僕の年末年始

三澤洋史

特報~ネイティブの指揮する「カルメン」
 今この原稿を、1月7日土曜日の4時過ぎに書いている。場所は新国立劇場5階の僕のデスク。たった今、「カルメン」の指揮者イヴ・アベル氏の合唱音楽稽古が終わったばかり。

 アベル氏は、すでに「蝶々夫人」「コジ・ファン・トゥッテ」「椿姫」「ファルスタッフ」と4度も新国立劇場に登場しているお馴染みさんであるが、これまでずっとイタリア語のオペラばっかりで、今回のようにフランス語は初めて。
 しかし、カナダのトロント生まれの彼は、フランス語を母国語としている。だから、今日のマエストロ稽古はとても実りのあるものとなった。同時に彼は、僕が指導してきたフランス語の発音と表現に驚き、喜んでくれたので、僕にとっても、これまでやってきたことが、そう的外れなものでなかったことを確認することが出来た。

 彼が直しながら、歌ったりしゃべったりする発音を、僕は耳をダンボのようにして聴いていた。曖昧母音や鼻母音の醸し出すなんともいえないニュアンス。あるいは、激しい表現をする時の、ドイツ語に勝るとも劣らない強い子音の立て方など、フランス語という言語の持つ多様性や堀の深さを味わいながら、僕は興奮する気持ちを抑えきれなかった。
 「カルメン」という作品特有の、独特なテンポの揺らし方は、アベル氏の独壇場。これこそフランス的感性や、フランス語のニュアンスから来るものだ。僕たちも、見よう見まねでやってはきたが、やっぱりネイティブにはかなわないし、かなわなくて当然。反省しようと思ったって、反省のしようもない。むしろ、ネイティブを目の当たりにしながら仕事するのってなんて素晴らしい!と開き直って兜(かぶと)を脱ぐしかないんだ。

 でも、楽しいねえ。こんな時こそ、むしろ合唱指揮者冥利に尽きる瞬間なのです。合唱指揮者という中間管理職はねえ、自分がどうやったってかなわない上司を得て、その上司に対して、全面的にリスペクトを捧げられる時こそが最もしあわせなのだ。

 新春初スクープ。アベル氏の「カルメン」は名演になる予感がする。特に皆さん、合唱団の表現を聴いて欲しい!

僕の年末年始

白馬に行く
 12月26日月曜日のオペラシティでの読響第九が仕事納めになって、27日火曜日から3泊で白馬にスキーに行った。昨年は、お袋が脳出血で倒れたばかりだったので、妻がそちらの方に車で行ってくれて、僕たちはあずさ号で白馬に向かったが、今年は妻が一緒なので、彼女の車で行く。ただし次女の杏奈は28日に仕事が入っているので、後から合流することになっている。

 スキー・レッスンの話は、後に掲載しているので興味のある人は読んでね。僕たちがスキーをしている間、妻はよく孫娘の杏樹の面倒を見てくれて、3歳の杏樹は、ひとりでソリ遊びができるようになった。嬉々として雪と戯れる杏樹を見ていると、来年はスキー・デビュー出来るに違いないと確信した。
 角皆君の奥さんである美穂さんが、
「来年、千春さんと杏樹ちゃんで一緒にレッスンしましょうよ。リフトの乗り方から教えてあげますから」
と言ってくれているので、妻もその気になっている。


杏樹のソリ遊び

 妻は、スキーが全然出来ないというわけではない。でも、小学校6年の時にスキーで骨折して以来トラウマになっていて、若い時に僕や何人かの仲間と滑りに行ったこともあるのだが、恐怖ばかりが先に立って上達がおぼつかなかった。最近は、どんどん億劫になってしまって、ずっと封印していたのである。
杏樹がきっかけとなって、妻を再びスキーに向かわせるとしたら、僕もとても嬉しいな。

虎太朗や歩君と滑る
 28日水曜日は、角皆君の一日レッスンだったが、29日木曜日になると、姪の貴子夫婦と小学生になった虎太朗君、それに彼らの車に便乗した次女の杏奈が朝の9時に着いて、一緒に滑った。
 虎太朗君は、中級以上のコースもスイスイ行く。ボーゲンなんだけどもの凄いスピード。緩やかなコブだったら、僕が結構攻撃的に滑っても、すぐそのあとを付いて来るんだ。ただ、非圧雪のテクニカル・コースだけは、恐れをなして逃げていったぜ。うふふ、なんだかんだいっても、まだお子ちゃまなのね。
 貴子の夫である飯田市出身の歩(あゆむ)君は、普通に上手なスキーヤーで、テクニカル・コースで僕がコブの簡単な滑り方を教えてあげたら、たちまちマスターして、なんなく滑っている。グランプリ・コースのてっぺんにある新雪地帯に連れて行ったら、油断してiPhoneでビデオ撮りながら滑って、まんまとコケていたけれど、彼も、どこでも滑れそう。
 普段の僕は、スキーというものは、孤独の中で自分と向かい合いながらやるものだと思っているけれど、気心の知れた仲間とやるスキーは、また別なもの。特にレベルが近いと、とっても楽しいね。
 夜は、ペンション・カーサビアンカの素晴らしい夕食コースを食べた後、みんなで地下の居酒屋“おおの”に行って、大いに盛り上がった。他の泊まり客の子供達が、杏樹とよく遊んでくれて、とてもなごやかで楽しい夜を過ごした。

 12月30日金曜日。みんなでお昼過ぎまで滑って、3時過ぎに貴子達と別れて白馬を出発。オリンピック道路を通って長野市方面に向かい、それから上信越道に乗って群馬の実家に向かった。
 運転は妻。僕は助手席。後部座席には、杏樹のチャイルドシートがエリアの半分を独り占めしているものだから、長女の志保と次女の杏奈はギュウギュウ押し込まれて身動きがとれないほど。3歳のチビが一番偉そう。
 横川のサービスエリアで一度休憩。姉の分も含めた「峠の釜飯」を買って再び車に乗り込む。

於菊さんのこと
 群馬の実家に着いてみると、お袋がいないのでお正月に神棚を飾る御札がない。昨年お袋は、それらを全部用意してから脳出血に倒れ、それ以来この家には戻らずにずっと施設に入っているから、今ひとりでこの家を守っている姉は、その御札をどうやって入手するか知らないのだ。そこで於菊稲荷(おきくいなり)神社に電話をかけてみたら、直接いらっしゃれば3千円でお譲りしますよというので、行ってみた。
 そしたら、神社の中がリニューアルしてきれいになっている。あしたは大晦日だけれど、杏樹を連れて来てみようと思い立った。沢山ある鳥居に工夫がしてあって、板で高低を作り、「胎内くぐり」ということで楽しそうだ。

 この於菊稲荷神社の由来を調べてみたら、とても興味深いストーリーがあった。新町は古くから中山道の宿場町。ここには遊郭があり、旅人を一夜の歓楽に誘っていた。宝暦年間(1751~1763)、大黒屋に於菊という遊女がいた。類い希な美貌と気立ての良さで新町宿随一の売れっ子であった。
 ところが於菊は、風邪をこじらせて重病に臥すこととなる。それと共にナンバーワンとしてちやほやされていた境遇は一変し、冷たい仕打ちを受け、世の無常を知る。ある夜半、元来信心深かった於菊の元に稲荷の霊が現れ、それを機に、彼女の病気は奇跡的に全快した。神の恵みに感謝した彼女は、それからの生涯を神明奉仕に捧げる決心をしたという。それ以来、この稲荷神社は於菊の名を取って於菊稲荷と呼ばれているのである。

 遊女に名を由来するとは、なんと色っぽい神社だ。しかしこの話には何か胸を打つものがある。うーん、ミュージカルにしてみようかな。ただね、神に捧げる余生への決心をしたところでおしまい、というのでは、ちょっと弱いかなあ。
 まあ、聖書では数行くらいしかなかったマグダラのマリアについての記述から、新たなストーリーをでっち上げ、3時間にも及ぶミュージカル「愛はてしなく」を作ってしまった僕としては、いかようにも創作出来るんだけどね。
 でも「愛はてしなく」に似てきちゃう危険性があるね。「娼婦の館」から始まって、「あかつきの時」で終わるとかね。なんだ、それじゃあいっしょやん。

 於菊さんって、きっと美人だったんだろうなあ。気立ても良かったというから、やさしかったんだろうなあ。おいおい、還暦過ぎたじーさんが何をほざいているんだ!

大晦日~元日
 大晦日。その於菊稲荷神社に杏樹を連れて再び行ってきた。赤い沢山の鳥居をくぐって杏樹は楽しそう。それから、白馬で使ったソリを持って土手に行く。雪山の要領で土手の上からソリで草の間を滑り落ちる。杏樹は大喜びだが、枯れ草のカスやバカがずぼんや服にどんどんついて、うっとおしくて仕方ない。杏樹もタイツにバカが付いて、さすがに、
「痒い痒い!」
と言ってきて、ふたりですごすごと帰って来た。やっぱりソリは雪に限るなあ。


於菊稲荷の胎内くぐり


 晩は、紅白歌合戦を横目で見ながらソバを打つ。毎年、知り合いのSさんから蕎麦粉を送ってもらい、家族のために打つのだ。三澤家では、何故か元日の朝一番にソバを打つのが習慣になっていた。僕が小さい頃は祖母がそれを行い、やがてお袋が受け継ぎ、ある時から僕がさらに受け継いだ。
 それで僕も元日の朝にやっていたのだが、初日の出を拝んで帰ってきてから、最初からソバ打ちをすると、そもそも朝食が遅くなって、みんな、
「まだあ?」
って感じになってしまうし、元日がせわしなくて仕方ない。それで決心した。大晦日に打つだけ打っておいて、食べるのは元日の朝にしようと。
 蕎麦打ちの師匠でもあるSさんの打つソバはきれいに細く揃っているが、僕は下手なので、どうしてもバラバラな太さになってしまう。家族は、それが田舎蕎麦風でいいと言ってくれるのだけれど、僕は毎年悔しい思いで自分の打ったソバを見つめる。ちっくしょう、もっとうまくなりたい・・・僕は何でもすぐそう思う・・・しかしなあ、だからといって毎日修行する時間もない。

 真夜中が近づいてきた。大友直人さん指揮、東フィル及び東京オペラ・シンガーズが演奏するカウントダウンの「ダッタン人の踊り」を見ながら年が明けた。それを確認すると、僕はコップになみなみ注いだお水を神棚に捧げる。それから二人の娘と一緒に群馬の寒空に出て行った。向こうからゴーンと除夜の鐘が聞こえてくる。
 僕の家が檀家となっている高尾山法勝寺に行き、お参りしてから鐘撞き堂に上がった。本当は僕たちの前で終了するところだったが、こちらが頼んだので3人分だけ特別に突かせてもらった。なんかね、近所から来る苦情を恐れて、早々と終了するのだそうだ。なんで?108回突かないと意味ないだろう。そういえば、教会も、鐘の音に対するクレームに過敏になっている。変なクレーム社会が横行している。
 ヨーロッパの街なんかクリスマスの晩の午前0時に街中の鐘が傍若無人に鳴るが、みんなそんなもんだと思って誰も苦情を言わない。それが文化というものじゃないの?本当に悲しい、日本人の精神的貧困さ!

 鐘を突いた後、すぐ隣の八幡神社に行く。ここでもお賽銭をあげておみくじを引いた。杏奈は大吉、志保は吉、僕は小吉だった。ちぇっ、いつもそうだ。こういう時、いつも運がない。じゃんけんすると必ず負けるし。それから甘酒とみかんをもらった。温かい甘酒が寒空に体に染み入った。
 家に帰ると、妻に、
「僕の鐘の響き、なんか違ったでしょう。分かった?」
と聞いた。
「分かるわけないじゃない」
「だめだなあ。音楽家の妻失格!」
「最後に凄く大きいのが鳴った」
「あっ、それ志保だ!力いっぱい叩いてた」
「あはははは!」

 元旦の早朝は、今度は妻と杏奈と一緒に初日の出を拝みに行く。家の近くの土手に登り、岩倉具視が通ったと言われる岩倉橋の方に向かって歩く。橋のたもとで、6時50分過ぎにとっても大きい赤くまん丸なお陽さまを拝むことが出来た。


2017年の初日の出

 ここのところ何年も東の空が晴れていてずっと初日の出を拝めている。なんでだか知らないが、1月1日というのは晴れている確率がとても高いよね。それを統計的に分かっていて、この日を年の初めにしたのかな。ちなみに2日も早朝散歩をしたが、東の空には雲がかかっていて朝陽を拝むことは出来なかったのだよ。
 お陽さまに何をお願いしたって?うーん・・・お願いじゃなくてただ感謝。そのまま土手の上を戻って虚空蔵様に行く。虚空蔵様では火を焚いていて、やっぱり昨晩の八幡神社と同じように甘酒とみかんをくれた。ここって、はっきりいって仏教だか神社だかよく分からない。一応虚空蔵菩薩って言うんだよね。だから手を叩いてはいけないんだ。ややこしいなあ。
 ここでも感謝をした。感謝だけしていれば、複数の宗派をハシゴしても、相手はバチを与えないだろう。複数の神様に何かお願いしちゃったら、叶った時、
「俺が叶えたんだ」
「何を言ってる、叶えたのは俺だ」
「あの野郎、二股掛けやがって、バチを与えてやる。それ!」
って感じになってしまうからね。

 おとそとおせち料理でお正月を祝い、昨夜打った蕎麦を食べると、みんなで施設にいるお袋のところに行く。お袋は、意識ははっきりしていてよくしゃべるが、認知症は確実に進んでいる。
 でもねえ、僕思うんだ。お袋の認知症が進むのは哀しいけれど、これって、人生の最後を平和に迎えるための神様の愛の処置かも知れないなあって。だって、施設の中は静かで平和で、衣食住が足りているし何も起きないから、1年前からくらべたら、お袋は人が変わったようにおだやかになっている。人の悪口や愚痴も全然言わなくなった。
 ひとつだけ言うのは、
「お金をおくれよ。文無しじゃ不安だよ」
ということ。
「お金持ってどうするの?食べたり着たりに不自由はないじゃない」
「良くしてくれるヘルパーさん達に、何か買ってあげたいんだよ」
「そういうことするのは禁じられているんだ。それに、お金持っていたって、ここにはお店もないし」
 でも、元日に行った時は、姉が用意してくれた杏樹にあげるお年玉袋を一度お袋に持たせて、お袋の手から杏樹に渡してもらった。それだけでも嬉しいらしい。杏樹は、まだお年玉の意味も分からないので、可愛い絵が描いてある袋には興味を示したが、おもちゃじゃないと知って興味を失った。それを志保が引き取って、杏樹の背中のリュックサックに入れてあげた。
 その様子を、お袋は顔をくずし眼を細めて微笑みながら見つめている。
「かわいいねえ」
としみじみ言う。こうした感情は決して失われないのだね。僕は嬉しくなった。でも、杏樹がどこの子だかよく分かっていない。何気なく僕の妻の方を向いて、
「千春。もうひとり作りなよ」
と言う。ええっ?僕の子になっちまった!実の母親である志保がうしろで複雑な顔をしている。

 それから妻の実家に行って泊まる。妻の年の離れた妹の家族が来ていた。そのひとり娘のAちゃんが年頃になって、まだ中学3年なのにお化粧しているのに驚いた。昨年お盆に見た時にはただの中学生だったので、ウワッて感じ。ただね、お化粧に慣れていないので、妙にどぎつい。目元なんかクレオパトラみたい。
 すると、メイクを専門にしている次女の杏奈がやさしく、
「ちょっと直してあげようか」
と言って、直し始める。さすがプロ。
 気が付いたんだけど、素人よりもプロの方が、むしろさりげないんだね。自然な感じで、Aちゃんがいつもの面影を残しながら、おしゃれで可愛らしくなったので、一同ほっとした。

玉村八幡宮
 しばらく経ってから、みんなで玉村の八幡様に行こうかという話になった。この年末年始は、自分でも笑っちゃうくらい多宗派の間をハシゴしまくり。妻の母親は熱心なカトリック信者で、いつもは元日のミサに必ず行くのだけれど、今年は腰が痛いので家に居ることにしたという。そうかあ、教会だけ行ってないや。いいんか、カトリック信者として、そんなんで・・・。


玉村八幡宮


 玉村八幡宮も由緒ある神社だ。僕はこの午後だけでなく、次の朝(2日)もお散歩でここに行ってお参りして帰ってきた。最近、むしろお寺よりも神社に惹かれる。お寺は、キリスト教のように、仏像や観音様やお地蔵様など、沢山像を作るけれど、神社は、イスラム教と同じで、決して像を作らない。天照大神やイザナギ、イザナミの像なんて見たことないだろう。偶像崇拝を徹底的に排除している潔さがあるのだ。とはいえ、人間以外の像は認めていて、平気で狐なんかを祀っている面もあるんだけどね。
 でも、神道的に祀っている神は、僕の感じるところの、大宇宙にあまねく存在するエネルギーとしての神に近い感じがする。僕自身は、父なる神だって、イエス・キリストだって、マリア様だって、大日如来だって阿弥陀如来だって、天国においてはそういう存在だと思っているのだけれどね。

 こんな風にボーダーレスな僕だけれど、では、そのうちキリスト教を辞めて神道に帰依するかとか、浄土真宗に帰依する可能性はあるのかと問われたら、それははっきりノーと言う。他宗教の存在を全面的に認める僕ではあるが、同時に、宗教には歴然と優劣があるとも思っている。
 祓い清めのある神道には、とてもスピリチュアルなものを感じるけれど、キリスト教のように、人の罪を見つめるとか、生きる道を説くとかがないでしょう。仏教もそう。元来、お釈迦様の教えはそうではないんだよ。きちんと道を説いている。でも、現在残っている様々な仏教系宗派は、それぞれにあまりにもオリジナルから曲がり過ぎ、しかも一面的だ。
 禅宗は、座禅をして邪念を払拭せよというだけだし、浄土系の宗派は、ただ阿弥陀仏を拝めば極楽浄土に行けると説くのみだ。お釈迦様の教えは、そのどれも含んでいるし、さらに深淵で、計り知れないほどの知恵の宝庫なのに・・・。

 結局、現存している宗教の中で、軸足を置くに値する宗教といったら、キリスト教なのだろうと僕は思うわけだ。そういえば、今年はマルティン・ルターの宗教改革500年の記念の年だね。1517年10月31日、ルターはヴィッテンベルクの教会の扉に95箇条の意見書を打ち付けて宗教改革が始まった。それを受けてカトリック教会もまたイノベーションを余儀なくされた。
 今、ミサの中で普通に一般会衆が聖歌を歌うだろう。あれだってルターがコラールを編纂してみんなに歌わせたことに由来するのだ。また、20世紀中頃の第2バチカン公会議で、それまで全世界ラテン語でしか行われていなかったミサが、各国語で行われるようになったのは、ルターのプロテスタンティズムから比べると遅すぎるくらいだけれど、ともかくカトリック教会においてもイノベーションは成し遂げられたのだ。それにしてもルターの先見の明は凄い!
 キリスト教の偉いところは、数々の堕落や過ちもあったかも知れないけれど、それでも今日に至るまで、内部からのイノベーションが行われてきたこと。しかも、そこには常に、“キリストの教えの原点に還れ”というモットーがあったこと。その真摯な姿勢に共感する。

 まあ、とにかく、今年の宣言はあれだね。これだけ宗教に対してオープンではあるが、とどのつまりは、僕はキリスト教に軸足をおき、キリスト教徒として死にたいということだね。

角皆君の一日レッスン
 さて、いよいよ僕のスキー・シーズンが始まった。それと共に、
「この記事、一体誰が読むんだ?」
という、僕の一方的スキー・レポートも開始した。
 
 2016年の暮れの押し迫った12月28日水曜日。白馬五竜スキー場での角皆優人(つのかいまさひと)君の1日レッスン。引く手あまたの角皆君を、親友のよしみで丸1日独占して個人レッスンを行う贅沢。今回は、僕と一緒に長女の志保も受講した。最初は午前中だけのつもりだったが、僕自身が初滑りなので、シーズン初めの基礎レッスンに終始したから、結局志保も1日付き合った。
 角皆君は、レベルの違いや“求めるもの”が異なる複数の人達を同時にレッスン出来る不思議な能力を持っている。“基本は一緒だから可能”とはいえ、こうしたフレキシビリティは、本当に優秀な教師でないと不可能だ。あとで詳しく述べるが、それで二人とも、それぞれに1日でとても上達したのだ。

たかがボーゲンされどボーゲン
 さて、午前中のほとんどはプルーク・ボーゲンでのレッスンであった。でもそれは、志保がいたからではない。僕ひとりのレッスンでも恐らく同じであったろう。

 長野冬季オリンピックの男子モーグルで優勝したジョニー・モズリーのコーチであるクーパー・シェルは、新しい指導体系を考え出した時、
「最初にスタンスのトレーニングをおこない、それから選手達に3本もプルーク・ボーゲンを滑らせれば、基本的メカニズムをみんな理解するだろう」
と考え、全米最高のモーグル選手達を集めたキャンプを始めた。ところが、結果として選手達は、4日間のキャンプの間ずっとプルーク(・ボーゲン)のみを滑り続けることになったという。

 たかがボーゲン、されどボーゲンである。ボーゲンだけのレッスンなんて、今さら面白くないと思うだろう。しかし、角皆君の一日レッスンが終わった時、志保の滑りが見違えるようになっていたのは、ボーゲンのレッスンによって重心移動を完全に理解したからだ。僕自身も、レッスンを受けた時点でまだコブは滑っていなかったが、どんなコブでも安定して滑れるイメージが、その間にいつしか出来上がっていたのを自覚した。

 以前も書いたが、普通の人はボーゲンのことを、パラレルに至るまでの初心者用のフォームであって、一度パラレルを習得したらもう忘れてもいいくらいに思っているだろう。しかしながら、パラレルとは、実はパラレル(平行)スタンスのボーゲンなのであり、スキーはボーゲンに始まりボーゲンに終わるのである。そして、スキーが加重や抜重、あるいは重心移動のスポーツであるならば、ゆっくり落ち着いてそれらを確認するためには、ボーゲンで行うのが最適なのである。
 というか、ボーゲンで確認すると、特に上級者になるほど、それらのことがいかにテキトーに行われていたかを思い知ることになるのだ。だからアメリカ中から集まった優秀な選手達が4日間もボーゲンを続けるような事態が起こるわけである。要するに、ボーゲンすら、完璧に出来る人はいないのである。声楽家が、自分の発声法をシビアに見つめた時、イタリア古典歌曲すら、完璧な発声で歌い切る人がいないように。

様々なドリル
 たとえばこんなレッスンをする。ボーゲンで真下を向いて直滑降で滑り始め、それから完全に停まる練習をする。ボーゲンは後傾しながらすることも可能なので、初心者は恐怖感も手伝って、やや仰向けに反りながら滑ったりもする。小学生なんか、後傾の体勢で急斜面を猛スピードで滑ったりもするが、そのままでは、決してパラレルに発展することは出来ない。
 ボーゲンで完全にスピードを制御するための理想的な体勢とは、足のスネでブーツのベロを押すくらい前傾した姿勢。つまり、スキー板の先の部分に圧がかかっていなければ、急斜面で意のままに停まることは難しい。
 また、その体勢を作っただけで、人それぞれの癖が出る。僕の場合には、ハの字が左右シンメトリーではなかった。右足の方が微妙に加重が大きく、両スキーの角度に差が出てしまった。こういうのは自分では気がつかないので、人に指摘されて初めて分かる。こうした基本体勢の癖や過ちを矯正するのにボーゲンは最適。左右差は、パラレル・ターンでの左右差にそのまま反映されるから、あなどれない。

 次のドリル。緩斜面で、ボーゲンの形をしたまま、ピョンピョンと後ろにジャンプする練習。これだけのことであるが、これは上記の前傾姿勢が完全に出来ていないと不可能なのだ。実際、僕はしばらく出来なかった。
 でも、ある時、あっ、ここだな、と分かる位置があって、それを掴んだら難なく出来るようになった。そこがまさに、前過ぎでも後ろ過ぎでもない“スキーにおける理想的重心位置”なのである。この位置を基本にして、大回転の選手もモーグル選手も滑るのである。

 次に、ターン中の外向傾を徹底させるためのドリル。切り替えが終わって、新しいターンの外足に乗ったら、逆側の内スキーの先端を持ち上げて、外スキーにクロスする。つまり外スキーだけの片足滑走。
 この練習はパラレルでも出来るが、ボーゲンでは、内スキーの先端がそのまま上半身を向ける外向傾の角度を示しているので、要領をつかみやすい。
 この徹底的な外足加重は、コブをはじめとする不整地を滑る人には必要不可欠。不整地を滑る時に両足に加重していると、雪面の状態がバラバラなのを受けて、両方の板があっちこっちにバラけてしまって必ずバランスを崩し、極端な場合は転倒に至る。

中井さんとの出遭い
 午前中のレッスンが終了すると、志保は杏樹達とお昼を食べるためにスキー・センターのエスカル・プラザに戻り、僕と角皆夫妻は、とおみゲレンデの中腹にあるレストラン風舎(ふうしゃ)に向かった。ここで、僕たちはあるスキーヤーと出会って、一緒に食事をすることになっている。

 その人は、キンドル本「アルペンスキー・ターンテクニック」の著者である中井浩二さんである。中井さんは、京都大学大学院工学研究科で修士を取ったインテリで、1996年SAJの1級を取得。現在は自動車関係の会社に勤め、自動車の運動力学をベースとしたアルペンスキーにおけるターンの仕組みを研究している。
 僕は、ある時中井さんの「アルペンスキー・ターンテクニック」を読んで感動し、その感想文を「今日この頃」に掲載した。すると、それを著者である中井さんが読んで、わざわざ僕のホームページのメルアドにアクセスしてくれて、僕と中井さんとのメールによる文通が始まったというわけだ。
 同時に僕は角皆君にも彼のキンドル本を薦めた。すると、角皆君もそれを読んで大いに賛同してくれて、3人の文通となり、ではそのうち会いましょうねと言っていたのだ。でも、僕は東京、中井さんは静岡県裾野市、角皆君は白馬に住んでいて、とうてい3人一緒に会えるなどとは思えなかった。
 ところが、僕が年末に白馬に行くことをメールやホームページから知っていた中井さんが、自分が白馬に来れる日を決めて連絡してきたら、なんとその日は僕が角皆君から1日レッスンを受ける日だった。こうして僕たち3人は、ついに出遭うことが出来たというわけである。

 前にも書いたが、中井さんの理論はこうだ。みんなスキーのフォームのことばかり言い、静止した形から入っていこうとするが、スキーの本質とは(以下中井さん本人の文章)、「雪面を移動するスキー板の運動の原理のことであり、それはつまり雪とスキーはどのように力をやり取りしてターン運動を行うのか」ということなのだ。別のところでは、こうも言っている。
「スキーヤーがスキーを介して雪に力を加えるのではなく、あくまで雪からの抵抗力のバランスを変えることで、体の方向や移動する方向を変える」
こうやって書いてみると、なんだか当たり前のようであるが、これは画期的なことなのである。

中井理論の成果!
 さて、中井さんと風舎で出遭い、楽しい語らいをした。彼は、寡黙な人ではないが、気がついたら僕と角皆君ばかりがしゃべっていた。でも、そのくだらない話を楽しそうに(辛抱強く?)聞いていた。
 午後のレッスンには、その中井さんも加わって、受講生は僕と志保と彼との3人になった。午前中と違ってパラレル中心のレッスンとなったが、ここで角皆君は中井さんの理論をレッスンに取り入れたので、実質的には中井理論実践レッスンとなった。
 時々角皆君は、中井さんの方を振り向いて、
「こういう理解でいい?」
と尋ねるのがウケた。中井さんは、いきなり振られて、
「は、はい・・・」
と戸惑いながら答えていた。しかし僕にとっては、このレッスンは、自分のターンを一変する画期的なレッスンとなったのである。


角皆君の一日レッスン


 僕のターンにはひとつ欠点があった。それは、ともすればターン前半(谷まわり)にスキーを回し過ぎてしまって、ターン後半(山まわり)が長くなり、きれいな円にならない傾向があったのだ。
 レッスンで角皆君は、これまでに言ったことのないことを言う。
「ストックを突いて切り替えて新しい外足に乗った時に、テールで向かい角を感じながら少し後ろに回すようにしてごらん」
 やってみたら、ターンの最初が滑らかになった。そうかあ、僕はこれまで、ターン初動からスキー板が真下を向くまでの間は、スピード・コントロールすることをあまり考えておらず、ほとんどズラさないでスルッと回ってしまったのだ。
 でも、こうやってテールで抵抗を作ることが出来たら、ターン初動からすでに制御可能なので、どこでも均等にスピードコントロールが出来る。つまり、円がきれいになるだけでなく、どんな急斜面でも、安定した美しいフォームを保つことが出来るではないか。
 僕がそう思っていたら、ほとんど同時に角皆君がこう叫んだ。
「三澤君、ターン全体がとってもきれいになったよ。僕にはね、三澤君が将来どんな美しい滑りをするスキーヤーになるか、今イメージが見えたよ!」
 確かに僕のシュプールは、美しい円を描くようになった。美しいスキー・・・そうだ、僕が目指しているものに一歩近づいた!中井さん、ありがとう!

 さあ、これから僕は、これらのレッスンを受けて、ひとり雪山に向かう。自分のスキーと向かい合うために。別に、誰からも期待されているわけでもなければ、強要されているわけでもない。でも僕は、自分の人生において、今、スキーを極めることが絶対的に求められていることを知っている。これなくして、これからの人生もないことを知っている。
 また、用もないのに、勝手なスキー・レポートが皆さんの元に届くと思いますが、みなさんは読み飛ばして下さい。でも、僕にとっては、自分の人生のきらめき。今では、スキーなくして何の人生か、と思っている今日この頃です。


だるま市のぬいぐるみ


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