愛知祝祭管弦楽団は、必ず行列の出来るオケになる!

三澤洋史

愛知祝祭管弦楽団は、必ず行列の出来るオケになる!
 「ラインの黄金」の最後の和音は切りたくなかった。これを切ってしまったら終わってしまうと思った。しかしそうもいってられないので決心して切った。その瞬間、会場のあちらこちらから同時多発的にブラボーの叫びが響き渡った。
 僕はひたすら「描く音楽」をめざした。「ラインの黄金」で、ワーグナーは音楽でストーリーを描き彩ることに徹したから。巨人の登場の、笑ってしまうような巨大な管弦楽。ローゲの狡猾さやあざとさのジグザグな半音進行。しょっちゅう怒っている「かみなりさん」のドンナー。後先考えずに借金をして建てたワルハラ城の完成を無邪気に喜ぶヴォータンと、その無責任さをなじる妻フリッカ。
 ワーグナーの素晴らしい音楽がなかったなら、ベッドの上での寝かしつけのお話にもならないほどの、たわいない物語。しかし、ひとたびこの大管弦楽がつくと、物語は魔法の力を得てどこまでも飛翔していく。地下のニーベルング族が住むニーベルハイムでの鍛冶の音は、愛知県芸術劇場コンサートホールいっぱいに響き渡った。その魂を揺さぶる根源的な響き!これは聴くというより体感するものだ。
 楽しかった。自分の指揮棒で、物語に寄り添って作られた音楽をひとつひとつ描いていく歓び。これこそワーグナー指揮者の醍醐味なのだろう。

 2時間半立ちっぱなしでの上演のため、トイレとかも心配だったし、途中で喉も渇くんだろうなあと思った。本番前にトイレに行って、
「さあ大丈夫!」
と舞台裏に出て行こうとしたら、
「本日の公演、5分押しで開演します」
という楽屋アナウンスを聞いて、もう一度トイレに行った。
 立つことはちっとも苦にならなかった。それどころか、それぞれのモチーフを描くのが楽しくて、もっと動き回りたかった。ローゲと一緒に踊りたくもなったし、ニーベルハイムの金床は自分でも叩きたかった。「ナディーヌ」でカホンやタンバリンを叩いたように。
 汗は出た。最初の「ラインの川底」では、まるで指揮の見本のように周到に振り、それぞれのアインザッツももらさず出した。しかし第2場の巨人の登場くらいから、オケに流れが出来てきたと思って、少し肩の力を抜いた。すると、さっきまで出ていた汗が逆に引っ込んでいくのを感じた。それから先は、有酸素運動で、もう何時間でも振れる感じだった。

 本番の日(9月11日日曜日)の朝6時。僕はホテルからお散歩に出た。名古屋のテレビ塔の近くに、ロス・アンジェルスから姉妹都市提携25周年を記念して送られたという白頭鷲の彫刻が翼を大きく広げている。それは「自由の魂」というタイトルを持つが、その姿に胸を打たれた。向きからして、飛び立つというよりも、おそらく着地する瞬間だろう。


朝の散歩で

 それから市役所近辺の緑の多い地区を歩き回り、有名な音楽高校の明和高校の横を通り過ぎて、あてどもなく歩く。すると突然、“白壁”と呼ばれる古い日本的な町並みが現れた。
 1985年に愛知県立芸術大学の非常勤講師になって以来、もう30年も名古屋に来続けているが、こんな所があるなんて知らなかった。その一画にカノッサ修道女会養成の家という建物があった。庭を何気なくのぞくと、何人かのシスター達がどこかに出掛けようとしているところだった。
 約1時間歩き回ってから、名古屋教区のカテドラルであるカトリック布池教会の7時のミサに出る。すると、先ほどのシスター達が僕の前の方に座っていた。聖歌があまり小さい声で歌われるので、僕がひとり大きな声で歌うのが恥ずかしくて、ほとんど黙って聞いていた。こういうのは本当は積極的に参加しなければいけないのだろうが、まあ、大聖堂に静かに響き渡る聖歌をぼんやり聴くのも悪くないと思った。
 また、こういう演奏会の朝などは、本当は、
「今日の演奏会、うまくいきますように!」
と祈った方が信者らしくていいのだろう。でも僕は、どうもそういう気になれないのだ。というより、聖堂に入って、今日の演奏会のことをイメージしただけで、もう僕の心の中には成功の確信があった。成功する時は分かるのだ。胸に暖かいものが宿るから。だから、僕がするアクションは“感謝”だけ。まだ演奏会が始まってもいないのに、
「神様、今日の演奏会を成功させてくださって、ありがとうございます!」
こういう祈りが自然に出来る時は必ず成功する。


白壁

 僕たちは日々世界を創造している。僕たちの世界は、僕たちがイメージした通りになる。僕たちが出す波長に、まわりが動かされていくともいえるし、僕たちの心が愛に満たされて輝いていれば、天上界から助けが来るともいえる。その天上界は時空を超えているので、まだ来てもいない演奏会後の成功体験を、すでに朝のうちに味わうことが出来るのだ。だから感謝が出来るというわけである。
この奥義をあなたは理解できるだろうか?

 ソリスト達はいっぱいいるので、全部紹介しきれないが、皆さん本当に持てる力を出し切ってくれました。一週間前の通し稽古で、演出家の佐藤美晴ちゃんから、動きの説明を受けて、
「ええっ?動くの?やだな・・・」
なんて言ってたくせに、前日の練習では、どんどん動き出して、
「ありゃりゃ、動いているやんけ。あんまり動きに没頭すると、アインザッツが落ちるから、ほどほどにしてね。演奏会形式なんだから」
と僕に釘を刺されるほどだった。
 ヴォータンの青山貴さんは、京都でさんざヴェルディの重いアリアを歌わせたけれど、ワーグナーも素晴らしいね。数日前に国立のスタジオでコレペティ稽古をしたのが功を奏して、各表情が際立っていた。なんて輝いた声。声自体にオーラがある。
 同じスタジオで、長谷川顯さんの稽古も行った。すでに大きな公演でファーゾルトを歌っているので、ほとんど暗譜していたが、なにせ2階席なので遠いから、テンポの摺り合わせだけはしておかないといけなかった。オケの練習だけだと、そういうところが大味になってしまうので、コレペティ稽古は必要なのだ。
 またミーメの神田さんとアルベリヒの大森さんは、当日ゲネプロの前に、指揮者楽屋のピアノで何カ所かの稽古を行った。ファフナーの松下雅人さんも、廊下を歩いていたのをつかまえて、転調で音を取るのが難しい箇所の確認を行った。マエストロだからってふんぞりかえっていて、歌手がミスをしたら、歌手だけのせいにするような指揮者にはなりたくないのだ。最後まで最善を尽くすべきなのだ。
「人の子は仕えられるために来たのではなく、仕えるために来たのだ」
という聖書の言葉を、指揮者はいつも肝に銘じていなければならない。そして、彼らが自分の持てる力を遺憾なく発揮出来たなら、それを指揮者は自分のことのように喜ぶべきなのだ。その意味でも、僕は嬉しかったよ。稽古したところは全てうまくいったから。

 ローゲの升島唯博(ますじま ただひろ)さんの素晴らしさ!ドイツに長く住んでいた人で、ドイツ語のテキストの語り口が秀逸。そして彼の作り出したローゲのキャラクターも文句ない。「ジークフリート」では、すでにミーメをお願いしている。
 エルダの三輪陽子さんはピッタリだったなあ。オケの前のあの位置も良かった。オケ練習の時にも感じたのだが、あの場面になってエルダが歌い始める瞬間、時空が曲がる感じがする。あのホール内にいた全員が異次元にトリップしたよね。それを導き出すためには、ただ声が良いとか歌がうまいということでは成し得ない。その歌手の生き方とか、存在そのものが問われるような気がする。その意味でも、三輪さんという歌手は希有の存在である。
ああ、いくら書いても書き切れない!とにかく、みんな本当にありがとう!Bravi tutti!


「ラインの黄金」のソリスト達

 演出の佐藤美晴ちゃんは、前回の「パルジファル」からさらに一歩進んで、才女ぶりを発揮してくれた。最初の打ち合わせの時に、僕は彼女に向かって、
「今回は『パルジファル』のように抽象的じゃないので、ところどころは何か具体的なものを出して欲しいな。そこはねえ、チープな感じになっちゃっていいよ。笑いがくるくらいでもいい」
と要求した。
 それが、あの大蛇の目になったり、トランペットの蛭田さんが操ったカエルになったりした。カエルに聴衆が笑ってくれたときは、ヤッターって思ったよ。オケのメンバーもおしゃれで可愛い衣装を着て、照明も秀逸。簡素だが効果的な舞台が出来ました。それと、モーツァルト200合唱団メンバーを中心とした「キャー隊」と呼ばれる叫び声担当の人達もありがとう!本番は迫力満点でした。
そうした舞台を全て仕切ってくれた美晴ちゃん、ありがとう!来年以降もまた頼むね。

 そして何より、約1年かけてこの大作に取り組んでくれた愛知祝祭管弦楽団のみなさん!本当に本当によくやったね。僕の親友の角皆優人(つのかい まさひと)君が、終演後こう言ってくれた。
「ゲネプロから聴いていたけれど、本番はなにか魔法がかかったみたいになった。『パルジファル』の頃は、(コンサート・マスターの)高橋広君がみんなを引っ張っている感じだったけれど、今回は、オケのみんなが高橋君のようだったね」


大森さんのファンになった角皆夫人

 あははははは!高橋君は、いつもやり過ぎて僕に注意されるけれど、彼の情熱たるやハンパじゃないからね。その過剰情熱に以前はヒイていた人もいたかも知れない。でも、今回は高橋ゾンビの増殖か・・・これってヤバクない?

 ともあれ、今や僕にとって世界で一番好きなオーケストラです。君たちは僕の誇りであり、この世における財産です。僕はこのオーケストラと共に残りの人生を生きていこうと本気で思っているんだよ。そして、このオーケストラを必ず「行列の出来るオケ」にしてみせる。いや、実際もうなりかかっている。東京や関西からわざわざ来てくれる人達が少なくないし、あのコンサートホールをほぼ満員にしたのだからね。
 批評家の東条碩夫氏やジャーナリストの江川紹子さんも来てくれた。 東条氏は早速ホームページに批評を書いてくれた。

時に、歯に衣着せぬ厳しい批評をも厭わぬ東条氏だけに、その言葉一つ一つを噛みしめながら読ませていただいた。
 一方、江川さんは、打ち上げまで残ってくれて、とても褒めてくださったが、特に、
「ライトモチーフのひとつひとつに表情があって、みなさんの思い入れを感じました」
というコメントが嬉しかった。これこそ、長い時間をかけてひとつひとつ説明しながら練習していった成果だからね。こういう地道な努力が認められたときは嬉しいね。


江川紹子さんと

 角皆君が言った「魔法がかかった」状態には、本当になっていたんだよ。さっきの話に戻るけれど、天上界からの助けは本当にありました。朝、僕に予感として約束してくれたように、天上界がコンサートホールに魔法をかけてくれたんだよ。
 ということは、愛知祝祭管弦楽団という「現象」は、天上界によって承認され、守り導かれているということだ。そしてその守りは、僕が生きている限り続いていくのだ。

オケのみなさん、これを僕は君たちに約束する!

 さて、これで大きな夏の公演は終わった。これから時間をかけて「ナディーヌ」の総括を自分自身のために行う。写真も沢山あるし、書きたいことも山ほどあるが、「ナディーヌ」公演が終了しても忙しくて、落ち着いて自分の「ナディーヌ」に浸ることも出来なかった。そうこうしている内に、「ナディーヌ」に関わっていた人達からは、
「本番直後も、次の週もあまり書いてくれないので、三澤先生は『ナディーヌ』のことを忘れてしまったのではないかしら?」
という声があちらこちらから聞こえてきそうな気がしている。
 でもねえ、よその子がどんなに優秀で素晴らしくても、自分の子供を忘れる親がいる?まあ、もしいたとしても僕は決して忘れない。どんなにモーツァルトやワーグナーが素晴らしくても、自分のお腹を痛めて産んだ子だけは特別なのだ。ということで、来週あたり「ナディーヌ」の総括記事を書くと思います。楽しみに!

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