ロ短調ミサ曲演奏会大成功

三澤洋史

祈りは感謝で始まり感謝で終わる
 ロ短調ミサ曲の出だしのKyrie。たっぷり息をして、豊かであたたかい愛に溢れた響きが欲しかった。そのためには、勿論全身を使ってアインザッツを出さなければならないと思っていたが、アクションを起こす直前、それだけでも足りない気がした。どうしようか・・・・そうだ・・・膝を曲げて一度スクワット・ポジションを作り、そこからコブを乗り越える要領で、大きく体を伸ばしてみよう・・・こんなことする指揮者なんていないだろうなと思って自分で笑ってしまった。しかし次の瞬間、これまで聴いたこともない響きが、合唱団からもオーケストラからも出て来た。うわあっ!凄いぞ!この時、僕はこの演奏会の成功を確信した。
 響き、響き、響き!僕は、これまで、どれだけ自分の“音”を求め続けてきたことだろうか。その音の中にやさしさがあり慈しみがある、そんな響き。全てを包み込む大きな愛の響き。結局、僕はその響きが得たいために音楽家になったのかも知れない。
 4小節の序奏部の後、テンポが変わってフーガが始まる。滔々と流れていく宇宙の調べ。この音楽は、人の世の悲しみに寄り添っている。しかしながら、それは、自らの無知と無力の中であえぎながら生きていく人間の苦悩が、神のmisericordiaに出遭う瞬間でもある。その光に照らされ、しだいに自我を脱ぎ捨て、慈愛の海に身を委ねていく人間の姿を、僕はありありとイメージすることが出来た。第3曲目Kyrie後半のクライマックスでは、神の前にその身を投げ出した人間が、愛の光をとめどなく浴びる法悦を体験した。
 Gloriaの最後のCum Sancto Spirituのフーガでは、あまりの愉悦感に飛び跳ねたい衝動にかられた(って、ゆーか、もう飛び跳ねていたかも)。超急斜面をフル・カーヴィングで駆け抜けていくような爽快感と、ボコボコのコブ斜面を高速で降りていくようなスリルとが、僕の野生を解放する。このテンポでも合唱が崩壊しなかったのは、あの鬼のような練習が効いたせいだ。みんなよく食らいついてきた。僕には、5声の合唱のひとつひとつの音が聞こえる。これがどういうことを意味するか分かるかな。もう本当に頭がおかしくなりそうなのだ。その愉悦感は、Sanctus後半のPleni sunt coeliのフーガやOsannaの二重合唱でも炸裂した。
 ミサ曲後半は、ベテラン組の独壇場でしたなあ。畑儀文(はたよしふみ)さんのBenedictusと加納悦子さんのAgnus Deiが圧巻。この2曲を聴いただけでも、聴衆はわざわざ錦糸町まで足を運んだ甲斐があったといえるであろう。加納さんの歌が始まった途端、会場中の空気が止まった。奇蹟的な絶唱!みんな息をこらして聴いていた。
 そして終曲。Dona Nobis Pacem(我らに平和を与えたまえ)が全宇宙に響き渡った。なんという音楽!なんという祈り!いや、これは、我々からの祈りというより、至高なる存在の息吹が、バッハの手を借りて地上に降ろされ、さらに、それを演奏する我々ひとりひとりの喉や手や腕を借りて、あたりに輝き始め、そして会場に充満し、全世界に向かって飛び出していったように僕には感じられた。愛が、祈りが、ここかしこに溢れ、戯れ、飛び回り、空間をいっぱいに満たしているように感じられた。そして僕自身も、その中にどっぷり浸かっているようであった。
 会場にいた聴衆の中で、音楽的感受性に溢れた人、あるいは宗教的感性の鋭敏な人、どちらの人も、この僕の言葉をごく普通のこととして理解出来るのではないか。音楽が鳴り響いている時だけ霊的になる僕の、決して短くない音楽人生の中でも、これほど強い光と、これほど強い“至高なる存在の実在感”を感じたことはなかったから。どれだけ稀有なひとときであったことか!
 最後のニ長調の和音を切りたくなかった。これを切ってしまうと、また、ただの日常が戻ってきて、また僕はただの還暦のおじいちゃんに戻ってしまう。こんなにも輝いて、こんなにも誇らしく、こんなにも満たされた高次元の空間が、フツーの3次元空間に戻ってしまう・・・・。

 オーケストラのひとりひとりのみなさん、本当にありがとう!特に、あまり饒舌ではないけれど、こちらの想いを確実に受け止めてくれるコンサート・マスターの伊藤文乃(いとうあやの)さん、いつも適切なテンポを紡ぎ出してくれるチェロの西沢央子さんとガッツなコントラバス弾きの高山健児さん、ありがとう!
 輝かしいフルートの岩佐和弘さんと、バッハへの熱い想いのあるオーボエの小林裕さん(小林道夫さんの息子さん)ありがとう!超絶技巧も何のその、揺るぎない安定感で吹き切ったトランペットの辻本憲一さん率いるトランペット軍団の雄志達ありがとう!モダン・ティンパニーを使いながらバロック的奏法で僕の我が儘な好みにピッタリ答えてくれた福原亮さんありがとう!奇蹟的安定感を誇る揺るぎない通奏低音軍団の要であったオルガンの浅井美紀さんと山縣万里さんの黄金のコンビありがとう!
 確かなコロラトゥーラの技法を持ちながらも、独特の陰りと暖かさを歌に感じさせる稀有なるソプラノ歌手、國光ともこさんありがとう!カッコ良く威厳に満ちたQuoniam tu solus sanctusと清冽なEt in spiritum sanctumという真逆な2つのアリアを見事に歌い分けてくれた大森いちえいさんありがとう!

 そして、何より・・・・僕の言うことをずっと信じ続けて従ってくれ、合宿などでのひとりずつの歌唱と僕の罵倒にも耐え、しかも同時に演奏会プロジェクトの仕事などで多方面で動いてくれ、最後に本番で見事な大輪の花を咲かせてくれた東京バロック・スコラーズのみなさんと、それを責任もって指導してくれた奥村泰憲さん、本当に本当にありがとう!
 その他、全部の人の名前を挙げられないけれど、この演奏会に関わったすべての人達に心からの感謝の気持ちを送ります。
ありがとーーーーーーう!

恐怖の一週間
 ところで、今から振り返ってみると、この演奏会までの道のりは、恐怖の石で敷き詰められていた。演奏会から約一週間さかのぼること2月1日月曜日。孫の杏樹の具合が悪そうなので、保育園を休ませた。医者に連れて行ったら、なんとA型インフルエンザだという。うわっ!と思った。子どもの菌は強くてうつりやすい。一昨年の暮れ、杏樹のウィルス性胃腸炎に、志保も彼女の夫も妻も僕も全員くまなく感染してひどい目にあったことがある。
 でも、僕は今うつるわけにはいかないんだ。びわ湖ホール主催の「さまよえるオランダ人」の立ち稽古が始まったばかりで、演出家のミヒャエル・ハンペ氏が合唱指揮者の僕を必要としているし、なんといっても7日の東京バロック・スコラーズのロ短調ミサ曲を成功させなければならない。
 杏樹がインフルエンザと聞いて、次女の杏奈が駆けつけて来た。来たのはいいが、これってウツったらヤバイよなあ、と気が付いた。ウケるのは、家中で杏樹以外の全員がマスクをしていること。幼児用のマスクも用意して、
「杏樹もしてみよう」
とつけさせたけれど・・・つけるわけないよなあ。ただでさえ苦しいんだから。杏樹が咳をする度に、みんなが飛び上がって、次々に手を洗いに行ったりうがいしに行ったりする。杏樹はわけが分かっていないのでキョトンとしている。
 幼児だからすぐ熱が上がる。9度3分くらいが続き、大泣きの杏樹を押さえつけ、座薬を入れた。また、体がだるいので、
「ジージ、抱っこ!」
と、しょっちゅう抱っこを求めてくる。僕が家に居る時には、誰の所にも行かず僕にばっかり求めてくる。いつもは大いに喜んで抱っこする僕も、この時ばかりは、普段抱っこ癖をつけてしまったことを後悔した。

 そうした中、杏樹と一緒の布団で寝ていた母親の志保の具合が悪そうになってきた。3日水曜日の朝、志保が言う。
「なんとなく熱っぽいんだけど、もしインフルだったらどうしよう。今日午後から練習がある」
彼女は、僕と同じびわ湖ホールの「さまよえるオランダ人」のプロダクションでピアニストをしているのだ。
「とにかく医者に行って調べてもらってきなさい。もし感染していたら、これから熱が上がってくるに違いないんだから、無理して練習場に行っても体が震えて帰れなくなってしまうよ。というより、人にうつすので当分練習場にはいけないよ」
「医者に行くのが恐い・・・もしインフルだったら、みんなに迷惑をかける・・・」
「そうなったらそうなったで仕方ないじゃないか。とくかく行っておいで」
そして・・・・、
「杏樹と同じA型インフルエンザです!」
うわあっ!とあわてたのは僕の方だ。杏樹だけでなく志保まで感染したことによって、包囲網が一段と狭まってきた。いやいやいや、絶対にかかるわけにはいかない!

 水曜日は、東京バロック・スコラーズの練習の後、群馬の実家に帰って泊まり、木曜日の朝はお袋の入院先の病院に行くことになっている。僕は、池袋駅でビールとつまみを買って、特急スワロー号に乗った。電車は結構空いていた。その内、なんとなく寒くなってきた。
「いやだな、この寒さ。もしかして、僕もこれから熱を出す?」
そう思ったら不安でどうしようもなくなってきた。気が付いたら必死で神様に祈っていた。「神様、どうかインフルエンザを『過ぎ越して』下さい。ロ短調ミサ曲の演奏会をどうしてもやらせて下さい」
これで体の芯から震えが来たらおしまいだと思った。でも新町駅に降り立った時、これ以上震えは来ないなと気が付いた。後から考えてみたら、単に電車の中が寒かったのだと思う。ビールで冷えたのかも知れないし、多少なりとも酔っ払っていたので、体の状態が把握できなかった。まあ、とにかく僕は神様に感謝したよ。

 次の日は、早朝の1時間のお散歩をし、姉の車でお袋のお見舞いに行き、姉とお昼を食べてから、新町の温水プールのアクアピアで約1時間泳ぎ、それから再び高崎線に乗って、「オランダ人」の立ち稽古に向かった。
 志保は、その週に入っていた全ての仕事をキャンセルしなければならず、とても無念そうであった。タミフルのお陰ですぐに熱は下がったが、とにかくよく寝た。そして、志保が寝ていると、杏樹もつられて一緒に眠る。お昼寝を何時間もして、仲良しの親子であった。実は、志保は感染するまで、こちらが見ていても体を壊すのではと心配していたほど仕事が超多忙であったのだ。
「杏樹と一緒にいたい!けど、忙しくて会えない!」
と嘆いていたので、かえって良かったのかも知れないとも思う。あっちこっちで迷惑かけたので、軽はずみには言えないのだけどね。

 金曜日は、僕が新国立劇場の「アンドレア・シェニエ」の合唱練習をお休みにしたので、1日オフ。しかし家に居ると杏樹が、
「じーじ、抱っこ!」
と迫って来るので、くわばらくわばら。朝の内に自転車で家を出て、国立駅前のドトールで珈琲飲みながらゆったりとスコアの勉強。本当は杏樹に会いたくてしょうがないが、ここは我慢我慢!積極的隔離状態。
 昼食にはPizzettoというナポリ・ピッツァのお店に行ってマルゲリータを食べ、それから自転車で立川の柴崎体育館の温水プールに向かう。そこで1500メートルくらい泳いでから、今度は立川駅に買い物に行く。にんにくとトマトのたっぷり入った特製スープを作るためである。これで、最後の3日間を乗りきろうと思って、家に帰ってからノリノリで料理に精を出す。杏樹はママと一緒に長いお昼寝をしていた。

 水泳で今ハマッていることは、クロールのストロークで掻き切った手を抜く時、肩甲骨主導で、あたかもズボンのポケットから手を引き抜くようにスッと抜くこと。ストロークの最中でも肩甲骨は使うけれど、主流はなんといっても腕や肩の筋肉。しかしリカヴァリーが始まるタイミングで、肩甲骨にスイッチさせることで腕の筋肉を休ませることが出来る。
 それよりも、この肩甲骨を意識的に使うことが、今の僕の指揮の運動をなめらかにさせている秘訣なのだ。僕の指揮の運動を注意して見ていてもらうと分かるが、他の指揮者と決定的に異なる点をひとつ挙げるとすれば、それは何といっても肩甲骨とそのまわりの筋肉の動きである。特にロ短調ミサ曲のような長い曲では、肩甲骨にスムースに動いてもらわなければ・・・。
 もうひとつ気をつけている点がある。それは、腹筋にいつも少しだけ力を入れておいて体幹を保つことだ。このお腹の力がダランと抜けてしまうと、ただちに体が反ってしまう。水泳の場合、体が反って良いことは何もないのだが、気をつけないと何かの拍子にすぐ反ってしまうんだな。僕の場合、特に、息継ぎをする瞬間が反り易かったのだ。
 肩甲骨の意識と体幹の維持が改善されてから、僕の泳ぎは画期的に変わった。ストロークの後に体の線が乱れず、水の抵抗によるブレーキがかからなくなったため、掻いてない時でも体が慣性の法則でスーッと前に伸びていくようになった。その体幹への意識も、肩甲骨の意識同様、指揮する時に大いに役立っている。だから、本番の前には、スコアの勉強の時間を削ってでも泳ぐことを心がけているのだ。まあ、こんな風に“攻撃は最大の防御なり”という感じで、泳いだりしていたのも、インフルの予防には良かったのかも知れない。

 ロ短調ミサ曲演奏会当日は、当初の予定では、妻が車で僕と杏樹を乗せて会場まで来て、杏樹の様子を見ながら(もしかしたら客席から出たり入ったりしながら)ゲネプロを聴き、本番は、杏樹のお昼寝の時間にかぶるため、僕の楽屋に居るかロビーで流れてくる演奏を聴くことになっていた。志保は、二期会研修所の試演会でピアノを弾かなければならないため、本番の途中から駆けつけることになっていた。
 しかし実際には誰も来られなかった。杏樹が、熱は下がっていたものの、日曜日になってもまだ咳も止まらず、なんとなくグズグズしていたので、妻とふたりで家に残ることになったからだ。志保は、土曜日に病院で治癒証明をもらうことが出来たので、日曜日の試演会に行く事は出来たが、試演会終了後は杏樹のもとへ・・・。当然ですよね。
 まあ、それでもね、本当にあの環境の中で感染もしないで本番が指揮出来て本当によかった。本番終了後、楽屋を尋ねてくれたお客さん達への対応も終わって、つかの間ひとりになった楽屋で、僕は神様に深く感謝し、それから妻と志保に向けてメールを打つ。
「演奏会大成功!恐怖の一週間の闇は明けた!」

 ちなみに週が明けて、杏樹が久し振りに保育園に行ったら、保育士さん達5人がインフルエンザに感染して休職中。園児達は二十数人がインフルエンザのためお休みであったという。恐るべし、今年のインフルエンザ!

   

 


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