この2週間

三澤洋史

5月1日月曜日
 朝は、前回の「今日この頃」の原稿を書く。
午後からは、愛知祝祭管弦楽団「ワルキューレ」のために、ジークリンデ役の清水華澄ちゃんのコレペティ稽古。
それから、新国立劇場を出て高崎に向かう。19時から高崎中央公民館で「おにころ」の合唱練習。深夜に帰宅。

5月2日火曜日
 朝から「メサイア」のスコアとにらめっこ。「メサイア」は、これまで何度も暗譜で指揮しているが、曲が多いため、よく覚えている箇所と、比較的薄い箇所とがある。
案外、アリアのカデンツ(終止形)近辺が曖昧。自分でピアノを弾きながら歌い、頭にというよりも体に叩き込む。
午後は立川柴崎体育館に泳ぎに行く。久し振りの水泳なので、筋肉が衰えており、1000メートルでやめておく。筋肉って、使っていないとすぐ衰えるんだ。
夜は志木第九の会で、オラトリオ「四季」の最終練習。今日行くと次はもう演奏会前日。すなわち13日土曜日のオーケストラ合わせになってしまうので、もう後がない。だからビシビシしごいた。

5月3日水曜日
 杉並公会堂グランサロンにて、「メサイア」のオーケストラ合わせ2回目。やはり予想したとおり、ヘンデルの「メサイア」の方がバッハの音楽よりずっとバロック的なので、カデンツのトリルの入れ方など、バロック特有の奏法を念入りに直すが、普段バロック音楽をやっていないモダン楽器のメンバーなのに、みんな短期間でよくここまで付いてきてくれた。奏者が優秀だということは、キャパシティ(許容量)が広く柔軟性に富むということなのだね。
合唱、ソリスト達も含めて、モダン楽器を使用した僕なりのバロックの「落とし処」に落ち着いて来た。このスタンスを、オリジナル楽器全盛の現代において、僕は世に問う。

5月4日木曜日
 すみだトリフォニー・ホール。つくづく思うが、良いホールだ。柔らかく暖かい響きが、バロック音楽、特にヘンデルの音楽にとてもマッチしている。ゲネプロを指揮している内に、いいようのない幸福感に満たされてきて、今日の演奏会の成功を確信した。
そして本番。バッハとは全く違った気を感じる。会場全体が、大きな平和のドームに包まれているよう。
國光ともこさんのソプラノは、Rejoiceのようなコロラトゥーラの曲では、キビキビとした歌唱を聴かせる一方で、How beautifulのようなアリアでは、慈愛に満ちたオーラを放つ。
加納悦子さんは、一見クールに感じられるが、深い宗教性を醸し出す見事な歌唱。
畑儀文さんの、語り部的な歌唱を何とたとえよう。このような知的で細やかな感性を持ったテノールを、僕は日本人で他に知らない。
そして、トランペットのアリアをビシッとキメてくれた大森いちえいさんは、最初のアリアの前の「見よ、闇が地を覆っている」のレシタティーヴォでは神秘的な世界を表現していた。
合唱は、練習の成果もあって細かいパッセージもキマり、僕の意図していた軽やかで躍動感のある「メサイア」の牽引役を果たしてくれた。第2部冒頭では、第1部の明るさから、瞬時にして受難の厳しさと悲しみの感情に聴衆を引き込んでくれた。
コンサート・ミストレス伊藤文乃さん率いるオーケストラは、本当に素晴らしいできばえであった。その中でも特に、トランペットの辻本憲一さんの輝かしいソロは、他に追従を許さない境地であった。やはりトランペットは、バロック音楽においては神の楽器なのだという認識を新たにした。
指揮している間は、本当にしあわせで、この瞬間がいつまでも終わらないで欲しいと思っていた。だからアーメン・フーガの最後のフェルマータで、
「ああ、これを切ってしまうと、この至福の時も終わってしまうのか」
と、惜しむ気持ちでいっぱいであった。

5月5日金曜日
 実は、10時から群馬県高崎市新町文化ホールで、「おにころ」集中練習をしていた。本当はそこに間に合うように早朝に起きて家を出るはずであったが、明け方ふと目が覚めたら喉が痛い。
「ヤバイ!」
と思った。もし、ここで熱なんか出たら、この土日の愛知祝祭管弦楽団の集中練習にも行けなくなってしまうし、その後怒濤のように続くスケジュールも、下手すればみんなキャンセルなんてことになってしまう。それを考えたら恐ろしくてたまらず、まず起きて、蜂蜜のお湯を飲み、それから再びベッドに入った。とにかく、昨日の「メサイア」の疲れがとれない内は起きるのをやめようと思った。

 でも、7時過ぎになったら、蜂蜜が効いたのか、喉の痛みが取れてきた。ああよかった、と思って、ゆったりと朝食を取り、旅支度をして群馬に向かった。新町に着いたら11時半であったが、思ったより元気になっていた。
午後になったら、子役の子ども達が来た。子ども相手に疲れたなんて言ってられない。でも、逆に子ども達から元気をもらった。「おにころいじめ」の場面をガッツリ稽古して、子ども達を帰し、それから大人達とセリフの稽古などをして6時くらいに文化ホールを出て、高崎駅から新幹線で名古屋に向かう。

5月6日土曜日
 早朝、目が覚める。ここは大府駅前のホテルの一室。
元気だ。ああよかった。高崎駅で買った飲むタイプの葛根湯が効いたのかも知れない。スニーカーを履いて早朝散歩に出る。1時間歩いて帰ってきて、ゆったりと朝風呂に入る。それから朝食。
愛知祝祭管弦楽団のオーケストラ練習は、今日から歌手入りになる。まずは、ジークムントの片寄純也さん、先日稽古したジークリンデの清水華澄ちゃん、それからフンディングの長谷川顕さんとで第1幕から始まった。歌が付くと、オケのメンバーは俄然張り切る。
午後は、第2幕後半のジークムントとジークリンデの逃亡のシーンなどをやり、それから、ブリュンヒルデ役の基村昌代さんが来て、第2幕の「死の告知」の場面などをやった。
オケの練習は4時半くらいに終了したが、その後、場所を変えて、僕は、基村さんのコレペティ稽古を行う。ピアノを弾きながら、いろいろなサジェスチョンを行い、終了して時計を見たら7時を回っていた。ふうっ、フル稼働の一日でした。

5月7日日曜日
 愛知祝祭管弦楽団のオーケストラ練習2日目。
今度はヴォータンの青山貴君が来て、基村昌代さん及びフリッカの相可佐代子さんと共に第2幕の練習。それから有名な「ヴォータンの告別」のシーンを合わせた。うーん、「ヴォータンの告別」のシーンは、いつやってもウルウルくるなあ。本当に素晴らしい音楽だなあ。

5月8日月曜日
 この週は「今日この頃」をお休みにしてもらった。連休だからという理由だが、本当は違う。実は、明日5月9日に、日本モーツァルト協会の講演会があるのだ。その準備を今日一日でしないといけないのである。

 これは20日土曜日にある「後宮からの誘拐」演奏会に先駆けて、同じく「後宮からの誘拐」と、それがモーツァルトのドイツ・オペラすなわち「魔笛」と、その後のウェーバーやワーグナー、R・シュトラウスなどのドイツ・オペラの流れにどのような影響を投げかけていったかというテーマで語るものである。
話す内容については、もうすでに決めていたけれど、まず今日の午前中に、受講者に配るレジメを送らないといけないし、それから、内容に沿った順番でCD-Rを編集して焼いたり、プロジェクターで楽譜などを映し出すパワーポイントのファイルを作成しなければならない。
今日は、仕事としてはオフなのだが、朝からずっとパソコンに向かっていた。もう目がしょぼしょぼしてしまった。

5月9日火曜日
 その準備の甲斐あって、講演会は好評の内に終わった(と信じている)。会場は、東京文化会館の大会議室だったので、僕は上野駅構内のカフェでひとり珈琲を飲みながらクールダウンをして、家に帰った。

5月10日水曜日
 さて、講演会が終わったら、次は、今週末に控えている志木第九の会のハイドン作曲オラトリオ「四季」の勉強を再開しなければならない。ソリスト達とは、ピアノによるコレペティ稽古が済んでいるので、テンポや解釈は伝えておいてあるし、合唱団はもとより1年以上もかけて練習を積んでいるけれど、今回の難関は、なんといってもオーケストラ。

 いつも真摯な態度で音楽に向かっているニュー・シティ管弦楽団ではあるが、今回はなんといっても13日土曜日一日で、この長大で難解な曲のオケ練習とオケ合わせを行わなければならず、次の日はもう演奏会なのだ。この作品をどう要領よく稽古をつけられるか、という手腕が問われるのだ。
だから、僕の指揮には一点の曖昧さもあってはならないし、練習中にテンポその他の設定がブレてはいけない。それを思うと、自分として最善を尽くしてオケ練習に向かわなければならない。
それで、朝から集中してスコアの勉強をする。あまり集中したので、脳がクタクタになってしまった。それで、お昼を食べた後、また柴崎体育館に泳ぎに行く。帰ってきて、少しだけお昼寝して、またスコアを読む。それから家を出た。

 夜は東京バロック・スコラーズの練習。先日「メサイア」演奏会が終わったばかりであるが、もう演奏会後の初回音取り練習を僕の手で行う。まあ、演奏会の打ち上げでは言えない本音の意見をみんなも期待しているだろうからね。
でも今回は、TBSのメンバー達が、オケ練習になってもブレずに本番までいき、さらにその路線の中できちんと本番のテンションをもって演奏してくれたので、僕は素直にみんなに感謝の気持ちを述べた。

 さて、今日の練習曲は、10月のルターの宗教改革500年記念演奏会のメイン・プログラムである、カンタータ80番「われらが神は堅きとりで」の冒頭合唱。これって、めっちゃ音取りにくいね。ヘンデルから急にバッハに戻ると、いかにバッハが娯楽音楽から離れているかというのが手に取るように分かる。ヘンデルは、書いた音が全て効果となって聴衆に届く。それ以外の無駄な労力は払わない。しかし、バッハはオタッキーなんだね。マルティン・ルター作詞作曲の単純なコラールのメロディーを使用していながら、なんと複雑な楽曲を書くのだ!当時の人達の一体何パーセントがこの音楽の価値を正しく評価しただろうか?
それ故、たとえばヘンデルから見ても、バッハの音楽は、聴衆のことも考えないただの田舎の凝り性の作曲家と映ったであろう。でも、まさにそれこそがバッハの価値というものだ。こんな風に、ヘンデルからバッハに舞い戻った衝撃は、予想以上に大きい。

5月11日木曜日
 午前中は、ハイドンのスコアの勉強。
午後は、新国立劇場に行って、日本モーツァルト協会「後宮からの誘拐」のソリスト稽古。
夕方帰ってきて、孫の杏樹をお風呂に入れ、一緒に夕飯を食べて寝かしつけた後、パソコンに向かい、先日ワークショップに行った大阪の八尾小学校の校歌を編曲し始める。

5月12日金曜日
 今日は、仕事は1日オフ。朝からハイドンの勉強。10時からイタリア語のレッスン。11時過ぎに帰ってきて、お昼までに八尾小学校の校歌を仕上げる。
午後は再び柴崎体育館に泳ぎに行く。筋肉が戻ってきたので、今日はバタ足やストロークの練習も合わせて1500メートルくらい泳いだ。その後、大きなハイドンのフル・スコアをリュックサックに入れて自転車に乗り、国立駅近辺に行く。
ドトールでオラトリオ「四季」の「春」と「夏」の勉強をし、場所を変えてスターバックスにはしごをする。スタバの戸外テーブルで、道行く人達を眺めながら「秋」と「冬」の勉強をする。ちょっと曇り空で、雨が降ってこないかなと心配ではあったが、風が爽やかで、冬の「そして大いなる朝がやってきた」では感動してしまった。

5月13日土曜日
 最悪の天気。志木第九の会の音楽マネージャーのOさんが北朝霞の駅に僕を迎えに来てくれた時、ちょうどどしゃぶり雨の最中。車に乗る瞬間は、ドアを閉めながら傘をたたまなければならない。そのわずか1秒にも満たないような時間であったが、バケツをぶちまけたような豪雨で、上半身がびしょ濡れになってしまった。
 13時。本番会場の和光市民会館サンアゼリアのステージ上で、いよいよハイドン「四季」のオケ合わせが始まった。オーケストラだけ単独で練習する時間的余裕はないので、最初からソリストと一緒にアリアを合わせる。4時過ぎから合唱団と合流。
 明日のゲネプロが10時から始まるので、ソリストを早く帰してあげたいのだが、合唱と絡む曲が多いので、どうしても遅くなってしまう。でも、ニュー・シティ管弦楽団の皆さんの集中力が凄いので、なんだかんだいって、予定よりもスムーズに練習が運び、7時半過ぎに全体が終了した。ふうっ!これでなんとか本番が出来るぞ!

5月14日日曜日
 久し振りに妻がゲネプロから来るというので、妻の車で家から会場までドア・ツー・ドア。珍しく妻が来られるのは、長女の志保と孫の杏樹が昨日から相模湖の方に遊びに行っているので、妻が面倒を見なくていいから。今日は打ち上げまで妻が出席する。車の中でかけていたCDは、なんとサンタナの「キャラバン・サライ」。その内まとめて書くかも知れないけれど、このアルバムは、なんかスピリチュアルでいいね。

 さて、今だから言うが、今日はなんとなく何かが起こる予感がしていた。まず、僕の身によく起こることがある。それは「神隠し」・・・と言っても誰か人がいなくなるのではない。でも、ちょっとだけ大事なものが、ある日忽然と姿を消すのである。どこにも行きようがないのに・・・。
ハイドンの勉強が佳境に入ってから、僕の普段使っている眼鏡がなくなった。家中どこを探してもない。記憶を辿って行くと、どう考えても自宅にしかない。スペアの眼鏡があるので、それを使っていたが、僕は、これはきっと志木第九の会の演奏会が終わらないと出てこないんだろうなあ、と思っていた。そして実際その通りになった。

 志木第九の会のハイドン作曲オラトリオ「四季」演奏会自体は、とてもうまくいっていた。オケも集中していたし、合唱もいつになく柔らかくパワフルな響きで、ソプラノの黒澤明子さん、テノールの升島唯博さん、バスの大森いちえいさん達ソリストは、みなそれぞれの力を出し切っていた。やはり僕の演奏会がうまく進行している時特有の何か至高なるものに包まれている感覚が支配していた。
 しかし、たったひとつしっくりしないことがあった。それは、「僕たち演奏に携わる者とそれを享受する聴衆との空間」は確かに何かに包まれ守られていた。ところがその外では・・・・僕は、必ずしもそうでないものを感じていた。何かがうごめいている。そんな違和感を感じていた時、突然僕の首から蝶ネクタイがはずれて床に落ちた。第1部が終わって客席向いて挨拶している時、僕の手から指揮棒が落ちて、ステージから客席まで落ちてしまった。

 第2部の「冬」に入って間もなく、場内の非常ベルが鳴った。それは一度おさまったが、再び鳴り出し、しかも長い間止まらなかった。しかも、他のアラームまで一緒に鳴り出した。どういうことだ?何が起こったのだ?こんなに止まらないとは?
 僕はJアラートかと思った。北朝鮮がミサイルを発射し、こちらに向かっているのか?しかし不思議と自分の心の中に不安や混乱はなかった。僕があらためて思ったのは、自分は本当に指揮者というのを天命と思っている、ということ。つまり、今ここで核爆弾が頭上に落ちてきて自分がこうして演奏しながら死ねるのだったら、むしろ本望だと思ったのだ。それで平然と演奏を続けた。
 もうひとつ思った。もし聴衆のことを思ったら、演奏を一度中断した方がよかったのかも知れない。しかし自分で気付いたのだが、僕は、聴衆に向かって演奏しているのではなかった!僕の演奏は、なんと神に捧げられていたのだ。だから、この演奏を止めようという気持ちは全く働かなかったのだ。
 火事とか他のことが起こって、本当に危険な状態であれば、誰かが舞台上に現れて僕たちの演奏を止めてくれるだろう。それまで普通に演奏を続けていればいいのだ。この演奏が神に届けばそれでいいのだから、話はとってもシンプルなのだ。
 でも、出来たら終曲だけは静かな状態で演奏したい。人生を生き抜き、大いなる覚醒の中で、聖なる門をくぐり永遠の春に入っていく壮大で崇高な曲。そう思った途端、非常ベルが止んだ。
 その時、僕は何故か「勝った!」と思った。そして終曲は、ソリスト、合唱、オケの心が一体となった感動的演奏となった。

 演奏後、楽屋に来てくれた人達や演奏者達の誰もが非常ベルの話をしていた。しかし、恐らく僕だけが、このアクシデントの本当の理由を知っていた。

5月15日月曜日
 早朝、気がついたら、居間の、いつも食事をするテーブルの下の床に眼鏡が落ちていた。何事もなかったかのように。眼鏡がなくなっていた時もしそんなところにあったら即座に気がついたであろうに。
 もちろん、妻や娘や、孫にまで、
「これ、どこかから持ってきた?」
と訊いた。みんな当然のことのように「いいえ?」と言った。
 普通に考えればあり得ないことだ。でも僕には初めてのことではない。僕は、またかと思った。神隠しされたものが出てきたのだ。

 みなさんは「魔」の存在を信じるだろうか?
魔はけっして心の本丸までは入って来ない。ただ攪乱するだけ。しかし、そこでうろたえるならば、魔の思うつぼなのである。
 ホールの人の話では、非常ベルの誤作動に過ぎなかったそうである。恐らくこれ以上追求しても、たいした成果は得られそうにない。それよりも、こうした僕の演奏行為がうまくいったら困る闇の勢力があるのだということを、僕は一度は皆さんの前に言っておきたい。

 うぬぼれているようだけれど、僕の演奏はただの演奏ではないのである。
また、眼鏡を神隠ししたのは、魔ではないと思う。それは、恐らく僕に演奏会までスキを作らないようにと注意を喚起する善良なる霊・・・ある人は守護霊と呼び、ある人は守護の天使とも呼ぶ天上界の存在だと思う。僕は守られている。しかし、一度外海(そとうみ)に出るならば、僕がこれからするであろう活動を快く思っていない闇の勢力があり、僕はその勢力と戦い続けなければならないのである。

これが僕の宿命である。
でも、それはとりもなおさず僕の活動が、天上界からのある使命を持っている証なのである。



 


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