新町の「魔笛」大成功!

三澤洋史

新町の「魔笛」大成功!
 パパゲーノの「首吊りのアリア」の後、鈴を鳴らしてみると、可愛らしいパパゲーナが現れた。ふたりは「パ・・パ・・パ」と互いに言いながら少しずつ近づいてゆき、やがて抱き合う。そしてすぐに「子供が欲しいね」という話になり、パパゲーノが、
「まず、ひとりのパパゲーノ!」
というと、すかさずパパゲーナが、
「では、ひとりのパパゲーナ!」
と歌う。
「もうひとり・・・もうひとり!」
と互いに歌い続けて、いつの間にか大家族になっている。でも、そのしあわせそうな顔!これを見ていると、いつも僕は胸がジーンとなる。

 タミーノとパミーナは厳しい試練に打ち勝ち、最高の栄誉と賞賛を受ける。オリンピックで優勝する選手がそうであるように、選ばれた者には選ばれた者ゆえの、普通の人が耐えることの出来ない厳しい鍛錬の日々や苦悩と悲哀がある。だからこそ、彼らは人もうらやむような喜びを得ることが出来るのだ。
 しかしながら、それは限られた人たちにのみ与えられるものだ。モーツァルトの「魔笛」の中には、イニシエーションによって階級を高めていくフリーメーソンの思想がちりばめられているというが、パパゲーノという「凡人代表」のような存在に、モーツァルトのオリジナリティがあるような気がするし、モーツァルトは、最後にだけ登場するパパゲーノとパパゲーナのカップルに、とってもシンパシーを感じているのが、ありありと感じられる。
 とはいえ、モーツァルトが言いたいことは、凡人の方がいいということでは勿論ない。そうではなくて、彼は凡人の生きる道を示しているのだ。自分の助け手である伴侶を迎え、子供を作り、家庭を築き、そのために一生懸命働き、しあわせなる人生を生き抜くこと。そして、そのためには、善良なる人でいること。
「パ・パ・パの二重唱」が僕たちの心を打つのは、そこに「しあわせの原点」を見ることが出来るからだ。シンプルで特別な賞賛からは遠いかも知れないが、その道を貫くだけでも神の意にかない、天国への門は開かれるのだ。

 僕が、今回の新町歌劇団の「魔笛」で強調したかったことは、その点だ。そして、そのことは充分に聴衆に伝わったのではないかと思う。

 今から30年以上前、ベルリン留学から帰ってきたばかりの僕は、群馬県合唱連盟から呼ばれ、高崎の群馬音楽センターで群馬交響楽団と共に、モーツァルトの「レクィエム」演奏会を指揮した。そのことをきいた、僕の同級生で新町公民館に勤務していたT君は、僕に町民教養講座をやってくれないかと依頼してきた。
 町民教養講座は、通常は講演会などをやる枠組みで予算がついているものであるが、僕はその当時、あまり講演会などには興味がなかったので、その予算枠の中で東京から歌手を呼んでコンサートをやろうと考えた。演目はモーツァルトの「魔笛」に決めた。
 当時僕は、二期会(我が国で藤原歌劇団と並ぶオペラ団体)でオペラ副指揮者として働き始め、同時に二期会オペラ研修所の指揮者も始めたところであった。そのつてを伝わって、市川倫子(夜の女王)、国井美香(パミーナ)、田中誠(タミーノ)、松本進(パパゲーノ)という4人の歌手達を新町に呼んだ。市川倫子さんといえば、当時夜の女王を歌わせたら右に出る者はいないと言われていた大御所であった。その市川さんが会場を見た時、
「えっ?ここでやるの?」
と言ったほど、新町公民館3階ホールは、みすぼらしく小さかった。

 当初は、僕がナレーションをして物語りを説明しながら、ソリストだけの演奏会形式でやろうと思っていた。でも「魔笛」をやるからには合唱が欲しいなあと思った僕は、T君と相談して、合唱団を公募することにして広報に出した。こうして新町公民館合唱団が立ち上がった。
 僕にはひとつのもくろみがあった。これから自分は、東京での仕事が忙しくなっていくであろう。そうなると、この自分が生まれ育った新町に帰ってくるのは、お盆と正月くらいになってしまうかも知れない。それでは両親が可哀想だ。だから、ここに合唱団を作っておけば、嫌でも定期的に実家に泊まりに帰って来ることになる。そうして、そのもくろみは現在まで続いている。
 そうして即席の合唱団で「魔笛」の練習が始まったが、やり始めてみると、僕は、演奏会形式とは言ってみたものの、多少なりとも演技をつけたくなってしまった。それで本番を迎える頃には、合唱団は結構演技をするはめになっていた。普通の合唱団のつもりで入ってきた人たちは、話が違うと思っただろうな。「魔笛」公演が終わってから、次の活動を再開するために集まった合唱メンバーは、40名から半分の20名に減っていた。でも、その半分のメンバーは、演技をつけて歌うことに抵抗なかったのだろう。さらにその何割かは、むしろそのことに興味を覚えていたのかも知れない。
 このような過程を経て、新町公民館合唱団は、新町公民館を拠点として活動が開始した。一方、その町民教養講座に出席した町長(当時まだ高崎市とは合併していなかったので、多野郡新町だったから町長)は、
「こんなものが新町で聞けるなんて驚いた。だけど、こんなみすぼらしい公民館でやらせるなんて申し訳ない。これは、今声が上がっている新町文化ホールの話を早急に進めなければ・・・・」
ということで、運良くふるさと創生のばらまき資金のお陰も手伝って、あれよあれよという間に新町文化ホールが完成した。僕は、この新しい文化ホールのために、生まれて初めての大曲である創作ミュージカル「おにころ」を書き、その公演をきっかけに、新町公民館合唱団の名を新町歌劇団と改め、活動拠点を文化ホールに移して現在に至っているのである。

 新町公民館合唱団が「魔笛」を上演したのは1986年。今は2016年。すなわち、今年でちょうど30年経つ。そこで、原点に還って「魔笛」をやろうと思い立ったわけだが、勿論30年前と今とでは、いろいろが違う。同じようにやったのでは面白くない。そこで、今回ちょっと変わったことにチャレンジした。

 それは、「みさわせんせい」という人物を登場させ、そのみさわせんせいが、子供達に話を聞かせるという設定にしてみたこと。そのみさわせんせいを演じるのは、勿論僕自身なのだが、子供達のセリフとからんでいるので、僕自身も自分の書いた台本を覚えなければならない。
 魔笛はほぼ暗譜しているし、普通なら、指揮者である僕は、みんなのアラを探して自分はゆったりとリラックスしていられるのだが、今度ばかりは、自分も演じる側に回って物語を回していかなければならない。しかも音楽は指揮しなければならない。子供達と会話する時には、舞台上手前にある椅子にすわっているが、演奏中は舞台から降りて、舞台前の譜面台のところで指揮しなければならない。なかなか忙しい公演であった。

 タミーノとパミーナが火と水の試練に打ち勝ち、合唱団から「万歳!万歳!」の賞賛を受けると、僕は子供達に向かってこう言う。以下、オリジナル台本から。
三澤 ということで、タミーノとパミーナは最後の試練を立派に終えて、ふたりでこの国を治めることになって、いつまでもしあわせに暮らしました。はい、ハッピーエンド。おっしまい!
子供達 エーッ?駄目だよ、ダメダメ!
子供A まだ、なんにも解決していないよ。
三澤 なんで?
子供B パパゲーノはどうなったのさ?
三澤 いいよ、パパゲーノなんて。どうせ脇役なんだから。それに沈黙の試練すら守れないんだから。
子供C 駄目だよ。だって僕たちパパゲーノのこと大好きなんだから。ねえ!
子供達 そうだ、そうだ!タミーノより、パパゲーノの方が好き!
三澤 そうか・・・・そういえば、これを作曲したモーツァルトもね、本当はパパゲーノの方が好きだったみたいだね。というか、モーツァルト自身が、パパゲーノに似ていたようだよ。
分かった。それじゃあ、パパゲーノがどうなったか、見てみよう!
 子供達に「タミーノより、パパゲーノの方が好き!」と言われて、タミーノはガックリする。合唱団も、「もう一度やり直し!」と言われて、「あーあ・・・」という雰囲気になって戻っていく。しかし、この子供達との会話によって、それ以降のパパゲーノという存在が強調されることになる。冒頭に説明したような、凡人の生きる道が、より理解しやすくなるわけだ。僕の無理矢理の幕引きに異を唱えていた子供達は、今度はパパゲーノとパパゲーナの子供達を演じることになる。

 この「みさわせんせい」というアイデアは、予想以上にうまくいった。これによって「魔笛」の劇そのものがフレームの中に入り、それを客観的に眺める視点が生まれたのだ。うーん、これは面白いかも知れない・・・もしかしたら、他の演目でも出来るな。将来的にいろんな演目を「みさわせんせいシリーズ」にして作ってみようか。そうするとね、筋だけでは分かりにくいものを外側から説明できるんだよ。オペラの筋書きって、案外分かりにくいものが多いからね。
 今回の「魔笛」を観てくれた観客のほとんどが、
「分かりやすかった!」
という感想を述べてくれた。僕の高校時代からの音楽好きの親友も、
「『魔笛』は、何度も観たけどよ、初めて意味が分かったぜ」
と言ってくれた。それは、ひとえにこのフレームのお陰なのだ。僕自身もね、みさわせんせいを演じるのはとっても楽しかった。なんでもそうだけど、実際にやる人の方が絶対に面白いんだね。演技するっていうのも、やみつきになりそうだよ。

 30年の新町歌劇団の歴史があるけれど、同時に若い人たちのパワーは見逃せない。

ソリストの4人の中で最年少の肥沼諒子(こいぬま りょうこ)さんは、夜の女王を立派に歌い切った超絶技巧の持ち主、その後でパパゲーノを演じるのだから大変なのだけれど、両方を見事に描き分けてくれた。将来楽しみな逸材。
 その夜の女王とパパゲーナの両方をメイクの方から後方支援して描き分けたのは、手前味噌だけれど、僕の次女の杏奈。

特に特殊なつけまつげを使って、パパゲーナを可愛く仕上げてくれた。また、以前の「今日この頃」でも書いたけれど、今回新しく舞台美術を担当してくれた三木瑛子さんは、なんとその杏奈と同じ年だった。


それから、三人の次女達を演じてくれた新町歌劇団の若き3人娘も忘れてはいけない。
 勿論、揺るぎない歌唱力と演技力を誇るベテランたち、すなわち凛々しいタミーノを演じてくれた嘉松芳樹(かまつ よしき)さん、パミーナの憂いと清潔感をたたえた國光ともこさん、そしてなんといっても、パパゲーノの魅力をあますことなく表現してくれた大森いちえいさんは、みんな僕の宝だ。


 みんなみんな、ひとりひとりにお礼を言いたい。ありがとう!新町歌劇団は、30年の節目を経て、次の40年目にもう向かっている。来年の7月30日には、再び群馬音楽センターでの「おにころ」公演が決定している。まだまだ、僕は突っ走るぞう!

携帯が出てきました!
 7月19日火曜日の晩。僕は関口教会にいて、8月の聖歌の選曲会議をしていた。その最中に妻からLINEによる書き込みがあった。ドコモから電話があって、携帯が出てきたというのだ。家に帰ってきてから24時間ドコモ・サービスに電話をかけると、渋谷警察署に保管してあるという。
 次の日、渋谷警察署に行って係員から話を聞いた。なんと、渋谷109のところの交番に届けられていたという。携帯をなくしたあの日、家から護国寺までの道のり、すなわち分倍河原駅から京王線と都営新宿線を通って、有楽町線に乗り継いだどのルートとも違う。
 想像するに、たとえば京王線内で僕の携帯を拾ったその人は、明大前から東横線に乗り換え、急いで渋谷に行かなければならなくて、そこで届けてくれたのかも知れない。出来れば会って話を聞きたいところだが、警察は教えてはくれなかった。僕とすれば、拾ってくれた人に心ばかりだけどお礼をさしあげたいところなんだけどね。
 ともあれ、もう二度とお目にかかることはないだろうと思っていたガラ携が手元に戻ってきた。そして、不思議なことに、そのことをきっかけに、僕の混乱に満ちた不幸な日々は突然終わりを告げた。ねらいをさだめたように訪れ、いっせいに去っていった、呪われた夏の一期間。あれはなんだったのだろう?
 こうしたことって起きるんですよね。僕たちは運命に翻弄されているんだよね。そこから「魔笛」までの数日間は、ポジティブな追い風がずっと吹き続けている。でも、あの不幸な日々をどう過ごしたかということは、これからの自分の人生に大きな影響を投げかけるような気もしている。
 というのは、これからネガティブな日々が訪れようとも、僕には多少なりとも覚悟が出来てきたのだ。それに、僕には祈ることが出来る。それに気づかされたのも、この日々の間だ。
 仮に「魔」というものが世の中に存在して、僕の「ナディーヌ」や「ラインの黄金」や、すべてのこれからの活動をいくら妨害しようとしても、僕は祈りの力で、それら全てに打ち勝ってみせる。僕にとって“魔法の笛”とは、“祈りの力”だ。そして、戦うのは僕ではなく、神様なのだ。

 すぐドコモ・ショップに行って、データ移行を行い、連絡帳が再びいっぱいになった。ふうーっ!よかった!さあて、まだまだ始まったばかりのこの夏を、元気いっぱい乗りきるぞーっ!



 


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