聖週間

三澤洋史

この一週間
 今、この原稿を、名古屋から松本に向かう特急「しなの」の中で書いている。今朝(3月21日月曜日)東京から名古屋に来て、モーツァルト200合唱団の練習に出て、これから白馬に行くところ。
 モーツァルト200では、モーツァルト作曲Vesperae solennes de Confessore KV339(証聖者の盛儀晩課)を練習した。一般的にはあまり知られていないが、モーツァルトの宗教曲の中では最大傑作のひとつに数えられると僕は確信している。
 演奏会は9月3日なのでまだまだ先だし、今日は、前回の「ドイツ・レクィエム」演奏会後の初練習なので、まあ、これからって感じ。でも、みんな一生懸命に取り組んでいる。それにしても、やればやるほど素晴らしい曲だ。

 例のびわ湖ホールの「さまよえるオランダ人」のプロダクションが横浜の神奈川県民ホールと提携していて、3月19日土曜日及び20日日曜日の横浜公演のために、先週はずっと県民ホールに通っていた。昨日の14:00からの公演の前には、関口教会のミサに出ていたので、間に合うかなと心配していたが、池袋に出て副都心線に乗り換えたら、なんと元町・中華街まで1本で行けて、しかも特急だったので、びっくりするくらい早く着いた。
横浜公演には、びわ湖に来られない人達が沢山来ていた。ジャーナリストの江川紹子さんが、僕の作った合唱をとても褒めてくれた。嬉しかった。

 その横浜公演の練習中、不当なほどの酷評がある新聞に出て、一同結構意気消沈していたが、その後、別の新聞に載った批評が、かなり的を射たものだったので、ほっとした空気が楽屋エリアに流れた。みんな、案外気にするものだ。
 もちろん、当事者達というのは、時にあまりにも至近距離から見ているし、自分たちがのめり込んでいるので、客観的に見られない面もあるかも知れない。しかし、別の見方をすれば、現場の者は、やはり現場だけあって、一番細部にわたるまで知っているとも言える。たとえばスタッフや合唱メンバー達が、キャスティングに関してとか、指揮者、演出家に対して語っていることに耳を傾けてみると、下手な批評家よりよっぽど分かっている。現場の声はあなどれない。
 仮に酷評であっても、痛いところをつかれたならば、みんな結構素直に受け入れるものだ。しかし、いわれのないことでひどく書かれたり、良くない人が褒められたり、頑張っている人がこきおろされたりすることには、みんな耐えられない。
「批評家を批評するなんていうの、ないかな」
とか、
「ミシュランみたいに批評家にランク付け出来ないかな」
なんて言っている者もいる。

 とにかく、僕は、誰が何と言っても、この「さまよえるオランダ人」のプロダクションを評価する。個々のアーティストに対しての評価にはいろいろあろう。しかし、演出家ミヒャエル・ハンペと舞台美術家ヘニング・フォン・ギールケ及び、プロジェクションを手がけたスタッフ達の業績は、安易に無視できるものではない。

聖週間
 カトリック関口教会(東京カテドラル)聖歌隊指揮者になってから2度目の聖週間がやってきた。昨日(3月20日)は枝の主日。次の日曜日(3月27日)は復活祭であり、その間には、最後の晩餐を記念する聖木曜日(3月24日)、キリストの受難と十字架上での死を想う聖金曜日(3月25日)、そして、本来は復活の聖なる徹夜祭である聖土曜日(3月26日)がある。
 降誕祭(クリスマス)は、同じミサを何度もやるので、肉体的に大変であるが、聖週間は、木金土それぞれに異なった“一年に一度しかやらない礼拝”を行うため、指揮者としたら、曲を始めるタイミングを失ったりして、流れを止めたりはしないかと神経を使う。 この聖週間は、カトリック信者にとっては、クリスマス以上に特別な時であり、他では決して得られない静謐で荘厳なひとときを持つことができる。だから、関口教会に来る前にも、この時期だけはなるべく参加したかったのだが、仕事が忙しくてなかなか出来なかった。
 だが今年は、その全てに参加して指揮できるという画期的な年になった。こんなことは最初で最後かも知れないと思うのだが、昨年も聖木曜日以外には全て参加できたので、運命主義者の僕は、やはり神の導きを感じてしまう。勿論、新国立劇場以外には自由に仕事を選べる身なので、意図的に仕事を入れなかったり、別の日に移したりという操作はしている。

 折しも、この聖週間を最後に、僕を関口教会に呼んでくれた山本量太郎神父が、移動によってこの教会を去り、成城教会に赴任して行く。だから、この聖週間は山本神父と過ごす最後の機会でもある。山本神父は、僕という放蕩息子が、長い放浪生活の末に、教会という郷里に戻るためのきっかけをくれた人物である。
 今だから言えることがある。所属している立川教会ならともかく、コンサートでしか行ったことのない関口教会に聖歌隊指揮者として呼ばれて来た時は、いかに楽天的な僕といえども、単純にルンルンというわけにはいかなかった。信者も誰も知らないし、聖歌隊のメンバーからしてみても、
「誰だ、この人は?恐いのかな?自分たちは追い出されるのかな?」
と、警戒心がなかったとはいえない。まあ、一種のアウエイな状態であった。
 僕くらいの歳にまで音楽界にいて仕事していれば、今では、どこの仕事場に行っても、僕のことを知らない人はいないし、それぞれの職場でのアシスト体制も万全で、それなりの信頼関係が築かれている。逆に裸の王様になっていないか心配なくらいである。
 ところが、ここではそれがない。最初の一個から積み木を組み立てなければならない。それに、音楽的に良いものさえ作ればよいという環境ではない。指揮者としてのキャリアは何の役に立たない。そうなると、自分が長い間教会から離れていたということが、なんと大きなハンディとなっていたことだろう。
 そうした僕のとまどいと不安を分かってくれていた山本神父は、折あるごとに様々な面から僕を支え、時には手厳しい助言を与えてくれて、僕のための居場所を聖歌隊に作ってくれた。それは、本当にきめの細かい配慮であり、どれだけ感謝しても足りることはない。
 
 さらに、どうしても言っておきたいことがある。この関口教会に来るにあたって、あるいは来てからも、僕の回りには、いろんな形で、“神がそれを望んでいる”という確信を持たせるような小さな奇蹟が起こっている。
 それらは、さまざまな“しるし”として僕の前に立ち現れる。あることを考えていると、その答えとなる文字が自分の前に、たとえば道路標識として現れたり、アトランダムに開いた聖書の文章として現れたり・・・・一番面白いのは、こういうのがある。スキーをしていて、これで最後にしようとゲレンデを滑っている。その前に、さんざシビアなコブ斜面などを何の問題もなく滑っていたのに、最後の最後でなだらかな斜面に出て終わろうと思った瞬間、何ものかに足をすくわれたように、板があらぬ方向に走り、僕は派手に転倒した。
 こんな時は当然自己反省をする。重心のかけ方が間違っていたのか?姿勢が悪かったのか?しかし、どう考えても反省する余地がない。不思議だなあと思っていると、その数日後にある事が起こる。ははあ・・・と思う。それは身に降る火の粉なのであって、過度に反省したり、ましてや今やろうとしていることを止めたり躊躇したりする必要はない。自分は自分の信じている道を進むしかないというサジェスチョンであると悟らせられる。
 そうした“しるし”とつながっている限り、僕は至高なるものに守られており、僕が関口教会に居ることは、至高なるものの意志なのだと確信できる。僕が最近阿弥陀如来などの話題で、しきりに絶対的な愛に守られていることを強調しているのは、こうした自分の体験による実感の故である。それは、もちろん、僕だけが特別にそれを受ける資格があるとかいうのではなく、誰でも気付きさえすれば、すでに与えられているものである。

 おととしの待降節から聖歌隊指揮者となって1年半。聖歌隊の皆さんとも打ち解けてきて、しだいに成果も上がってきている。聖堂内で聖歌が響き渡る時、オルガン、聖歌隊、一般会衆の3つがピタッと合って、なんともいえない一致感が得られる瞬間が多くなってきた。しかし、このタイミングで山本神父は関口教会を去っていく。そして僕は残る。この不思議な巡り合わせ。
 人生の折り返し点を遠く過ぎたこの歳になって、この関口教会において僕はもう少し学ばなければならないようだ。プロの楽壇というフィールドとは違うもうひとつのフィールドで、自分の信仰や生き方と向かい合い、それと音楽との関わり方を追求する、新しい挑戦に立ち向かっていかなければならない。これからは、誰にも教われないし、誰も行ったことのない道を、僕は独自に進んでいかなければならない。
 
 だが、僕には予感がある。この聖週間の間に、その探求に関するヒントが得られるような気がするのだ。とにかく祈りながら、このかけがえのない一週間を過ごそうと思う。

   

 


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