親鸞の心~61歳の悟り

三澤洋史

東京に帰ってきました
 長い間留守にしていましたが、昨日(3月6日日曜日)、びわ湖ホール主催「さまよえるオランダ人」昼公演を終えた後、無事に東京に帰ってきました。考えてみると、2月21日日曜日からニセコに行って、一度25日木曜日の夕方には自宅に帰ってきたものの、翌26日早朝に京都に向けて出発、そして3月6日日曜日までいたわけだから、約半月も東京を留守にしていたことになる。

 京都では、前に書いた通り、妻、長女の志保、孫の杏樹と一緒にウィークリー・マンションに泊まっていた。僕と長女の志保がびわ湖ホールで働き、その間に妻が孫の杏樹の面倒を見ながら食事を作ってくれていた。それなので、長旅につきものの「胃袋から体調を崩す」という状態にはならず、僕たちはすこぶる健康で過ごすことが出来た。
 妻は、意識的に京都の食材を買い求め、京都風の味付けを試みた。湯葉や九条ネギを使っただけで、関東とは全く違ったものに仕上がるが、その他にもニシン蕎麦を試みたり、様々な種類の漬け物を買い求めて、毎晩の食卓の彩りは実に鮮やかであった。そしてヘルシーなのがなによりであった。
 ある時は、びわ湖ホールからの帰り道、志保と二人で浜大津近くの近江牛専門店に立ち寄り、ステーキ用の肉を求め、家で焼いて食べた。この時だけは、ヘルシーとも言えなかったかもね。京都駅前のAVANTIに入っている「やまや」で求めた赤ワインと共に満足の夜だったからね。初日の後は、京都ヴェルディ協会の有志達が、我々家族を食事に招待してくれた。

 長女の志保は、びわ湖に来てからの前半はピアニスト、公演が近づいて来たら、照明のきっかけ出し要員として使われた。照明のきっかけ出しは、譜面に沿ってかなり厳密に行われるため、それまで立ち稽古に付き合っていたピアニストが努めるのが最良なのである。 彼女にとって今回の旅は、仕事しながらではあるものの、東京にいる時のように他の仕事と掛け持ちしたりすることなく、「さまよえるオランダ人」オンリーなので、空いている時間は娘の杏樹とべったり過ごせた。杏樹の方も、この時とばかりにママにべったりと甘えた。特に舞台稽古の途中からは、杏樹が起きている内に帰れたので、一緒にお風呂に入って夕食を食べた。だから双方の精神状態がとても良好であり、端で見ていても気持ちが良かった。
そうなると、普段、
「じーじがいい!」
と言っている杏樹も、当然、
「ママがいい!」
となる。でも、僕も妻も、そんな時は喜んでママに譲るのさ。ママが一番大好きというのが最も自然な形なのだからね。

 こうして家族ごと京都に来ていたので、東京に帰りたいなあという気持ちは、普段よりずっと少なかった。では、このまま永久に京都にいてもいいかというと、やっぱりそういうわけにはいかないなあ。一番の原因は、家とは違って仕事する環境が整っているわけではないこと。
 なんといっても、音楽の友の指揮者の仕事場探訪で紹介された、あの「自分がこもれる仕事場」に勝る環境はないのだ。それは僕にとって、たとえ死んだとしても天国にまで持って行きたいくらいの理想的仕事場環境なのである。ここで僕は様々な原稿や台本の構想を練り、それを書類にしたため、クラビノーバでスコア・リーディングをし、音を確かめるとそれを向かい側のパソコンの譜面作成ソフトで譜面にして、作曲や編曲をする。メールやネット・サーフィンを通して様々な情報を得、そして発信する。時にはそれらをプリント・アウトして取っておく。楽天やAmazonでワインやCDや本を注文する。という風に、この狭い場所から全世界に向かって門が開かれており、全世界とつながっているのである。

 びわ湖ホールでの練習は毎日2時からだったので、午前中は空いていた。妻や志保は、デパートや水族館や三十三間堂などいろんなところに杏樹を連れだしていたが、午前中僕はプールに行ったり勉強したりして過ごしていた。でも京都に来ているのだから、やっぱり多少は旅行らしいことをしなければね、というので、2日間だけは、午前中を使って清水寺(きよみずでら)と伏見稲荷(ふしみいなり)にみんなで行った。そんな日は当然他の仕事には手をつけられない。

 というので、これから急いで社会復帰に向けてリハビリをいたします。メールも、LANはつながっているのだが、僕のメーラーのセキュリティ機能が働いて、受信は出来るけど送信が出来ないという状態のため、一度Biglobeのホームページからメールボックスに入って送信した。それが面倒くさいったらないので、いろいろな返信が遅れてしまったことを関係者にお詫びします。


びわ湖ホール・ホワイエから


未来のオペラ
 今回の、びわ湖ホールの「さまよえるオランダ人」公演を観た人みんなが口を揃えて言う。
「こういうのを見てしまうと、最近いろいろやられている『読み替え』演出が、いかにも時代遅れのものに思われますね。もうそういうのはいらない。こういう公演こそ、これからのオペラのあり方ではないでしょうか」
全く同感である。

 まあ、読み替えであってもなくても、問題はシンプルなのである。
「音楽を生かしているか殺しているか?」
ということだ。だって、今世の中に残っているオペラは、全て、音楽が良いから残っているのだ。ボーマルシェの名前は忘れ去られても、モーツァルトの名前は不滅だし、作家ワーグナーは、作曲家ワーグナーがいて初めてその存在を誇れるのだ。

 そういう意味で、ミヒャエル・ハンペの演出へのアプローチは、最も基本的なオペラの原点であると同時に、最も前衛的なものであり、そして永遠に新しいのである。

これこそ未来のオペラである。

親鸞のこころ~61歳の悟り
 京都に滞在中に3月3日のお誕生日が来て、還暦の年を抜けて61歳になった。びわ湖ホールに入った時、女声合唱の楽屋に呼ばれて行くと、6と1の形をしたロウソクが乗ったケーキが用意されていて、ハッピ・バースデイの歌と共にお誕生日をみんなに祝ってもらった。よかった!61本のロウソクを吹き消さないで2本だけで済んで(笑)。
 60歳と61歳というのは、(自分がそうなって分かったけれど)実は大違いなんだね。60歳には、まだ50代とのつながりがどこか残っているが、61歳からは、60代まっしぐらなのだ。つまり、69歳までの人達と仲間だという意識が芽生えるわけだ。世の中では、60歳定年の会社は少なくないし、遅くても60代のどこかでみんな定年を迎える。何処へ行ってもシニア割引がきくし、まあ、言ってみれば、社会全体から、
「ご苦労さん!」
と、リタイヤを促されているようだね。
 僕には定年がないので、
「自分はまだまだアクティブに!」
と思ってはいるが、そんな自分でも多少の心境の変化はあるなあ。それが、今回の京都滞在で、今の自分の精神的状態を確認するようなことに遭遇した。そのことを少し語ろうと思う。

 泊まっていたウィークリー・マンションが、京都駅の南側徒歩3分竹田街道沿いだったので、朝のお散歩は自然と駅近辺となった。最初は、鴨川のほとりを北上して、五条大橋あたりで引き返して帰って来たりしていたが、その途中東本願寺があったりして、ほう、お寺を巡るのも悪くないなと思い始めた。それで、東寺に行ったり西本願寺や東本願寺を巡るコースに変えた。


西本願寺正門

 はじめはお寺を外から眺めているだけだったが、それぞれのお寺の本堂からは、放送で読教や法話の声が聞こえてくる。見ると、他の人達が靴を脱いでビニールの袋に入れて、本堂の障子を開けて中に入っていく。僕も恐る恐る入ってみた。
 東本願寺の薄暗く肌寒い畳敷きのだだっ広い本堂。何本もの黒く太い柱がいかにも重そうな黒い天井を支えている。中央奥では、多数の僧侶達がみんなで声を合わせて声明を奏でている。その手前では、檀家と思われる人達が、経本を持ってきっちり正座して声明に唱和している。
 おお、すげえな!とても入り込んでいけないような雰囲気だな。きっとカテドラルに生まれて初めて足を踏み入れる未信者も、こんな気持ちで信者達のやることを見ているんだろうなあ。僕も広い本堂のはしっこで正座をしていたのだが、5分もしない内に足が痛くなってきた。隣のおじさんは、最初からあぐらをかいていた。それを見ていた僕は、最初、
「だめだなあ、このおっさん」
と思っていたが、気が付くと「だめだなあ組」に入ってあぐらをかいていた。僕は、仏教の僧侶にだけはなれないなあ。まあ、ならなくていいんだけど。キリスト教の教会には椅子があるから大好き!

 ただ、僕の感性には、声明と、このほの暗い本堂というものが、とても合っているように思える。というか、宗派を越えて、信仰と祈りのある空間というのは、共通の清澄なる雰囲気に満たされているからなんだろう。朝からとても心が癒され、1日を始める元気が湧く。と、思っているうちに、散歩の目的からはどんどん離れるのだが、それが毎朝の日課になってしまった。東本願寺ではあまりに近いので、わざと25分かけて西本願寺に行き、約30分くらい本堂でぼんやり声明やお坊さんの御法話を聞いて、また25分かけて帰って来ることにした。


西本願寺本堂

 西本願寺、東本願寺は、宗派的には違うのだが、親鸞聖人の教えを中心に据えた浄土系の寺である。僧侶の法話も、親鸞の言葉の引用から始まる。
「・・・だから、私たちはただただ阿弥陀仏の慈悲に全てをゆだねて生きていけばいいのです」
とお坊さんの口から聞くと、心の中に暖かいものが流れる。ある瞬間・・・僕は・・・ああ、そうなんだと、とっても大切なことに気が付き・・・そして納得してしまった。それだけではなく、自分の中ですべてがつながった気がした。

 結論から言うと、今の僕の宗教観が、なんと親鸞のそれに近いのだろうと気が付いたのだ。先日僕が東京バロック・スコラーズのロ短調ミサ曲演奏会のスピーチで言った内容を覚えてらっしゃる方もいると思うが、“祈りの本質”を僕は、
「神の絶対的な愛に包まれていることに気が付くこと」
と捉えている。それは、言い方を変えると、
「阿弥陀如来の慈悲に包まれていることに気が付くこと」
となっても差し支えないのだ。
 昔から僕は親鸞が好きだったが、自分でどうしてなのか気が付かなかった。むしろ、頭で考える限り、法然や親鸞の浄土系の念仏宗に見られるある種の危うさがいつも引っ掛かっていたからだ。
「誰だって、南無阿弥陀仏と唱えると救われる、というんじゃ、努力なんていらないじゃないか」
というわけである。
 しかしながら、それはただの一面的な見方にしか過ぎないのだ。今になって初めて僕は理解出来るのだ。親鸞が何を考えていたか・・・というか、親鸞が何を感じ、何を見ていたのかということの全貌が、一枚の絵画を俯瞰するようにはっきりと・・・。

 何故、昔分からなくて今になって分かるのかという理由については、次のことが言えるだろう。僕は昔よりずっと、人に愛されたいという気持ちが少なくなり、逆に人を愛したいという気持ちが大きくなっているのを感じる。「愛されたいがために愛する」のではなく、まさに「愛するそのことだけのために愛する」ということである。
 それは、歳を取って、様々な欲望が弱くなってきて、自分の出来ることと出来ないこととが分かってきたことにも比例している。見栄を張りたいとか、自分を必要以上によく見せたいとか、今さら、誰かに認めてもらいたいとか、誉められたいとかいう気持ちを持つことが馬鹿らしくなってきたこともある。そうすると、ストーンと自分の中から力みが消え、心が軽く、自由なのである。そうした僕の心に、いつしか無欲な愛がスーッと入り込んできたのだ。

 人に愛されているのは心地よい。しかし愛の本当の歓びというのは、なんといっても愛することにあるのだ。それも、その愛が純化すればするほど、その歓びは増す。究極的には、何の見返りを求めずに無心で愛することを知った者が、真の法悦ともいえる歓びを得る。その歓びを知った者は、もはやそれ以外の愛、及びそれ以外の歓びには興味が湧かなくなるのである。
 愛することを知った者は、さらに、その愛の出所を知る・・・こんなに不完全な自分でさえこれだけ人をかけがえのない存在として愛することが出来るのだったら、神の愛というのは一体どれだけ強いのであろうか・・・と思い至るのである。もちろん、神の愛などというものは計り知れない。けれども、ほんの少しでも想像することが出来るようになるのだ。
 親は、出来の悪い子だって可愛いと思う。仮にその子が自分にそっぽを向いて出て行ったとしても、悲しむはするが、決して忘れることはない。むしろ親は、子供を許したくて仕方がない。でも、子供が謝ってくれないことには、親とてどうしようもないのである。「親の心子知らず」というのは、こういう状態である。
 それは、言葉を変えると、
「善人なをもて往生す、いわんや悪人をや」
(善人は、それだけで皆からも認められ誉められ、救われている。しかし煩悩の海に翻弄され、善悪の道も知らずに苦悩のなかでのたうちまわっている悪人こそを救いたいと、阿弥陀如来は願っておられる。全ての衆生を救うこと。それこそが如来の本願なのである)
という風になる。

こういう風に考えることは出来ないだろうか?
Gesù Cristo è il volto della misericordia del Padre.
「イエス・キリストは、父なる神の慈悲なる側面である」
という言葉は、
Amida è il volto della misericordia del Budda.
「阿弥陀如来は仏の慈悲なる側面である」
という風に置き換えることが出来るのだ。

 ただ浄土系の宗教が他力と言われて低く思われる背景には、次のふたつのことがあると思う。ひとつは、念仏を唱える人自身が、阿弥陀如来の実在感を感じていないこと。つまり、阿弥陀如来は、どこか遠くに住んでいるひとりの人間のようなもので、その人に向かって、空しく念仏を唱え続けるだけであることだ。ふたつめは、極楽浄土というのが“死んでから与えられるもの”だと信じて、「ただ現世を我慢して生き続け、死ぬのを待っているような人生を送る」という誤った人生観を持っていることも挙げられる。

 真実はそうではない。阿弥陀如来は西方十万億土にいるのではなく、今この瞬間にここにいるのである。というより、阿弥陀如来というのは人間のようなものではない。僕たちは、実は阿弥陀如来の慈悲の海の中にいて、その慈悲に包まれているのである。乱暴に言ってしまえば、阿弥陀如来を父なる神と言い換えても聖霊と言い換えても構わないのだ。要は、言葉の問題に過ぎないのだ。人知を超えた存在は、我々の3次元的な感覚では捉えられないのだから。
 イエス・キリストもお釈迦様もそう。かつてはその生命体のほんの一部分が地上に生を受け、ひとりの人間として行動した。しかし、天上界にあっては、そんな人間のようなちっぽけな存在と考えてはいけない。大宇宙にあまねく存在し、小さき花の中にも宿り、聖人にインスピレーションを与え、虫けらに快楽を与え、大天使ケルビムの前に立ち、宇宙を統べたもう至高なる存在と一体なのである。

 僕たちが善人であろうと悪人であろうと、僕達が大きな慈悲の海の中を泳いでいる魚のようなものであるという事実は変わらない。大事なことは、僕たちがそれに気が付くだけ。そして心をそこに向けるだけ。
 それから、極楽浄土は死んでから与えられるものではなく、僕たちの心が、阿弥陀如来に心を向けることによって、阿弥陀如来の慈愛を帯びるのである。すなわち、如来の愛の至福感を得るということなのである。それが極楽浄土であり天国なのだ。生きていても死んでいても関係ないのである。すなわち、今こうして生きている時に、僕たちの心に天国や地獄があるのであり、僕達はその心のまま死ぬのである。これが救済の真実である。
 クリスチャンであっても、イエスを信じているから、あるいは毎週ミサや礼拝に通っているから、死んだら天国に呼んでもらえると思っている人達よ。心しなさい。今、あなたの心の中に平安がないなら、死んでもそのままだからね。パウロが何故、
「いつも喜んでいなさい」
と言っていたか分かるかい?神の愛の臨在を心に感じていない者は、神の愛を帯びた絶対的な歓びを手にすることは出来ないのだ。その歓びが“救い”であり“天国”なのだから。
 
 とにかく、神でも阿弥陀如来でも何でもいい、僕たちひとりひとりは、そうした至高なる存在によって、この世での存在を絶対的に許されていて、究極的に認められ、究極的に愛されている。そして、けっしてひとりぼっちではなく、いつもいつも見守られ、心配され、努力を喜ばれ、成功を祝福されている。これをあなたは信じるであろうか?

これが親鸞の本心であり、阿弥陀如来の本願であると僕は確信する。それが僕の61歳の悟り。

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