素晴らしい公演の予感「魔笛」

三澤洋史

雪だ!・・・雨だ!
 ふうっ!雪かきして、妻の車にチェーンを装着して、杏樹を保育園に送り出して、びしょびしょになった服を脱いでシャワーを浴びて、やっとパソコンの前に落ち着いた。朝飲んだけれど、ミルクティーをもう一度作って飲みながら書いている。あたたかい。体の芯まで温まる。
 まったく、雪なら雪のまんまでいてくれた方がどれだけ助かることか。雨。それも、どしゃぶりの雨の中、雪と雨水の混じり合った地面の上にはいつくばってチェーンをつけるのは生まれて初めてだ。服を脱いでみたらパンツまでびっしょりだった。

 もう、雪なんてだいっ嫌い!冬なんて、だいっ嫌い!・・・とはいいながら、明日はOFF日なので、ガーラ湯沢に滑りに行く予定だけれど。それとこれとは違うんだ!

素晴らしい公演の予感「魔笛」
 「魔笛」の舞台稽古が進んでいる。今回の指揮者の名前はロベルト・パーテルノストロRoberto Paternostro。Paternostroを直訳すると「我らが父」だ。例の主の祈りの「天にまします我らが父よ」の意味である。不思議な名前だなあと思って本人に聞いてみた。
「みんな芸名だろうと言うんだが、本名なんだ。イタリア系の名前で父がイタリア人だけど、僕自身はウィーン生まれのウィーン育ち」
 彼はカラヤンのアシスタントなどもしていたという。指揮は明快で音楽的。練習は無駄なく能率良く進めていくが、手は抜かず時間かけてじっくりと細部まで作り上げる。こういう風に振られると、東京交響楽団はその持てる力を遺憾なく発揮する。オーケストラ練習を聴いたけれど、軽快ですっきり、同時にこぼれるような魅力に溢れたモーツァルトが出来上がりつつある。
 キャストは全員日本人。たまにはオールジャパンもいいなあと思った。日本人の底力が上がっているのを確認する意味でも貴重な機会だ。きっと聴衆も、普段の外国人との混成キャストとの違いなどほとんど意識しないで観れるに違いない。それでいながら重唱では、日本人の強みであるアンサンブル能力が充分に発揮される。サッカーやラグビーなどと同じで、日本人もここまで来たんだ。
 ミヒャエル・ハンペの演出はオーソドックスの極みである。舞台美術があまりに美しいので、それだけで圧倒される。さらに、芝居の中身は、ステージングの美しさからキャストの個人的な心理描写まできちっと作ってあるので、安心して鑑賞出来る。それでいて舞台機構的には超モダンで、大ゼリや小ゼリなどを縦横に駆使して実に立体的な舞台となっている。
 初演と合わせて、今回4度目の公演だが、何度観ても飽きない。こういう基本形のような上演が沢山あって、その土台の上に、新しいアプローチのモダンな演出を聴衆の好みに応じて鑑賞できるのが、オペラの本来の楽しみ方だよね。

「魔笛」は、新国立劇場で1月24日から30日まで4回公演。詳しくは劇場のホームページを見てね。
http://www.nntt.jac.go.jp/opera/

移動
 年が明けてまだ間もないのに、カトリック教会東京教区の神父の移動の発表があった。特に東京教区では、今回はあっちこっちで大移動なので大騒ぎらしい。多摩教会にいたカリスマ神父の晴佐久昌英(はれさく まさひで)神父は、上野教会に赴任。ハツキンのミサに、もう国立の自宅から自転車で行けないじゃないか。
 まあ、それはいいのだが、もっと大事なことがある。我が関口教会(東京カテドラル)では、なんと山本量太郎神父が成城教会に行くことが決まってしまった。立川教会の信徒である僕をわざわざ関口教会に呼んでおいて、まだ一年しか経っていないのに行ってしまうなんて、量様はなんて薄情なお方かしら・・・ばか、ばか、ばかあ!
 山本神父は、典礼をとても大事にする。特に彼の歌ミサは他に追従を許さない。声が透明で歌が上手なので、彼の司式で歌ミサを指揮するのは、心が洗われる気がして大好きだ。面白いのは、彼が歌うと、彼の歌声の1オクターヴ上のソプラノ音域の美しい歌声がいつも聞こえることだ。最初は、本当にローレライのような魔女が一緒に歌っているのかと思ったが、彼の声が豊富な整数倍音を含んでいて、それが聖マリア大聖堂の特殊な音響と反応し合って、第1倍音が突出して響くのだろう。まるで別の女性が一緒に歌っているように聞こえるのだ。
 ただ、僕がこう指摘しても、
「あ、ホントだ。聞こえる」
とただちに反応してくれる人は希で、聞こえる人と聞こえない人がいるみたいだ。でも、これは霊的に聞こえるとかではなくて、純粋な物理的現象なので、よく耳を澄ませば全員聞こえると思うんだけどな。
 ともかく、そんなわけで、彼の歌声と聖マリア大聖堂の空間及び音響があまりにもマッチしているので、僕にとっては、彼とカテドラルが離れることは考えられなかったのだ。

 山本神父からは、この1年あまりの間に本当に沢山のことを学ばせていただいた。聖歌の選曲会議などの対話や、たわいのない雑談に至るまでの瞬間瞬間に、彼がいかに学識豊かでしかも信仰心に厚いか驚くことしきりだった。僕は、彼から関口教会に呼んでいただかなかったら、恐らく一生隠れキリシタンのような状態だったに違いないのだから、これが神様の思し召しでなくて一体何であろう。

 先ほどの歌ミサの話に戻るけれど、これまで僕はミサというものが形式的で嫌いだったし、ミサにあずかることにあまり価値を見いだしていなかった。しかしながら、彼と一緒に歌ミサをしている内に、ミサとは、その形式そのものの中に特別な意味があるのだと気が付いてきた。
 それはブルックナーのソナタ形式のようなものである。ベートーヴェンのソナタ形式のようにキッチキチではなく、第1主題と第2主題の間にはそよ風が吹いている。福音朗読を聴きながら、自由に連想の翼を羽ばたかせてもいいし、供えられたパンと葡萄酒がキリストの体と血とに変化する聖変化の瞬間には、聖堂内に静かに降り立つ天使の息吹を感じてもいい。って、ゆーか、実際に僕は聖変化の瞬間に時空がゆらぐのを感じる。聖変化なんて嘘さ、とプロテスタントの人や一般の人は言うだろう。しかし、信じる者の心の中では何でも起こるのさ。平和のあいさつの時には、会衆たちの善意で、本当に聖堂全体がフワッとなごやかになる。こうしたことが、何度も繰り返されるミサという形式の中で、やる度にちょっとずつ違うのが楽しい。
 僕は、ミサの時にはつとめてぼんやりしていて、降りてくるインスピレーションをいつでも捕まえられるようにしておく。それが出来るのも、ミサというものが形式をしっかりと守っているからだ。その安心感の中で、ひとりひとりの信仰心が育まれるのだ。
 こんなこと言ってしまっていいのかどうか分からないけれど、本当は、僕の意識は、カトリックという狭い枠には縛られてはいない。キリスト教という宗教にも縛られていない。音楽の中で到達出来る覚醒や、至高なる存在の認識は、そんな宗派や宗教の枠をはるかに超えていて、自由で豊かだからだ。だから、こんなに教会に一生懸命に通わなくてもいいとも思うのだけれど、それでもミサの中では、至高なる存在はよりいっそう輝いて感じられるし、ミサに参加した後の精神の充実感は何にも代え難いものがあるので、毎回喜んで行くのだ。そうしたきっかけを与えてくれたという意味だけでも、山本神父は僕にとってはかけがえのない恩人である。

嘉松神父を招いての講演会
 東京バロック・スコラーズのロ短調ミサ曲演奏会の導入の意味もあるカップリング講演会が23日16時から地下鉄本郷三丁目駅近くの求道会館で行われる。その講演会のゲストとして長崎教区の司祭でありながら現在中央協議会に出向中の嘉松宏樹(かまつひろき)神父をお呼びしている。
 実は、嘉松神父の弟の嘉松芳樹君は、新国立劇場合唱団のメンバーであり、優秀なテノール歌手なのだ。嘉松芳樹君もお兄さんと一緒に20歳まで神学校で勉強していたが、歌手になる夢を棄て難く、音楽の道に転向して今日に至っているのである。

 さて、嘉松神父との打ち合わせを先日行ったが、実に楽しく、しかも意気投合した。パリで典礼をしっかり勉強しただけあって、その深く豊かな知識とそれを支える信仰心には深い尊敬の念を覚えた。その上、弟の嘉松君もそうなのだけれど、その穏やかで明るくやさしい性格は、神父と言えども接する人すべての緊張感を解き心を開かせることであろうと思った。
 打ち合わせ後に、初台にあるアジアンパームというエスニック料理屋のランチバイキングに連れて行ったら、子供のように喜んでくれた。そこでさらに話に花が咲いたことは言うまでもない。

 みなさん!この講演会には、ロ短調ミサ曲演奏会に来られない人も来てみて下さい!特に、キリスト教文化に興味のある人や、ミサの内容に興味のある人には必見。最初に僕がロ短調ミサ曲の内容について一般的な説明を20分程度した後、嘉松神父に45分くらい話していただく。
 休憩後は、名物「三澤洋史と嘉松神父の爆弾対談」、これが多分めっちゃ楽しくしかも知的興味に満ちたものとなると思う。それから質疑応答です。この日の内容にかかわらず、普段から神父に訊いてみたいこととか、それぞれの方が用意してくださったら、もっともっと楽しいひとときになると思う。是非来てね!
 

お袋との思い出
 お袋の具合が芳しくないので気が晴れない。脳出血で左側半分の空間の認識が難しくなったことは述べたが、一度病院から退院して介護付きの有料施設に入ったものの、夜中に出歩いて転んで大腿骨を骨折してしまい、現在では再び入院中なのだ。今度は形成外科である。
 それだけではない。高齢なので、様々な臓器にも支障が出ている。血管の中にも大小の血栓が出来ている。カテーテルの簡単な手術を行って大きいものを取り除き、血液サラサラの薬を投与しているが、一方で、それが別の脳出血を引き起こす可能性も少なくない。いずれにしても容態が急変する可能性に満ちている。それが明日かも知れないし、1年後かも知れない。

 最初の入院の直前までは88歳になっても気がしっかりしていて、和裁の仕事をどんどんこなし、スマイルボーリングに出掛け、俳句を作っては上毛新聞や雑誌に載ったと喜んでいたお袋が、さすがに度重なる打撃によってすっかり意気消沈しているのを見るのは痛ましい。もっと近ければ毎日顔を見に行きたいところだが、忙しくてなかなかそうも出来ないのがもどかしい。それで東京の空からお袋のことを祈っている。すると、お袋と過ごした幼年時代のいろいろな記憶が甦ってくる・・・。

 人生の最初の時期において充分な愛情を受けた者は、その愛情の先にあるもっと深い創造主の愛を抵抗なく信じられるという。僕がちいさい頃からごく自然に神様の愛を受け入れていたのは、お袋が僕に無償の愛を注いでくれたからだ。無償の愛というものがこの世に存在すること、それを自分も持つことが出来るということ、それがこの世で生きていく最も価値あるものであること、それを教えてくれたのはお袋だ。まあ、お袋自身は、そんな大それたことを思って僕に接してわけでも、宗教的義務感を持っていたわけでもないのだろうけれど・・・・。

 「オペラ座のお仕事」でも書いたけれど、僕は小学校の頃、手がつけられないいたずら小僧だった。学校から帰ってランドセルを置くなり僕はお袋に言う。
「かあちゃん、先生がすぐ学校に来いって」
「またかい・・・じゃ一緒においで」
「かあちゃんだけ行けば・・・」
「ばか!つべこべ言わずに行くんだよ!」
「・・・・」
というので一緒に学校にとんぼ返りする。
「頭は良いんですがねえ・・・どうも真面目に授業を受ける気がないようで・・・」
「すみません・・・よく言って聞かせますので」
「でもこれで3回目ですよ」
「ホントに済みません」
「困ったものですねえ・・・」
お袋はただただ平謝り。でも、家に帰って来てもお袋は不思議と怒らなかった。

 では僕は一体何をして先生を困らせていたのだろうか?それは、今から考えるととってもたわいないことなんだ。予習復習をしなさいと言われて予習すると、僕は教科書読んだだけで、もうその内容がみんな分かってしまう。それで、次の日の授業でどんな興味深い話が聞けるのかと期待していくと、先生ったら、それをただなぞっているだけ。そんなの退屈に決まっているじゃないか。それでも一生懸命我慢してじっとしているのだけれど、どうにも我慢できなくなってくると、
「先生、トイレに行ってきます」
と言って教室を抜け出し、トイレには行くことは行くが、その後水道の水を出して指で遠くへ飛ばして遊んだり、水道台のへりに乗って平均台のようにバランスを取って遊んだりしている。一方教室では、なかなか戻ってこない僕にしびれを切らした先生が、他の児童に、
「三澤君を呼びに行ってきなさい!」
と言いつけて、そいつが僕のところに来る。
「先生が帰って来いって言ってるよ」
「いいから一緒に遊ぼうよ。ほら、楽しいでしょ。こうやって水を遠くへ飛ばすんだ」
「へえ・・・」
「じゃあ、どっちが遠くまで飛ぶかやってみよう!」
「ようし!」
ということで、友達もミイラ取りがミイラになってしまうのだ。
 先生は烈火のごとく怒るが、そんな先生を僕は妙に冷静に見てしまう。それでテストをしてみると、僕は真面目に授業に出ている生徒達を追い抜いて100点ばかり取っているのだから、先生はますます憎たらしいわけだ。
 でもさあ、今から考えても、先生さあ、怒る前にもっと楽しい授業をしろっつーの!教科書なんて読めば分かるんだから、教科書の内容をもっと突っ込んだり、裏付けや楽しいエピソードを語ったり、その内容にもっとスーッと入っていけるようにサイド・ストーリーを語ったり、いくらでも楽しい授業が展開出来るよね。僕が先生だったら必ずそうするさ。それが反面教師になって、今では合唱でもオケでも練習をどうしたら楽しく出来るかに命賭けているのかも知れないな。
 だから僕は子供心に、教科書をなぞるだけの授業に失望していたし、それでいながら先生ヅラして威張るだけの先生の態度を茶化してみたい気持ちもあったのだろうな。お袋が偉かったのは、そんな僕をずっとまっすぐ見つめてくれていたこと。
「お前は、ホントはいいこだよ」
とよく言っていた。特に先生に怒られた後は逆に優しかった。お袋こそ先生にあんな風に言われても、ひと言も口答えしなかったが、屈辱的に感じていただろうに・・・。

 でも同時によく言っていた。
「いたずらはしても、人に後ろ指さされるような悪い事はしては駄目だよ」
ある時、友達の○○君と遊んでいたら、道にお金が落ちていた。僕は家に持って帰ってお袋に話そうと思ったけれど、その○○君は、
「いいんじゃない?そんなことしなくても。落ちていたんだ。盗んだんじゃないんだし、これで一緒にプラモデルを買おう」
と言うので、ふたりでお店に行ってプラモデルを買った。
 それで家の近くまで来たんだけど・・・なんとなく後ろめたい気がして、プラモデルを玄関先に隠してから、家に入ってお袋に言った。
「あのねえ・・・道にお金が落ちていたんだ。○○君と一緒にそのお金でプラモデル買っちゃった」
するとお袋は、怒るわけでもなく、
「一緒においで」
と言って、その○○君の家まで行ってプラモデルを返してもらい、さらに僕のと○○君のふたつのプラモデルをお店まで持って行って事情を話し、お金を返してもらって、それから警察に行った。
 友達のおかあさんは何となく気まずそうだったし、品物を引き取ってお金を返すお店の主人にも良い顔されなかった。わずかなお金だったので、警察の態度も投げやりだった。要するに、僕達にはあまり報われた感というか達成感が与えられなかった。
 でも、お袋は僕の目をじっと見てこう言った。
「たいしたことないお金かも知れない。拾ってそのまま遣ってしまったってどうってことないかも知れない。でも、お前に、本当はこうしなければいけないんだってこと分かってもらうためにこうしているんだよ。ちゃんと正直に生きるんだよ」
「うん、分かった」
「でも、お前も玄関に隠したくらいだから、どこかで心にやましいことがあるのを感じていたんだね」
「うん」
「偉かったね」
 僕は、このことを決して忘れない。誰も見ていなくても、きちんと生きるということを、お袋は僕に教えてくれたんだ。今でもお袋ってすげえなって思っている。僕のこと可愛がってくれただけでなく、きちんと育ててくれたのだ。
同時に、大工だった親父も、その職人気質で、誰も見ていなくても長持ちするしっかりした家を建てるという生き方を貫いていた。僕がよく「お天道様」のことを語るが、僕にとっての「お天道様」の原点は、僕の両親なんだ。。

 小学校の頃というのは女子の方が勉強も生活態度もきちんとしていて大人びている。僕は、こんな風にふざけてばかりいたから、成績は良かったが、ずっとクラスで委員長にはなれずに副委員長であった。別に僕にとっては、そんなことどうでも良いことであったが・・・・。
 ある時(4年生の頃だったと思うが)、ずっと委員長だった女の子を追い抜いて僕が委員長になった。するとその子のおかあさんが授業参観の時にお袋にこう言ったそうだ。
「ずっとうちの子が委員長をやっていて何の問題もなかったのに、なんでお宅の息子さんのようなちゃらんぽらんな子がなるんでしょうね。ちっとも頭良さそうな顔していないのにね」
 大きなお世話である。あの時のお袋の怒っていた顔が忘れられない。でもね、それ以来、僕はずっと委員長で通したし、結構人望あったと思うんだ。委員長などという地位には決して固執していないけれど、なったからにはやるべきことはやったと思う。
 そんなことを思い出していたら、あることに気が付いた。僕は、要するに中身のない権威主義が大嫌いだったし今でもそうなのだ。だから茶化したくなったわけだな。それが証拠に、信頼する先生に対してはいたずらはしなかったし、きちんと言うことを聞いていた。担任の先生の僕に対する評価も、中間というものがなくて、最低と言われるか、この子は面白いと言われるかどちらかだったなあ。

 この先、お袋がどれだけ生きるのか分からないが、交響曲で言えば終楽章に入っていることは確かだ。昨年夏の群馬音楽センターにおける「おにころ」公演の成功を誰よりも喜んでくれた。
「お前はあたしの誇りだよ」
と言ってくれたし、
「とうちゃんにも見せたかったよ」
とも言ってくれた。
「ほら、かあちゃん、僕、頑張ったよ!」
という気分。でも、それだけでは、まだまだ親孝行したとは言えない。ああ、人生悔いばかり残るなあ。
お袋のこと、毎日祈っている。でも、その祈りはいつも感謝に変わっている。



 


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