パリから

三澤洋史

パリは三澤家の歴史
 パリにいる。よく考えたら、なんと10年ぶりだ。ちょうど二人の娘がひとつのアパルトマンに住んでいた2006年の4月の終わりから5月の初め、僕たち夫婦はパリに飛んで彼女たちの部屋に泊まり、さらにそこからみんなでローマ、アッシジ、ナポリ、ソレントなどへの旅行をした。興味のある人は、2006年の「今日この頃」のイタリア紀行文を読んでみてね。
 あの頃、長女の志保は、パリ地方高等音楽院(CNR)のピアノ科を最優秀で卒業した後、伴奏科に入り直して新しくスコア・リーディングなどを勉強し始めたばかりだったし、杏奈は、マルメゾンのコンセルヴァトワールでクラリネットを勉強し始めたばかりだった。
 僕の生涯で、最も子どもたちの教育にお金がかかった時期。二人の女の子がパリで暮らすって、大変なことだ。しかも、その二人ともよく日本に一時帰国していたし、講習会に行くといっては、マジョルカ島だとかニースだとかに行っていた(これって先生達のバカンスのためじゃないの?)。杏奈なんか、有名なスキー場での夏の講習会で遭難しかけた。保険が利いて救難ヘリコプターのお金払わなくてよかったけど、ふうっ、親もいろいろ大変だったのだよ。
 だから4人で旅行なんかしている場合ではなかったはずだが、まあ、元来がオプティミストだから、なんとかなるでしょう、ということであまり心配しなかったんだね。まあ、結果的になんとかなったけどね。神に感謝。今でも妻とよく会話する。
「もし子供たちがパリに行かなかったら、絶対に別荘が建っていたね」

 妻は、僕の空白の10年間に、なんと3度もパリを訪れている。僕が六本木男声合唱団を連れてモナコ演奏旅行に行った帰り。文化庁在外研修でミラノに3ヶ月間の短期留学に行っている間にミラノに来たが、その後杏奈のところに。それから、杏奈がいよいよパリを引き上げて帰って来る直前の2012年のクリスマス前。その頃、杏奈はモンマルトルの丘の中腹にあるアパルトマンに住んでいた。家では、妻のことは「究極の便乗妻」と呼ばれている。
 さて、そんなわけで、パリは三澤家の歴史そのものと言っていい。90年代に、まだ小学生だった娘達を連れて2度も家族旅行しているし、1999年の夏に、僕がバイロイト音楽祭で働いている時に、家族は、当時ヤマハ・パリ支店長をしていた河野周平さん宅に泊めてもらってから、バイロイトの僕のアパートにやって来た。そのパリで、当時国立音楽大学附属高校ピアノ科1年生だった志保が、河野さんの紹介でジョフロワ先生のレッスンを受けたことがきっかけで、志保は16歳にしてパリに渡ったのだ。
日本のピアノの先生は、
「はい、こことここが弾けてないね。さらってまた来週来なさい」
というだけだが、ジョフロワ先生は、どういう指の使い方をして、どういう風に筋肉を使ったり力を抜いたりしたら、ここの表現がもっと音楽的になるか、とても懇切丁寧に教えてくれたそうだ。それに感動した志保は、もう、日本なんかでは何も学べない。パリに行かねばならない、と密かに決心し、ある時、
「ちょっと話があります。聞いてください」
と僕たち夫婦を呼んで、パリ留学を頼み込んだのだ。これには僕たち夫婦も感動したけど・・・・はっきりいって心配だったなあ。まだ高校2年生になったばかりの娘をひとりでパリに送り出すのだよ。まるで狼の中に赤ずきんちゃんを送り出すようではないか。本人も、ああは言ってみたものの、最初の内は、毎回一時帰国してからパリに戻って行く時に、飛行機の中で淋しくて泣いていたそうだ。
 今は、2歳5ヶ月の杏樹もいるので、しばらくは海外旅行どころではないが、僕たちが出発する前、ちょうど家に帰って来ていた杏奈とふたりで遠くを見つめてしみじみ言っていた。
「パリはさあ、あたしたちの青春そのものだったよね」
僕にしてみると、パリを青春と呼べる、そのこと自体が超うらやましいんだけどね。

フランス映画
 行きの飛行機の中で映画を2本見た。両方ともたまたまフランス映画だった。フランス語で上映され、字幕は英語しかなかったので、一生懸命聴き読んだので超疲れた。ひとつはDieu Existe(神は存在する)というタイトルだったので、真面目な宗教映画かと思って見始めたが、超ふざけたコメディー・タッチの映画であった。女の子が主人公で、
「あたしのお父さんは神です」
という言葉で始まる。そのお父さんは、大きな部屋に置いてあるパソコンをいじって、人間の運命を操っている。ある時、女の子は父親に反抗してパソコンを操作し、人間達に自分の死期を知らせるメールを送ってしまう。そして、洗濯機の中から長いトンネルを通って人間界に行き、イエスの12人の弟子にさらに6人の弟子を加えて18人にしようとする。なんとも荒唐無稽な話であるが、見ている内に気が付いた。馬鹿馬鹿しいストーリーの中に、フランス人らしいエスプリが利いている。
 もうひとつは、Les Nouvelles Aventures d'Aladin(アラジンの新しい冒険)。これもストレートプレイからはずれているフランス映画らしい内容。クリスマスにデパートで、仕事としてサンタクロースの格好をさせられている若者がいる。彼は店から頼まれて、そこに集まってきた子どもたちに何かおはなしをしなければならないが、全然気が乗らない。そこで嫌々「アラジンと魔法のランプ」の話しを始めるが、普通に話したらつまらないので、勝手に筋書きを変えてしまう。次のシーンでは、その話の中に映像が入り込んでいく。途中、何度かデパートの情景に戻る。最初は、面倒くさくなった彼が、
「ということでめでたしめでたし。おっしまい!」
と無理矢理終わろうとするので、子どもたちが、
「えーーー!うっそー!だめだよそんなの!」
と抗議する。ある時は、あまりにいきあたりばったりに話すために、ストーリーが行き詰まってしまう。すると子どもたちが、
「こうしたらいい!」
と意見を言う。彼はそれを取り入れる。そのことで多少筋書きが変になるが、それも面白い。

魔笛のアイデアが湧いた!
 こんな風に、インターラクティヴに物語が進んでいく手法が超楽しかった。それでね、僕は見ている間に、ひらめいてしまったのだ。というか、盗んでしまったというか・・・・。今度の7月の新町歌劇団で上演する「魔笛」ハイライトの筋書きが!
 「魔笛」の前の第1部で、昨年新国立劇場合唱団の文化庁スクール・コンサートに先立つワークショップのために「発声のこころえ」という曲を作曲した。姿勢、呼吸法、共鳴の仕方という3つの発声法のポイントを歌に乗せて演奏し、生徒達も参加して一緒に歌うための曲である。この曲を上演するために、子どもたちを集めており、「魔笛」でも参加させることになっている。
 「魔笛」では、僕が台本を自分で読み上げながら進めていこうと思っていたのだが、このフライトの間に考えが変わった!僕も出演してしまうのだ。そして、「アラジン」のように2重の舞台設定をして、子どもたちに話して聞かせるような演技をしながら、「魔笛」の中の物語を進めていこうというアイデアが湧き出てきたのである。

 というか、フランス映画って面白いね。恐らくハリウッド映画的に言ったら決してアカデミー賞など取れないタッチで作られているし、狙うつもりもないのだろう。それにしても、あのギャグのセンスったら!それも、時としてズコッてコケるようなダサいやつをあえてぶつけてみたり、フランス人以外だったら顔をしかめるに違いない下ネタだったり、ブラック・ユーモアだったり、もう自由自在!いやあ、フランスに着く前からもう僕はフランスそのものをシャワーのように浴びたよ。

入国審査
 さて、久し振りのパリであるが・・・・うーん、空港に着いて、入国検査の時点で、
「あっそうか、考え方を変えなければ」
と思い知らされた。日本のように何もかもスムーズにいくわけでないことを念頭に置かなければ、この先この国では生きていけないのだ。
 おびただしい人達の群れが、パスポート検査を待って並んでいるが、窓口がみんな閉まっていて3つしか空いていない。しかも、ひとりの検査員なんか、まるでみんなが待っているのを自虐的な歓びでじらしているかのように、ねちねちとひとりひとりに時間をかけている。
 そんなだから、列は全く進まない。どうしてこんな状態を平気で放っておくのかとあきれてしまうが、怒ってもエネルギーの無駄なだけだから、あきらめることにする。飛行機は午後4時半前に着いたのに、もうすぐ6時。なんと1時間以上経っている。後ろからは次の便で到着した乗客が次々列に加わってきた。もう絶望的。そう思ったらなんだかおしっこしたくなってきた。しかし、もし今ここを離れてトイレに行ったら、また列の最後列に並ばなければならない。そうなったら、今晩中にこの関所を抜けてフランスに入国するのはとうてい不可能・・・・そう思って意気消沈していたら・・・・おっ、2つの窓口が開いて、若いお兄さんとお姉さんがてきぱきと仕事し始めたぞ!しかも、このふたり、どんどんパスポートをさばいて、人を通していく。列が急に動き始めた。心なしか他の検査員達もつられて仕事が速くなった気がする。
 ということで、やっと入国検査を終え、トイレに駆け込んだ。ふうっ!それから手荷物引き取りのベルトコンベアーに向かって急ぐ。日本と違って、いつも外国では、預けた荷物が出てくるのが遅くていらいらするが、今回ばかりはもう着いていた。そりゃそうだろう。1時間半経てばどんな荷物も着く。スーツケースはパスポートを見せなくていいのだ。スーツケースになりたかった。

いろいろ書きたいが・・・
 宿泊先のアパートメントホテルであるCitadines Montmartre (シタディーヌ・モンマルトル)は、モンマルトル墓地のすぐ南に位置し、清潔でとても居心地が良い。


ムーランルージュ

最寄りのメトロの駅はBlancheブランシュだが、駅前にムーラン・ルージュがある。この界隈は、レストランや様々なお店が建ち並び、とても便利。


Citadineからの眺め昼

 9階の窓からは、遠くサクレ・クール寺院が見える。朝陽が登ることは息を呑むほど美しいモンマルトルの丘の光景が眼前に広がる。これからパリに来たら必ずここに泊まろうと決めた!


Citadineからの眺め明け方

 さて、パリの街角で感じた様々なことを書きたいが、書ききれないので、来週号に回しますね。ミュージカル「ナディーヌ」ゆかりの地特集も写真付きで組みたいのだけれど、あれもこれもやりだすととても時間が足りないので、とりあえず今週は、5月1日日曜日に、僕がどんな風に過ごしたか、ということに的を絞りたいと思います。

僕の5月1日の過ごし方
 5月1日日曜日。メーデーなので、早朝散歩に出ると、至るところでスズランを売っている。フランスでは、このスズランを、男性が自分の大切に想っている女性に買ってあげると幸運が訪れると言われている。2006年にも5月1日にパリにいたので、次女の杏奈に買ってあげたが、その後、そんなに画期的に幸運になっている気がしない(笑)。
 ところで僕は、昨日市場に行った時にすでに妻に買ってあげた。するとその後に買い物した八百屋のレジーのお姉さんが、妻が持っているスズランを見ながら、僕に向かって、
「それ、彼女に買ってあげたのですね」
と微笑みながら言った。

 今日はまず、明日の演奏会場となるマドレーヌ寺院での11時のミサに出た。シタディーヌから歩いて行った。聖歌隊は、特別にロンドンの聖歌隊が招待されていて、精緻なポリフォニーの合唱を響かせていた。僕たち夫婦は今日の聖句をあらかじめ調べ、日本語の聖書を見ながら、聞こえてくるフランス語を味わった。
 マドレーヌ寺院は不思議な教会である。ナポレオンの意図に従って作られた古代ギリシャ風の円柱に囲まれた外観は、およそキリスト教的とはほど遠い雰囲気を持っているし、マグダラのマリアを祀っている祭壇も、キリストや聖マリアを中心に据える教会の本筋からどことなくはずれているような印象を持つ。


マドレーヌ寺院の祭壇


 その後、午後2時からオケ合わせ。昨日はオケだけの合わせ稽古であったが、今日は、東京大学コールアカデミーOB会「グノーの会」の合唱と一緒。僕たち夫婦は、みんなと別行動だったので、パリで初めてみなさん全員とお会いする。
「こんにちは、みなさん!ようこそパリへ」
って僕が言うのも可笑しかったな。
 ところで、僕の「3つのイタリア語の祈り」の編成であるアコーデオン・ソロと弦楽器5人及びピアノの内、ピアノの三木蓉子さんだけは、日本から来たが、後のプレイヤーは全て現地手配。チェロの男性が日本人で、セカンド・ヴァイオリンの女性が、日本人とフランス人のハーフの他は、みんなフランス人。
 なので、昨日からフランス語で練習をつけている。これが、なかなか大変。もともとはフランス語の方がイタリア語よりも上手にしゃべれていたのだが、ミラノに留学したあたりからずっとイタリア語をしゃべる生活をしている内に、同じ語源を持つ単語はイタリア語に上書きされてしまった。だから頭に浮かんでくる単語がどうしてもイタリア語なのだ。それをフランス語に変換してしゃべるという不思議な操作をしている。
 それに、フランス語って数の数え方が変なのだ。元来60進法だったという理由から、70以上の数がない。69までは普通にsoixante-neufというのだが、70という数がないので、たとえば75は60のsoixanteをそのまま使い、それに足し算する形で、soixante-quinzeつまり60プラス15という言い方をする。
 もっと不思議なのは80をquatre-vingtsすなわち4×20と呼ぶ。そしてたとえば99をquatre-vingts-dix-neufすなわち4×20プラス19と呼ぶのである。演奏を止めていろいろな指示をし、次に始める時に、
「ええと・・・ええと・・・」
と余計なことで頭を使わなければならないので、面倒くさいったらありゃしない。
 そんなつたないフランス語でも、やはり現地語で練習した方が断然良い。僕も最初は、説明しずらい箇所は英語にしようと思っていたけれど、結局ほとんど全てフランス語で通した。フランス語の流れが生まれるので、それを壊したくないのだ。相手もフランス語で質問してくるし。勿論、音楽用語がイタリア語だから、poco a pocoをわざわざpeu à peuなどとは言わなかったし、リタルダンドはリタルダンドだから、それ故に何パーセントかはイタリア語になったわけである。

 ところでこの練習は、パリ市の最南端にある広大な学生寮、Cité Universitaire(国際学生都市)の日本館で行われたが、僕は昔、確か1995年頃だと思うが、ソルボンヌ大学が主催するフランス語夏期講習を受講した時に、ここのカナダ館に夏の間の4週間住んでいたことがある。カナダ館の屋根裏部屋は、二部屋ある家族用の部屋で空いていたため、夏の間一般向けに貸していたのだ。


国際学生都市にて

 家族を連れてここに住み、彼らは途中旅行に行ったが、僕はカナダ館から毎朝カルチェ・ラタンにあるソルボンヌ大学に通った。午後授業が終わると、付近のカフェでカフェ・クレームを飲みながら、復習を何時間もしたっけ。なので、ここに再び来られてとてもなつかしく嬉しかった。

 練習が終わってから、僕と妻はみんなと別れて、まずふたりでゆったりとお茶を飲んで練習の疲れを癒し、それから“奇蹟のメダイ教会”に行った。ここは、カタリナ・ラブレという少女のところに聖マリアが出現し、メダイを作るように命じたという、いわくつきの教会である。


奇蹟のメダイ教会

 聖堂の中はとても明るく、シスター達が沢山いて祈りを捧げている。妻は僕の隣に座ってロザリオの祈りを静かに行っている。そこまで信心深くない僕は、売店で購入したカタリナ・ラブレに関するイタリア語とフランス語の小冊子を比べながら読んでいた。
 あまりに心地よく静かな空間なので、とても短い間に感じられたが、実は時が経っていた。ここって、「パルジファル」の聖堂への入り口のように“時間が空間に変わる”場所なのかな?気が付いたら、
「おっとっと、こんな時間だ!大変!急がねば!」
という感じで、急いで、今度はルーブル美術館のすぐ東側にあるサンジェルマン・ロクセロア教会の7時からのミサに向かう。

 サンジェルマン・ロクセロワ教会は、グノーの第2ミサの初演がグノー自らの指揮で行われた場所である。「グノーの会」は、5月2日のマドレーヌ寺院での演奏会の後、3日にこの教会で演奏会を行う。そもそもこの旅の発端は、東大コールアカデミーのOBの内、現役時代にグノーの第2ミサを演奏した経験を持つ世代の者達が集まって、このミサ曲を初演した教会で演奏会を行うというものであった。だから、この教会での演奏こそが、本当は彼らの最終目標なのである。
 彼らは僕に、3日も演奏会を指揮してくれないかと頼んできたのだが、僕は、残念ながら、どうしても4日午後の「ローエングリン」立ち稽古初日までには帰らないといけないので、お断りしたのである。2日の演奏会を振っただけでも、3日にパリを出発して成田に到着するのは4日早朝になってしまうので、すでにギリギリのスケジューリングだから、みなさんの想いに寄り添えなくて、僕としては申し訳ない気持ちがある。
 
 この教会では、女性の少人数のコーラス・グループがグレゴリオ聖歌風の曲を歌ってミサを進めていく。とても清冽で美しく、心が洗われる思いであった。1日2回のミサのハシゴであったが、実に充実した主日の過ごし方であった。

 1日の最後は、団内指揮者の酒井雅弘さん夫婦や、ピアニストの三木蓉子さんのご両親と美術家であるお姉さんたちを交えて、カジュアルなフレンチ・レストランで、ワインを傾けながら楽しい食事と談笑の時を過ごした。パリの夜はいつしか更けていき、知らぬ間に夜中近くになってしまった。ほろ酔い加減でみんなと別れ、オペラ座近くから歩いてシタディーヌまで帰り、そのままベッドに倒れ込んで、朝までぐっすり眠った。

 さて、この原稿を書いている今日は、これからマドレーヌ寺院での本番が待っている。先ほど書いたように、演奏会の様子を含む残りの記事は来週にお送りします。元気に日本に帰ると思うし、帰った後は「ローエングリン」な日々に突入ですが、楽しみにしていてね。

それではパリの空からAu revoir!(さようなら)


モンマルトル脇の階段


Tweet   

 

当ホ-ムペ-ジに掲載された記事、写真、イラスト等の無断転載を禁じます。
Copyright ©  2004-2016 HIROFUMI MISAWA All rights reserved.