メサイア演奏会~成功の確信

三澤洋史

メサイア演奏会~成功の確信
 時間との勝負だった。4月30日日曜日、浦安市民会館での「メサイア」オケ合わせ。曲が沢山あるし、ヘンデルって、全てきっちり書いてあるバッハと違って、演奏者の自由に委ねられていることが多いから、いちいち奏者に規定していかなければならない。一回通して、はい問題ないから次ね、という風にはスルーできないのである。

 特に、ソリストとは、カデンツの入れ方を決めたり、装飾音の入れ方を決めて、同じ音型を演奏する楽器奏者との整合性も図らなければならない。一方、弦楽器奏者に対しては、RipienoとSenza Ripienoと書かれている場合、奏者の人数を変えなければならない。それを何人にするかは曲想による。
 ちなみにripienoというイタリア語は「いっぱい」という意味で、コンチェルト・グロッソなどでソロではない合奏の部分を指すが、ここでは全員の意味。senza(without)ripienoは要するに少人数の意味になる。

 もっと大事なことがある。ヘンデルの音楽は、バッハよりもずっとバロック的なので、モダン楽器を使っている奏者に対して、バッハ以上にバロック的様式感を教えなければならない。中にはチェロの西沢央子(なかこ)さんのように、古楽に精通している人もいるが、古楽は古楽でいろんな流儀があるようだし、とにかく、今回の「メサイア」として統一の取れた“落とし処”を提示しなければならない。そこがバロック音楽の楽しいところでもあるのだが、練習に時間がかかるのを避けることは出来ない。

 そういうわけなので、午後1時から始まったオケ合わせは、練習会場が9時完全撤収のため、あらかじめ目標時間だった8時半ギリギリまでかかった。まあ、最後はちょっと特急列車になってしまった感があるが、それでも、決めることは最低限決めたし、あえて止めて返すことも厭わなかった。
 こうしたことは、新国立劇場合唱団をはじめとして、長年指揮者という職業をやってきた経験のたまものだね。みんな、最後何曲か練習出来ない曲が出てくるんじゃないかと思っていただろうけど、全曲くまなくやり終わって、時計を見たら8時28分だったのだ!

 それにしても、今日の今日、初めて集まって、やっていく内にどんどん内容を理解し、僕の指示を吸収していくオケの人達の能力の高さには驚くばかりだ。いまさらながらだけど、プロって凄いんだね。
 でも、今回は、東京バロック・スコラーズのメンバーもちょっと褒めておこう。というのは、前回の練習の最後で、僕はみんなにこう言ったのだ。
「初回のオケ合わせで、オケに完璧を求めないでください。僕たちはもうずっと1年も練習を積んでいるけれど、オケの人達は、その日に集まって初めて合わせるんだよ。演奏における様々な注意も、その時に初めて僕から聞くんだよ。だから仮にまだグチャグチャしていても、決して練習後オケに対してのネガティヴなコメントはしないように。
それよりも、相手がプロでみんなはアマチュアとはいえ、みんなの方が僕の作る音楽的方向性に熟知しているのは当然なのだから、これまで作ってきた音楽をむしろオケのメンバーに対してそのまま披露して下さい。音符の長さひとつとっても、あるいはニュアンスひとつとっても、みんながきちんと普段通りに演奏してくれれば、オケのメンバーは、僕の説明を聞くよりもずっと早く、感覚でそれを飲み込むことが出来るんだ。
間違っても、オケの音に興奮して、いつもよりも頑張っちゃったり、いつもと違うことをやったりしないように!分かった?」
 それでね、合唱団のメンバーは、今回は僕の指示通り、自分たちの作ってきた音楽を、結構冷静に披露してくれた。あんなに長くてニュアンスに富んだ音楽にも関わらず、今回のオケ合わせがこれだけスムーズに運んだのも団員達のお陰だ。みんな、ありがとう!

 自画自賛になるけれど、ソリスト達もみんな素晴らしい。特に、普段あまりバロックを歌う機会がない加納悦子さんが、ここまでバロック的な様式感に乗った歌唱を聴かせてくれるとは思わなかった。勿論、前回の「ロ短調ミサ曲」でのAgnus Deiの絶唱は耳に新しいが、ヘンデルの軽やかさや、装飾音やカデンツの趣味の良さは、良い意味で予想をはるかに裏切ってくれた。やはり優れた芸術家なのだ。
 その他、もはや常連ともなっているソプラノの國光ともこさん、テノールの畑儀文さん、バリトンの大森いちえいさんの揺るぎない歌唱は、それだけで、今回の演奏会の成功を保証してくれるものとなっている。

 僕は、バッハと違って、「メサイア」を指揮している時には、心底しあわせな気分になる。バッハには、“孤高の高さ”というものが存在しているが、ヘンデルにはあたたかさと、人を無条件で受け容れる寛容さがある。バッハを演奏していると、神という至高なる存在に近づいていく感じがするが、ヘンデルを演奏していると、反対に、溢れ出る愛をもって心を開いて世界に向かっていこうと思う。
 そのどちらも、同じように、信仰者に求められる究極の生き方であり、それを表現しているバッハもヘンデルも、共に西洋音楽が生み出した最高峰の巨匠であることに間違いはない。

 昨晩、練習を終えて帰りながら、胸に込み上げてきた想い。それがなんだか分かりますか?
それはね、
「この演奏会、もらった!」

リズムの饗宴サンタナ東京公演
 もう今では、サンタナといっても若い世代の人達には通じないかも知れない。1970年代から長い間に渡って、ラテン・パーカッションを強調してひと味違ったサウンドを創り出して一世を風靡したギタリストである。今年の7月で70歳になるという。

 4月27日木曜日。そのコンサートに行ってみた。新国立劇場で、日本モーツァルト協会主催「後宮からの誘拐」公演のための練習の後、初台から乗り換えなしの1本で九段下まで行く。あたりはすでに人で溢れているが、見るとシニア世代ばかり。まあ、そうだよな。日本武道館は何年ぶりだろう。覚えているのは、1980年くらいにキース・ジャレットのソロ・コンサートを聴きに行ったこと。あの時は、あまりに感動して、涙で席が立てないくらいだった。なつかしい・・・って、ゆーか、もしかして37年ぶりとか?


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 会場に入っても、通路には人ばかりで、前にも後ろにも進めない。なかなか自分の席にたどりつけない。僕の席は、2階南エリアの後ろから2列目。でも正面だし、結構見晴らしが良い。まわりはやっぱりシニア世代ばかり。たまに若い子を見かけるが、いかにも業界人という格好をしている。きっとギターをやっている人とか、パーカッションをやっている人とかかな?
 会場アナウンスが聞こえている。
「スマートフォンでの写真撮影は構いませんが、専用の機器での写真撮影、録画はご遠慮下さい」
え?iPhoneで写真撮っていいんか?


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 さて、コンサートが始まった。普段、クラシックを聞き慣れている耳には強烈な音量。でも、スピーカーやアンプのクォリティが良いので、うるさいけれど耳は決して痛くない。即座にラテン・パーカッションに圧倒された。聴くというより体感するリズムの饗宴!凄いぞ、このバンドは!
 中央のドラムスの左側にはティンバレス、右側にはコンガ。前面には2人のミュージシャンが、ギロやタンバリンやマラカスなどの小物のパーカッションを持ちながら歌も受け持っている。これらのパーカッショニスト達のレベルがハンパじゃない。
 その中でも、ドラムスのシンディ・ブラックマン・サンタナは、今のサンタナの奥さんだが、この人のテンポ感及びリズム感は天才的。彼女こそ、現代のサンタナ・バンドの牽引役だと瞬時に悟った。彼女のお陰で、このバンドはかつてのレベルを軽く凌駕している。ちなみに、後日あらためて過去の演奏のCDを聴いたが、このライブから見ると笑ってしまうくらいヌルかった。
 そのドラムの基本リズムが揺るぎないので、隣のティンバレスやコンガの奏者達が、シンコペーションやフィルインを安心して仕掛けられる。どこまでもポリリズムが続いていって、ズレかけることも少なくないが、危ないなと思ったら必ず戻ってくる。それも計算の上かも知れない。特にコンガ奏者のリズムは、ただのインテンポではない。きちっと裏拍にハマるのではなく微妙なニュアンスがついている。要するに土着のリズムの味。

 アリーナ席は、始まるやいなやもう総立ちでダンスホール化している。しかし2階席はまだ冷静。僕の体は最初からリズムをとっているが、あんなアリーナみたいに踊ってしまったら、拍の頭だけしか感じられなくて、このリズムの妙なんて誰も分からなくなってしまう。あんな高度なことやっているのに・・・・。


Santana003

 まあ、クラシックもそうだけれど、お客なんてこんなもんだ。みんな雰囲気でしか聴いていないから、本当に素晴らしいものの素晴らしさを聞き逃してしまう。とにかくリズム隊を聴いているだけでも、超非凡な演奏に我を忘れてしまう。
 その他の楽器は、サンタナの他にもう1本のギター、ベース・ギター、それにキーボード奏者。そして、トロンボーンが1本だけある。もう1人のギタリストもめっちゃうまいが、サンタナの陰に隠れて気の毒。唯一のホーンであるトロンボーン奏者は、アドリブとかするわけではないけれど、ここぞという時にパワフルな音でキメてくれる。

 考えてみると、このバンド、サンタナだけが最初から変わっていないんだな。それで、かつてのヒット曲を次から次へと演奏しているので、みんなサンタナ・バンドだと思っているが、その実態は、若いトップ・プレイヤー達で上書きされているスーパー・サンタナバンドというわけだ。

 ところで僕は白状するけど、昔はディストーション・ギターの音が嫌いだったから、サンタナも本当はあまり聴かなかったのだ。学生の頃は、ジャズにハマっていたから、基本的にアコースティック楽器指向だったのだ。
 それが、マイルス・デイビスがロック音楽に傾倒してきて、エレクトリック・サウンドを取り入れ始めたので、かなり遅れてから仕方なく聴くようになった。ジョン・マクラフリンなども、最初はイヤイヤ。ところが、聴いていく内に、エレキ・ギターの表現力も、これはこれで説得力があるなと思い始めた。
 サンタナのギターの音色も同じ。昔はうるさいと思っていた。でも、今聴くと、その泣き叫ぶような音色に、強烈にサンタナの個性を感じる。それが、ラテン・パーカッションと共に鳴り渡ると、もうサンタナしかあり得ないサウンドに仕上がるんだ。不思議だよね。

 お、「哀愁のヨーロッパ」が、何の前触れもなく全く唐突に始まった。この曲は本当に名曲だね。メロディーは、ミラシドシッラソファーという単純なものだけどシビレるんだよね。和声も5度進行の単純なものだけれど心に染み入るんだよね。誰でも作れそうだけれど、作れないんだよね。
 後でネットで調べたら、この曲、大阪公演では演奏されなかったっていうじゃないか。ええっ?と思った。サンタナのライブで「哀愁のヨーロッパ」がないなんて、あり得ない!よかった、東京公演で。
 原題は、「哀愁」はなくて、ただのEuropa。いつもは勝手な意訳に腹を立てる僕も、この日本語訳に「哀愁」を加えた行為は評価しよう。誰なんだろうか、そういうセンスのある人は?「カヴァレリア・ルスティカーナ」や「コシ・ファン・トゥッテ」にも、なんか気の利いた日本語名をつけてくれないかな。


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 その他、エンヤの「オリノコ・フロウ」など、他のアーティストの曲などもカヴァーしてライブは進んでいくが、中でも、ジョン・コルトレーンの「至上の愛」が演奏されたのは嬉しかったなあ。しかも、そのすぐ後で、サンタナは演奏をやめてマイクを持ち、
「平和が大事なんだ。それはファミリーの平和から始まり、地域の平和、民族の平和とどんどん広がってくる。もうアメリカもないんだ。朝鮮も中国もロシアもないんだ!」
と訴えたのには心を打たれた。月並みで安っぽいメッセージと思われるかも知れないが、サンタナは本気だと思った。そして、こんな大きな会場で、それを訴えることの出来るミュージシャンというのも捨てがたいなあと思った。ミサの中で平和を祈るのと同じ力があるんじゃないか。その時だけ・・・なんて悪口も聞こえてくるような気がするが、いやいや、その時だけであろうがなんであろうが、想いは神に必ず届く。

 スタンド席でも立って踊る人が増えてきた。僕の左隣のおじさんも立った。ダサい踊りをしているし、微妙にリズムに合っていない。まあみなさんご自由にどうぞ!僕は立たなかったけど、体は自然に揺れる、座りながら右足、左足と代わりばんこに重心移動していたら、無性にコブが滑りたくなってきた。
 特にコンガ奏者などがイカしたフィルインを仕掛けてきた時のスリリングな感じは、難攻不落なコブ斜面に挑んでいるような気分だ。その浮遊感!また、この感覚をもってバロック音楽に向かえば、最高の「メサイア」が出来そうな気がしてきた。サンタナのライブは、スキーやバロック音楽と僕の中で何も違和感なくつながっているのだ。

 2時間10分休憩なしのライブが終わって、日本武道館からおびただしい人の群れが吐き出され、僕も人の濁流の中に流されながら九段下の駅に向かった。ああ来て良かった、と思った。
まだちょっと肌寒い4月後半の夜風が、火照った頬を静めてくれた。

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