お袋との午後のひととき

三澤洋史

気分転換
3月11日金曜日朝。この原稿をガーラ湯沢スキー場に向かう新幹線の中で書いている。

 3月6日日曜日の夜に、京都から東京に戻ってきて息をつく暇もなく、7日月曜日と8日火曜日は、新国立劇場合唱団の新規募集団員のオーディション。9日水曜日と10日木曜日で、現行メンバーの次期シーズン更新のための視聴会が行われ、百数十人の歌を聴いた。そして審査会。もう脳みその中がクタクタ。
 しかし、クタクタとはいっても、ひとりひとりは生活もかかっているし命賭けて受けに来ているので、聴く方も決して気を抜けない。だから余計クタクタになる。メンバーの入れ替えは、レパートリーも含む実績があるため、そう極端に行うわけではない。しかしながら、我が国にはまだまだ力があるのにそれを発揮する場が与えられない人材が眠っているかも知れないし、一方では、合唱団員という座に甘んじて日頃の精進を怠っている者もあるかも知れない。
 誰でも出来ないことを見せてみんなに夢を与える職業ならば、優れた者にはそれなりの待遇を与えていくという原則を貫いていくことが、芸術そのものが生き残っていくための唯一の方法。そう思って、この一年で最も辛い次期シーズン更新の決断を行う。

 しかし、今回はいつもより晴れやかな気持ちで審査会を終わった。というのは、何パーセントかのメンバーが、とても頑張って実力を伸ばしてくれたからだ。それに、全体的にも、レベルの底上げが行われていて、合唱団全体の素材的レベルアップが見られたからである。
 合唱団のメンバーというものは、ただ入れ換えて良い人材を投入すれば良いという話ではない。一番理想的なのは、現メンバーが実力を伸ばしてくれることである。だって、レパートリーだって持っているし、合唱団として欲しい音楽の方向性だって分かっている。ドイツ語やイタリア語、フランス語の発音や言語的表現などについては、初心者と違っていろいろ説明する手間もはぶける。そして、最終的にめざしている合唱団のサウンド構築については、お互い声を知っている同士の方が圧倒的に合わせ易い。聴き合い、合わせ合ってこそなんぼの合唱団なのだから、現メンバーのレベルアップに、僕はとても頼もしいものを感じた。
 手前味噌であるが、そうでなくとも、新国立劇場のひとりひとりのメンバーの実力は、現在ではかなり高いレベルに来ていると思う。ソプラノなどは、審査していることを忘れて聴衆のひとりとなってエンジョイしている自分を発見する瞬間が少なくない。
 合唱団のメンバーだからって、アラが出ないように控えめな表現するなどということはなく、それぞれが自分の持ち味を生かして表出性の高いパフォーマンスを繰り広げてくれているのがいい。今や真の意味でのエリート集団になってくれたことを僕は誇りに思っている。
 その反面、残念なのは、新規採用のための新人のレベルがいまいちであること。今は生徒数が少なくて、いろんな音楽大学も定員割れだというし、全国的に優秀な人材が少なくなっているのかな?そうは信じたくないけれど。

 そんな感じでずっと劇場内に缶詰になって聴いていたので、エコノミック症候群にもなっている。だから久し振りのオフ日に、外に飛び出して思いっ切り体を動かすのを許して欲しい。気分転換が済んだら再び音楽漬けの日々に戻るからね。

3.11にアグレッシブに滑る!
 今この原稿を、ガーラ湯沢から上野方面に向かう新幹線の中で書いている。行きの時は、ここに2回くらいはまだ滑りに来れるかなと思っていたけれど、残念ながらガーラ湯沢は、今シーズンこれでおしまいにした。
 雪がないのだ。今年は日本全国どこでも記録的雪不足。2月あたりはなんとか滑れても、春の声を聞くやいなや、雪はどんどん融け始めるから、各スキー場に残っている雪の絶対量が少ないので、すぐ山肌が現れてしまうのだ。
 ガーラ湯沢でも、呼び物である全長2500メートルの下山コースが、1月いっぱいまでオープンしなかった。2月には一度オープンしたが、今日は再び閉鎖。というより、もうオープンすることはないだろう。ゴンドラの上から見ると、下の方では普通に黒い土がむき出しになっていて、とても滑れる状態ではないからだ。また、僕が最も愛する260万ダラーと呼ばれる長いコブ斜面に至っては、今シーズン、一度もオープンすることなく終わってしまった。なんとも淋しいゲレンデ状況。

 今日は3月11日。あの3.11からまる5年経った。妻は午後、関口教会(東京カテドラル)の追悼・復興祈念ミサに行っている。僕は・・・こんな日にまるで遊んでいるようだけど、僕だって、僕なりに自分に向かい合っている。
 ニセコの時は、日を追う毎に前日の疲れが腿や膝に残っている中で滑り始めなければならなかったので、最終日などは、気持ちはアクティブでも、体がついていかなかった。でも、あれから充分休養して、今日は元気溌剌からのスタート。体は嘘みたいに楽。筋肉も戦闘準備万端。
 僕は、自分で自分の体を痛めつけるようにアグレッシブに滑った。スーパー・スワンという唯一のコブ斜面で、午前中は一度も休息をとることなく(ということは、滑っている時以外はかならずリフトに乗っているという状態)滑りまくった。とにかく練習練習!お昼を食べたら、またノンストップ。あの長いスキー板が、しだいに自分の靴のように感じられてきた。コブを滑る事が普通のことのようになってきた。
 しかしながら、コブをなめてはいけない。同じ個所をスピードを上げて滑るやいなや、それまで微笑んでいたコブは、威嚇的に立ち向かってくる。スピードと自分に跳ね返ってくる衝撃の割合は、整地の比ではない。うーん、どこまでいっても果てがない。うーん、もっともっとうまくなりたい!
 滑り終わって気が付いたら、ニセコを4日間滑ったくらい結構クタクタ。馬鹿でした。もう老いぼれジージなんだから、自分の体力を過信してはいけない。1日だけと言えども、もうちっと加減するべきでした。
 こんな風に、しばらく滑らないでいて、その1日だけで思いの丈をぶちまけて滑るのってどうよ?若ければいいんだけど、どうみても体に良くないよね。もっと歳取ってきたら、膝とか腰とか痛めるような気がする。
 本当は、1時間だけでいいから、毎日滑れるような環境にあるといいんだけど・・・・んなこと言っても仕方がないや。だいたい東京なんて所に住んでいるのがいけない。さらに、こんな忙しい音楽家なんてものをやっているのがもっといけない・・・って、言ったって、僕に音楽以外何の取り柄があるのか?東京に住んで一生懸命音楽の仕事をしないと、スキーにも行けないのだ。

 さて、ガーラ湯沢は今年でおしまいだけれど、唯一の救いがある。来週3泊で白馬に行ってくるのだ。昨年末はお袋の病気のことがあって、家族スキー旅行が中途半端になってしまったろう。角皆優人君のプライベート・レッスンも、1日のところを半日だけにしてしまったし、レッスンを受けていても、僕の側のモチベーションが落ちていて達成感がなかった。角皆君は、その時、
「三澤君、今シーズンもう一度白馬に来れないかなあ?もっといろいろ話したいしさあ」
と言ったので、スケジュールを確認したら・・・・、
「あった、あった!ちょっと綱渡りだけれど、行けないことはない」

 白馬には3月21日月曜日から行く。21日は名古屋で午後にモーツァルト200合唱団の練習がある。その後、予定では17:40名古屋発松本行きの特急に乗り、さらに電車を乗り継いで、午後10時半頃白馬に到着。宿泊はカーサ・ビアンカ。マスターの大野さんが、酒瓶もって僕の到着を待っている。22日、23日とまる2日間滑る。24日は朝の高速バスでいったん自宅に戻り、夜の聖木曜日のミサに出る。そう、来週は聖週間で、次の日曜日は復活祭なのだ。
 角皆君のレッスンは2日に分けて、両日とも午前中だけの半日プライベート・レッスンとして予約した。あのスーパースターをつかまえて、こんな風にもったいないレッスン拘束の仕方をするのは僕ぐらいだろう。でも、ニセコで練習したことを角皆君のレッスンでもう一度整理して、次につなげたいのだ。

 次・・・・でも、今シーズンの次はないのだ。この白馬旅行でもって、僕のスキー・シーズンは終わりを告げてしまう。次は来冬。昨年の夏からずっと指折り数え続けていた、夢にまで見た白いゲレンデと、もうさようならをするのだ。なんて悲しい!なんて辛い!なんて淋しいことだろう!
 それまでは、やっと春が来て暖かくなったなんて喜んでいたのに、今では、いつまでも極寒の世界にしがみついていたいなんて、僕の人生、ここにきてなんて急転直下なんだろう!

お袋との午後のひととき
 3月12日土曜日。今、この原稿を、藤岡市の介護付き施設で書いている。午前中に東京バロック・スコラーズの練習に出て、お昼を食べてから埼京線から高崎線に乗り継いで新町駅に着き、タクシーでここまで来た。その運転手に6時半にまたここに来てもらう約束をして、それまでずっとお袋と一緒に過ごした。お袋は今、ホールに夕食を食べに行っている。同居者とも、しだいに仲良くなってきたらしい。

 ニセコに引き続き京都に滞在し、それからオーディション及び試聴会などでしばらくお袋に会えなかったが、予想以上に元気になっていたので嬉しかった。脳出血でいきなり自宅から離され、大腿骨骨折で病院とこの施設を行ったり来たりして、度重なる環境の変化で認知症が進み、時々妄想のような突飛なことを言い出すが、それを「はいはい」と聞いていれば、あとは最初に発病する直前と変わらない。
 ただ、以前のように俳句を作ったり本を読んだりする積極的意欲はない。骨折した大腿骨は、手術後、順調にくっついているが、高齢のためリハビリはほとんど成功していない。本人にもその意欲はない。立ち上がることは出来るが、以前のようにスイスイ歩くことは、この先も難しいだろう。

 お袋の昔話はとめどなく続く。でも僕は、この午後の時間を、ただお袋だけのために捧げようと決めているので、のんびりのんびりお袋の話に付き合ってあげる。考えてみたら、僕が大人になってから、こんな風にお袋と過ごす時間なんてなかったな。
 お袋は、仏のように穏やかになっている。
「ここでは本当にみんな良くしてくれてね。ありがたいよ」
少しオーバーに言うと、僕が生涯見た中で最も穏やかではないかと思われるほど、いい顔をして精神的に落ち着いている。僕が覚悟を決めて今日はとことん付き合おうと思っているからかな。孫娘の杏樹もそうだけど、僕がそうした覚悟をすると、すぐ相手に伝わるんだ。僕の全身からそうしたオーラが出るのかな。みんな、何も言わなくても、最初からゆったりと満たされた表情になっているんだ。

 僕は思う。どうして、今までこんな風になれなかったのだろう?もちろん、こんな状況にならなければ、ここまでべったりな関係なんて築けないのは分かっている。これまで実家に帰っても、僕だって何かしていたし、お袋だって自分のことや家のことをしていた。一緒にいたって、お互い向かい合っていなかった。まあ、普段はみんなそうだけど・・・。
 僕が大人になってから、もしかして、お袋はずっと淋しかったのかな、と初めて思い立った。可愛がって可愛がって育てた末っ子の長男である僕は、親の言うことなんか聞かないで音楽の道を志し、田舎を離れて東京に勉強に行ってしまうし、後からひょっこり現れた妻と勝手に結婚してしまうし、遠いベルリンに留学し、それから東京に住んで忙しい日々を送っている・・・・たまに家に帰って来ても、自分のことで忙しいし・・・・。

 親父が亡くなる前、新町歌劇団の練習で里帰りした僕を、そばにいて離さなかった時があった。炬燵にいて僕はノートパソコンで原稿を書いていた。普段ならとっくに寝ているはずの親父が、しきりに話しかけてくる。大工で音楽の趣味など全くない親父との間には、共通の話題なんてほとんどないので、話が途切れるのだが、親父はいっこうに寝る気配がない。僕は、うるさがったりはしなかったが、パソコンから目を離さないまま、
「うん、そうだね・・・」
とか、
「まあね・・・」
という風に、やや投げやりに答えていた。
 東京に帰ってからしばらくして、親父が入院したことをお袋から聞いた。それから、あれよあれよという間に危篤となり亡くなってしまった。死に目には会えたが、きちんと話をしたのは、あの晩が最後であった。
 僕は後悔した。あの時、どうしてパソコンから目を離して、きちんと親父の目を見て向かい合って話をしてあげられなかったのかと・・・・知らなかったんだよ。そんなに早く逝くなんて。でも、きっと親父には予感があったんだろうね。今でも、そのことを思い出すと、胸のあたりがキュンキュンする。
 その後悔が僕の心に残っているんだ。だから、その意味ではお袋の方が親父よりも少しだけしあわせかもね。僕と、あんなにもゆったりとした午後のひとときを過ごすことが出来るのだから。
 人生って皮肉だ。お袋の病気が、こうしてささやかな恩返しの機会を与えてくれるのだったら、病気がありがたいみたいじゃないか。ともあれ、脳出血が起こった時点でそのまま逝かれてしまったら、親父の時よりももっと後悔したことだろうから、病気がありがたいかどうかは置いといて、こうした時間を与えてもらったことに関しては、少なくとも神様に感謝していいだろう。
 お袋よ。これから何度でも来るよ。そして、もう10回以上も聞いた同じ話を、あと何度でもとめどなく聞いてあげよう。

 でも、別れ際には、お袋はちょっと淋しそうな顔をした。やっぱり、至福の時もいつかは終わる。この地上では、何でも限りがあるんだ。僕は施設から再びタクシーに乗って新町歌劇団の練習所に行き、次の朝には東京に帰り、お袋は、いつもの単調な施設での生活に戻る。一緒に過ごした空間がどんなに素敵であっても、時は無常に進む。万物は流転する。人間とは哀しい生き物である。だから、お互い思いやるのか。

新町公民館に行くと、新町歌劇団のみんなが僕を待っていた。僕はタクトを振り下ろした。センチメンタルになっている場合ではない。

原発メルトダウン
 3月14日月曜日。自宅で、これまでの原稿を見直ししながら書いている。お袋のお見舞いの記事で終わろうと思っていたが、昨夜NHKで放映されたNHKスペシャル「原発メルトダウン」という番組のショックがまだ頭の中に残っていて、ひとこと書かずにはいられない気持ちになった。
 僕はあの時、福島第一原発が事故直後のかなり早い時期からメルトダウンしているらしいということを、フランスやドイツのサイトから情報を得て知っていた。さらに、その後すぐに、文化庁在外研修員としてミラノに渡り、そこで詳細にわたる福島第一原発の内部の状態の報道が普通に行われているのを見て、目を丸くしていた。昨日の番組で放映されていた内容は、日本以外の国々では、ごく当たり前のように原発事故直後から事実として報道されていたのだ。

 なのに、当事国である日本国民だけが何も知らされていなかった。こんな情報社会になっているというのに、見事なほどに情報統制されていたのだ。英語を理解出来るエリート達がこんなにいて、海外のサイトを見れば事実はすぐ分かるというのに、政府やマスコミの「メルトダウンはありません」という言葉を、国民は疑うことなく信じていた。
 ニュース番組には、原子力の専門家のなんとか大学教授という人達が登場し、曖昧なコメントを述べていた。そういう人達は、嘘をつくのに慣れていないから、目が泳いでいた。
もちろん、国民全体がパニックを起こす可能性があるので、シークレットにしたいという気持ちは分かる。いや、僕は、事実を隠蔽した政府やマスコミを責めているのではない。まあ、それも責めたいけれど・・・それは今は置いといて・・・。
 それよりも、何故国民はこんな「いざとなったら国民を平気で見棄てる」政府やマスコミをお人好しに信じているのか?その馬鹿さ加減に腹が立っているのである。日本は、いまだに鎖国している。世界に?いや、日本人が自分自身に対して。

 一方では、昨日の番組を作ったNHKの勇気を讃えたい。いいかい、あの原発事故は本当に恐ろしいものだったのだよ。事故が起こったのも様々な偶然が働いたのなら、東日本全体にもう人が半永久的に住めなくなる一歩手前までいっていた状態から、あの程度で済んだというのは、まさに神の力が働いたとしか思えないようなプラスの偶然が働いた結果なのだ。
 あの当時の菅直人首相や、東京電力の幹部達は、みな最悪の事態を覚悟していたのだ。東京は、今頃、人も住まわぬ幽霊タウンと化していたかも知れない。この僕の言葉が誇張でないことは、昨日のテレビを見た人なら皆知っているのだ。

 ああ、それなのに、今の日本政府は、あちこちで再び原発を再稼働させようとしている。すでに再稼働している所でいろいろな問題が起こったりしていても、素知らぬ顔で他の所がどんどん再稼働の準備を進めている。
 自民党は経済最優先を掲げている。人命よりも経済。原発は、何も根本的に改善されていなければ、何も問題解決していない。あの時と同じ状態で、ただやみくもにどんどん再稼働していくだけ。同じような災害が起これば、全く同じような事故が起きる。誰も守ってくれない。守る気もない。

 我々が、チェルノブイリ原発の事故が起きて放射能が世界に撒き散らされたときに、
「何やってんだ、ロシアは!」
と思っただろう。あれだけ離れていたのに、日本人の僕達でさえ、自分の体が放射能で汚染されるような気がしたろう。イタリアのパスタを食べなかったろう。
 僕達はすでにそのように世界中から思われている。しかも、放射能は現在でも原発から出続けている。太平洋には垂れ流されている。世界に向かって今日も撒き散らされている。世界にとって「迷惑な日本」は、これからもしばらく続く。それなのに、無神経な日本政府は再稼働に情熱をかたむけ、今の自分さえよければそれでいいという無責任な日本人はそれを見過ごしている。

 NHKの番組は、いたずらな国民の怒りを煽るために作られたものではない。我々も、ただ「けしからん!」と怒るだけでも良くない。しかし、人間の中には義憤という感情がある。自分の利益や欲望が阻止されたために怒るのではなく、正しいものが妨げられ、誤ったものがまかり通るときに、正義に照らして怒る感情である。僕は、人と比べてかなり気が長く穏やかな性格だと思うが、この義憤だけは人一倍ある。
 イエス・キリストでさえ、神殿の前に並べられた店に対して怒っている。怒りは常に悪なる感情というわけではない。むしろ、怒るべき時に怒らないことが、もっと悪いことを引き起こしていくこともあるのだ。

 今の日本人は、つまらないことにはよく怒るが、本当に怒らなければならない時に、義憤にかられて怒ることを知らない。コンプライアンスを守ることは必要であるが、ではそのコンプライアンスを強要している会社がもし悪を行っていたら?
おりこうさんであることが罪であるということも、宗教的価値観の中では起こり得るということを、みなさんも知るべきである。

   

 


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