山本神父と過ごした最後の聖週間 

三澤洋史

山本神父と過ごした最後の聖週間
「とうとうこの時が来てしまった」
と思って胸がいっぱいになった。

 3月27日日曜日。「復活の主日」ミサの閉祭の歌。キリストの復活の歓びに満ちた「アレルヤ!アレルヤ!」という歌声が、東京カテドラル聖マリア大聖堂いっぱいに響き渡る中、静かに司祭団が退場していく。祭壇の右側で指揮している僕の前を通って行く司祭団の行列の中に、山本量太郎神父の横顔が見えた。今日のミサの司式を最後に、山本神父はこの関口教会を去っていく。

 山本神父の歌ミサの声を、この聖堂で聴く事ももうないのか、と思うととても淋しい。僕がここに来てから、聖歌のテンポやニュアンスは、なるべくミサの流れに寄り添うように心がけてきたが、その規範となっていたのが、山本神父の作り出す歌ミサの流れだった。その流れにうまく乗れたときは、ミサ全体の密度が高まり、一般会衆の心がひとつに集まっていくのを感じる。その全ての歯車を動かす元のエンジンが山本神父であったのだ。
 今や関口教会聖歌隊は、山本神父の歌による、
「主はみなさんと共に」
という呼びかけに、
「また司祭と共に」
と答えるタイミングが絶妙となってきている。
 歌ミサとは、ミサを歌で彩るのではなく、“うた”という“祈りのひとつのかたち”で構成されたミサ。歌ミサのエキスパートである山本神父だからこそ、その認識を、一般会衆にも、聖歌隊にも、そしてそれを指揮する僕にも、自然に与えてくれたのだと思う。

 キャンバスの存在自体を否定するように油絵を重ねて塗りたくるだけが絵画ではない。キャンバスの素の色を残しながら、その色をも表現に使って、控えめな絵の具で仕上げる絵もある。前者がベートーヴェンやブラームスのような芸術音楽を演奏するあり方なら、後者は典礼の中での音楽のあり方だ。
 素のキャンバスとは、すなわち沈黙である。あるいは音楽のない唱えられる祈りの空間である。沈黙の中からふと浮かび上がる、沈黙を越えるもの。それが典礼音楽でなければならない。音楽を紡ぎ出す者にとっては、沈黙と対峙し、それを音楽に飛翔させるための覚悟がないといけない。また、音楽を奏でるということは、沈黙を打ち消す行為に他ならないから、その響き渡った音楽が、それまでの沈黙を破るだけの価値があったか、常に自己に問わねばならない。

たとえばひとつの例を挙げよう。

 聖金曜日、午後7時。白い祭服をまとった司祭団がゆっくりと入場する。聖歌は歌われず大聖堂の中は大いなる沈黙に閉ざされる。司祭団が中央の祭壇前に辿り着くと、彼らは全員祭壇の前でうつ伏せに身を横たえる。我々はひざまづいている。
 短い祈りの後、イザヤ預言書が読まれる。この晩の礼拝では、この朗読の後、初めて答唱詩篇が歌われる。それまで音楽は一切響かない。しかし、その沈黙のなんて新鮮なことか!なんて素晴らしい空間であろうか!だからこそ、答唱詩篇が近づいてくると、僕は、はっきり言って沈黙の前に気後れしている自分を認める。出来れば、この沈黙を破りたくない。
 しかしながら、今年はうまくいったと思う。オルガニストの青田絹江(あおた きぬえ)さんの周到なレジストレーションと弾き方のお陰だ。前奏が鳴った時に沈黙の充実感を壊さなかったし、聖歌隊の歌も内面的なものをたたえていて、うまく沈黙の空間から音楽的空間へと移行できたと思う。

 このように、典礼音楽に関わることは、通常の僕の音楽活動とは全く違う要素を要求されるが、よく考えると、その要素とは、もっと根源的なところでは音楽の原点ともいうべきものである。つまり、音楽を聴くことの究極的な行為とは、「沈黙を聴き、沈黙を味わう」ことにある。そしてそれは、必ず日頃の僕の音楽活動に還元される・・・いや、それを根本から変え、深化させていくに違いない。
 聖土曜日の「復活の聖なる徹夜祭」の礼拝は、洗礼式も合わせて、なんと2時間40分に及んだ。この間に、「光の祭儀」をはじめとして、どれだけ素晴らしい沈黙の瞬間があったであろうか。そして、毎回、その沈黙を破って音楽を奏でる時、僕の中に、「気後れ~躊躇~決意~アウフタクトの振り下ろし」という一連の精神的葛藤があった。それは、なんとシビアでいながら、なんとチャレンジアブルで・・・そしてなんてしあわせな瞬間であったことだろう。教会でなければ決して味わえないことだ。それは、演奏行為であると同時に、司祭と共に行う高度な宗教的行為でもあるのだから。

 そうしたことを学ぶきっかけを山本量太郎神父は僕に与えてくれた。どんなに感謝してもし過ぎることはない。ありがとうございました!まだまだ典礼に携わる者としては、頼りないことばかりなので、本当はもっともっと教わりたいことが沢山あったけれど、一応、心配されるといけないので、
「もう大丈夫です。あとは自分でなんとかやっていきます!」
と言っておきましょう。

 今、僕は、とてもすがすがしい気持ちで復活祭の歓びの中にいる。先週の「枝の祝日」から今日まで、こんな清らかな日々を過ごしたことは、これまでの生涯においてもなかったかも知れない。月曜日に名古屋のモーツァルト200合唱団の練習から白馬に渡り、スキーに集中して自分と向き合い、帰ってきてそのまま聖木曜日のミサに行って、復活祭のミサまで一気に駆け抜けた。スキーと典礼とは、僕の中では同質のもののようだ。
今、僕の心の中ではエネルギーがはじけそうだ。キリストが死の闇の中から甦った。心を新たにして、光の中を歩んでいこう!

スキーシーズン最後は白馬で
 3月23日水曜日、午後5時。白馬五竜ペンション・カーサビアンカの一室でこの原稿を書いている。人間の心の中に、たったひとつの感情だけが支配するということは希であるが、今ほど様々な感情が混じり合って玉虫色になっていることもない。
 午後4時。白馬五竜スキー場のとおみゲレンデを滑り降りて、スキー・センターであるエスカル・プラザに戻ってきた時点で、今シーズンの僕のスキーの日々は終わりを告げた。昨年の夏くらいから指折り数えて待ちわびていた輝ける時。それが過ぎ去ってしまったのである。これが嘆かずにいられようか!ああ悲しい!
 しかし、同時に感謝もある。昨年暮れ、お袋が倒れて、今年はスキーどころではないかな、と半ば覚悟もした。それどころか、僕自身だって、いつなん時、病気になるとか、事故に遭うとか分からないじゃないか。それが、とにもかくにも、つつがなく今シーズンを終えることが出来た。お袋も小康状態を保っている。神様、ありがとうございます!
 では、スキーの上達や達成感はどうだろう?これについては微妙。というのはね。正直言って、今ちょっとだけ落ち込んでいる。でも、これは悪い事ではない。まあ、かみ砕いて説明するね。


友情万歳

 今回の白馬での中2日間の午前中は、両日とも、親友のスキーヤーである角皆優人(つのかい まさひと)君の半日個人レッスンを受けた。角皆君は、奥さんの美穂さんをアシスタントにして、僕の滑りをビデオ撮影し、実地レッスン後は一緒にお昼を食べながらビデオ鑑賞会。それを見て、欠点やクセを指摘してくれた。
 彼は、こうしたことをFスタイルが主催するキャンプなどで行っているが、僕にとっては初めてであった。それは衝撃的であり、実地レッスンより何倍もインパクトがあった・・・・というより、ショックだった。下手なのである。ビデオの僕ったら、なに、あれ!・・・・エーン!泣きたい!
 まあ、よくあるわな。自分の演奏を後でCDなんかで聴いてガクッてくるやつ。昔は僕もあったよ。でも、音楽の世界では、長い間プロをやっている内に、だんだん冷静な自己分析というのが出来るようになってきて、自分に過度に期待しないし、自分の欠点はすでに分かっているので、今さらCDを聴いてショックを受けるようなことはない。
 ところが、スキーに関してはまだまだ「甘ちゃん」なんだね。自分は、まあそこそこ滑れると思っていたわけだね。甘いねえ。要するに、その自己評価がガラガラと崩れ去ったわけだな。はっはっは!悔い改めよ、このうぬぼれ野郎!あ、自分のことか。
 いえいえ、角皆君はやさしいから、ビデオ見ながら僕のこと怒ったり罵倒したりすることは決してしない。映像をスロー・モーションにしたり、止めたり、バックしたりして、欠点は指摘するが、同時に一生懸命良いところを見つけては褒めてくれる。しかし映像は正直だ。一瞬で分かる。とにかく下手。カッコ悪い。最低!見ちゃおれん!

 人間というのは、案外左右差というのが大きいのだね。僕の場合、右ターンはいいのだが、何故か、左ターンの仕上げで、右のストックを突く瞬間の切り替えがうまくいかない時がある。そんな時は、外足への乗り方が甘く、中途半端に内足に乗ったまま、時にはストックより早く切り替えようとしてしまう。そうすると体勢も内傾気味になってしまう。
「ストックを突く~重心移動をする~次のターンが始まる」
ほとんど同時にも感じられるこの3つの動作だが、わずかでもタイミングや順番が狂うと、すべてがちぐはぐになってしまう。
「スキーのターンは、音楽で言えばフレージングだ」
なんて偉そうなことを言っている張本人が、整地でのターンすらきちんと出来ていないのだから、いやんなっちゃう。自分の音楽的フレーズだって、怪しいものだよ。

 でも、こうやって次の課題を嫌がおうなく提示されるというのは、ある意味しあわせなことだ。左右差だって、ビデオ観てガッチョーンという感じでショックは受けたけれど、普通に日常生活していたら、そんな左右差を指摘されることもなければ直す必要もない。スキーをしているからこそ、自分の体のクセと向かい合うことを余儀なくされるわけだ。自分って、自分の体のことをこれだけ知らないんだな、と気付くわけよ。
 それに、直されても、「はい!」と簡単には直らないってことも思い知らされる。左右差については、その後の自主練習でかなり矯正されて、整地ではほとんど目立たなくなったが、2日目のコブ・レッスンで、自分に余裕がなくなってとっちらかってくると、再び顔を出す。長い間織り込まれた肉体のクセは実にガンコなもんだ。もしかしたらDNAにまで織り込まれちゃっているのかも知れない。
 こんな風にスキーには果てがないが、それは同時に、スキーに関わる自分に果てがないと言うことも出来る。それって素敵だよね。僕は今、落ち込んではいるが、決してネガティブな心理状態ではない。だって、下手なのが分かったんだから、そこを改善したらうまくなれるということだ。
 そうだ、自分は、もっともっとうまくなりたいし、うまくなれるんだ。上達意欲のない人は、落ち込むこともしないだろう。自分の映像に酔いしれて、角皆君の忠告を、まるでいわれなき中傷のように感じられる時が来たら、その時こそ、僕はスキーをやめるべきだね。つまりそれは、スキーが僕を堕落させているということだからね。

 3月24日木曜日。白馬から新宿に向かう高速バスの中でこの原稿を書いている。昨日、前の原稿を中断して夕食に行き、さらに原稿を書き上げてから、9時頃「呑処おおの」(ペンション地下の、半ばプライベートな居酒屋)に降りていった。
 にごり酒や芋焼酎のお湯割りを飲みながら、マスターの大野さんとその息子さんとで大いに話がはずんだ。富山で仕入れたというシメ鯖は、肴として絶品であった。半分炙(あぶ)り、半分生(なま)という2つの感触が味わえていい。
 大野さんの息子さんは、このペンションを手伝う前は、東京でロック・バンドのベーシストとして活躍しており、ライブハウスやツアーなどで忙しく演奏活動をしていたという。今では、可愛い奥さんと2人の女の子とに囲まれてしあわせな家庭を築いているが、そんな彼に、
「え?このままじゃあ、終わらないんじゃないの?」
なんてけしかけたのは悪かったかな。
 だって、「呑処おおの」の隅っこには、ちいさなステージがあって、ドラムセットやエレキ・ギター、エレキ・ベース及びウッド・ベースが置いてあるんだぜ。どう見たって、完全にあきらめてペンション経営だけに命賭けているようには見えないじゃないの。ロックで食べていくのも大変だったし、結婚して子供も生まれたので、悩んだ末に父親の元に帰ってきて、ここを手伝っているというんだけどね。
 みんな、夢と現実との狭間で悩みながら生きている。でも、悩むような夢があるってのも素敵なことだ。このままで終わらないんじゃない?とは言ってみたが、だからといってティーンエイジャーのように安易に、
「もういちどやってみなよ、どこまでも夢を追いかけてさ!」
なんていう風には、この歳の僕にはもう言えないけどね。
 自分だって、今音楽家として食っていられるのも、数々の幸運があるからで、ここに至るまでの間に、才能があるけれど食えない人を数知れず見てきた。才能さえあれば、あるいは頑張りさえすれば、必ず報われるという世界でもない。世の中そんなに甘くない。まあ、才能がないと話にならない、というのは間違いないんだけどね。
 今朝、朝食の時に奥さんが現れたので、
「ねえねえ、奥さんはご主人のミュージシャン活動には反対だったの?」
と聞いたら、
「いえ、あたしは、どちらかというと追っかけでした」
と言うし、今度はマスターの大野さんが、
「実はわたしもギターをやっていたんです」
と言うんだ。
「え?やっぱりロック?」
「はい!」
なんだこの親子。でも、こういうのいいね。なんというか、ロマンチックじゃないか。

 ちなみにマスターは、かつて茅ヶ崎で教員をやっていたという。それが、スキーに魅せられて、気が付いたらこの白馬でペンションをやっているわけだ。今では山岳ガイドの資格も取って、むしろ登山が趣味なんだって。何気ないところに、こうしたドラマチックなストーリーがあるねえ。
 そのマスターが、1日目の晩に、夕食を食べに来た角皆夫婦をつかまえて、オフピステの危険性を滔々と語っていたのには驚いたなあ。山が大好きだからこそ、山の危なさを誰よりも知っているわけだ。
 最近のバックカントリーなどのブームに乗って、角皆君は今年から「オフピステを安全に」というキャンプを始めたのだ。彼にしてみると、最近白馬などでも、滑走禁止区域に勝手に入り込んだ人達の事故が相次いでいるので、きちんと指導の手を入れようという意図もあって、用意周到の元に始めたという。でも、大野さんは、それでもまだまだ危険に対して手ぬるいと思っているようだ。
 実際、大野さんは、このカーサビアンカの宿泊客から2名の犠牲者を出している。2名とも死因はオフピステにおいて立木に激突だという。そうでなくても、至る所、雪崩(なだれ)の危険があり、沢に転落する危険もあり、刻々と変わる山の状況の中で、これらを完全に把握するのは不可能に近いという。
 角皆君は、どれだけ慎重に準備してから始めたか強調していたけれど、大野さんは、
「もし、角皆さんのキャンプの中からひとりでも犠牲者が出たら、その補償の額とかハンパないですよ」
と反論する。
 うーん・・・聞きながら、どっちの言い分も正しいと思った。これだけ広がってきているバックカントリーのブームに歯止めをかけるのが無理だとしたら、むしろ知らんフリしないで、角皆君のように、きちんと指導してあげることは必要だとは思う。
 その一方で、もしそのキャンプに人気が出て、どんどん受講生が増えていったとしよう。受講中に事故が起きなくても、角皆君からお墨付きをもらった卒業生が、どんどん滑走禁止区域に入って事故を起こしてしまったとすると、このキャンプが事故を誘発する要因のように見られてしまう危険性がある。もしそうなったら、角皆君の善意は無駄になってしまうかも知れない。まあ、部外者の僕が心配しても仕方がないことだけど・・・・。


木洩れ陽


 白馬は、昨日の午後から、雪が降り始め、結局はそんなには積もらなかったけれど、それでも、前の日まで至るところ草がむき出しになっていたゲレンデでは嬉しいだろうなあ。僕も、最後の朝でもあるし、早朝散歩に出た。あちらこちらの電線から積もった雪が連なって落ちていく。見ているときれいなんだけど、電線をくぐる度に首筋に落ちてこないかとびくびくした。
 木々の間から朝日が筋となって差し込み、梢から粉雪がスローモーション・ビデオのようにハラリと舞い降りていく様を映し出す。粉雪の群れは、その瞬間レースのように輝く。その美しさにはっとする。こんな光景に出遭えるのも、白馬ならではだ。
 お散歩から帰ってくると、遠くに見える白亜の殿堂であるカーサビアンカが青空に映えていた。Casabiancaとはイタリア語で「白い家」という意味である。


青空に映えるカーサビアンカ

 荷物をまとめて部屋を出る時、両手を合わせて目をつむり、こうつぶやいた。
「ありがとうございます、この部屋。ありがとうございます、マスターやみなさん。ありがとうございます、五竜スキー場のゲレンデよ」
それから荷物に向かって、
「ありがとう、スキー板よ、ブーツよ、ヘルメットよ、ゴーグルよ、ウェアーよ。また次のシーズン、僕を助けてね」
そして、角皆君の家がある方向を向いて、
「ありがとう、角皆君、美穂さん。僕たちの友情は永遠だね」
と感謝の言葉を述べた。

 こうして、僕のスキー・シーズンは全て終了した。バスが日野の停留所に着くと、妻が高速道路の下で車に乗って待っていてくれる。今日は聖木曜日。復活祭の到来は、ヨーロッパでは春の訪れを告げるけれど、僕の心も、雪に閉ざされた冬山から陽ざしの明るい春へと衣替えしなければ・・・・うーん、でもまだ未練がある。
僕は、どれだけスキーを愛しているのだろう。

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