ああ、飛鳥!

三澤洋史

比叡山
 10月25日火曜日。午前中、なんと比叡山に行ってきた。比叡山延暦寺への旅と言えば、本当はそれだけでも一日がかりの行程だが、僕とすれば根本中堂のある東塔(とうどう)エリアだけでもいいから訪れてみたかったのである。というか、そもそも比叡山という山そのものに行くのが目的だったのかも知れない。
 天台宗の総本山。その秘境とも言える山の中で、禅などの厳しい修行に明け暮れる僧院。法然も親鸞もここで学んだ後、山を降りたが、逆に言えばここでの徹底したストイックな日々が、彼らのその後の阿弥陀如来にすがる慈愛に満ちた浄土宗を生み出した反面教師だと言えるし、ともすれば「生ぬるい」とのそしりを受けがちな浄土宗への批判に対して、「自分は一度はここで修行した身。最初から甘ったれた気持ちで阿弥陀如来に向かったわけではない」
と言い切れる彼らの立脚点でもあったかもしれない。だとすれば、その厳しさを、あたりの自然もろとも味わい尽くしたい、と僕の潜在意識が願っていたようだ。

 京阪電車で終点の出町柳まで乗り、叡山電車に乗り換えて八瀬比叡山口(やせ ひえいざんぐち)まで行ってから、今度はケーブルカーとロープウェイを乗り継いで比叡山頂駅まで一気に行く。その日は、ふもとでも雨がちらついていたが、ロープウェイの山頂駅を降りた途端、凍るような寒気が僕を包んだ。あたりには霧が立ちこめている。
 山頂駅からシャトルバスに乗ろうと思っていたのだが、看板を見たら「根本中堂まで徒歩30分」と書いてあったので、行きだけでも歩いてみようかなという気になり、シャトルバスはやめてうっそうとした山道に踏み込んだ。

 雨は降っていない。その代わり深い霧に包まれている。視界はとても悪い。よく言えば神秘的。悪く言えば、今ここに天狗や妖怪が現れてもおかしくないほど不気味。霧のせいであたりはかなり暗いが、そもそも高い杉の木が空を覆い尽くしているので、恐らく晴れていても昼間から鬱蒼としているに違いない。足場も悪い。スニーカーを履いているが、トレッキング・シューズの方が良かったかなと思うほど。


比叡山中

 こんなところを延暦寺の僧侶達が行き来していたのか・・・歩きながら「あ、そうか・・・」と気がついた事がある。傾斜は結構急なのだが、実は登っているのではなく下っている。延暦寺は滋賀県に属している。京都から来る場合、比叡山頂を通り越してびわ湖の方を向いた斜面に広がっているのだ。かつて延暦寺の僧侶達が都に下っては悪さをしていたというが、ロープウェイもない時代に彼らが京都の街に出てくるのは一苦労だっただろうな。この坂を一度登ってから洛北に向かって降りて行ったのだ。

 この自然歩道を看板通り約30分かかって降りて行くと、戒壇院という、東塔エリアの横っちょの、特に大きくも立派でもない建物に辿り着く。道の途中に「ここから先は拝観料の要るエリアになります」というような立て札が出ていたが、特に柵も料金所もないまま東塔エリアに潜り込んでしまった。不思議に思いながら下に降りていったら根本中堂があったので、ここでお金を払おうと思ったら、「ご自由に拝観下さい」と出ている。工事中であったが、内部はそのままで、1200年間灯り続けているという「不滅の法灯」もタダで見てしまった。あれれれ?
 その後、お店でショウガ入りのおいしい甘酒を飲み、体を温めてから阿弥陀堂に行った。僕は、やっぱり阿弥陀如来が好き。お線香を灯し、正座して心を合わせ、それからあたりにたたずんでしばらくいた。心がポカポカするので、ずっと居たいと思った。それから、シャトルバスの停留所を探したけれど見つからない。面倒くさくなってしまって、帰りも歩こうと思って再び山林の道に足を踏み入れていった。あーあ、タダで拝観してしまった。


霧の阿弥陀堂

 帰り道を歩き始めてすぐ、古い石仏があったのを発見して立ち止まった。あんな立派なお寺や仏像を見た後なのに、不思議と心惹かれた。後からネットで調べてみたら、その隣の小さな社は弁慶水と呼ばれていて、かの武蔵坊弁慶が修行をした所だという。その後の道は、行きは楽ちんだったが、結構な上り坂なので汗が噴き出し息が切れた。
 こんな風に、トレッキングのついでにお参りしたような比叡山での半日であったが、これ自体がちょっとした山野の荒修行のようで、心地よい満足感を抱きながら僕は2時からのオケ付き舞台稽古に出た。


弁慶水


西本願寺に通う
 10月26日水曜日。午前6時過ぎ。散歩して西本願寺に来ている。本堂の中はほぼ満員。今日は特別に、他の地から巡礼団の一群が来ているようだ。凄いな、日本人ってこんなに信心深かったんだ。勿論、ここが京都ってこともあるけれど、普段でもそこそこの人たちが朝の勤行に出ている。東本願寺でも東寺や他の寺でも同じ様だから驚く。
 キリスト教なんて、我が国では1パーセントにすら満たないし、それ以上増える可能性も薄い。それを考えると、仏教の普及率と共に、普段、
「無神論です」
なんて言っている人たちも含めて、本当はみんな信じているんじゃないか。実に不思議な国民だ。
 もしかしたら、キリスト教のように複雑な宗教は日本人に合わないのかも知れない。イエスが我々の罪のために十字架に掛かって死んでくれたのだから、我々は自らの罪を悔い改めて・・・っていうの、面倒くさいよね。それよりも、弥陀の慈悲にすがって南無阿弥陀仏と唱えれば、誰でも極楽浄土へ・・・という方がシンプルでいいし、何より自分が咎められなくていい。

 そう思っていたら、その朝の僧侶の法話が、これまで聞いていたものと違って、そんなにお気楽でもなく、実に刺激的であった。まず、驚いたことに、僧侶はマザー・テレサの列聖の話題から始めた。それからこう話を続ける。
「凡愚(ぼんぐ)という言葉があります。私も含めて人間は皆弱い。欲深く、ものごとを正しく理解する知恵を持ちません。私も、とてもマザー・テレサのようにはなれません。しかし、だからといって『私たちは所詮凡愚だから』などと言って安心していてはいけません。阿弥陀如来は、どんな愚かな者も救うという願いを成就しなければ決して仏になるまいと決心したのです。その弥陀の本願を思う時、私たちは念仏をただ唱えるのではない、むしろ念仏を生きなければならない。その中で、どうしても己の弱さを感じさせられますが、これを見つめることから逃げてはいけないのです。そして弥陀の慈悲を信じて、弱いながらも勇気ある一歩を踏み出すのです」

 ブラボー!って思わず叫びそうになった。おっととと・・・ここはオペラ劇場ではなくお寺だった。凄い!こんな説教が、カトリックの神父様からいつも聞くことが出来たら、キリスト教も1パーセントをたやすく越えられるであろう。
 というか、弥陀をキリストに置き換えれば、神父も同じ説教が出来るよ。教皇フランシスコは、「いつくしみの特別聖年」への勅書で、こう記した。

Gesu Cristo e il volto della misericordia del Padre.
イエス・キリストは、父なる神の、慈悲としての現れ(顔)である。
 僕は、ホントのところ、イエス・キリスト=阿弥陀如来でもいっこうに構わないと思っている。イエスでも阿弥陀如来でも、地上を離れた天上界においては、我々が愚かな頭脳を使ってイメージするような、わずか2メートルにも満たない人間の形をした存在のままでいるわけがない。
 むしろ宇宙にあまねく広がる霊的エネルギーとして存在し、神の慈悲なる面をつかさどり、凡愚なる人間と神との仲介役を受け持っているとすれば、もはや、イエスと阿弥陀如来との差などいかばかりのものであろう。
 マイルス・ディビスの頭の中には、良い音楽しかなかった。だからコルトレーンやハービー・ハンコックが、いくら自分を越えて素晴らしい音楽を奏でようとも、彼には嫉妬心は皆無だった。それだけ、自分のミッションに対して無私の状態になれば、自我は消滅していく。自我が消滅していったら、もはやミッションだけが残る。
 イエスと阿弥陀如来という個性の違いは天上界でも残るだろうが、ふたりは同じミッションに携わっている。もはや、どっちが偉いという次元ではない。もしかしたら、お釈迦様がインドから西の方にいるといった阿弥陀如来とは、まだ受肉する前にユダヤの天空に漂っていたイエスの霊体だったのじゃないのかとも思う。そうであってもそうでなくてもどっちでもいい。

 こんな話を書くと、熱心なカトリック信者の中には、
「三澤さんったら、お寺ばっかり行って、頭おかしくなったんじゃない?」
と心配している方もいるかも知れない。でも、僕は大丈夫。むしろ、阿弥陀如来へのアプローチは、僕にイエスへのより深い理解と愛をもたらすのだ。
 浄土系の宗派ではよく弥陀の本願というが、イエスの心って考えてみたことあるだろうか?彼も、阿弥陀如来と同じように衆生を救済しようと志を抱いてこの地上に受肉したのだ。その本願とは、やはり全ての人間の魂の救済であろう。本当にそれを考えたなら、僕たちみんなじっとしてはいられないのではないか?僕たちは、彼の本願が成就する日が来るまで、平和を作り出す人として命を賭けて行動していかなければならないのではないか?

ああ、飛鳥!
 10月27日木曜日は、ロームシアター「フィガロの結婚」第一回目公演と第二回目公演の間にはさまれて一日オフ。早朝は再び西本願寺に行って読経と講話を聞いて帰ってきた。それから用意して出かけて、京都駅から近鉄に乗り、向かう先は飛鳥(あすか)。
 飛鳥駅でレンタサイクルを借りて石舞台をめざす。普通の自転車は1日乗り放題で900円。電動アシスト付きは1500円。運動になるからと迷わず普通の自転車に乗ったが、走り始めてすぐに結構な上り坂。しかもかなり続く。おっとっと、電動アシストにしておけばよかった・・・。
 10月終わりにしては暖かい。上り坂でふうふう言っているのもあって、パーカーを脱いで半袖のTシャツだけになった。雲はあるけれど、どこまでも抜ける真っ青な秋空の下、明日香村の空気は澄み切っている。山の間の、妙にのほほんとした田園風景の真ん中に、なんだか場違いな感じで白っぽい巨大な石が無造作に寄り合い積み重ねられている。石舞台だ。


石舞台


 ここに来ることを何度も夢見た。どうしてだか分からないけれど来たくてたまらなかった。そして今ここに佇んでいる。やはり来る運命だったのだと納得している自分自身がいる。石舞台を遠くから眺めるだけなら拝観料は要らないが、やはりそばに行って見ないと分からない。何が?そこから発するパワーだ。
 石舞台の内部には誰でも入れる。石は外から見ても盛り上がっているけれど、むしろ地中に潜っている部分が大きく、階段を下りて中に入ると、巨大な空間に威圧感を覚える。というか、もの凄い霊的パワーを感じる。石が僕を呼んでいるような気がしたので、壁に手を触れてみる。その瞬間、何かがビビビッと僕の体内に入ってきた。胸が高鳴り、体の内部がポカポカと暖かくなってきた。何だろうこれは?埋葬された者の霊?いやいや、それは邪気ではない。古代の息吹?大地のエネルギー?
 複数の学校の小学生達が入れ替わり立ち替わり先生達に連れられて洞窟に入ってくるが、僕は気にしないで、ずっと手を壁にかざしたままたたずんでいた。まあ、言ってみれば、
「ただいま霊的パワーを充電中(笑)!」
って感じ。実際に大きなパワーをもらって元気溌剌になった。なんだかんだで1時間くらいいた。


石舞台内部

 それから再び自転車に乗ってのどかな田舎道を走って飛鳥寺を訪れる。日本最古の仏像は、変な顔しているのであまりピンと来なかったけれど、鐘撞き堂で鐘を突いたら、そのズーンとした響きと共に、お腹の奥の丹田までパワーが浸透してきた。やっぱり鐘にはパワーがあるんだね。不思議なことに、この鐘、離れれば離れるほど余韻のピッチが上がってくる。どういうわけ?
 それから、再び明日香村一帯を自転車でのんびりサイクリング。ああ、なんてのどかなんだろう!なんて美しい農村の風景。それでいて、なんという高貴な霊気にあたりが包まれているのだろう。道端に猿石だの亀石だのワケの分かんねーものがいっぱいあるけれど、あまり興味ないので、自転車を降りることなくやり過ごして駅に戻った。


秋の明日香村


 さて、飛鳥に居すぎた。レンタサイクルを返して、再び電車に乗って奈良駅に向かう。本当は、法隆寺とかいろいろ行きたいところはあったけれど、飛鳥で午後までかかってしまったので、奈良での滞在時間は限られている。
 近鉄奈良駅前で遅いお昼を食べて、さあ出発!とはいえ、東大寺と春日大社に行くだけでもう充分。あたりはだだっ広いので、徒歩で回ったら、もうそれだけで満足。
 東大寺の大仏は修学旅行以来。その大きさにあらためて驚いたが、周りで人が平気で騒いでいたり、ピースのポーズを取りながら写真撮ったりしていることもあって、なんの神秘的な気を感じることもなかった。僕の魂は、どうも仏像そのものにはあまり霊的興味を感じないらしい。先に説明した通り、“如来”を人間だと思っていないから、人間の形をした仏像に意味を感じないということもあるな。


春日大社の巫女達

 そういう意味では、春日大社の方がずっと神秘的。境内でおみくじなどを売っている巫女さん達の頭に藤の花のかぶり物が付いているのがウケた。そこから再び近鉄奈良駅に戻ってくるまでの間に、鹿が戯れている広々とした公園のベンチで一休み。とてもゆったりとした午後のひとときであった。


奈良公園の鹿達

 夕方、ホテルに帰って少し体を休めてから、あらためて西京極のアクアリーナに泳ぎに行った。昼間、運動をしないわけではなかったが、動いていたのは下半身だけだったので、バランス悪い。だからこれで全身の筋肉をくまなく使った。
 それからホテル近くの焼き鳥&串揚げの店に入ってビールと一緒に流し込み、そのまま部屋に帰ってベッドに横になるなり、夢も見ない真っ黒な眠りに沈み込んでいった。次の瞬間には朝が来ていた。身も心も健康的な一日であった。

帰宅と今日この頃
 オペラ「フィガロの結婚」を観て、若い頃は、
「モーツァルトって、なんでこんなくだらねー内容に曲をつけたんだ?」
と思っていた。
 伯爵の浮気をみんなでやっつける話。相手は権力者だから、面と向かって反抗するわけにはいかない。そこでいろいろ策略を練る。それがバレそうになって、第2幕フィナーレなんかピンチの連続。一難去ったらまた一難。そのドラマと音楽との一体感が素晴らしいだけに、物語のくだらなさが引き立つ。
 しかし、僕も年を取ってきたのだな。それが人間なのだと今では素直に思える。実際、僕たち人間って、そんな毎日を生きているのだ。人を傷つけたり傷つけられたり、有頂天になったり、落ち込んだり。嫉妬したり、怒ったり、泣いたり、笑ったり。ちっとも褒められたものではない。そんな等身大の人間模様をモーツァルトは描き出す。
 そして、終幕。伯爵夫人が夫を許すシーンでは、モーツァルトの・・・いや、神の、弱き人間存在を包み込む慈愛を感じ、ジーンとくる。そのジーンを感じながら、僕は帰りの新幹線で心地よい眠りに沈んでいった。約一週間の京都滞在は、仕事はしながらだけれど、僕の魂の充電期間でもあった。

 さて、旅の疲れを感じる間もなく、翌日29日は、東林中学校で講演会。この準備は、京都滞在中に地味にやっていた。その後、小田急相模大野から新宿、池袋を経由して、東武東上線に乗り換え、はるばる志木第九の会の練習に向かう。
 30日は、朝からカトリック関口教会(東京カテドラル)。今月から10時だけでなく8時のミサでも指揮を入れるようになったので、早朝に家を出て、8時と10時の両方のミサを指揮する。
 8月に指揮講習会を開いて、オーディションで選んだ3人の指揮者達に、その後、ミサの中で交代して何曲か振らせ、アドヴァイスを与えているので、今日もそれぞれのミサで1人ずつ指揮をさせて様子を見た。
 でも、今日までの間にみんなきちんと振れるようになってきたので、11月から思い切って8時のミサも含めてシフトを組み、それぞれにミサ全体の指揮を任せることにした。みんなは、
「ええ?心細いです」
と言っているが、
「何言ってるんだい。こんな風に部分的に振って助言をしてもらえるなんて環境、普通はないんだからね。みんな最初から一本任せられて、どうしようと思いながらやるもんなのだ。オルガニストだってみんなそうさ。あとは、まあ失敗しながら、悩みながらやるんだね。あははははは。勿論、見ていてアドヴァイスはあげるからね」
 僕は、どちらかというと、何でも自分の手でやりたいタイプだ。若い内は特に、未熟な人を見ると、
「貸してみい!」
という感じで自分がやった方が速い、という性格だったが、最近はこうやって自分の下で人材が育ってくるのが喜びになっている。歳を取るといろいろ変わってくるなあ。

 午後は、真生会館で竹下節子さんの講演を聞く。「フランスにおける信徒の霊性」というタイトルで、いろいろフランスの信徒達の状況なども聞く。特に「労働司祭型」というのが興味深かった。貧困な労働者が集まって住んでいる地区に司祭が行って、そこに一緒に住み、一緒に労働するということが流行り、沢山の司祭達がそれに従事した。決して「司祭です」という上から目線ではなく、本当に「仲間」として接し、彼らの悩みや問題を理解しようとする。現在でもそれは続いていて、フランスらしいユニークなありかたとなっているという。
 それから、NPO(非営利団体)を立ち上げるのがフランスではとても簡単で、代表者と会計がいれば受け付けてもらえるという。そして、そこに他人が寄付するのも自由だし、税金控除の対象にもなる。ただし、その団体が解散する時には、余った資金が代表者のものになることは許されておらず、同じような他団体に分け与えなければいけないという。 それで、ユニークなことは、超エリートで大企業の社長のような立場の人が、キリスト教的NPOを立ち上げて、慈善活動などを含む様々な宗教的活動の長になっているケースが多いという。
 通常、それだけのVIPであれば、さぞや贅沢三昧の日々を送っているのではないかと思われがちだが、そういう人が真面目な宗教的活動に携わっているということの社会的影響力は大きいと竹下さんは言う。

「フランスではこう、日本ではこう、とだけ言ってみても仕方ないのよね」
と彼女は講演の最初に言っていたが、しかしながら、先ほどの「自分から外に出て行って人々と混じろうとする神父」の話題のように、本当はフランスならということではなくて、
「いや、やろうと思えば誰だって出来る。問題は、それをやろうと思うかどうかだ」
と考えさせられる問題をいろいろ提起してくれたのはとても有意義であった。

 講演会の後、新宿の小田急デパートで甲州ワインを買って家に帰ったら、孫の杏樹が叫びながら飛びついてきた。ここのところジージはずうっと忙しくて家にいなかったからね。
「今日はもうお仕事おしまい!」
と言ったら踊り出した。その後もジージにひっついて離れなかったよ。
ああ、なんて可愛いんだろう!
杏樹は、あと一ヶ月足らずで3歳。



 


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