角皆君とのコラボ

三澤洋史

角皆君とのコラボ
 2月15日水曜日。今やスキーのハイ・シーズンで、白馬を離れることなどあり得ないはずの角皆優人(つのかい まさひと)君が、わざわざ東京に出てきた。目的は、僕のピアノ伴奏に合わせて彼が歌い、それをビデオに撮ること。そんなことは学生時代以来だから、かれこれ40年ぶりって感じ。

 ことの次第はこうである。タイの最大手新聞社のオーナーであるサームシン氏は、白馬で角皆君のレッスンを受けているお得意さん。最近タイの国王が亡くなったが、サームシン氏は角皆君に、その国王が作った曲を歌って追悼ビデオを作ってくれるよう依頼した。
 それは、ジャズ・バラード風な素敵な曲。最初角皆君は娘の志保に伴奏を依頼してきたのだが、曲想を見て、僕は志保では無理と判断した。
「僕が弾いてあげるよ。ギャラはいらない。その代わり、僕は忙しくて東京を離れられないから、東京に来られない?」
と無理難題を吹っかけた。そこで、彼等夫婦はオフ日を作って、日帰りで録画だけしてとんぼ返りしたわけだ。いやあ、ご苦労さんでした。

「東京って温かいですねえ。今朝白馬を出てくる時、マイナス8度でした」
と奥さんの美穂さん。
 録画そのものはスムースにいった。40年の時を超えて、僕と角皆君の息は最初からぴったり合っていたから。でも、録音だけと違ってビデオで撮るのは簡単ではない。歌とピアノのバランスを調節しなければならないのだが、ミキサーはないし、音響的にバランスの良い、マイクを持った角皆君の立ち位置が、必ずしも映像的に美しいとは限らない。
 そこで、最終的には、音と映像を後で編集することにして、2台のハンディカムを同時に回し、さらに僕が用意したデジタル録音機も回すことにした。それらを全て操作するのは美穂さん。だから美穂さんが一番大変だったかも。何度も何度も取り直したからね。
 曲はメロディーとコードネームだけのもの。だから、僕のピアノは全編アドリブ。角皆君のバラードの揺れに寄り添いながら、こちらからもテンポを揺らして仕掛けたり、やる度にニュアンスの違う曲になる。角皆君の声は次第に伸び伸びとしてくるし、僕たちのコラボはどんどん密になっていった。
 あ、ここは一番素敵だったな、と思っても次の時には、こっちの方がいいかな、なんちゃって、どの演奏がベストとも言えない。それぞれがかけがえのない瞬間であり、二度と戻ってこない演奏。楽しいな、こういうコラボ。書いてある通りにしか演奏しないクラシック音楽よりずっと面白いなあ!いつかコンサートでもしようか。

 数日後、編集したビデオを観る。凄いな角皆君、よく編集してある。
「もっと上手に出来ただろうけど、締め切りの時間が差し迫っていたので、映像と音とがズレている箇所がある。ごめんなさい」
とメールに書いてある。まあ、よく観るとそうだが、全然気にならない。それより、前奏の部分は僕のアップ。それから歌が始まると角皆君のアップにスイッチしている。実に丁寧に編集しているじゃないか。ここまでするだけでも大変な作業だよ。王様を偲ぶ映像だから、二人とも黒服を着ているんだけど、なかなかシックで素敵な出来だ。

 しかし、なんだね、この歳になってまだこんな遊びみたいなことしているんだから、僕たちは面白いね。実は、3月に我が家の家族はまた白馬にスキーしに行くんだ。2泊だけれど。最初、僕だけひとりで行こうと思っていたのだけれど、妻が四輪駆動の新車を買ったので、それで白馬まで行ってみたいんだって。トヨタのクロス・フィールダーという、なんちゃってオフ・ロード車。予定では3月初めに家に来る。
 
 そういえば、下村博文君が角皆君と連絡を取り合っていて、
「この間三澤と会ったけれど、角皆の話ばかりしていたよ」
と言っているという。
不思議と、同級生との絆を確認し合う今日この頃である。

文藝春秋3月特別号の記事から

芥川賞
 文藝春秋はよく読んでいる。毎月ではないが、本屋で立ち読みして面白そうな月だけ買っている。3月特別号を買った。芥川賞を受賞した小説が載っていたというのが一番の理由だ。これも立ち読みで決めた。
 山下澄人の「しんせかい」という小説のページをペラペラとめくっている内に買おうと決めた。文章が好きだったから。漢字が少ないし、ざあっと見渡した景色に柔らかさがある。
 それでじっくりと読み始めた。俳優あるいは脚本家になるための不思議な学校の物語。入学金や授業料は一切かからないが、みんなで共同生活をし、労働しながら学ぶ。その二期生に19歳の主人公が応募する。
 文章は、僕の好みというだけでなく、とても独創的だと思う。たとえば、次の文章のように死ぬほど長い文章がある。

作業は薪ストーブの薪をとにかく確保することと、夏の終わりからそれははじめられていたからずいぶんたまってはいたのだけれど使いはじめるとどんどん使うから常に補充していないと暖房なしで過ごさなきゃならなくなってしまう、あとは馬の世話ぐらいで、建てなきゃならない建物はしばらくないしとりたててすることはなく、ないなら休めばよいと思うのだけど、ここでは何もしないで休むということは基本的にはないから、ミーティングと呼ばれる全体会議でも、個人の海苔の佃煮を誰かが食べたとか、それはよくないそれは泥棒みたいなものだとか、しかし個人でそういうものを所有するのはどうだとか、できない人もいるのだから禁止にした方がよいのではないかとか、食堂棟の一人部屋は大変に寒く温度計を置いてみたらマイナス十度の日もあってだからその部屋だけ特別に石油ストーブを置かせてください、だめです、死んじゃうよ、とかそういう話は山のように出たけれど
「休みましょうよ」
という声は出なかった。
 面白いなあ、よくこんな文章書く気になるなあ、と感心してしまった。僕はとにかく、句読点がないと気持ち悪くて死んでしまう。でも、この作者のどこまでもダラダラした文章は何故かこの小説を読んでしまった後でも心に残る。
 当たり前だけど、声楽コンクールでは、声が良くて歌が上手い人が受賞するし、ピアノコンクールでは、どんなに途中音楽的に弾いたとしても、テクニックの見せ所で弱みを見せたら本選まで辿り着けない。
 とすると、芥川賞のような作家のコンクールでは、やはり文章を操ることに長けてないと受賞は出来ないわけだな。しかし、音楽と違って、目に見えるようなテクニックを見せつけられて「おおっ!」って感じでもないんだよなあ。あのさあ、よく分かんないんだよね。この小説の正体。

 芥川賞の選考委員のひとりである川上弘美女史は選評にこう書いている。
その小説のよろしさを、言葉ではうまく表現できない小説というものが、わたしにはあるのです。でも、「なんだかいいんですが、それをうまく説明できないんです」などと、選考の場で言っても、たぶん誰も聞いてくれません。
(中略)
ところが、今回の選考の場で、わたしは山下澄人さんの「しんせかい」について、「なんだかいいんですが、うまく説明できません」と、そのまぬけな言葉で推し、あんのじょう、選考委員のひとたちは・・・・
 それで、選考委員のひとたちは、暖かくさりげなく、川上女史の言葉をスルーしてくれたそうである(笑)。

一方、村上龍氏の選評は、その対岸からの視点でかなり辛辣に描いている。
当選作となった「しんせかい」を推す選考委員も「強力にプッシュする」という感じでもなく、反対する選考委員も「絶対に認めない」というニュアンスではなかった気がする。
(中略)
つまらない。わたしは「しんせかい」を読んで、そう思った。他の表現は思いつかない。「良い」でも「悪い」でもなく、「つまらない」それだけだった。
 この村上龍氏の前半の意見には納得するが、後半の意見には賛成しかねるな。この小説は、けっしてつまらなくはない。最近の芥川賞の大部分のもののように、ありきたりの日常を等身大の目線でぬるく描いて、
「で、なんなの?」
と怒りを抱いて本から目を離す小説とは違う。ただ、いいなと思う理由を言葉に出来ないだけだ。言葉に出来ないということは、理性や知性や論理的思考で捉えられないものが潜んでいるってことだ。もしかしたら、まさにその点にこそ、この小説の魅力があるのかも知れない。
 この小説は、実際の作者の体験に基づいている。山下澄人氏は、脚本家の倉本聡の富良野塾の二期生に入って、小説と同じような暮らしをし、それから俳優としてだけでなく自ら脚本を書くようになり、さらに劇団を主宰するようになる。
 それを知ったから評価するわけではない。実際、小説の中でも、一見無気力でやる気のなさそうに見える主人公の言動の陰にも、何かが潜み、うごめいているのが感じられるのだ。

 結末近くに(ネタバレだけど、別に推理小説じゃないからいいよね)、主人公は、天という女性から来た手紙を読む。
そろそろ一年ですね。元気ですか。わたし結婚したよ。子どもが秋ぐらいに生まれる予定。
 このくだりを読んだ時、胸がキュンとなった。自分がやってることに疑問はないけれど、なんだか、人生で大事なものを置いてきちゃったような気持ち。人生ってさあ、節目節目に分岐点があるんだけど、その選択において、選択しなかった方の道に、様々なものを置いてきちゃうじゃない。結婚・・・ふーん・・・子ども・・・ふうん・・・もう本当に取り返せないところに来ちゃったんだなあ・・・ふうん・・・ま、いっか、って感じ。悲しみでもない。後悔でもない。でも・・・・。

とにかく、この小説には何かがある・・・何かが・・・なんだろうな?
みんなも読んでみて!

現代に生きる「かくれキリシタン」
 次に興味をひいたのは、金子貴一氏の「世界遺産に戸惑うかくれキリシタン」という記事だ。長崎県と熊本県は、世界遺産登録を目指してきた「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を、2016年9月1日、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に変更することを決定した。その理由として、遺産登録の価値あるか否かを調査するイコモス(国際記念物遺跡会議)から、「二世紀以上にわたる禁教の歴史」にこそ、日本の特殊性があると判断されたためだ。
 その決定自体は、ある意味では妥当といえるものだ。まあ、歴史のある教会であれば、世界にいくらでもある。特に世界遺産にするには弱いという示唆はもっともだからだ。しかし、この決定で戸惑っている人達がいるという。それは、この現代においてもなお存在し続ける「かくれキリシタン」たちである。

 ある時、新上五島町のホームページに、「密かに残っていたかくれキリシタン組織の最高責任者が、最近になって公に姿を現した」という記事が載った。その人によって、謎に包まれていた現代のかくれキリシタンの様子が明らかになってきた。
 かれらの組織では、今でもキリシタンであることを隠すためのカモフラージュが続けられている。五島列島のある集落には山神神社という神社がある。ここは江戸時代に移住してきた潜伏キリシタンが氏子を装うために建立した神社であるが、実は最近まで当の山神神社の宮司すら、その事実を知らなかったという。
 その山神神社の年に一度の例大祭では、神社にお参りする前に、自宅で大将(代表)がキリシタンのお祈りをするというのだ。葬式も公には神式で行うが、その前に人に知られないように、かくれキリシタン式の葬儀をするそうだ。

 彼らが最も大切にしているのが、厳しい弾圧を生き延びて自分たちに命をつなぎ、かつ日々護ってくれる先祖であり、代々受け継がれてきた祈りや儀式である。オラショと呼ばれる祈りの写本は、江戸初期の1626年のものから残っているという。
 では、何故彼らが困惑しているかというと、ひとつは行政側の「早く世界遺産に登録しなければ」とこだわり過ぎてるように見える姿勢と、世界遺産のテーマになりそうな潜伏キリシタンは禁教期のものに限られ、現代のかくれキリシタンは関係ないものと線引きされてしまいそうな危惧に対してなのだ。
 大将(ある組織の責任者)は言う。
「禁教令が解けたのだから、カトリックになればと言われることもありますが、そうではない。先祖が命がけで守ってきたものを、これからも正確に残し、世間にも伝えていきたいです」

 いわんとすることは理解出来る。しかし、この記事を読んで僕は、理屈ではなくて、心の一部の、それもはじっこの方のどこかで・・・なんだろな・・・ちょっとした違和感を感じるのだ。
 もしかして心ない言葉になってしまうかも知れないけれど、
「カトリックになれば・・・」
って言ってしまいそうな自分を感じる。僕はカトリックだから。
 明治時代に禁教令が解けた時、ずっと隠れて信仰を守り続けてきた「かくれキリシタン」たちとカトリック教会の外国人の司祭たちが感動の再会をしたという話を、若い頃、受洗したての僕は聞いて、とても胸を打たれた覚えがある。
 でも、もしその時、「かくれキリシタン」達が、
「じゃあ、そういうわけで・・・自分たちはあなたたちには帰依しないで、あらためて袂を分かってこれまで通りのわしらの信仰を守りますんで」
と言いながら、司祭達の前から去っていったとしたら、残された司祭達は腑に落ちない気持ちになっただろう。
 明治時代なら、まだ、「本当に禁教が解かれたのかな?」と半信半疑の気持ちもあったろうが、あれから百何十年も経ったこの現代にあって、キリシタンと名乗ったって誰も捕まえにこないのに、何故「かくれキリシタン」を演じ続ける必要があるのだろうか?
 かつての潜伏キリシタンだって、弾圧の前には、堂々と自分の信仰を表明しながら生きていたわけだが、弾圧のお陰で地下に潜伏せざるを得なかった。そんな悲惨な状況下で、よくぞ先祖代々受け継がれ、今日まで生き延びてこられた。信じられないこと、驚くべき事実、そして涙ぐましい業績!だったら、なおのこと、これからは堂々とそれを表明しつつ生きていって欲しいと思う僕は間違っているかな。

 山神神社はあってもよい。僕の田舎の家にも神棚はあるし、僕は、カトリック信者でありながら、群馬県高崎市新町の三澤家の家長として、真言宗豊山派宝勝寺の檀家であり、御菊稲荷の氏子であることを恥じない。
 しかし同時に僕は、カトリック関口教会に籍を持つキリスト教信者であることも恥じない。というか、僕がもし、カトリック信者であることをここで隠したとして、その行為を褒めてくれる人って世の中にいないのではないか。

 オラショなどを保存することには大賛成だ。でも、その一方で、個人的には是非カトリック教会に帰依して欲しい。それが、本当は先祖達の悲願だったわけでしょう。かつては、秘蹟を行うことの出来る司祭が必要不可欠だったわけだし、そのために弾圧を受けて、約8割の司祭達が国外退去した後も、約2割の司祭達は危険を冒してこの国に残り、拷問を受けて死んでいったわけでしょう。
 その悲惨かつ勇敢な人達の行為に報いるためにも、彼らには本来のカトリックにつながって、司祭から本当の秘蹟を受けて欲しいと思う。司祭がいないで組織の責任者が秘蹟の代わりのような行為を行っている今の状態は、本来の姿ではない。やむを得ずそうなってしまったのだということを理解して欲しい。本来の姿に戻って欲しい。

 それに信徒の義務は、自らの信仰を保守的に守るだけではない。
「全世界に出て行って、福音を述べ伝えよ」
ということであり、
「あなたたちは世の光である。(略)あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを観て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」
と言われているように、信徒には、伝道、布教も必然的なものである。その精神に沿って、フランシスコ・ザビエルを始め、沢山の宣教師達がわざわざ海を渡って我が国に来たから、キリシタンも生まれたのだ。

 また、カトリック教会のあり方も日々変わっている。この価値観の多様化した複雑な“現代という時代”に生き残るために、第2バチカン公会議に代表される様々な試みを通して、必死でイノベーションを遂げようとしている。その流れの中から、ヨハネ・パウロⅡ世も、マザー・テレサも、神さまによって産み出された。そうした流れに、是非つながっていって欲しい。そちらの方が、先祖も喜ぶと僕は信じている。

トランプはサイコパスである
 もうひとつ興味深い記事は、脳科学者である中野信子さんの「トランプはサイコパスである」。サイコパスという言葉自体が、僕には新しい言葉であり、それにトランプ氏があてはまるかどうかの真偽を判断する能力は、僕にはない。けれども、中野さんのトランプ氏に対する分析力 は素晴らしい。

サイコパスの語源であるPsycho Pathyの日本語訳は「精神病質」とされ、元々は、連続殺人犯などの反社会的な人格を説明するための診断上の概念でした。
(中略)
しかし、近年、脳科学が劇的に進歩したことで、サイコパスの正体は明らかになりつつあります。サイコパスは、決して“冷酷な殺人犯”ではありません。
(記事の本文から)

と、中野さんは語り、ジョン・F ・ケネディやビル・クリントンなどの大統領や、なんとマザー・テレサでさえサイコパスだったのではないかと指摘する学者もいるそうだ。それでトランプ氏のどの部分が、サイコパス的なのかというと、いくつか挙げられるが、その中で僕が面白いと思ったものだけをピックアップする。

 まず、「根拠のない自信」があること。テレビ番組でインタビュアーに、
「あなたの女性の支持率は低いですよ。どうしますか?」
と問われると彼はこう言う。
「いいえ、女性は私が好きです。(略)みんなトランプが大好きです」
あはははは・・・・いいねえ、この自信!もしかしたら僕もサイコパスかも知れない。

 それから、「人をモノとして扱う」ということ。自分に利をもたらさない対象は「人」として捉えず、「モノ」として見るという。そのため、アメリカ以外の外集団を槍玉にあげて暴言を浴びせる、など朝飯前なのだ。相手がそれによって傷つこうが関係ないのだ。モノなのだから。
「メキシコ人は、アメリカに強姦魔とドラッグの密売人ばかり送り込んでくる」
「(ISについて)彼らの家族を抹消しなければならない」
それが嘘であろうがなんであろうが構わないのだ。そんな風だから女性観も、
「相手がスターなら、女はやらせる。何だってできる」
と言ってのける。

 逆に、自分と利害が一致した相手とは親しくなるという。一番良い例がロシアのプーチン大統領。というか、プーチン大統領もサイコパスだそうである。では、安倍首相もサイコパスかな。仲良さそうだからね。まあ、トランプ氏にとっては“単純に利用しやすい相手”だとナメられたからだろうな。
 中野さんは、サイコパスであるトランプ氏の弱点があることを指摘している。ひとつは、人と人との信頼関係とかに価値を見いださず、餌を与えれば人心を掴めると信じている彼が、人に裏切られる可能性。もうひとつは、サイコパスには飽きっぽい人が多いので、途中で「自分の価値を発揮できない」「メリットがない」と思った途端、
「やあめた!」
と言って政権を放り出す可能性である。

 赤信号を涼しい顔で暴走しながら直進し、その直後に、ガラガラガッシャーン!と、とばっちりを受けた多数の車が、互いに玉突き事故を起こすような、そんな状態にアメリカがならないよう切に祈る今日この頃である。

   

 


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