空爆と「憎まないという武器」

三澤洋史

空爆と「憎まないという武器」
 やっぱりそうなってしまうのか、と思って心底がっかりした。先週の記事を書いている時、すでに米仏によるシリア空爆が始まっていた。それにロシアが加わって、現在では米仏露によるテロへの大規模な撲滅作戦となっている。
 フランスのオランド大統領は、今回のテロ事件を受けて、これを「戦争」だと言い切り、再び報復の連鎖を始めた。つまり、こちら側はもう被害者ではなく、新たに加害者の側に回っているのだ。さらに、安倍総理は、この空爆を支持すると言っているので、世界で一番好戦的なアメリカの傘下にある僕達日本国民も、今や立派な加害者なのである。もう一度強調する。僕達は、傍観者ではなく、加害者なのである!

 近代兵器があって圧倒的な数で攻めれば、空爆は簡単である。スマートで命の危険も少ない。しかし空爆に誤爆はつきものであり、その際に犠牲になるのは罪もない市民である。何の事はない。難民をどんどん作り出しているのは、むしろ我々の側である。

 先日のテロ以来、このようなイスラム教徒の書き込みが、ツイッターなどで数多く見られるというのを御存知だろうか。
「パリ市民よ、あなたたちは自分の子供たちが殺されたことに衝撃を受けている。同じことを、あなたの軍隊がシリアの地で行っているのだ」
 たとえ過激派でなくとも、全世界に散らばっているイスラム教徒達は、空爆による無慈悲な報復を知れば、パリのテロ事件を正当化したい気持ちにもなるだろう。彼等の中には、新たにテロ組織に加わる者もいるかも知れない。
 空爆によって、確かに本拠地は叩かれるかも知れない。けれど、それによって逆に世界中の街角から過激派に賛同する者が次々と涌き出で、テロリストはますます増殖を続けるのではないか?ISとは、国境があって政府があって国民が住んでいる通常の国家ではなく、そのようなsans frontieres(国境なき)存在なのかも知れない。

 それにしても、あの状態の中で、ただちに武力による報復攻撃だなんて、どうかしている。どうして西洋人はああいう考え方をするのだろう?対立をいたずらに煽っているのは我々の側ではないか。
 ニューヨークの9.11の時にも感じたけれど、そもそもイスラム過激派があそこまでやるということは、よっぽどのことだと思わないか?彼等だって自爆が趣味ですというほど命は軽くはない。あそこまでやらなければならないほど、彼等が追い詰められ、屈辱感、怒り、憎悪の中に置かれてしまったという証なのだろう。
 テロは勿論許し難い。だがしかし、一方的にイスラム側のみが悪くて、我々は何も反省する必要がないと言い切れるのか?イラク戦争において、探していた大量破壊兵器がなかったというのに、アメリカ側には一点の非もなかったか?サダム・フセインは本当に「処刑される」必要性があったか?

 こうしたことを言い出したらきりがないが、こんな情勢の中において、ある人の発した言葉に僕は深く胸を打たれた。それは、13日のテロで妻を亡くしたパリ在住の映画ジャーナリストであるAntoine Leirisアントワーヌ・レリスさんのことだ。
 彼の妻エレーヌさん(35歳)は、ヘアメイクアーティスト。バタクラン劇場にいたところを襲撃され死亡した。生後1歳5ヶ月の息子メルヴィル君と共に残されたレリス氏は、事件から3日後の16日、Facebookにある文章を載せた。それは、不特定の相手に向かって二人称で書かれているが、テロリスト達に向けられているのは明らかである。これが世界中に大きな波紋を呼び、日曜日の朝日新聞の一面にも載った。
 僕は、その前にインターネットでその存在を知ったのであるが、そこに載せられていた日本語の訳がよく分からなかったので、ただちに原文を探し出し、自分で訳してみた。急いで訳したので、これも完璧ではないかも知れないが、次の文章を読んでもらいたい。長いのを承知で、あえて全文載せてみた。

“Vous n'aurez pas ma haine”
あなた達は、僕から憎しみを得る事はないだろう。

Vendredi soir vous avez volé la vie d'un être d'exception, l'amour de ma vie, la mère de mon fils, mais vous n'aurez pas ma haine.
金曜日の晩、あなた達は、あるかけがえのない存在の命を奪った。僕が自分の人生をかけて愛し、僕の息子の母親でもあった人だ。 しかし、あなた達が、僕から憎しみを得る事はないだろう。
Je ne sais pas qui vous êtes et je ne veux pas le savoir, vous êtes des âmes mortes.
僕はあなた達が誰か知らない、知りたいとも思わない。あなた達は死んだ魂なのだ。
Si ce Dieu pour lequel vous tuez aveuglément nous a fait à son image, chaque balle dans le corps de ma femme aura été une blessure dans son coeur.
もし、あなた達の神が、自分の似姿として人類を創造したのだとしたら、あなた達がその神のためを思って無差別殺人をしてあげたとしても、神の心は、むしろ妻の体に打ち込まれた銃弾を見て傷ついているのではないか。
Alors non je ne vous ferai pas ce cadeau de vous haïr.
だから、僕はあなた達に憎しみという贈り物をあげたりはしない。
Vous l'avez bien cherché pourtant mais répondre à la haine par la colère ce serait céder à la même ignorance qui a fait de vous ce que vous êtes.
あなた達がいくらそれを求めても、憎しみに怒りでこたえれば、あなた達がそうであるように、同じ無知に屈するだけだからだ。
Vous voulez que j'ai peur, que je regarde mes concitoyens avec un oeil méfiant, que je sacrifie ma liberté pour la sécurité.
あなた達は僕に望んでいる。僕が恐れ、仲間を疑いの眼差しで見つめ、安全の為に自由を犠牲にするようになることを・・・。
Perdu. Même joueur joue encore.
でも、あなた達は負けだよ。僕というプレイヤーはまだプレイを続ける。

Je l'ai vue ce matin. Enfin, après des nuits et des jours d'attente.
今朝、僕は妻に会った。ずっと数日間待ってとうとう逢えたのだ。
Elle était aussi belle que lorsqu'elle est partie ce vendredi soir, aussi belle que lorsque j'en suis tombé éperdument amoureux il y a plus de 12 ans.
妻は、あの金曜日の晩に出掛けて行った時と同じように美しかった。12年以上前、狂ったように恋に落ちた、あの時と同じように美しかった。
Bien sûr je suis dévasté par le chagrin, je vous concède cette petite victoire, mais elle sera de courte durée.
もちろん僕は悲しみに打ちひしがれている。あなた達の小さな勝利を認めよう。しかし勝利は短い。
Je sais qu'elle nous accompagnera chaque jour et que nous nous retrouverons dans ce paradis des âmes libres auquel vous n'aurez jamais accès.
僕は知っている。妻はこれからも毎日僕達と共に生き続ける。そして、僕と彼女は、いつの日か、解き放たれた天国で逢うことが出来るのだ。あなた達が決して辿り着けない所で。
Nous sommes deux, mon fils et moi, mais nous sommes plus fort que toutes les armées du monde.
僕達はたった二人。僕と息子。でも世界中のどの軍隊よりも強い。
Je n'ai d'ailleurs pas plus de temps à vous consacrer, je dois rejoindre Melvil qui se réveille de sa sieste.
さて、これ以上あなた達のために割く時間はない。メルヴィルがお昼寝から目を覚ますのだ。彼のところに行かなければ。
Il a 17 mois à peine, il va manger son goûter comme tous les jours, puis nous allons jouer comme tous les jours et toute sa vie ce petit garçon vous fera l'affront d'être heureux et libre.
メルヴィルは17ヶ月になったばかり。いつも通りおやつを食べ、それから僕達は一緒に遊ぶだろう。そしてこのちびっ子は、彼の人生の間ずっと、しあわせで自由であり続けることによって、あなた達に勝利するだろう。
Car non, vous n'aurez pas sa haine non plus.
というのは、あなた達は、彼からも憎しみを得ることは決してないからだ。

 何度読んでも涙を誘う。限りなく痛ましく、しかしながら、限りなく美しい文章だ。こんな時にこんなこと言えるんだから、彼は本当に強い人間だと思う。このようにみんなが思えるようになったら、ここまで闇に閉ざされてしまった世界でさえも、ほんの少しは光を見出すことが出来るのではないか・・・そこまで考えた時、ハッと思った。
 フランスは、彼のアイデアを国のモットーにするべきだ。テロリスト達を決して憎まないというそのスタンス自体で抗議をするべきだ。武器ではなく。いや、フランスだけではない。日本を含む、世界のなるべく多くの国で、この「憎まないという抗議」を展開するのだ。もしかしたら、それがISやイスラム過激派に対する最良の対策かも知れない。
 出来れば、同じイスラム教徒の中から、この考えを支持する人達が現れ、テロリスト達を、この「憎まないという武器」で包囲していって、彼等が、
「俺たち、何をやってんだろ?」
と思うようになっていってくれたらいいのだが・・・。
 同時に西側諸国の者達も、この「憎まないという武器」というものが、どんな武力よりも強いことを認識し、双方から歩み寄りと和解が生まればいいのだが・・・。そうなってはじめて、レリス氏をはじめとする全てのテロ犠牲者達の悲しみは報われる。いや、これまでの双方における全ての犠牲者の悲劇が報われることになるのだ。

 でも、少なくとも今の時点でも、世界からたったひとりでも、犠牲者の当事者からこのようなことを主張する人が出て、それに賛同する人達が数多く出ているこの事実だけでも、まだまだこの世の中、捨てたもんでもないなと僕は思う。
 神様もそう思っているに違いない。いや、それどころか、神様はもしかして、
「もうこんなグチャグチャになった世界なんてやめちまえ!」
と思って、明日にでも終末を導きだそうとしていたかも知れない。ソドムとゴモラのように。今は、教会歴も終わりに近づき、終末主日なのだから、ちょうど良い機会じゃないか。
 それを、レリス氏のFacebookで、今頃思い直しているかも知れない。だとしたら、おお!危ないところだったね。僕達の世界!それほど、レリス氏の行動は、勇気ある偉大なものである。
 あとは、それをどう我々が受け止めるか。そこに我々人類の未来がかかっているような気がする。ここまで言うのはオーバーだと、あなたは思いますか?

シフのベートーヴェン
 親友のスキーヤー角皆優人(つのかい まさひと)君の紹介で、アンドラーシュ・シフの弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタのCDをアマゾンから注文した。僕が購入したのは、第7巻(EGM New Series UCCE-2071)で、後期のソナタである27番ホ短調、28番イ長調、そしてハンマークラヴィーア・ソナタと呼ばれる大規模な29番変ロ長調が収められている。


シフのベートーヴェン


 いきなり27番の冒頭を聴いてたまげた。この数小節を聴いただけで、シフというピアニストの稀有なる才能が感じられる。全ての音が新鮮で少しの曖昧な部分がない。ひとつのフレーズにどういう意味を持たせ、そのフレーズを形作っていく中で、どの音をどの強さと、どういう音色で奏でるべきか、全てコントロールされている。
 また、彼はフレーズ間の休符や、音符同士の間で、常に極小のテンポのゆらしを行っているが、それは、ピアノという音の続かない楽器でレガートを作るための最良の方法となっている。この楽器においては、レガートは物理的には不可能である。それは、演奏者の「レガートに見せるテクニック」によって代用され、聴き手は、自らのイマジネーションによってそれを享受する。クレッシェンドもディミヌエンドも、次の音との関係から、聴く者はそれを意識の中でつなぎ合わせるが、シフのそれらの処理は(ピアニストはそれをみんなやっているとはいえ)、本当に職人の域に達していて、見事という他はない。

 考えてみると、僕がシフというピアニストを最大限に評価しているのは、彼の弾くバッハである。チェンバロで弾くのがオリジナルであるとされているバッハのクラヴィーア曲において、彼は現代ピアノで弾くための様々なテクニックを駆使しており、それが、東京バロック・スコラーズをはじめとして、現代楽器で演奏する僕のバッハ演奏に沢山のヒントを与えてくれているのだ。
 たとえば、バッハにおいて彼はノン・レガートの演奏を基本に行っている。しかし、古楽器であるチェンバロは、そもそも音の持続が短いので、ノン・レガートで弾く必要はない。こうした奏法の置き換えが、シフの場合、今日モダン楽器でバッハを演奏する者にとっての指針となるほど、きめ細かな配慮が行き届いているのである。

 さて、そんな彼のベートーヴェンであるが、結論を先に言ってしまうと、僕はケンプと並ぶベートーヴェン弾きだと、あえて言い切ってしまおう。分かって欲しいが、この言い方は、僕にとっては最上級の賛辞である。
 28番のシューマン風に始まる第1楽章も見事だが、なんといってもハンマークラヴィーア・ソナタのアダージョの深く心に染みいる美しさは、ケンプを超えるものがある。各楽章の構成力も見事。ハンマークラヴィーア・ソナタでは、終楽章後半で、フーガが一段落した後の長い音が、夢見るように美しいことを言い添えておこう。

 とにかく、これ以上くだくだと僕が解説するまでもあるまい。興味のある人は聴いてみて下さい。決して後悔はしません。僕も、他のアルバムもゆっくり聴いてみるからね。

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