ロ短調ミサ曲演奏会成功の確信

三澤洋史

ロ短調ミサ曲演奏会成功の確信
 1月31日日曜日。新浦安の浦安市民プラザWave101で、東京バロック・スコラーズのオケ合わせが行われた。曲は、バッハ作曲ロ短調ミサ曲。午後はソロ合わせ。夜は合唱合わせ。
 まず、コンサートマスターの伊藤文乃(いとうあやの)さん率いる弦楽器の分奏から始まり、モダン楽器を使ったバロックの弓使いやビブラートのかけ方など、僕のめざすサウンドの基本形をみんなで確認した。それから徐々に木管楽器が加わり、國光ともこさん、加納悦子さん、大森いちえいさんといったソリスト達が加わっての合わせを行った。この時点で、2月7日の演奏会の成功を僕は確信した。

 新浦安駅前にコメダ珈琲店がある。お腹をすかせて午後の練習を終えた僕は、駆け足でコメダに行き、小倉トーストを注文。実は、コメダで小倉トーストを食べるのは初めてだったけど、厚切りのパンにあんこをたっぷり塗って・・・おおおっ!しあわせ!

 夜は、トランペット、ティンパニーも入って合唱曲の合わせ。辻本憲一さん率いる3本のトランペット軍団は凄いぜ!合唱も健闘。ただ、僕の理想はまだまだ高い。これから水曜日の最後の通常練習もあるので、ここで絞りまくり、このスーパー・モダン楽器オーケストラと共に構築する僕のバッハ演奏を前人未踏のものにしなければならないと思っている。しかしながら演奏する度に思うね。なんて素晴らしい曲!なんて偉大な音楽!なんて光に溢れているのだろう!

はっきり言います。このロ短調ミサ曲の演奏会は、必ず凄いことになります。

祈り~恩寵
 そのオケ合わせの前日、すなわち30日土曜日は、新国立劇場「魔笛」最終公演の後、群馬に行き新町歌劇団の練習に出た。本当はお袋の病院にも行きたいところだったが、時間がないので、今週のどこかで行こうと思っている。
 その夜、実家の寝室で本棚を見たら、L・エヴェリー著「現代人の祈り」(エンデルレ書店)という本があったので、布団の中で開いてみた。多分これはもう絶版になっているだろう。僕が洗礼を受けた20歳の頃読んだ本だから、もう40年も前の話だ。昭和48年初版発行と書いてある。最初のページの最初の文章でドキッとした。

聖霊よ、来たり給え
私たちは、現実と逆のことを考えている。この表題自体がその一例だ。すなわち、私たちが聖霊に呼びかけているのではなく、聖霊が私たちに呼びかけておられるのである。
私たちは、呼び寄せられているからこそ、呼び求めるのである。愛の息を吹き込まれるからこそ、愛を熱望するのである。
ああ、そうかと思った。そして読み進めていく。
では、悔悛の祈りとは何か?神に許しを求めるとき、あなたは、神が非常にあなたを許したいと切望しておられ、それゆえにこの切望が神の心から溢れてあなたの心のなかに入ってきて、ついにあなたに許されたいと思わせているということ、すなわち、それほど神はあなたを許したいと望んでおられるということを知っているだろうか?神から許しを得ることが問題なのではなく、あなたに神の許しを受けいれさせることが神にとって問題なのである。
さらに続く。
あなたが子供をもつのは、彼らを愛し、彼らに十分に奉仕して、いつの日か彼らがあなたのように愛すること、そして奉仕することができるようにと願ってのことである。あなたを愛し、あなたに奉仕するのではなく、彼らの番として、父や母になり、他の人々を愛し、他の人々に奉仕することができるようにと願うのである。
 頭をハンマーでガツンと殴られたようである。僕の心に、もの凄い価値の転動が起こった。そうか、祈るとは、神の無限の愛に気付き、それを受け容れることなんだ。だから祈りの本質は感謝の中にあるのだ。僕は、お袋のことをよく祈る。すると、お袋がどれだけ僕のことを大切に想いながら育ててくれたかに思い至り、最後は感謝だけで僕の心が満たされる。それは、恐らく神が僕の心をそのように導いてくれるのだろうな。
 また、神は本当にお人好しなのだ。僕が孫の杏樹を可愛がるのは、将来杏樹から賞賛を得たり奉仕してもらうからではない。ただ杏樹を愛しているのだ。神の僕達に対する気持ちも同じだろう。杏樹がどんな悪いことをしても、もう心では許している。でも、杏樹に何が悪いことだということは知ってもらいたいから、「謝る~それを許す」という一連の儀式は必要なのだ。一番悲しいことは、こちらがどんなに愛し、どんなに許そうと思っても、
「あんたの情けは受けねえよ」
と飛び出していってしまうことだろう。それでも、放蕩息子のたとえの通り、神は、戻ってきた者を受け容れようと今か今かと持っているのだ。つまりそれほど神の愛は無限であり、それをどこまで信じられるかで、僕達の生き方が変わってくるのだ。僕達は、与えられた分だけ、人に与えられる人間となる。許された分だけ、人を許せる人間になる。祈るとは、神の愛をより現実のものとして感じられるよう、神に心の焦点を合わせていく行為だ。
分かったぞ!祈りの本質が!

 そこまで気が付いたとき、はっと思った。先日の嘉松宏樹神父をお招きしたロ短調ミサ曲演奏会のカップリング講演会で、最後に質問した人がいた。
「恩寵って何ですか?」
その問いは、恐らく僕に向けられたものだったに違いない。
 先ほど、ロ短調ミサ曲演奏会の成功を確信していると僕は書いたが、その確信の本当の理由は、その「恩寵」という言葉が、自分に向かって用意された、祈りの答えだと気付いたからである。その問いが用意されたのも、僕が「現代人の祈り」という本を手に取ったのも、大いなる者のはからいである。こう思ったのが僕の思い込みでも何でもいい。おめでたい人間だと読者が思ったって別に構わない。思い込んだ者の勝ちなのである。ロ短調ミサ曲の演奏が、それで良くなるならば、何の悪いことがあろう!

あなたが、もし心の扉を開くならば、あなたはロ短調ミサ曲の演奏の真っ只中に、「祈りの本質」を知るであろう!

甘利大臣辞任劇の影で
 またか、と思った人も少なくないだろう。甘利明TPP担当大臣の辞任劇である。うろたえ、あわてて、必死で疑惑を打ち消そうとする姿。相手が背を向けて逃げ始めたと思うやいなや、容赦ない攻撃を浴びせる野党とマスコミ。そして辞任。無念さを隠すことの出来ない涙の記者会見。何度この姿を見たことだろう。
 僕は、文藝春秋12月号に掲載されていた甘利大臣のTPP交渉に関する手記を読んでいた。「アメリカ代表を何度も怒鳴り続けた~TPP交渉二年七ヶ月の全内幕」というタイトルで、章ごとのタイトルを並べても、「難航したアトランタの交渉」「おい、帰るぞ」「途上国からのSOS」「私を支えた総理の言葉」「農産品は相当守られた」とある通り、甘利氏が必死で日本の国益を賭けて交渉にあたったことが描かれていた。
 僕はそもそも日本のTPP参加には反対であった。これは、アメリカが自らの国益を求めて主導するものだから、アメリカは相当強引に駆け引きしてくるに違いないと思っていたからだ。お人好しの日本が、はいはいと言うことをきいてしまったら大変だ。その意味では甘利氏はよくやったと思う。彼でなければあそこまで出来なかったのではないか。

アメリカ側は、牛、豚肉や自動車部品などをめぐって無理難題を吹っかけてきました。議論にすら値しない無茶な要求でした。私ははらわたが煮えくり返り、「私は交渉をしにきたので、駆け引きをしにきたのではない」「そちらのゲームにこれ以上付き合うつもりはない」とアメリカ側に告げ、「おい、帰るぞ」とスタッフを連れて退席してしまったのです。
アメリカは過去に日本からそんな風に言われたことはないはずですから、驚いたでしょうね。(文藝春秋12月号246ページ)

そういう相手ですから、こちらも主張を通すためには、怒鳴ることがしょっちゅうでした。机をバーンと叩いて「冗談じゃない」「こんなことやってられるか」と声を荒らげて、怒鳴り合う。それも一度や二度ではありません。通訳も大変だったと思います。
私もだいぶ悪者にされました。(248ページ)
 こういう話は、自分の「オペラ座のお仕事」を読んでいるようで、人ごととは思えない。西洋人は、こうした交渉をゲームのようなものだと思っているので、怒鳴り合っても別にどうということはないが、それを見ている日本人の中で悪者のように扱われてしまうことがある。その点では同情するし、日本人でもこういう交渉の仕方が出来るようになったのだなあとは思う。
 しかし、その一方で、こうした武勇伝に自慢話の香りを嗅ぎとった読者は少なくなかったに違いない。ちょっと調子に乗っているな、とは僕も感じた。そして、こんな時は気をつけないと足もとを取られるのではないかという危惧も感じたのだ。なにせ、我が国は世界の中でも珍しい「イジメ大国」だからだ。

 予想した通り、甘利大臣はスケープゴートとなった。猪瀬直樹(いのせ なおき)元都知事の時とそっくりで、やることをやった後で干されたわけである。しかも、それを告発したのは、文藝春秋社そのものが出している週刊誌の週刊文春であった。つまり、文藝春秋社は、甘利大臣を自ら一度上げておいて落としたわけである。最初から甘利大臣に目をつけておいて、意図的に落としめたと言われても仕方ない状態である。恐ろしいのは、ひとつの雑誌社主導で始めても、マスコミが大挙して群がり、目をつけた議員の政治生命をただちに奪えるという現実である。警察ではなくて。
 全ての雑誌社、テレビ局は異常なくらい興奮し、
「国民の血税を使っておきながら、さらに大金を平気でもらってけしからん!」
の大合唱となる。ある雑誌は、甘利大臣の豪遊ぶりを描き、どれだけ市民感覚から遊離しているか強調する。追求された本人がうろたえればうろたえるほど、みんなは面白がり追いかけ回す。告発から辞任までの間に、いかに視聴者の陰湿な自虐的歓びを煽るかにテレビ局は命を賭ける。辞任の記者会見に涙なんか流してくれればもう言うことなしである。今回も、猪瀬元知事や下村元文部科学大臣同様、マスコミの完全勝利である。

 みんな、こういうのを観て楽しいの?その楽しさの正体って何?そういうことがどんどん起こってきたら、日本の政治はどんどん良くなるの?むしろ、こういう事件が起こる根本的な原因を追及することを怠って、目先の追放劇だけを傍観者的に眺めている我々って卑怯じゃない?
 むしろ、こういうことがどんどん進むとどういうことになるかというと、何か目立つ人はハメられて痛い目を見るという常識がはびこり、重要なポストに有能な人がいなくなり、日本的な“事なかれ主義”がますます蔓延することになるのだ。

 経済最優先を掲げている自由民主党という政党には、根本的に企業との癒着が起こりやすい体質がある。本当に全てをクリーンにしたいと思うならば、企業から政治団体への献金を一切禁じ、厳しく取り締まって、純粋に議員の給料だけで全てをまかなえるようにすればいいのだ。
 選挙だって、本来あんなに仰々しく街中どなって歩かなくてもいい。自分の政策を掲げて、それに賛同する人がその人に投票すれば事足りる。声の大きい人が勝ったり、沢山選挙区を回ったりした人が当選するなんて原始的な方法をいつまでとっているのだ。そんなことしているから選挙にだってお金がかかるんだろう。そのお金が一体どこから出ているのだ。こうした事を根本的に解決しないと金権体質は永久になくならない。そんなことみんな知っているはずではないか。政治にはお金がかかるんだろう。甘利さんだって、お金をもらったからっていって、
「うひひひ、これでおいしいものをたべて贅沢してぬっくぬくだねえ」
という感じでもないだろう。次の何らかの資金に使うのだろう。
 その意味では、少なくとも自民党の議員なんて、みんな叩けば埃が出る身だろう。その自民党に政権を委ねているのは、他ならぬ僕たちなのだろう。だから結局最後の責任は僕たちにあるんだ(僕は自民党には投票しないのだけど、決まっちゃったのだから仕方ないさ)。
 誰もそこんとこ追求しないで、
「そんな大金、我々の庶民感覚からは考えられない!」
なんてことばかり言っている。でもね、その庶民感覚って、ハッキリ言って専業主婦の感覚だろう。企業にいる人達はそうも思っていないんじゃないか?一介のサラリーマンだって、自分の会社に行けば、何百万円ものお金を日常的に動かしていたりするじゃないか。そういう人に向かって、
「庶民感覚からすれば、そういう大金を動かすって無駄遣いじゃないですか?」
って言う人いるの?この僕だって、日常生活においては、同じ商品が、あっちの店の方が30円安いとか、案外重要だけれど、同時に「おにころ」を上演するとなったら一千万円とかのお金が動くわけ。
 また、豪遊していたと言ったって、同じくサラリーマンの人に訊くけど、接待とかで食事するのって楽しい?むしろ嫌々する人だって少なくないのではないか?確かに、接待とかで使うお店は、ラーメン屋とか吉野屋とか松屋ではない。高めのレストランとか料亭とかになるのだろうな。でも、それは本当に必要のない贅沢って割り切れるの?

 ここまで読んで、僕の意見に反感を持っている人は、僕がまるで甘利氏の肩を持っているように感じたり、甘利氏の罪を問わないかのように思ったりしているだろう。いや、僕も、甘利氏が良い事をしているとは決して思わないよ。ただ、僕自身は、ああいう風に正義を振りかざしてマスコミ主導で辞任に追い込んでいく、マスコミのあり方が嫌いだし、それを容認している国民が愚かだと思うだけだ。

 それよりももっと大事なことを言おう。こんな騒ぎをしている内に、さりげなく高浜原発が再稼働している。こっちの方にどうして報道の力を入れないのだ?おかしいではないか?僕には、甘利氏のことで意図的に国民の気を逸らそうとしているようにしか感じられない。報道は確かにしているよ。でも、政府のあり方をあれだけ歯に衣着せぬ方法で追求出来るマスコミだったら、どうしてこちらの方は、あんなおざなりの報道の仕方しかしないのだ?
 マスコミの本当の罪は、報道することにあるのではなく、むしろ意図的に報道をしないことにあるのだ。この民主主義の時代に、国民の声を無視して、まるで盗人のように、あちらこちらで再稼働の準備が進んでいる。とても、福島第一原発の事故を教訓にしているようには感じられない。気が付いたら、元の木阿弥で、日本中の原発が再稼働していくだろう。そこにかかる費用といったら、甘利氏の受理した金額とは比べものにならないだろう。その庶民感覚からかけ離れた金銭感覚にどうして誰も異を唱えないのだ?甘利氏のお金なんて小さい小さい!

そこに、もしまた3.11のような大地震と大津波が来たら、もう日本は終わりだ!

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