癒しのレクィエム~何を戦っていたのか

三澤洋史

演奏会翌日の過ごし方
 9月7日月曜日。昨日「ドイツ・レクィエム」の演奏会が終わって、また放心状態。でもそうも言ってられない。午前中は校歌の編曲を行い、午後はプールにいってからいろいろ買い物をし、今この原稿は国立駅前のコメダで書いている。

 そう、まだ校歌を書いているのだ。何故なら先週全8校全て完成しようと思っていたけれど、名古屋の演奏会が気になって、結局週の後半からは、校歌の編曲を中断し、「ハイドン変奏曲」と「ドイツ・レクィエム」の勉強に集中した。
 それで名古屋から帰ってきた今日の時点であと2曲残っているのだ。午前中に1曲仕上がると思ったんだけど、ボーッとしていたのもあるし、それにもうひとつ理由があって完成出来なかったのだ。何?その理由って何かって?もう、聞いてよ!(ここからは完全に個人的なつぶやきです)
 時々あるんだ。元の曲が劣悪というの。和声進行はめちゃめちゃ、メロディーも同じ所をどうどう巡りしていて、ひどい出来の曲。こんな曲を歌うの義務づけられている学校の生徒は気の毒で仕方ない。というか、プロの作曲家を名乗っていながら、音大作曲科も受からないような誤った和声進行を書く人ってどうよ。この校歌でいくら貰ったか分からないけど許せない!・・・・いやいや、どこの学校ですかと詮索しないで下さい。ただのジージのひとりごとですから。
 それで編曲する立場としては、別に使命感に燃えているわけではないけれど、正しい和声進行をしたらどれだけ曲が整然として美しいか生徒達に聴かせてあげたいという気持ちもある。しかしねえ、この劣悪なメロディーは変えるわけにはいかないでしょう。なので、究極のソプラノ課題という感じで、与えられたメロディーに対し、いろいろ工夫して和声を作り直し、ピアノ伴奏に凝ってみたりして、なんとか聴けるものにするのだ。これが思いの外時間がかかるわけ。これから歌詞を入れてレイアウトすれば出来上がりなので、この原稿の後仕上がって、明日には最後の1曲にかかれるだろう。

 お昼食べてから立川の柴崎体育館に行った。いつも思うんだけど、演奏会をした後に水に入るのって特に気持ちいい・・・次の日だけど・・・本当はその晩泳げたり出来たら最高なんだけど。
 カラヤンは、ベルリン・フィルの演奏会が終わった後、ホテルに戻って来てひと泳ぎしてから就寝したと伝えられているが、うらやましいなあ。僕にもそんな環境が与えられればいいんだけど、どう考えても無理だな。それに、演奏会終わった晩は、何はなくてもビールが飲みたいからな。まあ、僕には無理だな。
 今日は、演奏会で凝った肩をほぐすためにユルユルで泳ごうと決めていたんだけど、どうも途中で面白くなってきて、思いの外ガッツリ泳いでしまった。でも距離的には1000メートルちょっとでやめておいた。ガッツリ泳いだといっても、泳ぎで動かす腕の運動は、指揮よりはずっとゆるやかなので、指揮の筋肉の凝りが全体にまんべんなく広がる感じで、明日以降の体調が全然違うのだ。しかしながら、ここで泳ぎすぎると、逆に新たな筋肉痛が始まってしまって逆効果。
 リカヴァリーした手を水中に入れ、さらに前に伸ばす。その時、腕が水の中を走り、腕の下側を水が通り抜けていく。つられて体も水のドームの中をすり抜けていく。それから指の先から掻きの運動の最初の角度づけが始まる。この瞬間、お腹をちょっと引っ込めて、(ちょっと喩えが誤解を呼ぶかも知れないが)少しだけ体を丸める感じの体勢を作りながらキックする。体はさらにスルッと進む。
 これだ!これが、指揮におけるレガートの運動を精密にする。僕は、昨日本番で指揮しながら気が付いたのだけれど、今の僕は、レガート運動をしている時に、かなり腹筋を使っているのだね。それに頻繁に重心移動を行っている。これに関しては、水泳だけではなく、スキーのから習得したものが多い。

 さて、泳ぎ終わった後、お買い物をした。今晩はオフで、自分に対する密やかな打ち上げ。立川の成城石井でザウワー・クラウト(キャベツの酢漬け)を買い、国立に戻って、ノイフランクというソーセージ屋さんでミュンヘン風白ソーセージとブロック・ベーコンを買い、ワイン屋さんでアルザスのリースリング(白ワイン)を買い、駅のパン屋で食パンとカイザー・ゼンメル(ケシの実のついた小丸パン)を買い、それからこうしてコメダにいて、名物のシロノワールを食べながら、たっぷりブレンドを飲んでいるのである。この午後のひとときのくつろぎよ!
 さらに、今夜はドイツ食というわけである。ザウワー・クラウトを炒めたベーコンと一緒に煮て、ボイルしたミュンヘン風白ソーセージと一緒に食べるのである。うっひっひっひ!「ドイツ・レクィエム」演奏会で頑張ったからね。そのくらいのご褒美があってもいいだろう。って、ゆーか、こんなこと、こんなクダクダとノート・パソコン相手に書いているよりも、ゆったり珈琲飲んでくつろぎなさいってゆーの!それに、今晩はワインで酔っ払った後も、きっと校歌を仕上げるに違いない。あーあ、どこまでいっても貧乏性なのだ。

癒しのレクィエム~何を戦っていたのか
 本当は演奏会の事いろいろ書きたいんだけど、逆に今はあまり書きたくない。書くと、なにかわざとらしくなったり、嘘っぽくなったりしてしまうから。今は、静かに余韻に浸っていたい。演奏のことではなくて、別の事から始めよう。

 今晩の夕食をドイツ料理にしたのは、Ein Deutches Requiemにちなんで。ドイツ・レクィエムという日本語で言ってしまうとよく分からないが、einひとつをとっても、「ある」とか「ひとつの」とか「たとえばこんな感じってことで作ってみましたいわゆるひとつの」という風に奥が深いし、deutchesは、「ドイツの」の他に「ドイツ語での」という意味もあるし、「ドイツ人による、ドイツ人のための、限りなくドイツ的な」という意味が濃厚である。先ほどのコメダでの原稿を書いた後、家に帰って来て、ドイツ食を食べながらドイツワインを飲み、ドイツを夢見た。
 もう10日もすると、ドイツそのものではないが、ドイツ語を母国語とするウィーンに旅立つ。パリにあこがれてフランス語を勉強し、イタリアに恋い焦がれてスカラ座を訪れ、今でもイタリア語を勉強し続けている僕であるが、やっぱり心の故郷はドイツなのかも知れない。
 「ドイツ・レクィエム」を指揮していて、自分にとってドイツ語って日本語に次ぐ第二の母国語だなとつくづく思った。歌詞がごく自然に自分から出て、翻訳することなしに感じられる。そしてその語感を生かしながら、ひとつひとつ音を紡ぎ出していったブラームスの心情がひしひしと感じられる。

 とはいえ、正直に白状して、今回の演奏会に向かっては最後の最後までスコアとにらめっこしていた。かつて暗譜で振った曲なので、指揮することに対して何の心配もなかった。しかし僕は恐かったのだね。かつて、これ以上の演奏は出来ないと思うほど突き詰めて突き詰めた作品。それが10年後に超えられるのかというプレッシャーがあったし、本当にブラームスが筆を下ろしたその最後のこだわりにまでお前は楽譜を読み込んでいるか、という「自らに突きつけられた問い」と戦ってもいた。

 本番が4時だったので、ゲネプロは12時から。だから午前中はたっぷり時間があったのだけれど、朝6時に起床。霧雨の中、自分の10年前の録音をi-Podで聴きながら、演奏時間そのままの長さのお散歩。途中、どこを歩いていたかよく覚えていない。時々歩きながら指揮していたと思う。ホテルに帰ったら、全身が結構濡れていた。
 ゆったりお風呂に入って着替えて朝食に行く。その後チェックアウトするまで、ずっとスコアと向かい合う。ここのクレッシェンドは一体どこから始まっているか?アッチェレランドはここからとブラームスは書いているが、ここから始めたいと思う。しかし、本当にそれでいいのか?ここのテンポ設定は、本当にこれでいいのか?ここのバランス感覚は間違ってはいないか?本番で興奮した場合、どこまでテンポのブレが許されると思うか。その、お前が思うその揺れ幅の判断は、そもそも間違っていないか?
 ありとあらゆる疑問が最後まで僕を捉え、責めさいなんだ。ゲネプロでいろいろなことを考えながら指揮していたら、ハイドン・ヴァリエーションを含めて3個所くらい振り間違えた。こんなことではいけないと思った。

 ゲネプロと本番との間、僕は楽屋でひとり、またスコアを読んでいた。読んで読んで読みまくった。本番が近づいて来た。ある時、ふっと思った。もういいんじゃない?もう譜面の中にはないんじゃない?自分が、まっさらな気持ちでこうだと信じて、表現に出したら、それがそういうものとしてひとつの形に結晶するのではない?それでいいじゃない?
そこで、スコアを読むのはもうやめて、当日のプログラムを開いた。そこに自分の言葉が載っていた。

結局、この10年で変わったことと言ったら、自分の無力さを知ったことと、祈ることを知ったことだけかな。
 なんだ、自分で結論を書いてるじゃん。これって、今日の、しかも今の自分に向けられている言葉ってワケ?自分が書いた文章にデジャヴ?そうだ、その通りだ。人間は無力なんだ。完璧にやろうと思えば思うほど、体は硬くなり、心は閉ざし、本当に良いものは出来ない。今の自分が本当にやるべきことは・・・・こだわりを捨て、自由な心になって、自分を至高なる存在の前に投げ出し、そして・・・祈ることだろう。
 そして僕は祈った・・・そう、割と長い時間・・・それから楽屋を出て通路を歩き、舞台袖に辿り着き、拍手の中、照明の降り注ぐ舞台に出て行って「ハイドン変奏曲」を振り始めた。

 自分は一体何を心配していたのだろうか?自分は一体何にこだわっていたのか?振り始めた途端、全てが馬鹿馬鹿しく感じられ、全てが遠くに過ぎ去っていった。そこにあるのは、ブラームスの音楽だけだった。そしてJa(肯定的な)の精神だけだった。
 暗譜で振っているが、楽譜は頭の中に鮮明に浮かび上がっている。でも、それもどうでもよくなった。次のフレーズをどういう音で欲しいか、僕には分かっているし、そうも思うより先に体が動いていた。終曲のパッサカリアでは濃厚な音が欲しかった。そしてセントラル愛知交響楽団はそれを見事に具体化してくれた。

 「ドイツ・レクィエム」では、合唱の冒頭Selig sindがきれいなピアニッシモで鳴り響いた瞬間、神に感謝した。それからの僕は、演奏に没頭し、その中で戯れ、そして始終このうえなく幸福であった。合唱団のみんなは、僕がこんなにしあわせそうな顔で振っているのを見たことがないのではないか。この原稿を読んでいる皆さん!今日は本当に手前味噌ばっかりで、全然客観的でない原稿でごめんなさい!ただ演奏会の翌日だから・・・まだ興奮していて・・・客観的に書けるはずがないのでご容赦下さい!

 ということで、こんな原稿でごめんなさい。あ、そうそう、ソプラノの飯田みち代さん、バリトンの萩原潤さん。本当に素晴らしい演奏をありがとう。そしてモーツァルト200合唱団のみなさん!本番のみんなからでる癒しの波動はもの凄かったね。そしてセントラル愛知交響楽団のみなさん!管楽器のひとりひとりのダイナミックにまでうるさく注文つけたけれど、真摯に音楽に向かい合って答えて下さって本当に感謝の言葉もありません。

 さて、今週の土日は、ウィーンのマーラ「復活交響曲」演奏旅行のための最後の集中稽古だ。今日はボケボケだったが、明日からまた心を引き締めてフル稼働だ!


ちなみに、プログラムに掲載した自分の原稿を載せておきます。

この10年で何が変わったか
前回ドイツ・レクィエムを演奏してから10年経った。サントリー・ホールにおける東京交響楽団の特別演奏会で、合唱は、僕がその頃頻繁に指導していた東響コーラスであった。合唱に対しては、たっぷりと練習期間をとり、彼らの理解のために4回に分けた講演会を行い、厳しく指導して演奏会に臨んだ。それは、当時の自分としては、もうどうやってもこれ以上の演奏は出来ないところまで突き詰めた結果であり、その録音は今聴いても(手前味噌であるが)胸を打つ。当時僕は50歳であった。
それからの10年、別に封印していたわけではないが、関わっているいくつかの団体で選曲候補に登っても意図的に避けてきたのは事実だ。自分の中で大切にしたい曲だったから。でも、大好きなモーツァルト200だし、もうそろそろいいかなと思って今回の演奏会に踏み切った。
そして新たにスコアを読み始めた。すると、同じ曲のはずなのに、自分の前に立ち現れているのがまるで別の曲のように思われた。どうしてなのかと考えてみたが、恐らくそれは、僕自身の内面がこの10年の間に大きく変化したせいであろう。今の僕の感性を通して見える景色が異なっているのだ。

僕は今年の3月に還暦を迎えた。年をとると良いことも悪いこともある。悪いことは、この10年の内に、いろいろお世話になった人達が次々に亡くなっていったこと。僕にオペラのノウハウを教えてくれた若杉弘さん、指揮者としての僕に様々なアドヴァイスをくれた畑中良輔さん、演出家の鈴木敬介さんなど、先人達が僕の人生からどんどんこぼれていって、こちら側の人生がしだいに淋しくなり、あちら側の方がなんだか楽しそうだ。
良いことは、人生がシンプルになってきたこと。カトリック関口教会(東京カテドラル)聖歌隊指揮者になってから、真面目に教会に通うだけでなく、もう横道にそれてあれこれ考えるのはやめて、天の国に宝を積むことだけを考えて生きようと思うようになった。音楽に向かい合ったら、良い音楽を奏でることだけに集中したい。そして、自分の奏でる音楽は、しだいに至高なる存在に向かってきているように思われる。
そうした今の自分に、ドイツ・レクィエムはどのように映っているのだろうか。それは、ブラームスの選び出したひとつひとつの聖句が、昔から見ると比べものにならないくらい心に染みいってくることだ。

悲しむ人々はさいわいである
そのひとたちは慰められる
この言葉を聞くだけでも涙が出そうになる。そして、それらの言葉につけられたブラームスの音楽が、なんとやさしく自分を包み込んでくれるのだろうか。
母がその子を慰めるように
わたしはあなたがたを慰める
一体、人が人を慰めることなんて出来るのだろうか?それは、本当は神にしか出来ないことだと思う。人間は、不信仰と欺瞞に満ちているから。それに、人間は他人の心の中に入って悲しみや悩みを取り除いてあげることなど出来ないから。
一方で、この地上で母の愛ほど神に近い愛はないとも思う。母は神ではないが、母に出来ることがある。それは何か?それは、我が子に寄り添うこと。ずっとずっと一緒にいてあげて気遣ってあげること。無償で見返りを求めず、ただただ与えっぱなしの気持ちになること。そこまでしか出来ないけれど、それが人間に出来る最も崇高な愛。それ以上は・・・あとは、祈ることしか人間には出来ない。
だから愛を知っている人は祈ることも知っている。というより、祈るしか出来ない無力さを知っているといおうか。僕がドイツ・レクィエムを演奏して、孤独な心や悩み苦しむ人たちの心を慰めたいと思っても、僕自身には出来ない。僕は無力なのだ。でも、祈りながら奏でることは許されている。そうしたら、至高なる存在が舞い降りて、僕の代わりにそっとその人たちの心の中に入り込んでくれて、内側から光りを灯してくれるのではないか。これが、今の僕の信仰であり希望であり愛。

結局この10年間で変わったことと言ったら、自分の無力さを知ったことと、祈ることを知ったことだけかな。

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