である。「悲愴ソナタ」の“青春の甘酸っぱいメランコリー”も、「月光ソナタ」の“うるんだロマンチシズム”も、「熱情ソナタ」の“いきどころのないパッションの奔流”も、ストレートな流れで進んで行かずに、随所で、
「ん?」
と、意識的で思考的な世界に引き戻される。感情は、そのまま前に進んでいきたいのに、あっちこっちの「仕掛け」に翻弄され、常に「何かを考えさせられる」演奏に、頭脳が疲れ果てる。本当は、もっと瞑想的な精神状態にして、無意識の世界で鑑賞したいのに・・・。
 何故なんだろうなと考えながら再び聴いた。一番の原因は、間の取り方とテンポの揺らし方にある。曲のところどころに変な間が入り、音楽が途切れる。勿論意図的である。自然に流れさせないことによって、意識を覚醒させる。休符が異常に長かったりする。
 東洋思想に傾倒しているという彼は、“間”というものを大切にしているのかも知れないが、僕に言わせると、“粋”と言われる間と同じくらい“野暮”な“間”が存在している。

 ベートーヴェンは、バッハやモーツァルトのような、基本ビートで進んでいくそれまでの音楽のあり方の中に、初めて意識的な“間”を取り込んだ作曲家だ。たとえば、第九交響曲の第4楽章で合唱がvor Gottと絶叫しながら、長くフェルマータで伸ばした後、マーチが始まるまでの“間”などは、それ以前の作曲家の誰も考えつかなかったことだ。
 それだけに、演奏家に委ねられる様々な要素の内、そうした“間”の感覚というものがベートーヴェンでは不可欠なのだが、アファナシエフの場合、そこに踏み込みすぎて、かえって要らぬリスクを負っているきらいがある。

 たとえば、「悲愴ソナタ」の第2楽章の最初のメロディーの部分が終わって、次の短調の部分に入る前の“間”とか、このシンプルな楽曲で、あんなに止まらなくてもいいのではないかな。また「月光ソナタ」の愛らしい第2楽章が、どうしてあんな止まり止まりの意味ありげな音楽になってしまうのか。まあ、いいよ。ひとつくらいこういう演奏があってもいいけどね。
 この“間”に加えて、テンポの揺らしも挙げられる。“間”を置いたあと、インテンポから始まらないで、ぬるっとゆったりから始まる手口は、もう聴く前から分かっている。時にはいいんだけど、あまり乱用するとねえ・・・。
 そうしたことを総合して、このCDのベートーヴェン演奏は、全体的に「テンポが遅い演奏」という印象を与えている。個々のテンポは、勿論遅めではあるが、極端に遅いわけでもない。ただ、通常の演奏で疾走感を得られそうなところで、ことごとくそれを拒否しているので、そう感じられるのだ。それもきっと意図的なんだろうな。

 さて、どうも悪口のようになってしまうな。たまには褒めなくてはな。ええと・・・ピアノのタッチには独特なものがある。素晴らしいと思うのは、「悲愴ソナタ」の冒頭と最後。ベートーヴェンの作品は、ピアノでもオケでも何でもそうだが、ガツンという音を要求される。これが奏者にとっては最も難しい。
 だって、ガツンと弾いたら、音はきたなくなるし、その後ずっと不必要な力が入ってしまい、ガチガチな演奏になってしまうのが必至だから。だからといって、脱力して、ショパンやラベルを弾くように演奏したら、ベートーヴェンではなくなってしまう。
 このふたつの両極端の間で、全てのベートーヴェン弾きは悩むのだが、アファナシエフの「悲愴ソナタ」の最初のハ短調の和音は理想的である。完全にガツンときて、それでいてギリギリのところで音の美観を保っている。

 まるでクリスタルガラスのようにキラキラしている音色のところも少なくない。ただ、もっとうるんだ音が欲しいなあと思う所でキラキラし過ぎて、うーん・・・と思う所もある。これは好みの問題もあるけれど、「悲愴ソナタ」の第2楽章冒頭など、とってもきれいなのだけど、ちょっとはっきりし過ぎな気もする。フレーズの終わり方も素っ気ない。
 一方、「月光ソナタ」の第1楽章はいいね。この曲は変に情緒的でない方がいいから、適当に冷たく、適当に温かいこの音色はピッタリだ。しかし、「熱情ソナタ」第2楽章の32分音符の第3変奏の演奏は受け付けられない。こんなにガッツンガッツンしなくてもいいよ。第1楽章と第3楽章のパッションの谷間にやすらぎを求めてはいけないかい?どうして32分音符をもっと柔らかく弾けないのだ?

 それでも、全体を見渡して僕には「熱情ソナタ」が一番良かったかな。彼のピアニズムの良さが最も際立っている演奏だと思う。さっき、止まり止まりの演奏だと書いたけれど、逆の見方をすると、だからこそ、個々の部分の表情が“疾走感の中で埋もれてしまわないで”浮かび上がり、聴き慣れた曲の中から新鮮な魅力を感じさせることに成功しているとも言える。
 ケンプの良さは知っているけど、なにか新しいものを与えてくれる演奏はないかな、と期待する人にはお薦めなCDだ。いろいろ悪口を言ったけれど、全体的には素晴らしい芸術家だと、太鼓判を押すよ!

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